『夏が終わる』



夏休み、いつも決まった期間、私はこの場所に滞在する。
感覚的には『行く』というより、『戻る』という言葉が合う気がする。
去年までは、おじいちゃんとおばあちゃんが二人揃って出迎えてくれた場所なのに。
今年はおじいちゃんだけが右肩を少し寂しそうにして、玄関先で「よぅ来たのぉ」と出迎えてくれた。
お父さん方の田舎は四国のおうどんの美味しい所で、毎年こちらにくればやれ海だやれ山だと年の近い従兄弟達が私を連れ回してくれる。
一人っ子の私は、それがとても嬉しかった。

。風呂入んな」
「はぁい。でももうちょっと後で」
「お前ね〜。後で後でって、もう1時間も過ぎよるぞ?何を待っとぉ?」
「えへへ、内緒〜」
唇に人差指を当ててにへらっと笑うと、従兄弟のお兄ちゃんは小さな含み笑いを残して部屋の中に引っ込んだ。
縁側に腰掛けてぶらぶらと足を揺らせば、伸びた影も合わせて前後に大きく揺れる。
傍らには蚊取り線香を中に飲み込んだ渋い薄茶色の陶器の豚と、真っ白なボディの携帯。
雪みたいで素敵、と一目見て歓声を上げた私を、一緒に選びに来てくれた亮ちゃんは「ガキみたいにはしゃぐな」って頭を叩いたっけ。
ぱかり、と携帯を開けて、メールが来てない事を確認して、溜息と一緒に腿の上に乗せる。
「遅い〜」
顎をぐぃっと反らす様にすると、背中の何処かがぱきりと鳴った。
長時間同じ姿勢で夜空を見詰めてたからだ。
亮ちゃんは今日はちょっと遠い他県の学校まで練習試合に行っている予定で、メールがなかなか来ないのも頷ける。
練習試合で疲れちゃって家に帰ったら速攻でシャワーを浴びて夕飯をまるで掻き込むみたいに食べて、リビングのソファーでバタンキューっていうパターンだって、充分考えられるし。
案外練習試合そのものが長引いてて、未だ電車に揺られてるのかもしれない。
それとも気付いてないのかな〜、昼に打ったメール。
「う〜ん。どうしよ。電話、しちゃおっかな」
ぶらぶらさせていた素足を縁側の上に引き上げて胡座をかく。
遠くの方で、流れ星が流れて思わずびくっと肩を揺らした。
それは一瞬で視界から消えてしまったけど、鮮烈な光は脳裏に焼き付いていた。
チリリリリン・チリリ
黒電話風の着メロは2回鳴る事はなかった。
我ながら神業?と驚かんばかりの早さで私は携帯電話を掴み通話ボタンを押して携帯を耳に押し当てた。
「亮ちゃん!流れ星見たっ!!」
『・・・はぁ?』
「だから流れ星!すっごい綺麗っ!感動したっ!」
『・・・落ち着けよ。
長い溜息が耳元で落ちた。
それは気配だけの筈なのに、そよりと耳元で流れた風の所為で妙にリアルで、思わず小さく息を飲んで指先を握り込んだ。
黙った私を、自分の言葉に従った結果だと思ったのか、亮ちゃんが部活仲間やクラスメートには聞かせない落ち着いた声で喋りだした。
『メール今見た。悪ぃな、遅れて。今日の練習試合、滅茶苦茶ハードでよ。携帯なんて気にする暇も無かったんだぜ。跡部の野郎、ダブルスの試合のすぐ後にシングルスの試合入れやがって、さすがの俺もシングルスは苦戦したぜ。ったく、これで負けたら激ダサだろ?意地でも負けられねぇって踏ん張って勝ちもぎ取って振り返ったら、跡部と忍足は二人してふんぞり返って当然って顔してやがるし。ムカついたから蹴り入れてやったぜ』
「亮ちゃん、それ、報復されなかったの?」
『忍足の蹴りは躱してやったけどな』
「つまり跡部君の蹴りは食らっちゃった訳ね。なんかその光景が目に浮かぶようだよ」
『浮かべんな』
「はぁい。でもダブルスもシングルスも勝ったんだね。凄いよ、おめでとう」
『おぅ』
亮ちゃんの声は心底嬉しそうだった。
亮ちゃんは本当にテニスが好きで、いつも勝ちたいって願ってて、その為に練習を人一倍してて、全身でテニスを楽しんでるなって思う。
きっとテニスをやってる時は頭の中はテニス一色だ。
私の事なんか、頭の外に追い出されてるに違いなくて、それがちょっとだけ寂しいだなんて言ったら、亮ちゃんはきっと困ると思う。
だから、言わない。

