なんて事だ!







「ねぇ、ソフィー!今の誰?!」

彼女は足早に僕の前を歩き、決して振り向かない。

「ソフィーったら!答えてよ!」

最初は人目を憚って小さな音量だった問い掛けは、答えの返らぬ背中に次第に焦れて大きくなり、道行く人々が振り返るようになっても元の音量には戻らなかった。

それ所じゃなかったからだ。

「ソフィー。こっちを向いてちゃんと答えて!」

聞こえてる筈なのに、ソフィーはまるで聞こえてない風にこちらを一度も振り向かずに、大きな歩幅で通りを進む。

僕の右手に、彼女が今日行く予定だった筈の手芸店の看板が見え始め、そして後方へと流れていく。

一体何処を目指しているのやら。

・・・きっとゴールなんてないのだ。

彼女は、僕の愛しいソフィーは、先程会った男から少しでも遠くに逃げ出したいだけに違いなかった。











雨続きで憂鬱だった数日が穏やかに明け、ようやく青空が戻って来た最初の日に、僕とソフィーは買い物の為にキングズベリーに来ていた。

大抵のものは、花屋をやっているがやがや町に揃っていたけれど、今回どうしても欲しかったモノはインガリーの首都キングズベリーにしか見付ける事が出来なかったからだ。

マルクルとカルシファーとマダムに留守番を頼み、僕はかなり浮かれてソフィーを連れてこの都に降り立った。

だってさ。

城の中では二人っきりなんてそうそうないんだから。

しかも場所がキングズベリーだなんて、うってつけじゃないか!

恥ずかしがり屋のソフィーも自分を知る人間が居ないこの都でならば、少しは甘えた仕草や表情を見せてくれるというものだろう?

そんな下心を持っていたものだから、僕は普段の倍の時間を掛けて風呂に入り、身嗜みを整え、カルシファーとマルクルを呆れさせたりもした。

僕の気合の入れように、ソフィーは困ったようにはにかんだけど、僕に合わせてくれたのか、城の中では決して着ない華やいだドレスに着替え、帽子も明るい色のものを選んでいた。

二人で歩くと、町の雰囲気までも変わって見えるから不思議だ。

無理やり組ませた腕は、数分の躊躇を経て、未だにちゃんと僕の腕に掛かっている。

ソフィーに歩幅を合わせてゆっくり歩くと、見上げてきたソフィーの褐色の瞳が嬉しそうに微笑む。

きっと今の僕達は、恋人同士と言うよりも夫婦に見えている事だろう。

言葉など無くとも伝わる気持ちと、何人も立ち入れぬ甘やかな雰囲気が、そう見せているに違いない。

それを考えると、とても嬉しくなって、僕は随分とにやにやしていた。



でも。

そんな素敵な時間をぶち壊しにする声が、僕らの背後から放たれたのだ。

「ソフィー・ハッター?」

確信を込めた呼び掛けに、僕らは同時に振り向いた。

ソフィーの表情に最初戸惑いが、そしてそれを追って驚きが広がる。

目の前の男は、特にこれと言って特徴のある男ではなかったけれど、無骨な働き者の手と、逞しく日焼けした肌が、農作業に従事している者の雰囲気を漂わせていた。

大地に根を張って生きている、そんな男が、ソフィーを驚きと賞賛の瞳で見詰め、にこやかに笑っている。

「やっぱり!」

「え・・・?カルロ・ロイズ?」

恐る恐る、ソフィーがその名を口にすると、大袈裟なくらい首が縦に振られて、その男は歓声を上げた。

「覚えていてくれたのか!光栄だよ!」

「勿論よ。だって貴方、変わらないから・・・」

歯切れの悪い口調に、僕は隣のソフィーを盗み見た。

紅く染まる頬、泳ぐ視線。

いつの間にか僕の腕から逃げ去って、ソフィーのお腹の辺りで絡み合わされて落ち着かなげに揺らされる指先。

何よりも・・・

気恥ずかしげに、そして困ったように、僕を盗み見るソフィーの視線に、嫌な予感という奴が背筋を猛スピードで走り抜けたのだ。

知らぬ間に険しくなる僕の表情など目に入らぬように、この男は一歩ソフィーに近付いた。

「君はとても変わったね。なんだか眩しくてまともに見ていられないほど綺麗になった。」

「そんな事ないわ。」

ちらちらと揺れる視線。

気付かれぬ程の小さな一歩の後退は、彼女がこの再会を喜ばしく思っていない事を伝えているようだ。

ソフィーがそんな風に思うだなんてよっぽどだ。

この男は、ソフィーの、何?

