宣戦布告







今、凄く嫌なモノを見たような・・・

ハウルは顔を嫉妬に歪めて、洗濯籠を持って擦れ違ったソフィーを振り返りました。











「ソフィー!待ちたまえ!」

腕を勢い良く背後から掴まれたソフィーは悲鳴を上げました。

『ハウルの動く城』と呼ばれるよりも、『ハウルの飛ぶ城』と呼ばれる事の多くなった、絶大な力を誇るハウルとカルシファーの魔力が漲るこの城の中で、住人以外の人間が城の主の許可なく存在する筈も無いのに、まるで知らない人間が突如襲ってきたかのようなソフィーのその声に、少なからずショックを受けたのは誰であろう、ハウルその人でした。

「ソフィー。その悲鳴は無いんじゃないか。幾ら僕でも傷付くよ。」

「ごめんなさい。突然だったから吃驚してしまって。」

切なく悲しげな表情を見せるハウルに、ソフィーもさすがに申し訳無いと思ったのか、俯き加減のハウルの顔を覗き込ながらソフィーは真摯な態度で謝りました。

今日のソフィーは徹底的に部屋中の布という布を洗濯するつもりなのか、藤で編まれた大きな籠には、色取り取りの洗濯モノが山のように積まれています。

相当重量がありそうなそれを、ソフィーは一旦床の上へと置きました。

その様子を目で追っていたハウルに、またしても『ソレ』が意味ありげに光を放ち、目に飛び込んできました。

忌々しいその輝きに、またメラっと焔が燃え上がりました。

勿論、嫉妬の炎です。

「ねぇ、ソフィー。」

ソフィーの細い腕を掴むと、自分の目の前に遠慮なく引寄せます。

「コレ、誰から貰ったの?」

地の底を這うような、とは言いませんが、それなりに不機嫌そうな低音の声音は、洗濯に失敗してごわごわになったシャツのようでした。

ソフィーは突然ハウルの不機嫌の嵐に晒されて、きょとんと瞳を瞬かせました。

自分を見詰めるハウルの蒼い瞳と、二人の間できらきらと無邪気に光る『ソレ』の間で視線が揺れています。

「コレの事?」

ソフィーがハウルにしっかりと掴まれたままの手首から先をひらひらと揺らしました。

彼女の左手の中指に、光る石。

そう。

ソフィーはハウルがプレゼントした覚えなどない、リングをしているのです。

「そう、ソレ。昨日までは無かったよね?誰に貰ったの?」

ハウルの笑顔は、とても嘘臭いものでした。

目が、笑ってないのです。

引き攣り気味の頬を意志を総動員して元に戻し、穏やかを装い切れていない震える声で、もう一度答えを促します。

ソフィーは、嬉しそうに瞳を細めて遠くを見詰めながら答えました。

「カブに貰ったの。」



その瞬間、嫉妬に叫び出さなかった自分を、ハウルは本当に良く頑張ったと褒めてやりたい気分でした。











「ああ、それね。勿論おいら知ってるよ。あんただけだよ。知らなかったのは。」

ソフィーが外に洗濯物を干しに行った後、ハウルは髪の毛を掻き毟りながら、カルシファーの暖炉の前に掛け込んで来ました。

そしてありとあらゆる呪詛を吐き散らしながら、ソフィーの問題のリングについて存分に喚き散らしたのです。

魔法で防御された狭い空間に二人っきりで、延々とハウルの嘆きと叫びを聞かされたカルシファーは、慣れているのか右から左に聞き流していました。

だから、本当に終りがあるのか心配になるくらい長い時間が漸く終りを告げた後も、けろりと元気でした。

「ハウル、昨日呼び出し食らってただろ?」

