子供と乙女
|
末が恐ろしい・・・
驚愕とほんのちょっぴりの畏怖を込めて、目の前の小さな子供を見た。
馬鹿にしたかのような小憎たらしい視線ががちりとぶつかる。
ベッドに腰掛ける彼女と立ったままの少年。
それでも視線は中学生の彼女を小学生の少年が自然見上げる形になるのだ。
「それでどうすんだよ、バカ女。夏休みの宿題、たんまり残ってんだろ?」
「どうにかするわよ、当たり前でしょ?学期初めに夏休みの宿題忘れて生き恥晒すなんてごめんだもの」
「どーせお前の浅知恵じゃ、友人の写して乗り切ろう程度の事しか考えてねーだろ」
生意気な口をきいて、机の上に乱雑に積み上がった夏休みの課題をぺらぺらと捲る。
未だ年齢が二桁に満たない少年は、中学二年生の彼女の宿題の内容を一読して、鼻で嗤った。
「真っ白じゃねーか。書き写すにしても相当な量だぜ」
「煩いな〜。これから出掛ける予定あるんだから、出てってよ、クソガキ」
「お上品な言葉遣いだな。嫁の貰い手にさぞ困るだろうよ」
「嫌味ったらしいわね。どうやったらこんな生意気で口のきき方も知らない子供が出来上がるのかしら?木の股から生まれて来たの?」
「お前中2だろ?子供がどうやって出来るのかも知らねーのかよ。懇切丁寧に教えてやろうか?」
面白そうに瞳に光が走ったのを彼女は見逃さなかった。
この知識だけは豊富な子供が、恥ずかしいだなんて可愛げのある態度を見せるとは思えず、嫌がる彼女の耳元で性知識を吹き込もうとしている事は直感で分かった。
かぁっと頬に朱が昇り、慌てて両手を左右に振って拒絶を主張した。
唇の端を持ち上げて「ガキはどっちだよ」と彼女を笑う少年。
悔しいけれど口では最近勝てた試しが無い彼女は、未だ自分の方が上だと分かっている腕力で戦う事を決めた。
立ち上がって力任せに小学生の身体を半回転させ、部屋の扉の方に向けさせると、背を力いっぱい押し出す。
たまらず一歩踏み出した少年は彼女の見えない所で悔しそうに表情を一瞬歪めた。
「ほらほら、出て行って!着替えるんだから!」
「一丁前に恥ずかしがんのかよ。大してボリュームも無いくせに」
「煩いわねっ!」
気にしてる事を直撃され、こちらは隠す気も無い悔しそうな表情を浮かべて八つ当たり気味な大声を出す。
友達と比べては成長の遅い胸を嘆いて毎日牛乳を飲む彼女の苦労を、この子供は知っているのだろうか。
男のあんたには絶対分からないでしょーよ、と唇を軽く噛む。
後ろが跳ねた少年の固そうな黒髪が、背を押す彼女の指先を擽った。
彼が首を後ろに折り曲げ、仰け反るように彼女を眺めたからだ。
「宿題終ってねーのに出掛けるなんて、自殺行為だぜ。今日が何日か分かってんのか、30日だ」
「大丈夫よ!私の目算では終る事になってるの」
「甘いな。簡単な計算も出来ないのかよ、バカ女。出掛けるのは中止だ。さっさと机に戻れ」
「なに人の予定勝手に決めてんのよ!お子様はお昼寝の時間でしょー」
「昼寝は後だ。不本意ながらお前の母親に宿題見てやるように頼まれてんだ」
「ちょっと何で買収されたのよ?ケーキ?クッキー?それともキャンディー?」
「お前俺をガキだと思ってるな。今時そんなので釣られるかよ」
小学三年生は立派な子供だ。
電車の運賃だって子供料金だし、某ねずみの国だって子供料金でパスポートが買える。
彼女は全力で抵抗してくる少年との押し合いっこに疲れて、腕に力を一旦緩めて息を吐いた。
ムキになっていた自分にちょっと我に返ったとも言う。
「じゃあ何で釣られたのよ」
「秘密だ」
