風紀と女生徒
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自分でも、意識し過ぎだと思ってる。
でも怖い。すっごく怖い。
別に暴力を振るわれた訳でも意地悪された訳でもない。
だからこんなに怖がるのは相手に失礼だと知ってる。
でもでもでも!
その冷酷そうに見える視線が、何者もその歩みを止める事が出来そうにない威風堂々とした態度が、罪を糾弾する氷のような声が、ともかく怖いの。
本能的に怖いと思う気持ちを止める事は、本人にだって不可能だと思わない?
「・・・ねぇ」
びくーっっ!!
肩が跳ねるとかのレベルじゃなくて、全身が氷水を浴びせられたように硬直し引き攣った。
このまま何事も無く校門を抜けられると緊張を解きかけた矢先だったから、その衝撃は大きかった。
風紀のチェックに引っ掛かるような服装や髪型じゃない筈なのに、何事なの?!
声を掛けた当人は、私のそのパニックを起こしたような反応に慣れてしまったのか何なのか、特に気にした様子も無く私を観察している。
その冷めた視線が私をますます恐怖の其処に叩き落す。
まともに正面から視線を合わせる事も出来なくて、ちらちら斜め下から窺うと、呆れたような溜息。
その吐息にまでも冷気を感じた。
「あのね。俺が何をしたの?」
「な・・なっ、何も・・・」
「じゃ、何?その態度」
「あ、の・・・生まれつきです」
「冗談は好きじゃない」
ぴしゃりと言葉を叩き付けられて、私は思わず肩から提げていたバッグが肘までずり下がるくらい飛び上がった。
慌ててバッグを肩まで持ち上げ、おどおどした態度で見上げる。
私と彼の身長差は、多分30センチくらい。
彼は常に私を見下ろしている。
「何か疚しい所があるなら、今すぐ自己申告して」
面倒毎は嫌いだよ、と吐き捨てる端正な顔立ち。
左腕には風紀の腕章がきっちり収まっていて、彼の斜め後方には風紀委員会の1年生がずらりとその仕事振りを見詰めている。
風紀委員会は別名風紀委員長ファンクラブだという噂が、噂に聞こえないくらい、彼らの目はうっとりとしたものだった。
そんな彼らがたまに私に向ける視線は刺々しくて、言外に我らの委員長を困らせるなと言い放っている。
好きで困らせている訳じゃないんだけどな・・・
「黙ってちゃ分からない。疚しい所があるの?ないの?」
「あ、あり、ありっません」
どもるわ、つっかえるわ、もう最悪。
しかもどうにも怪しい態度にしか見えないから、当然風紀委員長だって私の言葉通りには受け取ってくれず、頭から爪先までを何度も視線が往復した。
不意に伸びた綺麗で長い指先が私の引き気味になっていた顎を上に持ち上げる。
触れた体温は冷たくなんかなくて、びくっと四肢が震えた。
「ネクタイもちゃんと着用してるね」
あ、そこをチェックしたかったのね。
意味不明に思えた行動の理由を知って、私は少しほっとする。
だって、彼氏も居ない私はそんな風に男の人に触れられる機会も無ければ、意味深に顎を持ち上げられる事だって当然無い。
怖くて心臓がばくばくしてたのに、今は別の理由でどきどきしてる。
「髪の毛も、うん、悪くないね」
右肩から垂れ下がっていたみつあみを手にとって、その人は毛先をチェックしてる。
枝毛あったらヤだなぁ。
カラーとかしてないから、私の髪の毛はカラスみたいに真っ黒で重かったけど、彼の髪の毛は同じ手を入れてない真っ黒でも、艶々としてとても綺麗で羨ましい。
さらさらだし。
色白の彼にとても似合っているように思える。
「スカートも膝丈、ソックスも指定のもの、靴も問題無い」
チェックを終えたのか、委員長は手に持っていた書類に何か書き込んでから、顔を上げた。
切れ長の瞳が私だけを見据えて、また私はびくっと肩を揺らして思わず一歩後退さった。
すぅっと目が細められ、風紀委員長である彼は眉間に皺を寄せた。
怒ってる・・・!