「確かに半日城を空けたけど。よりによってそんな時に来なくても良いと思わないかい?!」

「狙ってたに決まってるじゃないか。ハウルも間抜けだね。」

遠慮する間柄ではありませんでしたので、カルシファーはげらげら笑いました。

そうすると炎の真ん中に三日月型の口がぱっくりと開き、そのまま裂けてしまうんじゃないかと心配になります。

ハウルは不貞腐れたまま、そっぽを向きました。

「それで?隣国のプリンスは、僕の居ぬ間にソフィーに求婚でもしたのかな。正直に白状したまえ。」

「あっはっは。白状しろだって。偉そうに。あんたソフィーにそれを聞く度胸がなかったんだろ?」

痛い所を突いて来たカルシファーに、ハウルは無言で水のたっぷり入ったグラスを手に持ちました。

途端に笑いを引っ込め、カルシファーはもっともらしく咳をしました。

「求婚はしてなかったけどね。まぁ上手い事ソフィーを言い包めてリングを渡していったな。」

「上手い事、ね。さすがに一筋縄じゃいかないな。」

グラスの中身を一気に飲み干すと、ハウルはぐしゃっと指先で髪の毛を握り潰し、苛立ちを噛み殺しました。











「ねぇソフィー。まさかと思うけど、君は本当に吃驚するくらいモノを知らない時があるから敢えて聞くけど。」

「それ、ちょっと酷い言い草じゃない?」

「黙って聞いて。」

不満げに頬を膨らませたソフィーの両肩を手の平で包み込んで、ハウルは顔を近付けました。

一言も聞き漏らすまいとする、彼のその滑稽な程真剣な態度に、ソフィーは何を聞かれるんだろうと不安になりました。

「指輪を異性から贈られる意味、分かってるのかな?」

「・・・」

たっぷり3分間沈黙して、弾けたようにソフィーは笑い出しました。

全身を揺すって笑うその表情に、何だか毒気を抜かれてしまいそうなハウルでしたが、ここで曖昧に終らせるつもりは毛頭ありませんでしたので、強めな語気で「ソフィーったら!」と名を呼びます。

長い睫毛の端に引っ掛かっていた涙の雫を指先で払って、ソフィーは童女のような清らかさで微笑みました。

人はソレを、『対ハウル用瞬殺の微笑』と呼びます。

くらっとハウルは眩暈に襲われました。

「最初はね、確かに私もそういう意味かしらってドキドキしちゃったんだけど。カブに違いますって言われて、随分恥かしい思いをしたわ。」

その時の気まずさを思い出したのか、ソフィーの頬が薔薇色に染まりました。

「だって、改まって指輪なんか贈られた事ないから・・・それで、『どうして私に?』って聞いたら、お守りですって言われたの。」

「『お守り』だって・・・?」

ハウルの脳裏にちりちりと雷の粒が生まれました。

嫌な予感、というものは姿を変えはしますが、不快な感情を与えるという点で、常に間違えようはありません。

「どっかで聞いた言葉だね。」

「そうなの。ハウルと一緒、でしょ?」



あの時の自分は確かに『お守り』だと言ったが、それは純粋に『お守り』だけの意味ではなかった。

目的の為には手段も選ばぬ手強いマダムサリマンからソフィーを守るという意味は勿論込めていたけれど、星色の髪のソフィーが過去の自分に迷わずちゃんと逢いに行けるように願いも込めた。

それに何よりも、ハウルが常に身に付けていた対の指輪の一つを渡したのは、彼女を大切にしている、既に君を愛しているという未だ声に出来ない想いを届けたつもりだったのに!!



