先生と生徒
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「暑っいね〜、先生」
「……」
「うわっ、室温35度!有り得ない!溶けちゃうよ〜」
「……」
「ネクタイとか暑そうだな〜。ね、先生、取っちゃえば?」
「……」
暖簾に腕押しとはこの事か。
うんともすんとも言わない地蔵と化した先生を軽く睨み付けながら、彼女はどうしてやろうかと考え込んだ。
夏休みも後半に入り、残暑が厳しい午後2時。
生徒は休みでも教師は休みではないので、学校には教師のほぼ9割が出勤してきていた。
過ごす場所は職員室だったり、各々の教科準備室だったりとまちまちではあったが、学校の中には絶えず人の気配が行き来している。
彼女は事前に仲の良い部活担任にリサーチをして、目当ての歴史教師が盆明けから毎日学校に来ている事を知っていた。
彼女が所属する美術部は夏休み中は週1回の活動しか行っていない為、自由になる時間はたっぷりある。
だから、部活もなく予定もない今日、学校に歴史教師に会う為に特攻してきたのだ。
白の夏服セーラーには紺のスカーフタイが涼やかで、膝のちょっと上で揃った紺のプリーツスカートも学生らしくて歴史教師の好みに合う筈だ。
そう、歴史教師はその担当教科と一緒で随分と古めかしい考えを固持していて、パンツが見えそうな丈の短いスカートもブラが透けるようなはしたない格好も渋面を浮かべるばかりでちらりとも興味有りげな様子を見せないのだ。
彼女の思惑通り、社会科A準備室に歴史教師と二人っきりだと言うのに、まともな会話が最初の挨拶だけというのはどうだろう。
歴史教師の言い分も分かる。
夏休み中に終らせなければならない仕事が山積みなのだろう。
彼の手はひと時も休まる事なくペンを走らせ書類を捲り、判子を押してファイリングしている。
傍らに置かれたコーラの缶は、長く放っておかれた事を証明するように、びっしょりと水滴をその側面に纏わせ灰色の机の上にちょっとした水溜りを作っていた。
「ねー、先生。お手伝いしましょっか?」
「要らない」
「そんな冷たい」
分かっていたとはいえ、予想通りの拒絶では面白みもなんともない。
彼女は整った顔立ちを盛大に歪めるような頬の膨らませっぷりで、自分の不愉快さをアピールした。
すらりと伸びた足はだらしなく伸ばされ、不貞腐れたように椅子の背に凭れる姿は、まるで子供のようだった。
「ねー、先生。歴史の課題教えて?」
「自分で考えなさい」
「勿論、考えても分からない所だよ?一通りはちゃんと調べたし」
請うように首を前に伸ばしてとっておきの上目遣いで甘えた口調の彼女に大して、教師は溜息交じりで首を振った。
ギッと椅子を鳴らして半回転させると、足を組んで教師は自分の教え子を真っ向から見据えた。
その強過ぎる視線は、メガネ越しでもはっきりと感じ取れ、ぞくりと彼女の背を震えさえる。
「……先生」
「あのなぁ。お前」
「すっごい格好良い」
「……はい?」
「ああもう!先生、絶対コンタクトにしないでね。銀の細身フレームのメガネが世界で一番似合うんだから!」
「……おい。俺の話を少しは聞こうと思わないのか」
「先生の話なら一日中でも聞きたいって思ってますよ、勿論。あ、でもどうせなら耳元で囁いて欲しいなぁって。先生の声、低過ぎず高過ぎず、落ち着いてて滅茶苦茶好みなの」
「……学校は何をする所か答えてみろ」
「勉強する所で、友達を作る所です」
「まぁまぁな答えだな。それじゃ教師は何をする人間なのか答えてみろ」
「勉強を教えてくれる人です。あ、それから、生徒が間違った方向に進まないように監視する人!」
「監視とは穏やかではないが、まぁ意味合いはそんな所だな」
素敵だと評された銀のフレームを中指で押し上げ、教師暦2年の独身歴史教師は足を組み替えた。
特別目立つ容姿ではない。
実際学生時代にモテた覚えもない。
恋人の数は今までの人生で3人。
決して多い数ではない筈だ。
それが、なんでまた、こういう落とし穴に嵌ってしまったのか、自分では原因なんて思い付けなかった。
「俺は教師で、お前は生徒。間違っても恋だの愛だのが二人の間に横たわる事は無い」
「えー、そんな事ないよ?」
可愛らしく小首を傾げた割りに、言葉は自信に溢れ力強い。
10人居れば10人が振り返る端麗な容姿。
高校2年生の彼女は、在学中に既に告白された回数が既に両手では数えられない程モテる。
それなのに未だ彼氏も作らないのは、告白してきたイケメンよりも目の前の平凡な歴史教師が好きだからなのだ。
惚れ薬でも誤って飲んでしまった過去でもあるんじゃないかと疑いたくもなる。
「ねぇ、先生。私ってそんなに魅力無い?」
「てんでお子様で話にならないな」
「……嘘ばっかり〜。さっきだって私の足チラ見してたし」
「してないよ」
「意地悪。ちょっとは認めてくれても良いじゃない。昔はもっと私の事見てくれたし、構ってくれたし、可愛いって誉めてくれたのに」
「……」
言葉に詰まって歴史教師は、目を瞑ってこめかみをぐいぐい親指で押した。
目の前の美少女は、学校の中でのルールを今破ったのだ。
どうしてくれようか?
「お前、この学校に入学決めた時にした約束、覚えてないのか」
「覚えてるけど!……あんまりにもお兄が意地悪だから!」
「減点2」
「酷い!バカばか馬鹿!今日の夕飯食べさせてあげないから!」
「酷いのはどっちだ、アホ。お前んちに飯干されたら、俺は3日で死ぬ自信があるぞ。それに学校に家の事を持ち込まないルールを破ったお前が悪いのは明白だ」
「……」
「この話はここまで。邪魔するなら本当に追い出すぞ」
「……大嫌い」
俯いて静かになった生徒に、伸ばし掛けた手。
触れる直前に気付いて小さく舌打ちして、引っ込める。
苦々しい想いを無理やり飲み込んで、はぁと溜息。
一つなんかじゃ足りなくて立て続けに溜息を吐いた。
ヤケクソな気分だった。
嫌いなんて言われ慣れてるが。
その度に実は凹んでいるだなんて、絶対目の前の少女に気が付かれてはならない。
そうなったら身の破滅だ。
職を失い、社会的信頼を失う。
そういう因果な職業なのだ、『先生』なんてものは。
目の前の小さな愛しい身体を抱き締めたくても抱き締められない。
ポーカーフェイスで綺麗に隠した焦燥感は、この身体にぱんぱんに詰まっていて行き先を求めて絶えず対流しているのだ。
あと1年。
カウントダウンなんて、この子がこの学校に入学した時からしている。
沈黙に耐え切れなくなったのか、そろそろと顔を上げた彼女。
「……先生?」
無表情に自分を見ている歴史教師で年上の幼馴染で片思いの相手に驚いたのか、目を真ん丸にして見詰め返す。
そして暫くすると、小さな声で呟くように謝った。
「大嫌いなんて嘘。ごめんなさい」
「……分かってるよ、バーカ」
このくらいなら許されるかなと、彼女の何倍もの忍耐を強いられている歴史教師は、立ち上がってつむじの見える彼女の頭をくしゃりと撫でた。
2007/11/16 UP
END
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