多分怒ってる!どうしよう!
助けを求めるように周りを見回したけど、皆私を避けて通っていくから誰とも視線が合わない。
こんな時に限って仲の良いクラスメートも部活の友達も居合わせなくって、本当に一人なんだと泣きたくなった。
「あのね、いい加減その態度、止めてくれないか」
「すみませんっ!あの、その、わざとじゃ・・・」
「わざとだったら容赦してないよ」
ぞっとして、更に一歩後退しようとしたら、すかさず二の腕が掴まれて引き寄せられた。
互いの前髪が触れ合うほどの近い距離からの鋭い視線に、生きた心地がしなくて、このまま失神出来たらさぞ楽だろうと、精神が逃避する。
かくかくと膝が小刻みに震えた。
視線で人を射殺せるんじゃないかと心底震え上がりながら沈黙の中必死に神様仏様と心の中で叫んでいたら、遠くで予鈴の鐘の音が聞こえた。
あぁ!神様仏様ありがとう!
「予鈴だね、いいよ、行って」
「はいっ!」
「そこだけ元気が良いってどういう事?」
興味を失ったようにあっさりと二の腕を離れた整った指先の素っ気無さに、なんとなく複雑な気持ちを抱きながら私はそれこそ脱兎の如く校舎に向かって走り出した。
その姿が、他人の目にどう映るかなんて、考えもしなかった。
***
うっすらと笑いを零しながら、本鈴後にやってきた哀れな遅刻者を一人の例外なく厳しく取り締まる風紀委員長に、副委員長が近付く。
彼の機嫌はとても良い。
遅刻者の生徒手帳に遅刻回数に見合った処罰を書き込んでいく手は淀みなく動き続ける。
初犯は口頭注意のみ、5回を数えると掃除が課せられ、累計で10回を越えると風紀委員直々の指導が入るようになる。
指導後の生徒は、まるで人間が違うように生活態度が劇的に改善されるので、影では風紀の指導は人間改造だと恐れられている。
「委員長」
「何?」
そっと耳打ちするような小声は、他の人間に聞かれたくないからだ。
「彼女ですが、毎回風紀チェックの度にああやって構い倒すのはどうかと」
『彼女』が誰を指すのか、今更二人の間で言葉が交わされる事はない。
「何?不満なの?」
「不満では無く、その、不憫に思えて」
「ふぅん。君、あの子に気があるの?」
「滅相もございません!」
間髪入れぬ力強い否定は、我が身可愛さの故だったが、委員長は最初からそんな事を疑いもしておらず、話の流れでからかわれただけのようだった。
委員長は前髪を指先で軽く払って、ノック式のボールペンをかちんと仕舞った。
最後の遅刻者の生徒手帳を本人に返し、集まっていた委員会のメンバーに「ご苦労様」と声を掛け解散させる。
歩き出した委員長の後ろを、いつも通りに副委員長が付き従った。
「あの子、風紀に入らないかな」
呟きは副委員長の耳に届き、ガタイの良い彼をぎょっとさせた。
「・・・本気、ですか?今朝のあの逃げ出しっぷりでは、とても了承するとは思えませんが」
「拒絶は許さない」
「・・・そうですか。しかし委員長、彼女に何をさせるおつもりですか?自分には、彼女は風紀委員をやらせるには、優し過ぎる性格に思えますが」
「仕事なんて幾らでもあるでしょ」
「はぁ。あの、それで、自分は何をしたら?」
「何もしなくて良いよ。僕が頃合を見て誘っておくから」
階段を登り切り、2年生の教室があるフロアまで来ると、右と左に彼らは分かれる。
颯爽と歩いて自分の教室に入っていく委員長の後姿を見送って、副委員長は言い知れぬ不安を溜息に乗せて吐き出した。
「委員長の『お気に入り』になってるとは、気付いていないだろうな、あの1年生は。・・・どうなることやら」
2008/03/23 UP
END
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