LOVE AND PEACE
ねぇ。
外はこんなに良い天気だ。
こんな日にいつもと同じ事をするなんて、勿体無いと思わない?
強大な魔法を操る癖に、何処か子供っぽさの抜けないハウルが、食卓に着いた家族にそう告げたのは一刻ほど前の事。
だからさ。
僕の秘密の庭で、ピクニックでもしようじゃないか。
ハウルの思い付きはとても素敵な事だった。
最初にマルクルがその提案に飛び付いて、ヒンも嬉しそうに掠れた声で何度も鳴いて、おばーちゃんがたまにはひなたぼっこも外が良いねぇと頷けば、カルシファーとソフィーも楽しそうだ、楽しそうねと賛同した。
それからは、もうおもちゃ箱を引っ繰り返した様に大変な騒ぎになった。
皆朝食をはしたなくない程度に急いで食べて、ソフィーはどうしてもやらなくてはならない家事だけはやらなくちゃと、部屋の中を走り回って行ったり来たり。
おばーちゃんは、要るものはなんだろうねぇと呟きながら、物置に入って行ったっきり出て来ない。
マルクルは、花園でソフィーとヒンとハウルさんとボール遊びをするんだと、ボールを部屋から発掘した後、忙しく働いているソフィーの手伝いをしようとして、逆に大失敗をしたりして。
ハウルが洗剤塗れになったマルクルとヒンをひとしきり笑ってから、魔法で一人と一匹を風呂上りのようにぱりっとさせた。
ハウルはカルシファーにお湯を送ってくれと声を掛けて、火の悪魔に危うく自慢の金髪を燃やされそうになる。
お前は僕の頭をちりちりにするつもりかい!と怒鳴ったハウルに、飽きれたような悪魔の声が、風呂から出て来てもきっと誰も居ないけど良いのかい、と答える。
それもそうかと納得したハウルは、自分にも魔法を掛けて風呂上りのように身形を整えて、満足げにソフィーの部屋に入っていった。
暫くごそごそしているかと思ったら、ソフィー呼び付けて、自分が選んだドレスを無理矢理押し付けて、自分と入れ違いに部屋の中にソフィーを押し込めた。
「準備は出来たかい?」
「出来ました!」
一同ドアの前に勢揃いして、代表して元気良く答えたマルクルに、ハウルは満足げに微笑んで、そして花園へとドアを繋いだ。
「さぁ。行こう!」
一面の花園は、御伽噺の世界を再現したみたいで、ソフィーは何度目にしても感動に胸が震えるのを止められなかった。
勿論、こんな素敵な感情を無理に止めようだなんて思う人間は居ない訳で、ソフィーはその色鮮やかな感動を何度でも体験したいと思う。
歓声を上げたマルクルが、一番に飛び出して行って、広い花園の中に伸びる小道を何処までも走っていく。
ヒンは仲良しなマルクルが飛び出して行ったのに遅れまいと、短い足を懸命に動かして全速力で後を追い駆けた。
高い青天井には、真っ白な雲がぽっかりと浮いていて、花園に影を落としながらゆっくりと旅路を行く。
ああ、ここは本当になんて素敵な所なんだろうと、ソフィーは目を細めた。
「ソフィー。」
「なぁに、ハウル?」
ハウルは手に持っていた真っ青な布を大きく空気に泳がせながら広げる。
小さく折り畳まれていた時には気付かなかったが、それは広げると結構な大きさの真四角の布だった。
「そっちの端を持ってくれないかな?」
「はい。」
二人でタイミングを合わせて上下に何度かはためかせると、ゆっくりと芝の生い茂った地面に敷いた。
待ち兼ねた様におばーちゃんがいそいそとその上に上がりこんで、足を伸ばした。
「あたしはここで日向ぼっこしながら、向こうの二人を見てるよ。あんた達もちょっと散歩しておいで。」
「ありがとう、おばーちゃん。」
にっこりと微笑んだソフィーがハウルを振り返ると、彼は既に手を伸ばしてソフィーを待っていた。
ふわりと、重さを感じさせない動作でソフィーがその白い指先を乗せると、きゅっと力を込めて握り締められた。
柔らかな動きでソフィーを促し、ハウルはマルクル達とは別の道をソフィーを連れて歩き出した。
「こんな素敵な光景を前に、言葉ってなんて無力なんでしょう。」
溢れんばかりに足元まで埋め尽くされたピンク色の花々。
踏まない様に気を付けながら、ソフィーは小道を外れて花園の中心へと足を進める。
ハウルはそんなソフィーを嬉しそうに眺めていた。
「ねぇ、ハウル。本当に綺麗ね。」
「ああ、そうだね。ソフィー。本当に綺麗だ。」
ハウルは、ソフィーと、その周囲に広がる花園を見て、蕩けるような笑顔を浮かべた。
本当に言葉というものは、この感動をちっとも言い尽くしてなんかくれないと、こっそり呟く。
未来で待ってて、と叫んだ少女は綺麗過ぎて、時々怖くなる。
美しく咲く花に感動して胸を詰まらせるような可憐さと、その花々に負けないくらいに大輪の魅力を咲かせる美しさと。
傍に居てちゃんと瞳を見詰めて微笑をくれる優しさは、目の前の少女をより一層素晴らしい存在に磨き上げているから。
いつか自分の目は彼女の輝きに焼き付くされてしまうかもしれないと、不安が心に影を落とす事もあるけれど。
「ソフィー。凄く綺麗だよ。」
