BEFORE [2]
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「学校に遅れるかな?」
快斗に冷たいお茶を入れながら、のんびりと中森が呟く。
その口調はあまりにも暢気で、オンとオフの気の張り方の違いを見せられたようで、笑ってしまう快斗だった。
仕事では厳しい鬼警部でも、家ではどこか抜けている気さくで優しい父親なのだ。
この違いは当たり前なのかもしれない。
「最近忙しいそうですね。おじさん。」
「ん?まぁそうかな。専任でやっているキッドが出没してないからね。他の仕事をさせられてるよ。」
「青子、心配してますよ?働き過ぎじゃないんですか?」
「・・・参ったね。青子が心配してるのか。」
「しますよ。そりゃ。明らかに顔色悪いですよ。おじさん。」
蓄積された疲労は色濃く表情に映り込み、体の動きにも切れが無い。
今日一日休みなのだろうが、例え一日中ごろごろしていたとしても、体力はそう簡単に回復はしないだろう。
中森警部は背凭れにゆったりと体を預け、快斗を苦笑しながら見遣った。
「確かに・・・最近大変かな。でももうちょっとなんだ。そう思うとなかなか休もうと思う気になれなくてね。」
「それ、激烈なサラリーマンの思考ですよ。後できますよ?ドッと疲れが。」
「本当にその通りだな。今しみじみそれを実感しているところだよ。」
出された麦茶に口をつけて、快斗は一息つく。
体から学校に行こうという気力が抜けていくのを感じる。
快斗はもう学校に行くよりもこうして中森家で中森警部と四方山話をしていた方が有意義だと感じていた。
「あ〜。おじさん・・・」
「なんだね?」
「俺、学校行く気が無くなっちゃったんで、ココに居ても良いですか。」
悪びれなくお願いすると、中森警部は少し驚いた表情を見せたものの、すぐに大らかな笑顔を浮かべた。
「そういう気分の時はあるな。良いさ。ここに好きなだけ居なさい。」
「ありがとうございます!」
「ただ・・・青子は残念ながら快斗君の相手は出来ないけどね。」
「あはは。煩いのが居ないと静かですよね。・・・あ。」
いつもの調子で青子を評してから、目の前の人物が青子の実の父親だという事を今更ながらに思い出した快斗が、所在無く視線を泳がせた。
中森警部はにこにこと笑っており、機嫌を損ねた様子を見せなかった。
「いつも済まないね。」
唐突な中森警部の言葉。
しかし快斗はなんとなく雰囲気を察して驚かなかった。
冷たい麦茶の入れられたコップが汗をかいて水の雫を滴らせる。
持ったままだった快斗の指先をそれは濡らした。
「俺の方が世話になってますよ。青子には色々。」
恥ずかしくって照れくさくって本人になんか口が裂けたって言えやしないけど。
目の前のこの人物には正直に自分の気持ちを伝えておきたかった。
快斗の言葉に中森警部は静かに笑みを深くする。
快斗には懐かしい父親の表情だ。
「時々偶然が素晴らしいものだと思うときが有る。」
「『偶然』ですか?」
「あの時計台の下で君と青子が出会った偶然だよ。あんなに人が大勢居た中で、何故君が青子を選んで話し掛けたのか。」
快斗は問われるような瞳を向けられて、しばし思い出の海を漂った。
あの時は・・・
どうだっただろう?
朧げにしかその切っ掛けは思い出せなかった。
青子との出会いは鮮明で強烈な思い出として今もくっきりと瞼の裏に思い描けるのに。
「確かあの時は・・・」
言いたい事が見つからないまま、快斗は言葉を綴りだした。
掴めそうで掴めない、ふわふわした記憶の切れ端を追い求めながら視線を宙に浮かす。
「青子が・・・あの場に居た全員の楽しげな雰囲気の中で、一人だけ浮いてたから・・・」
耳の後ろの髪の毛をざっと手櫛で掻き上げて、快斗は途切れた言葉の続きを捜す。
もう少しで、形に出来そうな想いがふわふわと頭の中を過ぎっていく。
「俺も小さかったから、あんまり人の気持ちには聡くなくて・・・でも、あの時はなんでか青子だけが違って見えたんです。だから・・・かな?」
「・・・嬉しいね。」
「え?」
「『嬉しい』と言ったんだよ。快斗君。」
中森警部は顎をさすりながら遠い目をして、快斗を見詰めた。
「あの頃は、言い訳がましいが、酷く忙しくて・・・青子に大分寂しい想いをさせていたんだ。それを埋め合わせようと、あの日青子と時計台の下で待ち合わせしたのに、結局それも駄目にして。」
その時の辛い想いをトレースするように、中森警部は眉を寄せて溜息を吐いた。
誰も好き好んで大事な娘との約束を破る親など居ない。
それを改めて確認させられるような、哀愁が漂う表情だった。
「きっと酷く落ち込んでいるだろうと、思いながら家に帰ってみれば。青子は既に夢の中だったよ。とても幸せそうな顔をしてぐっすりと寝ていた。手には誰から貰ったのか、バラの花を一輪持って。」
誰か、なんて今では知っているくせに、中森警部は曖昧に言葉を濁して小さく笑った。
快斗は黙って中森警部の話を聞いている。
「その時の感情は複雑で・・・なんて言ったら上手く伝わるかな。青子が気落ちしていると、疑っていなかった親のエゴというか、自分だけが青子の世界の全てだと勘違いしていたという気恥ずかしさといか。嬉しそうな青子にそんな顔をさせた相手に、嫉妬したというか。あの日、初めて娘を持つ父親の万国共通のあの何とも言えない絶望感を味わったんだよ。快斗君。」
「ええっと・・・」
透明な瞳には面白がる色が見え隠れしていて。
快斗は自分が中森警部に遊ばれているんだと自覚した。
試されているのか。
これから恨み辛みをぶつける為の軽いジャブのつもりなのか。
反応に困るとはこの事だ。
「翌日たっぷりの睡眠をとって寝起き爽やかな青子とは対照的に、わしは寝不足で目の下に隈を張りつけていたよ。二人で食卓を囲みながら平静を装って聞き出してみれば、昨晩見知らぬ男の子に会ったというじゃないか。不思議な事が出来る面白い男の子なんだよと、可愛い青子の唇からその見知らぬ男への賛辞が零れ落ちる度に胃が痛んだりしてな。」
「ははは。」
乾いた笑いを張りつけて、快斗は固まった。
中森警部はやけに楽しそうだ。
喉を潤すようにコップに残っていた麦茶を全て飲み干す。
「青子が出会った男の名が黒羽快斗というんだと知った時には、嫌な予感がしたものさ。」
「・・・なんでですか?」
中森警部が聞いて欲しそうだったのでつい合いの手を入れてしまった。
藪蛇だったかもなんて心の何処かで思いながら。
「何故って?それは男親の勘さ。背筋が逆撫でされるような不快な感触がしたんだ。今にして思うとあの勘は外れてなかったという事だな。」
「・・・」
「こうして快斗君が青子の傍に今も居るのだから。」
「・・・おじさん。」
「なんだね。快斗君。」
「・・・敢えて尋ねますけど。・・・俺にどうしろと。」
2008/01/27 UP
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