夢見る魔法使い







今日は夢見が悪かったなぁと、マルクルは思い返して可愛らしく溜息を吐き出しました。

最近、両親が死んでしまったあの日の事や、一人で行く当てもなく道端に蹲って飢えと寒さに震えた事を、思い出すように夢に見る事は少なくなっていたのに。

満たされると、今度はソレを失う事が怖くなるのだと、マルクルは賢くも悟ってしまいます。

自分を迎え入れてくれる『家族』を如何に大事にしているかと言う裏返しの夢は、マルクルをほんの少し憂鬱な気分にさせました。

「マルクル?お腹空いたの?もうちょっと待ってね。」

なくなってしまったスパイスを取りに一旦台所から姿を消していたソフィーが、傍を通りすがらマルクルの浮かない表情に気を留めて柔らかく頭を撫でていきます。

お母さんの優しい手を連想させるその暖かさに、マルクルは漸く気分を切り替える事に成功しました。

頭を大きく二回左右に振って、夢の残滓を振り払います。

表情を明るくして、これから出来上がる朝食の美味しさに心を躍らせ始めました。

ちりちりと燃えるカルシファーの炎が暖めているのは、マルクルとヒンとおばーちゃんと、そして二つの空席です。

カルシファーは熱心に注がれるおばーちゃんの視線から身を隠すように薪を後ろに隠れていて大層無口です。

ヒンはじゃれ付く相手を見付けられずにつまらなさそうに床に伏せています。

城の主である魔法使いハウルは、昨晩扉を開けて帰って来たのが遅い時間でしたので、いつもどおりに寝坊しているのでしょう。

遊び歩いて遅くなったのでしたら、ソフィーも黙っては居ませんが、仕事で遅くなった事をソフィーは知っていましたので、何も言わず好きなだけ寝かせてあげる事にしたようで す。

マルクルに起こしてきてと頼む事も無く、楽しそうに鍋の中身を掻き混ぜています。

お腹を大合唱させる程の美味しそうな匂いが部屋中に充満し、待ち切れなくなったマルクルが皿に料理をよそおうのを手伝っている時でした。

乱暴に扉を開け放つ大きな音が2階から1階まで響き渡りました。

そんな音を立てるのは一人しか居ません。

最後までベッドの上でシーツとお友達だったハウルその人です。

「何かしら?」

訝しげに何かやっちゃったっけ?と首を傾げるソフィーの耳に、だだだだだだんっと階段を駆け下りてくる音が届きます。

予想通り、寝巻きの生成りのロングシャツを着替えもせず、黒髪が跳ね放題のハウルでした。

彼は駆け下りた勢いを殺しもせず、そのまま両手を広げてソフィーに駆け寄りました。

「ちょっと!ハウル!」

慌てておたまを放り投げたソフィーを力一杯抱き締めて、ハウルは感極まった様子で叫びました。

「ああ、僕のソフィー!僕も君と同じ気持ちだから!」

「何?何の事?!」

「あんな事を考えていただなんて知らなかったよ。ごめんよ、ソフィー。」

「あんな事って?」

身動き一つ取れぬ程きつくハウルの腕の中に捕われたソフィーは、なんとか顔だけ上げる事に成功しました。

喜びと嬉しさで、青い瞳にうっすらと涙さえ浮かべて、形良い唇は弓なりに微笑を象っています。

誰が見ても明らかな程、ハウルは上機嫌でした。

放っておけばその場でタップダンスさえ踊りだしそうな程に。

「『あんな事』を考えていた本人に教えるだなんてなんだか変な感じだなぁ。良いとも、ソフィー。教えてあげる。」

ソフィーの体ごとくるりと半回転したハウルは、そのまま壁に身を預けました。

斜めになった彼の体に全体重を預けるソフィーは、その心許無さに両手を胸の上に置きもっと顔を上向けました。

「独り寝が寂しいんでしょ?大丈夫!僕が添い寝してあげるとも!僕はてっきりソフィーは未だ心の準備が出来ていないのかと思っていたよ。まさか全て整っているのに恥ずかしくて自分からは来れなかっただけだなんて。気付かなくてごめんよ、ソフィー。」

「な・・・何、ソレ。」

「それに君は僕にこうされるのが好きなんだね。」

言葉と共に、ソフィーの体はハウルに密着させるように強く抱き締められます。

目を白黒させるソフィーと見ていられない程甘い微笑を乗せたハウルを、マルクルとカルシファーとおばーちゃんは眺めていました。

とても割って入れるような雰囲気ではありません。

「『胸の中に閉じ込められると僕を凄く近くに感じるから好き』と恥ずかしそうに告白する君は絶品だったよ!瞼の裏に焼き付けて、何度でも繰り返したい至福の一時だった。」

「そんな事言ってないわ!」

ソフィーは即座に叫びました。

目元を艶やかに真紅に染め、怒ったような表情でしたが、半分くらいは照れ隠しのようでした。

「大丈夫。僕はちゃんと分かったからね。ソフィーは本当に恥ずかしがり屋だから、表に出ている態度や言葉を全部信じちゃいけないって事を、愚かな僕は分かってなかった。これからは君の本当の気持ちを汲み取れるように努力するとも!この胸に誓って!」

