碇博士

「・・・でもさぁ、公務員でサービス残業っての、ちょっと納得いかないよな?]
 
 時計の針が、『今日』を『昨日』へと押し流して数十分。
 激務の慰めとしてはいささか心許ない自動販売機のコーヒーを啜りながら、ぱしりーズin発令所の二人は、ささやかな慰労を切ない愚痴で水増ししていた。
 眼鏡を外した日向の鼻梁には、眼鏡の重量を支え続けた痕跡が赤黒く残り、青葉の自慢の長髪も、もはや廃棄寸前のモップ状態。
 
「ま、仕方が無いっすよ。どうせカネが有っても使う暇が無いし。」
 
「暇かぁ・・・。ビデオの録画を見るどころか、部屋に帰ってタイマー録画をセットする時間すら無いもんなぁ。」
 
 日向が思い描くのはTV番組、『素敵なだんなさま・主夫の料理』
 料理でミサトの気を惹こうという消極的な彼の計画に於いて、シンジに継いで重要な後方支援である。
 
「暇っすかぁ・・・。材料を買っても、作る時間がなくっちゃねぇ・・・。」
 
 対して青葉。少女趣味のマヤにアピールするべく、彼はぬいぐるみを作っていた。
 既に数体の猫のぬいぐるみを献上しているが、それらが全てリツコのコレクションに加わったことなど、彼は知る由も無い。
 ちなみに、彼の師匠もシンジである。
 
「はあ・・・・せめて、碇博士の実験スケジュールが今の半分だったら・・・」
 
「そうっすね・・・」
 
「ああ・・・せめて、碇博士の活動時間が今の半分だったら・・・」
 
「・・・そうっすね・・・」
 
「ふう・・・せめて、碇博士の・・・どうした?」
 
 しっ!・・・と指先を口に当て、緊張の面もちで耳を澄ます青葉。
 背筋をぴっと伸ばし、話題の針路を変更する。
 耳にしたのは足音。
 踵に鉄鋲を打ち付けた靴がたてる独特のそれを、彼らは『猫の鈴』と呼んでいた。
 
「いやぁ、碇博士はやっぱり凄いっすよ! たった8行のリスト変更で、起動シークエンスを6%も短縮したんスから!!」
 
 一瞬戸惑う日向だが、事態を察するのに時間はかからない・・・
 慌てて表情を真摯なものに変え、話を合わせる。
 
 カツン・・・カツン・・・
 
「ああ、まったくだ! それに、右巻き遺伝子の構成にも成功したしなっ!」
 
 早口にまくし立てる日向。
 足音に気付くのが遅かったか?
 額に感じる汗が、やけに冷たい・・・
 
 カツン・・・
 
 足音は、彼らの背後・・・自動販売機の前で止まった。
 緊張はピークに達する。
 
「それにさっ! 碇博士のすごさと言えばっ!」
 
「ぅおおうっす! なんてったってっ、なんてったってっ・・・。」
 
 焦るほどにもつれる青葉の舌からは、とっさの褒め言葉が出てこない。
 
「ひっ・・・うっ・・・なんてったってぇぇ・・・。」
 
 止めようもない冷や汗が、彼の足元に水たまりとなって拡がってゆく。
 
「な・・・なんてったってぇぇ・・・ううっ、ううう〜っ・・・ひぃっ!?」
 
 背後から、白手袋に覆われた手が差し出される。
 
「・・・問題ない、飲みたまえ。」
 
「は・・・はい・・・。」
 
 恐る恐る日向が受け取ったのは、一杯のバナナミルク。
 
 なぜバナナ?なぜ一杯だけ?
 
 怯えながらも顔中に疑問符を貼りつけた彼を残して。
 
 カツン・・・カツン・・・
 
 足音は去っていった。
 
 やがて漂うアンモニア臭。
 股間を濡らし、総白髪の長髪をダラリと下げ、失神した青葉を見て。
 
「・・・ビジュアル系?」
 
 ボケるしかない日向であった・・・。
 
 
 
 
 
