光
「ねぇ。ソフィー。どうしちゃったんだい?」
心配げに覗き込むハウルに見せる笑顔のそらぞらしさを知って、自分が嫌になってしまう。
どうしてもっと、ちゃんと誤魔化せないの?
答なんか出なくて、本当に小さな声で「一人にして…。」と言うのがやっとだった。
時々意味も無く泣きたくなる。
大きな声で、喉を嗄らすまで、泣き続けて、自分の中で沈殿して凝り固まった泥のような不快な感情を流し出してしまいたくて。
昔ならば、泣けなかったし、そんな事を願う事も無かったと思う。
これは全て、ハウルのお陰。
泣いても良いよ。
そう言ってくれたから、私は泣く事を覚えた。
太陽のように輝く美しい人。
光だけでなく闇も合わせ持つから、ハウルはきっと、綺麗で気高く居ようと自分を律しているに違いなくて。
その生き様は、私には憧れで、時折眩しくて、ちゃんと見ていられなかった。
そんな時に、思ってしまう。
あまりにも、私とハウルは違うから。
――― 傍に居ても良いの?
自問自答を繰り返して深みに嵌まる。
最後に行き着く答えは、何百回と葛藤を繰り返しても一緒だと、力強く断言出来るけれど、この苦しみ抜く過程を飛び越える事は出来なくて。
「ああ…」
月光が白いシーツに作る蒼い影に指先を伸ばして溜息を吐いた。
コンコン。
二回の遠慮がちなノックに、私はびくりと身を竦ませる。
この城の中でそんなノックをする人を、私は一人しか思い描けなかったから。
眠った振りをしてこのまま無視してしまおうかと、緊張に身を硬くしながら考えていると、再び小さなノックが二回響いた。
どうしよう?
開き掛けた唇を舌で湿らせて、瞼をぎゅっと閉じる。
また、ノック。
そして、愛しい人の声。
「ソフィー…寝ちゃってないよね?」
何で分かってしまったの?
魔法使いだから、なんて事では片付かない理由に違いないんだわと思いながら、私はひやりとした感触を伝える床に素足で降り立った。
靴がぽつんとその存在を訴えていたけれど、今はなんとなくこうしたい気分だったから。
自室は毎日掃除をしているから、埃も舞っていないし、目立った汚れも目も付かない。
だから、良いわよね?
「ソフィー?」
今度は少し大きめに、まるで上質なヴァイオリンが奏でる音楽の様に美しいテノールが、私の名前を呼んだ。
幸せが、この胸に植え付けられる。
名を呼ばれるだけで、私がここまで幸せになれるのは、きっとハウルだから…
「ハウル。ごめんなさい。ちょっと待ってね。」
じわりと滲んだ涙を慌てて指先で拭って、それだけじゃ見付かってしまうような気がして、お行儀が悪いとか考える以前に、ネグリジェを摘んで目許を乱暴に拭った。
剥き出しになった膝小僧に、夜の気配を纏った空気がひんやりとした感触で挨拶をする。
扉の取っ手を捻って扉を開けると、部屋の中の空気が我先にと廊下へと飛び出して行った。
「ソフィー。」
心が篭った心地良い重さの声。
伸びて来た腕に体ごと攫われ、暖かな肌に包まれて私は息を止めた。
「君って子は…ああ、もう、ほっとけやしないんだ!」
年の差を感じさせる台詞の後、背中に五指が刻み込まれるようなキツイ抱擁が待ち受けていた。
熱い位の体温が寝巻きの薄い布越しに伝わって、私の心音を駆け足へと急き立てる。
「ハウル。痛いわ。」
「今君を離したら逃げられそうだから、駄目だ。」
不貞腐れたような声で耳元に囁いて、ハウルの顎が頭の上にちょこんと乗せられた。
ハウルの匂いが常よりも強く感じられて、男の人と真夜中に抱き合っている自分のあまりにも羞恥を誘う状況に気が付いた。
「ハウル!あの!駄目ってば!」
「何が駄目なの?ちゃんと説明してみて。ソフィー。」
「駄目なものは駄目なんだってば!」
「それじゃ納得なんか出来ないよ。元帽子屋のお嬢さん。愛しい人に一人で泣かれて、若い美女の心臓を食べると噂される魔法使いはご立腹なんだから。」
背中を手の平で擦りながら這い登って来た右手が後頭部の丸みに添って私の頭を固定して、慣れたように瞼の裏に蒼い瞳を隠したハウルの唇が、私の唇に落ちる。
軽く触れて離れた後、緊張に身を硬くした私を宥める様に、唇の端にくすぐったい口付けが小鳥の囀りのように幾つも落ちて、なんだか抵抗する気を失ってしまった。
「ハウル…?」
「足りないよね、ソフィー。…僕は、足りない。」
暗闇の中にあってさえ、宝石の様に光を放つ瞳が瞼から一瞬現れ、強い閃光を放ったようだった。
焼き付いたその激しい蒼に唇が戦慄き、零れ落ちようとしていた言葉が恥じ入った様に奥に引っ込んで行ってしまう。
私の沈黙を「Sure.」と取ったのか、見る者を魅了する天使のような微笑を浮かべて、ハウルは両手で私の頬を包み込んで角度を変えて口付けを落とした。
それは今までで一番深く、応える術を持たない私を思う存分蹂躙し、翻弄し、突き落とすキスだった。
「ハ、ハウ…」
「しー。」
長い口付けの後の非難を帯びた私の台詞を、人差指とたった一言で黙らせて、ハウルは悪戯っぽく笑った後に「君が泣かないように魔法を掛けてあげる。」と言った。
魔法使いはなんでもお見通しなのかもしれない。
翌朝気持ち良く目覚めた私は、あの言いようのない複雑な感情を何処かに置き忘れてきたようにすっきりしていたから。
まるでこの朝の光のように、私の中の闇を照らしたみたい。
「おはよう」の挨拶の前に「ありがとう」を言いたくて、私は小さく笑ったのだった。
end