「勝手に誓わないで!ハウル!貴方何を言ってるの?!」

「可愛いソフィー。怒った顔もとてもチャーミングだけど、こんな素敵な朝は笑顔を見せておくれ。」

長い指先でソフィーの顎を取ったハウルは、目にも留まらぬ早業で柔らかな頬に小鳥がついばむような小さなキスを落としました。

暴れるソフィーを器用に腕の中に閉じ込めたまま、星の色の髪に鼻先を押し付け、彼女の甘い香りを堪能するように目を閉じます。

唖然としたマルクルは、助けを求めるソフィーの視線をどうして良いのか分からず立ち尽くしたままです。

「君が『好き』だけじゃなくて、望めば『愛してる』と囁いてくれるなんて、ああ、僕は夢を見てるのかなぁ・・・?」

ぴきり、とその場に居たハウル以外の人間が固まりました。

何となく、真相が分かったからです。

カルシファーは呆れた様に黄色味掛かった炎を口から吐き出して、薪に大口を開けて齧り付きました。

マルクルも感じていた違和感の他愛も無い正体が分かって苦笑いを浮かべます。

マルクルのように小さな子供が『苦笑』を知っている事自体、この城の非日常さ加減と、主であるハウルの無茶苦茶振りを表しているのです。

そしてソフィーは、肩からゆっくりと力を抜いて聞き分けの悪い子供を相手にするようにゆっくりと言葉を舌の上に乗せました。

「ハウル・・・思い出して頂戴。」

「何?僕のソフィー。」

「それは、夢、よ。」

「は?」

「私はハウルに、独り寝が寂しいとも、腕の中が好きだとも、愛してるだとも、一言も言ってないわ。」

「人騒がせな間抜けな魔法使いめ!あんた、自分の都合の良い夢ばっか見てるんだなぁ。おいらも今回ばかりは呆れ果てたね。」

「夢、だって?」

切れ長の美しい瞳を瞬かせて、ハウルは呟きました。

緩んだ腕からソフィーがするりと猫の敏捷さで抜け出し、距離を取るように3歩後ずさりました。

丁度その場に居たマルクルを脇に引き寄せ、自分とハウルの間に立たせます。

まるで自分を守ってくれと言うように。

「ハウル。思い出した?」

「そんな馬鹿な!あの温もりも愛らしい唇の感触も耳に何時までも残る軽やかな声も、全部夢だと言うのかい?!」

「そうよ、ハウル。」

ハウルにとって残酷な宣言は、周りが思っていた以上に彼を打ちのめしたようでした。

見開かれた瞳と戦慄く唇が、ショックの大きさを物語っています。

「だってソフィー。あれは君そのものだったよ。僕が君を見間違える筈がない!」

「夢の中では本物だったんだろうよ、ハウル。いい加減認めなよ。」

「カルシファー!僕は信じない!あれが夢だったなんて!ソフィーは僕に何度でも愛を囁いたんだ!」

「ハウルさん。あの、僕もソレ、夢だと思います。だってソフィーはハウルさんみたいに、自分の気持ちをはっきり言葉にするのが苦手ですから。」

おずおずとマルクルもカルシファーと同じ意見を言いました。

ハウルは額を右手で覆って、よろよろと壁から身を起こします。

長身の魔法使いの顔は真っ青で、先程とは一転、悲壮に歪んでいました。

「ソフィー。ねぇソフィー。僕の事、愛してるって言って?」

「・・・ハウル。あの、ね・・・その・・・」

必死な様子のハウルと、興味津々で二人を見ているカルシファーとおばーちゃん、それから困ったようなマルクルの顔を順に眺めて、ソフィーは口を噤んでしまいました。

「だって君、あんなに可愛い顔して僕に言ったじゃないか!それに積極的に君から何度もキスしてくれたし!寝室を一緒にする事に同意してくれたし、今度二人っきりで旅行に行く約束だったしただろう?!」

「ハウル・・・ごめんなさい。それでね、あの、恥ずかしいから何度も言わないで。」

熟れた林檎のように真っ赤な頬で、ソフィーはか細い声でハウルに請いました。

夢だと認めざる得ない状態に追い詰められたハウルはその場に腰を抜かしたように座り込み、静かになってしまいました。

マルクルは即座に駆け寄り、肩を抱くように小さな体で何事かを耳元で囁いています。

「ハウル!おい!緑のねばねばだけは出すなよ!」

ヤバイと感じたのか、カルシファーがハウルの頭上をくるくる回りマルクルと一緒になって励ましだしました。

ヒンも一緒にハウルの周りを駆け回ります。

その光景は少しばかり滑稽で、ハウルのあの煌びやかで華やかな雰囲気を大きく裏切っていました。

なす術無く立ち尽くすソフィーの顔が赤いままで、身を縮ませて恥ずかしがっている訳はきっとおばーちゃんしか分からなかったでしょう。

ハウルが見た夢は、実は半分だけ真実だったのですから。

言葉にしたりハウルが言うような行動は取ったりしませんが、勿論ソフィーはハウルを心から愛していましたし、夜中にふと目が覚めてしまった時には一人だと言う事が言いようもなく寂しく感じたりします。

ハウルに隙間無く抱き締められると幸せだなぁと感じて嬉しくなります。

それを素直に言わないのがソフィー・ハッターという人間なのです。

ハウルがソレに気付くのは未だ未だ先のようでした。











end