「ちょ〜っとっ!! バカシンジ、使徒はもう来ないんでしょ?なんで未だにテストが続くのよっ!?」
 
「し、知らないよ、僕に言ったって・・・。」
 
「なぁに言ってんのよっ、アンタの親でしょ!? ほら、レイもなんか言いなさいよっ!」
 
「・・・いい、仕事だから。」
 
 一方、控え室の前で騒ぐチルドレン達。
 高校受験を前にしての連日のシンクロテストに、積もる不満を爆発させていた。
 
「なぁに言ってんのっ!?
 アタシらはともかく、このバカシンジにはしっかり勉強させないと、同じ高校に行けないじゃない!!」
 
「・・・碇博士、許せない。」
 
「あっ、あやなみぃ・・・。」
 
 静かに、かつ無表情に、怒りのオーラを纏うレイ。
 その時。
 
 カツン・・・カツン・・・
 
『猫の鈴』が、遠くから響いた・・・刹那。
 
「んっも〜う、ちょ〜最高って感じぃ?ねっ、シンちゃん!」
 
「へ?・・・な、なに?」
 
 いきなり豹変したレイに戸惑うシンジではあったが。
 
「そそそっ、そうよねっ! や〜っぱ、碇博士無しでネルフは語れないわねっ!?」
 
 すかさず同調するアスカに事態を察し。
 
「うんっ!! もう、息子として鼻が高いよっ、あはっ、あははははっ!!」
 
「でしょでしょっ!? ホ〜ント、碇博士が居れば、何があってもだ〜いじょぶ、じょぶっ! よねっ!!」
 
「さっすが、無敵のシンジさまっ! なんたって親まで無敵だもの、頼もしいわぁ〜っ!!」
 
「「「あはっ、あはははははっ!」」」
 
 白々しく盛り上がる三人の横で。
 
 カツン・・・
 
 ・・・足音が止まった。
 
「・・・シンジ、よくやったな・・・。」
 
 暖かみすら感じさせる低音が響いて。
 
 カツン・・・カツン・・・
 
 去ってゆく足音。
 
「なに?なにを良くやったの、僕?」
 
 ワケの判らないシンジを尻目に。
 
「・・・レイ?・・・どうしたのっ!?」
 
「・・・いい、独りにして・・・。」
 
 命惜しさに、クールを極めた自らのスタイルを崩してしまったレイ。
 壁にむかってしゃがみ込んだ彼女は、海より深い自己嫌悪に浸っていた・・・。  
 
 
 
 
 
 
 さて、食堂。
 
「ふっ、リツコの付き合いの悪さにも磨きがかかったわねェ?」
 
「あら?こうやって付き合ってるわよ?」
 
「だ〜か〜ら、夜よ夜! 呑みに誘ってもさっぱりじゃない!?」
 
「まあまあ、むくれるなよ、葛城。
 ・・・ま、リッちゃんも今が一番幸せな時だろうからな、判ってやれよ。」
 
「ふふっ、ありがと、加持くん。」
 
 夜食の残骸を脇に避けて、くつろぐ三十路トリオ。
 
「リツコの幸せより私の幸せよ。・・・はぁ、私の幸せはドコ?」
 
 頬杖をつきながら天を見上げる器用なミサトを、加持が茶化す。
 
「・・・ドコって、冷蔵庫の中に決まってるじゃないか?なぁ、リッちゃん。」
 
「・・・加持、あんた判って言ってるわね?」
 
「そうよね、ミサトの幸せが他にあるとは思えないわね?」
 
「ちょっ、リツコまでンなコト言うわけェ?」
 
 ますます不機嫌になるミサトの耳に、甲高い足音が届いた。
 
 カツン・・・カツン・・・
 
 三人ともその音を耳にした筈だが、誰一人として雰囲気は変わらない。
 ・・・いや、リツコは少しだけソワソワしているようだ。
 
「ふふっ・・・冷蔵庫の前で、一緒に幸せになるか?」
 
 左右非対称な笑みを口元に浮かべる加持。
 
「・・・?
 ちょっと、一緒にってトコちゃんと説明してよ?」
 
「一緒には一緒にだろ?」
 
「あなたたち、止めなさいよ。」
 
『一緒に幸せになろう。』・・・これも一つのキーワード。
 すわ、プロポーズかと色めき立つミサトは、加持に荒々しく詰め寄る。
 一方、近付く足音に、動揺を深めるリツコ。
 騒ぎの気配を押し流そうと、とりあえず自制を求めては見るものの・・・。
 
「もちろん、一杯やろうって事さ。」
 
「くぅうわぁあじぃいいいいっ!?」
 
「ばっ、ばか、怒るなよ、冗談だって、冗談!!」
 
 チルドレンと同レベルの痴話ゲンカに、大人の自制が存在する余地はなく。
 頭を抱えるリツコの脇で。
 
 カツン・・・
 
 足音が止まった。
 
「お?ちぃっす、司令。」
 
 お気楽なミサトの挨拶に。
 
「うむ、ちいっす。」
 
 重々しい口調で、軽く返すゲンドウ。
 
 元来、縦のつながりに無頓着なゲンドウは、使徒戦争の終結と共に、気の良い側面も見せるようになった。
 マヤ命名、『フランク・ゲンちゃん』
 仕事の効率に影響しない限り、上司への敬意など端から求めはしないのだ。
 話せば判る、厳つい上司。
 纏う雰囲気さえ慣れてしまえば、理想の上司とも言えるだろう。
 したがって・・・。
 
