音楽を創るということ(赤い銀河の空歩くものの日)

 

かなり大それたタイトルをつけてしまった・・・

ついでに言っておきますが私(AKI)の場合、まずテーマのタイトルが閃光(誤字ですがこっちの漢字のイメージに近い・・・)します。そしてすぐに書けないときは、しばらくほっときますのであしからず・・・

というわけで(だいぶほっといてしまいましたが・・・)なぜこんなタイトルをつけたかと言うと・・・以前私はまさしく音楽を作っていました。つまり作曲してアレンジし録音するという作業です。それはおもにシークエンサーによる打ち込みによるものでした。(今でこそパソコンで簡単に作曲できますが)シンセサイザーに出会ったのもまだアナログによるモノ・シンセの時代です。当時のシンセはその名前のとうりノイズを合成(シンセサイズ)して音色をつくるのがメインで今のように数多くのプリセットされたデジタル音源から好みの音色を選ぶことはできませんでした。本当に便利になったものです。でも私の場合、なかなか好みの音色が見つけられないので、ある程度イメージに近い音色を選んでからエディットします。まあシンセの話は置いとくことにして曲作りのことです。

90年に意を決して渡米しました。(本当のところは知人がいたので何となくづるづると居続けてしまっただけですが・・・)しかし向こうでの体験は、自分の音楽にたいする気持ちを180度変えさせられてしまいました。

発端はアシッコというアフリカのタイコに出会ったことでした。(アフリカンドラムでもっとも有名なのはジャンベですが、アシッコは板を張り合わせたコーン型のもの)何しろタイコのヘッドは生革でヤギの革なのですから。私は何かにとりつかれたように毎日ただ無心に叩いていました。というのも日によって微妙に音色が違うからです。ヘッドの叩く場所によっても全く音色が変わってしまいます。当然ボディの下は地面から浮かさないと音は響きません。地面とボディの距離によっても音が変わります。たまたまかなり音が出せる部屋だったので思いっきり叩いていました。(幸い一度も苦情はきませんでした。なにしろ下からもかなりの大音量でラップが聴こえていたのですから・・・)

そのうちに私は本気でこのタイコには精霊が宿っているに違いないと思うようになってしまいました。別にドラッグをやっていたわけではありません。同じリズムパターンをずっと繰り返していると不思議なことにだんだんとトランス状態になっていって気持ちが高揚していくのです。いわゆるナチュラル・ハイっていうやつです。ライブでもここまでハイになったことはありませんでした。

このような体験から私は、リズムの繰り返し(LOOP)による気持ちよさにだんだんと目覚めていきました。それは単純な繰り返しであるほど効果がある気がしました。

儀式や祭りにおいてシンプルなタイコを中心とした鳴り物が多いのは、このようなトランス効果を引き起こすことに起因するのだと思います。これこそ音楽のマジックです。また面白いことに何人かで一緒に叩いていると、始めはバラバラなリズムもだんだんとかみ合ってくるのです。タイコのうまいへたはあまり関係ありません。これは共振の原理と同じで、いくつかの振り子時計を並べると不思議なことにだんだんと振り子の左右の振れ方がそろってくるという法則が証明されています。

リズムにグルーブが出てくると、それが倍音になり何処からともなくかすかなメロディーが聴こえてきます。いや聴こえてくるような気がするのです。一体このメロディーは何処からやって来るのだろうか?何かこの見えない空間の中にメロディーがいっぱい詰まっていて、たまたまタイコの音と共鳴したために現実の中にメロディーとして現われたかのようでした。

私はこうしてだんだんと自然に生まれる音楽に惹かれていきました。それまでは無理やりにつくっていたような気がします。そしてそれがオリジナリティーだと思い込んでいました。でも、もしかしたらそんなものは無いのかもしれません。すべての音は既に、見えない空間の中にあってたまたまアンテナの感度がいいときに共鳴して、人間の脳(おそらく松果体かな?)が導管となり、現実の世界に現われてくるのではないかと思うのです。こういう現象?は音楽に限らず絵や詩、発明など、すべての発想に言えることだと思います。

・・・ということはすべての人はこのアンテナを持っているわけだから、それを引き寄せるためにはアンテナの感度さえ高めればいいわけです・・・。でもこれがなかなか容易ではないのですよ。テクニックを磨けばいいのだろうか?いや違います。もちろんある程度はそれも必要でしょうが、もっとも大切なことは無心になることではないでしょうか?よく言うでしょ?偉大な発明ほどおふろに入っているときや散歩しているとき、つまりリラックスしているときに「それ」はやって来るのです。私の場合でいえば、いい曲をつくるぞ!と意気込んでいるときよりもタイコを叩いたり、マンドリンやギターをジャカジャカ弾いて遊んでいるときに「それ」はいきなりやって来ます。まあこういうことは誰にとっても言えることだろうと思います。(けっこうおおげさに書いてきてしまいましたが・・・)

というわけでけっこう長くなりましたが、音楽は今では私にとって生活の一部となっているわけですから音楽を創ることも生活の一部ということになるのでしょう、きっと・・・。でもピュアーでいることはけっこうむずかしいときもありますよ、ホント!

(AKI)

 

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