少しは伝わっているかと思いきや、それは錯覚に過ぎなかったのだと思い知らされて、ハウルは思わず脱力してその場にヘタリ込んでしまいました。

「ヤダ、ハウルどうしたの?」

膝を突いたハウルに驚いたソフィーが、自分も同じように床へとしゃがみ込んで、心配そうに声を掛けます。

身動ぎ一つで甘やかに香るソフィーの匂いは、こんなにも優しく柔らかくハウルを包み込むのに、彼女の言葉は時に鋭く臓腑を抉るのは何故なんだろうと、ぼんやりと考え込んでしまいそうになりました。

ハウルはのろのろと顔を上げて、情け無い声で嘆きます。

「ああ、分かっていたつもりだった・・・ソフィーが天然で鈍感だって。でも、僕が考えていたより、ずっと君は突き抜けていたんだね。」

「突然何の話?指輪の話じゃないの?」

「ああ、指輪の話だとも!それで?カブは何から君を守る為に指輪を贈ったんだい?」

「抽象的で私にはピンと来なかったんだけど。」

「何?」

捨て鉢なハウルの言葉に、ソフィーは気付いているのか居ないのか。

「私のすぐ傍で身を潜めて爪を研いで虎視眈々と機会を狙っている野蛮な存在から、守ってくれるんですって。」

「・・・言ってくれるじゃないか、王子様。」

ぼそりと呟いた声は、酷く掠れて聞き取り辛いものでしたので、ソフィーも何て言ったの?という顔をしました。

「ソフィー。こっちの話さ。ふぅん。カブがね〜。ソフィーの身を案じてくれている訳だ。」

「優しい人だから。私なんかの事を気に掛けてくれているのね。あんまり心配そうにしてくれるから、指輪も遠慮しないで有り難く受け取る事にしたの。」

カブのセンスは悪くありませんでした。

きらりと光る石は、カブの雰囲気に良く似た最高級のイエローダイヤで、大きさは小粒ですが輝きと存在感は申し分無く、シンプルな意匠でソフィーが如何にも気に入りそうでした。

彼が言う通り、おそらく本当にお守りとしての魔力を秘めているのでしょう。

先ほどから、ハウルを無性に不愉快にさせているのは、その輝きでした。

ソフィーを、あろう事かハウルから守る為に掛けられた魔法ですから、その効果が現れるのはハウルだけという事になります。

面白くありません。

堂々と、宣戦布告されて、黙っている程ハウルは大人しくありませんでした。

瞳を閉じて、決めてしまえば、ハウルに怖いモノなんてありませんでした。



そう、ソフィーを失う事以外には。



ゆっくりと唇が弓形に変わります。

不敵に、そして嫌になるくらい魅力的に、ハウルは微笑みました。

「ねぇ、ソフィー。僕が以前あげた指輪を覚えてる?」

「勿論覚えているわ!」

ソフィーは指先を膝の上で絡めて、思い出す様にハウルの背後を、そして更に遠くを眺めました。

「私を導いてくれた、大切な指輪ですもの。形は失われてしまったけど、ちゃんとココにあるから。」

胸をとんっと指先で突付いて、透明な笑顔を浮かべたソフィーに、溢れる愛しさにハウルは胸が押し潰されてしまいそうになりました。

こんなに愛しい存在を彼は今まで知りませんでした。

「ココにあるだけじゃ不安なんだ。」

ソフィーの胸を指して、ハウルは祈る様にソフィーの左手を取りました。

カブのお守りが嵌まった指の隣の指。

左手の薬指の根元に、ゆっくりと口付けを一つ落とします。

ソフィーは顔を真っ赤に染めて一瞬逃げ出そうとしましたが、ハウルはそれを許しませんでした。

「この指に嵌める、新しい指輪を贈っても良いかな?」

「ハウル、それって、どういう意味?」

「先に言っておくけど、今度は『お守り』じゃないからね。」

「・・・あ。」

「受け取って、くれるよね?」

「・・・はい。」

こくんっと確かに頷いたソフィーを、壊さない様に繊細に抱き寄せて、ハウルは胸の中に閉じ込めた温もりと柔らかさに一時酔い痴れました。



渡すもんか、と自分に誓い、宣戦布告を真正面から受け留めて、挑戦者を跳ね返す策略を驚くべきスピードで頭の中に展開させるのは、その日の夜の事でした。

こうして、戦いの火蓋は切って下ろされたのです。











end