待ち焦がれる
待っていたんだ。
気が遠くなるような長い時間。
君が待っていろだなんて言うから。
・・・ずっと待っていたんだ。
今日も空を飛んだ。
黒煙と身を焦がす熱を孕んだ空気の中を。
眼下に広がるおぞましい光景を、無気力と無感動の心で受け留めて。
目の前に敵が現れれば蹴散らすけれど、それは既に闘志に促されてのモノではなく、一種の条件反射みたいなモノ。
僕は戦う理由を見失い掛けているのか・・・?
ぼんやりとそう思った。
疲れた体は、まるで無駄なモノのように重く。
引き摺る様にして扉の中に潜り込んだ。
「ヤバイ・・・ヤバイよ!ハウル・・・」
カルシファーが僕を案じて、悲壮な声を絞り出す。
僕の心臓を契約の証として抱く火の悪魔は、多分僕との共同生活に慣れ過ぎて、人間的な感情と仕種を身に付けている。
その彼が、僕の破滅を感じ取って身を案じてくれるのは、酷く心地良かった。
「・・・大丈夫だよ。」
「大丈夫なもんか!あんたこのままで良いとはちっとも思ってないんだろ?そんな事も分からない程愚かじゃないだろ?ハウル!」
「・・・だって。」
飛ばない訳にはいかない。
声も無く呟いた僕に、カルシファーは言葉に詰まって沈黙を返した。
ぺたぺたと、何かに塗れた僕の足が床に音を残す。
その『何か』が何なのか、考えたくなくて、振り返らない様に前だけを見た。
目指した場所は、階段の下の小さなスペース。
数日前までそこには古ぼけて煤汚れた壁の漆喰と、埃を被った床の板目が覗いていた筈だった。
でも今は、褪せた布の簡易カーテンが引かれていて、それらを見る事が出来ない。
一歩一歩進む事に、僕自身の影が大きく揺らめく。
背後のカルシファーの火力が高まっている所為だ。
それが何故かなんて、考える余裕も無かった。
腕を伸ばす。
カーテンの切れ間を探って、薄汚れた指先がさ迷う。
音を立て無い様に細心の注意を払ってそっと開くと、誰かの暖かく小さな寝息が聞こえた。
小さな空間は密閉されていたから、その中に居る人物の気配が濃厚に空気に溶けている。
甘く薫るようなその空気は僕が開いたカーテンから流れ出してきて、僕にじゃれつくようだった。
そっと顔を突っ込む。
毛布に包まって穏やかな表情で眠る彼女は、老婆じゃなくて、年若い乙女の顔をしていた。
ソフィー・ハッター。
僕の所為で荒地の魔女に目を付けられ、腹癒せで呪いを掛けられた可哀想な女の子。
今必死で自分が戦っているのが、『欲望』という名が付く魔物だと僕は知っている。
それは酷く粗野で荒荒しく、気を緩めてしまえば目の前の彼女を引き裂くに違いなかった。
理性というものに期待しながら、数分でも数秒でも長く彼女の寝顔を見ていたかった。
僕も男だから。
目の前に好きな人が居れば、じっとなんかしていられないけど。
彼女には荒地の魔女の強力な呪いが掛かっていて。
彼女自身が魔女の素質を持つ所為で、その呪いは彼女本人によって倍増されてしまっていて。
マダム・サリマンからお墨付きを受けているさすがの僕も、その呪いを解除する事は出来なくて。
それでも諦めきれずに毎夜解除に尽力をして、徒労に終って落ち込んでいる。
今日はどうかな?
昨日必死で失われた魔術書から探し出した古い呪いの一つをブレンドした、オリジナルな解除魔法なんだけど。
これにはちょっとだけ、困ったモノが必要で。
君の・・・
君のキスが必要なんだけど。
寝てるから、気付かないなら、貰っても良いかな?
寝顔に問い掛けても、「はい」とも「いいえ」とも返事が無いのは当たり前で。
僕は自分自身に言い訳しながら、そっと身を彼女の方へと倒れ込ませた。
多分僕のやろうとしている事に勘付いているだろうカルシファーは、僕の共犯者になってくれるつもりか、何も言わず火力を絞って暖炉の奥に隠れた。
部屋の中は急に薄暗くなり、僕の本来許されない筈の行為は月灯りだけが照らす事となる。
昼間の家事労働で、深く眠りについた彼女の唇は、瑞々しくて綺麗で鮮やかな色をしていた。
お化粧、必要なさそうな素敵な色だね。ソフィー。
心の中で呟いて。
僕は枕の上に手を突いて、重ねるだけの幼いキスをした。
「ハウル・・・?」
のろのろとカタツムリみたいな動作でカルシファーの前まで移動して、椅子に座る。
顔の横に垂れた髪の毛で、僕の表情は良く見えてないんだろう。
不安そうな声が僕の名を呼んだ。
「・・・駄目だった。」
「そうか。厄介な呪いだね。」
半分予想していた事だったのか、カルシファーはさらりと流した。
予想していた事・・・
ああ、王子様のキスでも君は真実の姿を取り戻さないの・・・?
御伽噺と違うんじゃない?
それとも。
僕が『王子様』じゃないから呪いが解けないのか。
・・・嫌だな。
「そろそろ寝るよ。カルシファー。」
「今日は風呂は無しなのかい?」
「さすがに疲れたよ。」
考え出したらロクな事が浮かばない。
眠ってしまえ、ハウル。
僕は疲れているのだから。
せめて。
夢くらいは、ソフィーが真実の姿で僕に微笑みかけてくれたら良い。
end