「お疲れさんです、司令。
 ・・・司令からもコイツに言ってやって下さいよ、少しは落ち着けって。」
 
 ・・・なんて軽口も出るのだが・・・。
 
「私だって、いい加減落ち着きたいわよっ!!」
 
「わっ、唾を飛ばすなよっ。・・・少しはリッちゃんを見習ったらどうだ?」
 
 ぴくっ
 
「・・・リッちゃん?」
 
 加持のセリフに、ゲンドウの眉が微妙に歪む。
 
「良い女っていうのは、リッちゃんみたいにミステリアスな静けさを・・・」
 
 ぴくくっ
 
「・・・加持くん。その、『リッちゃん』というのはリツコくんの事かね?」
 
「え?あ、はい、赤木・・・じゃなかった、碇博士の事ですけど・・・ひっ!?」
 
 憤怒に赤く染まるゲンドウと、それを見て恐怖にひきつる加持。
 
「・・・他人の妻に対して『リッちゃん』というのは、少〜し馴れ馴れしくは無いかね〜っ?」
 
 理想の上司たるゲンドウ。
 同時に、『理想の旦那様 by 女性スタッフ』の座を勝ち取る程の愛妻家ぶりは、時に恐怖をまき散らし・・・。
 
「やっ、これはそのっ・・・葛城〜、何とか言ってくれ〜っ!!」
 
「ふん、もっと落ち着いた人に頼めば?」
 
「げっ!? リッ・・・碇博士ぇ〜、頼むよ、何とかしてくれ〜っ!!」
 
「むっ?そういう態度が馴れ馴れしいのだよ!」
 
「悪いわね、加持くん。私はこの人の味方だから。
 ・・・ね、ゲンちゃん?」
 
 しなだれかかるリツコに、ボンッ・・・と頬の赤みを増すゲンドウ。
 これは、怒りのせいでは無さそうだ・・・。
 
「そっ、それは無いだろう!?・・・ちょっ、葛城っ!!碇博士っ!!!」
 
「ジタバタせずに来たまえ。君の処遇を決める必要が有りそうだ。」
 
 そのまま、加持を引きずるように連行していくゲンドウの後を。
 
「じゃ。悪いわね、ミサト。」
 
 リツコが、嬉しそうについていった。
 
 
 ・・・以来、リツコの悪口はおろか、気軽に話しかける男の姿すら、ネルフからは消え去ったと言う。   
 
 
 
 
 
 
 
 おまけ。
 
 
 そこは、薄暗い檻の中。
 
 パチッ・・・
 
「私は只、『リツコくんに拘りすぎだ』と言っただけなのだが・・・。」
 
 パチッ・・・
 
「・・・副司令も災難でしたね・・・。」
 
 パチッ・・・
 
 囚人服に身を包んだ二人の男の間から、将棋盤が小気味よい音を響かせていた。
 
 
 
 んで、主計課、資料室。
 
「私のオトコぉ〜っ!!」
 
 一人減った職員リストと、一つ増えた資材リストを見比べながら、吠えるミサトがいた。
 一方、新たに手に入れたモルモットに、小躍りして喜ぶリツコ。
 その姿を見た者、決して皆無では無かったが・・・ネルフのエリート達は、処世術にも長けているようだ。
 
 
 
 ついでに、第壱中学、生徒昇降口。
 
「あのっ、僕っ・・・明るい綾波も、可愛くて・・・その、好きだな。」
 
「・・・・・・碇くん・・・。」
 
「・・・なにさっ、バカシンジ。」
 
 かくして、コケティッシュ&ヴァイオレンスのアスカに対抗する、キュート&ミステリアスなレイが誕生。
 一ヶ月を待たず綾波ファンクラブが結成され、学内の勢力をアスカと二分する事となった。
 同時に、共通の敵として両勢力に睨まれたシンジ。
 命がけで身に付けた脚力によって、高校時代、トップアスリートのリストに彼の名を残したのは。
 あるいは、碇博士の偉業の一つなのかも知れない。
 
 
 


 喰う寝る36さんから、なんとなんと10万ヒット記念の第三弾を頂いてしまいました!  ありがとうございます!
 
 碇博士って……最初、ユイさんのことだとばかり思っていましが……(汗)
 なるほど、最後まで読んで納得。
 リっちゃんのことだったんですね。(^-^)/
 
 『理想の旦那様 by 女性スタッフ』のゲンドウ。
 それが周りに過剰なまでの、反応を引き起こす原因となろうとは。(汗)
 
 そして、ちょっとした言い回しに喰う寝る36さんのセンスが光る。
 とっても、いいっすよぉ。(^-^)
 
 でも、このレイちゃんも、ラブリー♪(@^^@)
 <って、結局はこれかい。自分(汗)
 
 
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