叫ばずに居られないほど、本当に綺麗で。
眇めた瞳で、この瞬間のソフィーを忘れてしまわない様に、しっかりと見詰めた。
立ち止まって肩口で揃えられた星色の髪の毛を風に遊ばせながらその声に振り返ったソフィーは、不意にハウルに向かって両手を伸ばした。
「ああ、とっても残念!今貴方が傍に居たならば、思いっきり抱き締めてあげるのに!」
「え?!」
「だって、貴方。寂しそうな顔をしているんですもの!」
離れてしまった距離の分だけ、大きな声をソフィーは出した。
澄んだ声は、真っ直ぐにハウルを目指して響いてくる。
目を見開いて、その言葉を胸の中で反響させて意味を確かめると、ハウルは破顔した。
「今行く!」
足を踏み出して、階段を上る様に空中に身を踊らせる。
小道を無視して最短距離でソフィーの元まで歩いて来ると、体重をまるで感じさせない軽い羽のような動作で再び地面をつま先で踏んだ。
「ソフィー。」
互いが腕を伸ばして、互いの体を抱き締める。
ソフィーからも、ハウルからも、ひなたの温かな匂いがした。
「君って凄いよ。」
「突然なぁに?」
「だって、この僕の孤独を、一瞬で癒してしまえるんだもの。」
幾千の夜を越えても、消し去る事も忘れ去る事も出来ずに、ただソコに在った孤独。
心臓が無いという原因だけでは、説明の付かない奈落を、僕はずっと抱えていて。
君の手で戻された心臓が、確かな心音を響かせても、僕の一部をずっと苛み続けたソレを、君は知る筈も無いのに。
こうやって姿を現した孤独を、君はちゃんと感じ取って、救いの手を伸ばしてくれるんだ。
誰にでも出来る事じゃないんだよ、ソフィー。
君はもっと自信を持つといい。
僕という人間を救い、癒し、愛する、ただ一人の人間なんだから。
「どうしたの?ハウル。黙り込んで。」
「・・・言葉って本当に無力だね。ソフィー。僕の気持ちをちっとも君に伝えやしない。」
「そうね。」
ただ黙って肌を通して伝わる仄かな熱に全てを託して、そうして二人で互いの想いを知るならば、それもとても素敵だと。
想いを込めて抱き締める力を強めれば、ソフィーが擽ったそうに身を捩ってくすりと笑いを零した。
「嫌だわ、私達。恥かしげも無くこんな所でこんな事を・・・」
「ここは秘密の花園だよ、ソフィー。僕らの他には誰も居ない。」
おどけた調子のハウルの声に、無言でソフィーが脇腹を抓る。
大袈裟に痛い振りをして、ハウルはようやくそぉっとソフィーを腕の中から解放した。
「もうちょっと歩きましょうか。」
「そうだね。ソフィー。さぁ、手を。」
「ええ。」
陽射しは暖かく、時折り心地良い風が葉擦れの音を奏で、揺らめく花弁が色の移ろいを描く。
まるで夢の景色のように、ここはただ美しい。
ふと、ソフィーが足を止めた。
「どうしたの?」
「あそこ、見て。」
指差す方向に、違和感がぽつんと存在している。
近付いて行って、ハウルとソフィーはそれが何なのかを知る。
「・・・驚いた。」
「これ、戦闘機?」
「小型の、偵察機みたいだね。こんな所に落ちているなんて。」
追撃されたのか、故障したのか、定かではないが、落ちた時の衝撃はこの偵察機の外観をさほど損なわせなかったらしい。
傾いて片翼はもげてしまっているが、それはそこで操縦者不在のまま花に埋もれていた。
古いものではない。
おそらく、ハウルとソフィーも巻き込まれた、あの戦争の時のものだろう。
「お花で、一杯になっているわね。」
「魔法を、多少掛けているから。ここの花園も無傷では居られなかったからね。焼かれた一部がまた花で一杯になるように、成長を促進するような魔法を掛けている。」
「それで・・・こんな風に、偵察機にまでお花が咲いているのね。」
沈黙は、それぞれ思う事があるからだろう。
そよりと吹いた風が、偵察機の周囲に咲き乱れる小さく可愛らしい花を優しく揺らした。
「こうやって、戦争で傷付いてしまった全てのモノが、やがて『平和』に包まれてしまえば良いわね。」
「そう?僕はこれを見た時、平和を退屈だと勘違いする愚かな人間達が、また過ちを犯さないように警告しているように思えたな。」
「ハウル・・・」
ソフィーが体験した戦争なんて、ハウルが体験したそれに比べれば、なんて小さなモノだったのだろうと、思い知らされたその発言に、ソフィーは言葉を失った。
彼が危険を賭して飛んだ、あの黒煙と火薬の火の粉に塗れた空。
直接目で見たものが、どれほど過酷で惨たらしいモノだったのか、彼は口を閉ざして決して語ろうとしなかったから。
気遣わしげに見上げたソフィーに、ハウルはそっと微笑んで、瞼の縁に触れるだけの口付けを落とした。
「皮肉屋の僕は嫌い?」
「・・・いいえ。」
「僕も早くソフィーと同じ感想を抱ける様になれると良い。」
「うん。」
時が癒してくれるのか、それともソフィーが癒してくれるのか。
孤独を癒してくれたソフィーの素敵な魔法に期待しながら、ハウルは自分の心が望むままに、もう一度ソフィーの柔らかな頬に口付けを落とした。
end