「言えないんじゃないの。どーせ下らないモノなんでしょー?ミニカー?それとも、何かのカード?」
「お前本当にお子様だな。呆れた連想能力だ」
「あんたに言われたくないわよ!」
口では本当に勝てないと、彼女は手を出した。
ぱしんと後頭部をはたくと、少年は不満そうに唇を引き結んだ。
「痛いだろーが。バカ力」
「ふん。力で勝てないのが悔しいんでしょ。お子様」
「すぐに追い付いて、追い越してやる」
「無理無理、年の差幾つだと思ってるのよ」
「お前こそ性別差を考慮してねーだろ。あっという間だ」
口では気にしていないように装ってはいるけれど、年の差の事を言われて瞳の中に焦るような色が浮かんだ事を、彼女は見逃さなかった。
彼女はこの幼馴染相手にだけ、稀に野生的直感を働かせる。
やられっぱなしで面白くなかった彼女の顔に笑顔を浮かんだ。
小生意気な天才少年の唯一の弱点とも言うべき年齢の壁は、天地がひっくり返らない限り二人の間で覆る事が無い事実だ。
随分ポーカーフェイスが上手になった今でも、彼女がこの事実を口にすると、例え一瞬だとしても悔しそうにするので、彼女は溜飲を下げる事が出来る。
だからついつい口に出してしまうのだ。
逆さまの世界で彼女を見ていた少年は、ふぅっと醒めた表情で前を見ると一瞬で身を翻した。
力では勝てていても素早さではもう負けている彼女はその動きに付いていけず、突き放された両手を泳がせてバランスを崩しそうになる。
思わずたたらを踏んで耐えたが、絶妙なタイミングで膝を後ろから軽く蹴られて呆気なく再びバランスを崩した。
少年が彼女の胸を思いっきり突き飛ばし、前に倒れそうになっていた彼女は今度は後ろに倒れ掛かった。
頭を打っちゃうと咄嗟に腕で庇ったが、後ろはベッドだったので、事無きを得た。
暫し呆然と天井を眺めていると、ベッドが別の誰かの体重で沈む気配がしてのろのろと首を横に巡らせる。
秀でた額の黒髪の少年が、勝ったと言わんばかりの表情で見下ろしていた。
「携帯は没収」
「ちょっ!ヤダ!」
「俺が今日の相手にキャンセルのメール打っておいてやるから、お前は大人しく英語の課題から取り掛かれ」
命令口調も堂に入ったモノだ。
少年はロックもかけない無防備な彼女のメタリックブルーの携帯を躊躇も無く開くと、手馴れた様子で操作し始めた。
本気だと青くなって取り返そうとしても、肩を膝で押さえ付けられて起き上がる事もままならない彼女には、再び携帯を手にする事は絶望的だった。
メールを打ち終えてぱたりと携帯を閉じると、ジーンズの後ろポケットにそれを無造作に突っ込む。
「中二の癖に生意気にダブルデートだなんてほざいてっと、高校受験失敗するぜ」
「大きなお世話よ、バカヤロー」
「化けの皮が剥がれて別れ話切り出されるよか、ドタキャンで別れた方がすっきりするだろ」
「別れるとか言わないでよ!そもそも始まってない!」
「ふぅん」
心の中で胸を撫で下ろす少年に気付かず、少女は一通り恨み言を吐き出した後、大人しく机に向かった。
結局夏休みの宿題がまずいのは少年の言う通りなのだから。
大人しく宿題をやる彼女に、少年は結構優しい。
分からない所は大抵教えてくれるし、その教え方も分かり易く的確で百点満点だった。
少年の艶消しブラックの携帯の待ち受け画面の写真こそが、彼が彼女の母親から受け取った報酬だったと、彼女が知る事が有るのか無いのか。
少年が彼女の人生唯一の恋人の座を虎視眈々と狙っている内は無いのかもしれない。
2007/12/27 UP
END
back
|
|