『・・・っと、俺の話じゃなかった。んで?俺に見せたいものって何だよ』
「あ、そうでした!えへへ。んじゃ今から送りま〜すっ!一旦電話切るけど、また掛けるからね」
亮ちゃんの返事を待たずに通話を切った後に、ヤバかったかな?と一瞬頭を過ったけど、私は亮ちゃんとやっと繋がった電話にテンションが上がったまま良いかと自己完結した。
返信はメールで良かったのに、わざわざ電話してきてくれて声を聞かせてくれた幼馴染が、ますます好きになってしまう。
私の声なんかより低く心地良くて、感情が豊かに滲む亮ちゃんの声。
電話越しに聞くと耳元で囁かれてるみたいでくすぐったくて心臓が無駄にドキドキする。
何日振りかの亮ちゃんの声は、嬉しさに私の顔を他人に見せられないくらい笑み崩させた。
亮ちゃんに見せたかったモノを、顔を上げて見上げる。
深い闇の中に無数に浮かぶ瞬く色とりどりの光。
満天の星空だ。
星の光にもいろんな色がある事を気付かせてくれたのは、この田舎の星空だった。
都会じゃこんなに星は見えない。
ここでは天の川が『ミルキーウェイ』と言われる事にだって一も二も無く頷ける。
だって本当に白く輝く光の帯が夜空を横切っているんだもん。
目の前に広がるその素敵な星空を、私は嬉々として携帯で撮った。
早くこの感動を亮ちゃんにもお裾分けしたいって、気ばかりはやって本文も付けず画像だけ添付して、亮ちゃんのメアドに転送する。
そしてすぐにでも亮ちゃんに電話をしたいのをぐっと我慢して、黙って数を20数えた。
・・・19。・・・20!!
短縮で亮ちゃんの番号を呼び出して、通話ボタン!
呼び出し音は2回鳴る事はなく、亮ちゃんと私を繋いでくれた。
。お前の見せたいモノってコレ?』
「うんうん!凄く素敵でしょ!もう毎晩感動してるんだから!」
『非常に言い難いが・・・』
歯切れの悪い、ちょっと申し訳なさそうな亮ちゃんの声に、私のハイテンションが分断された。
「え、な、何?」
『真っ暗で、何も映ってねーよ』
「は?」
『これ、夜空、だろ?星の光なんて満足に写りゃしねーぜ?携帯如きじゃな』
「嘘?!」
この満天の星空が写ってないの?
亮ちゃんの言葉に私の頭の中は真っ白に塗り返られた。
絶対亮ちゃんに見せてあげようって前から決めてたのに、写ってないなんて・・・
間抜け過ぎる。
空回りした自分の気持ちと行動に、脱力感が全身を襲って私はがっくりと肩を落した。
『落ち込んでンのか。急に静かになりやがって』
「そりゃ落ち込むよ」
亮ちゃんが悪い訳じゃないのに、拗ねたような声になってしまって、これはマズイと背中をしゃんとした。
慰めるように、夜風が私の前髪を揺らす。
は抜けてっからな。普通気付くだろ、送る前に。なぁんにも写ってねぇ事くらい』
「・・・悪かったわね。間抜けで」
『でもま、が見せたがるモンは大抵想像が出来っからな。問題ねーだろ』
笑い声がさざなみみたいに広がって、優しく響いた。
想像出来る・・・って?
思わずきょとんとして、私は携帯を握り直した。
『満天の星空、だろ。が吃驚して感動するくらい綺麗な星空なんだろ。そっちは田舎だからな。良く見えんだろーな』
「う・・・ん。凄く良く見えるの!星が降ってきそうなんだから」
『そういう事言うと、お前も女なんだよなって思うぜ』
「どういう意味よ!!!」
『そのまんま』
「ムカツク!!!」
『へーへー。もう夜なんだから怒鳴るな』
それもそうだと思って私は口を噤んだ。
素直だなーって自分でも思う。
『ま、なんだ。が俺の分までその星空堪能すりゃ良いんじゃねーか。帰って来たらどうせ煩いくらい土産話すんだろ?またそん時聞いてやっから』
当たり前みたいに、亮ちゃんが言った。
思わず目を見開く。
・・・ずるいなぁ。
亮ちゃんはこんなにも簡単に私を何度でも恋に突き落とす。

?』
「ん。明日帰るから。そしたら遊びに行くね」
『おう』
「今日は疲れたでしょ?長く付き合わせちゃ悪いからもう切るね」
『確かに疲れたな』
電話の向こうでふわぁっと大きな欠伸が聞こえる。
きっと目蓋なんかもう半分落ち掛けてるんだ。
『じゃな、おやすみ』
「おやすみなさい」

優しい亮ちゃんの声の響きは、何時までも耳の中で木霊して、私の心を柔らかく揺らした。










mashiro.s --2006.summer