*日常的*
寝支度を整えていた剣心の耳に、夜のしじまを突き抜ける女性の悲鳴が届いた。
「薫殿?!」
次の瞬間には部屋の主は既に無く、開け放たれた障子の向こうに秋風にそよぐ草木が見えるばかりだった。
剣心が声のした方へ駆け付けると、台所へと続く部屋の片隅で薫が小さくなってしゃがみ込んでいる。
ざっと辺りを見回しても今現在危険な状況に有る様には見えず、剣心は取り敢えず安堵した。
脅かさない様に近付きその震える肩に手を置く。
「薫殿?何事でござるか?」
「剣心?」
潤んだ瞳が真っ直ぐに剣心に向けられる。
そこに見え隠れする安心や信頼がくすぐったく誇らしい。
「ごめんなさい。あの、ね、ねずみが・・・」
「ねずみ?と言うとあのねずみ?」
薫は剣心に確認された事で自分の失態を恥じたのか、頬を朱色に染めて目を伏せた。
「前から何か居るなあと思ってたんだけど、今日は心構えが出来てなくてつい大声出しちゃった。」
「では先程の悲鳴はねずみを見たから?」
「うん。」
すっかり意気消沈してしまった薫の項垂れたつむじを見て、剣心は何だか無性に笑いたくなってしまった。
押さえようとしても漏れ出る笑いに、気が付いた薫が顔を上げる。
「・・・別に笑いたいのを我慢しなくても良いけど。」
「いや、これは違うのでござるよ。」
「別に言い訳しなくてもいいのに。こんな事に笑われたくらいで怒る程子供じゃ無いですから。」
発言とは裏腹に薫の眉間には皺が寄り声は一段低くなっている。
機嫌を損ねてしまった剣心は困り顔で頭を掻いた。
「薫殿。誤解しないで欲しい。拙者が笑ったのは、その、何て言うか。」
困り果てた様子の剣心を見て薫も何だか笑い出したい気分になった。
剣心は別にねずみを怖がる薫を笑っている訳ではない事ぐらいちゃんと分かっているのだ。
ちょっと拗ねてみたくなっただけ。
そんな風に振る舞う自分と、それに振り回される剣心が無性に愛しくてならない。
くすくすと笑い出した薫を見て、剣心は訳が分からないものの機嫌が直ったらしい薫にほっとする。
「ごめんね。何だか意地悪しちゃったみたい。」
「意地悪なんでござるか?一体どこら辺が?」
「分からないなら良いの。気にしないで。」
楽しそうな様子の薫は屈託の無い笑顔を剣心に向ける。
「薫殿にちゃんと言いたいのでござるが、先ほど拙者が笑っていたのは、」
言葉を切って剣心は薫の手をそっと握る。
「拙者の回りに常に有った『悲鳴』という物が、何時の間にか質の違う物になったんだという事が単純に嬉しかったんでござるよ。」
剣心の穏やかな口調に薫は逆に胸を突かれる思いになる。
剣心にとっての『悲鳴』は恐れや憎しみや悲しみが色濃く滲むまさに悲痛な叫びだったのだ。
それを耳にする度どのような思いで剣心は居たのだろう。
なかには剣心自身が与えた『悲鳴』も有ったのだから。
でも今は違う。
日常的に騒がしい程の、その実たいした事の無い『悲鳴』が剣心の回りに存在するようになったのだ。
薫と言う伴侶を得て・・・
薫は剣心の瞳に浮かぶ感情を見定めようと、その瞳を見つめる。
剣心は凪いだ風のような色を湛えた瞳で薫に囁く。
「薫殿のどんな悲鳴にもすぐに駆け付けるでござるから、薫殿には安心して欲しいでござる。」
その言葉の端に、穏やかな日常を感じさせる雰囲気を敏感に感じ取って薫は泣き笑いのような顔になる。
「ねずみだけじゃ無くて、ヘビとかカエルとかにも悲鳴上げちゃうかもしれないけど、いい?」
「もちろん。」
「またねずみが出そうで恐いから、今日は手を繋いで寝てね?」
可愛らしいお願いに、剣心はくらりと幸せな目眩を感じた。
「承知。」
応える声には甘い響き。
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*日常的*後書き*
剣心と薫の話の2作目。
私はどうやら本作終了後の話が好きなようです。
書き易いというのもあるんですけど、
危険の無い穏やかな日常みたいなものに心惹かれるんです。
しかし難点もあって、1作目と2作目のオチが良く似ていて
(書いた後気が付きました。)
もう少し違ったものが書けたら良いなあと思います。