『特別』、という単語が浮かんで、不機嫌が押し寄せる。

普段は目にすると可愛らしいという表現しか出て来ない彼女の薔薇色の頬が、今日ばかりはちょっと悔しくて切ない。

僕を見て頬を染めたんじゃないからだ。

この男と再会する事によって、ソフィーは頬を染めて、明らかに僕を気にしている。

この場を逃げ出したがってる。

つまり、僕とこの男を会わせたくなかったって事?

嫉妬深い恋人に会わせたくない男だなんて、相場は決まっている。



「今はキングズベリーに居るのかい?」

暢気な男の問い掛けに、僕の額に青筋が立ち薄っすらと怒りのオーラが立ち上り始めている。

気配に敏感なソフィーはぎょっとして僕を見上げると、僕の腕を引いて、上擦った声で叫んだ。

「ごめんなさい。待ち合わせに遅れてしまいそう!もう私行くわ!」

「ああ、引き止めてごめんよ、ソフィー。」

強引に引き摺られる腕に任せて歩き始めながらも、僕はその男の顔を忘れないようにじぃっと見詰め続けた。

あれが、ソフィーの・・・

今更過去の事をどうしようもないと分かってはいても、心にガラスの破片が刺さったような痛みが残った。











「ソフィー。いい加減に観念したら?」

信じられないような力でソフィーは僕を引っ張って歩く。

この華奢な体の何処にそんな力が隠れているのか不思議だけど、家事に精を出す彼女のあのパワフルな行動力の源なんだと思うと、妙に納得出来る自分も居る。

相変わらずソフィーはこちらを向かない。

僕も負けずにずっと名を呼び続け、答えを欲しがる。

大通りを抜け、小さな路地に足を踏み入れた所で、僕は強引にソフィーを背後から抱き締めてその歩みを止めさせた。

「ソフィー。知りたいから何度だって聞くよ。あの男は誰?」

この行為は自虐的だって知ってる。

でも、彼女の口から直接聞かないでは居られなかった。

振り返ったソフィーは、軽く息を弾ませていた。

でもそれの所為だけではない頬の紅味が、いやに目に付いて僕は泣きたくなった。

「あのね。ハウル・・・言いたくないわ。」

「あの男は君の何?」

語気を強めると、ソフィーは僕から視線を逸らせて口を噤み俯く。

そんな風に焦らすだなんて、残酷なんだね、ソフィー。

暴れ出す寸前の心臓が、突き刺さるナイフのような鋭い答えに恐怖している。

「君が言いたくないなら僕が言おうか?」

「ハウル。」

諦めたような、長い長い溜息。

僕はその時の衝撃を思って身を硬くした。

「あの人ね・・・初めて・・・」

ああ、本当は聞きたくないんだ!

その桜色の唇を塞いで、強力な呪いで君の記憶を消してしまいたい衝動に耐える。

「私を・・・」

来るべき言葉に、ぎゅっと目を瞑った。





「初めて私を好きだと、言ってくれた人なの。」





「・・・は?」

「だから、初めて告白された人なの!」

自棄になったように叫んで、ソフィーはその恥ずかしさから逃れるように、さっきとは比べ物にならないくらいのスピードで駆け出して行ってしまった。

「え?告白?」

いや、あの、ソフィーが初めて好きになった人じゃなくて?

あれ?

初めてソフィーに告白した男だって・・・?!

呆気に取られて、ソフィーの姿が路地を曲がって見えなくなるまでその場で突っ立ったまま見送って、僕は我に返った。

ああ、何て事だ!!

勘違いじゃないか!

僕は今凄く間抜けな男だ。

そう自分を貶しながら、現金にも、心が浮き立つように軽くなっていくのが分かった。

僕のソフィーはそりゃあ可愛くて綺麗だもの。

僕と出会う前に何人もの男を虜にしててもおかしくないよね。

歩き出しながら、僕は上機嫌に鼻歌を歌いながら、先ほど必死になって覚えた男の顔を一瞬で記憶から削除した。

「早く追い駆けないと。」

未だ買い物も途中だし、何より一人にしておくと僕のソフィーに変な虫が付かないとも限らないじゃないか。

急いで見付けないと!

ソフィーを見付けたら、一番に何を言おうと考えながら、僕は駆け出す。

ブーツのヒールが硬質な高らかな音を奏でて、僕は向かい風を掴んで空に駆け上がった。









end