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想ひ目次
あいこくしん   愛国心   146
あきらかにただしいこと   明らかに正しいこと   233
あたらしいいがく   新しい医学   231
あたらしいものをもとめるひと   新しいものを求める人   376
あっぷでーとぷろぐらむのばぐ   アップデートプログラムのバグ   389
あやまり   誤り   180
あやまり   誤り   254
あやまり   誤り   255
あやまり   誤り   368
あらさい   争い   284
あらそい   争い   26
あらそい   争い   200
いきる   生きる   13
いしめんきょじょう   医師免許状   97
いしゃのがくばつ   医者の学閥   48
いちにちのりずむ   一日のリズム   19
いちばんしらないこと   一番知らないこと   162
いとふい   為と不為   238
いにしえのたつじん   古えの達人   113
いらくせんそう   イラク戦争   127
いりょう   医療   90
いんたーねっと   インターネット   132
いんたーねっととほん   インターネットと本   205
いんようりょうめん   陰陽両面   245
うおがつられること   魚が釣られること   217
うちからくるものとそとからくるもの   内から来るものと外から来るもの   339
うちからでるもの   内から出るもの   89
うちなるこえ   内なる声   344
うちのせかいとそとのせかい   内の世界と外の世界   116
えいがのえいご   映画の英語   286
えいようせっしゅとちしきせっしゅ   栄養摂取と知識摂取   240
おいしいもの   おいしいもの   345
おうて   王手   184
おおきなあやまり   大きな誤り   3
おおきなあやまり   大きな誤り   173
おおきなあやまり   大きな誤り   252
おおきなあやまり   大きな誤り   253
おおきなあやまり   大きな誤り   273
おおきなあやまり   大きな誤り   312
おおきなしっぱい   大きな失敗   359
おおきなちゃんす   大きなチャンス   291
おおきなちゃんす   大きなチャンス   397
おおきなわざわい   大きな災い   292
おおくのひとがすること   多くの人がすること   136
おおくのひとがとおるみち   多くの人が通る道   234
おおくのひとがもてはやすこと   多くの人がもてはやすこと   212
おかねをためること   お金をためること   64
おこらないというかくしん   起こらないという確信   206
かいぎ   会議   185
かいしゃいん   会社員   321
かいわ   会話   360
かいわ   会話   361
かがくしゃのしんこう   科学者の信仰   190
かがくへいき   化学兵器   377
かくこと   書くこと   37
かげぐち   陰口   296
かこのがくしゃのできなかったことができるかのうせい   過去の学者のできなかったことができる可能性   395
かこのじぶん   過去の自分   147
かち   価値   28
かち   価値   371
かちあるものとこうふく   価値あるものと幸福   247
かちたいけい   価値体系   1
かなづちときり   金槌と錐   220
かね   金   290
かねのこうよう   金の効用   20
かねをもうける   金を儲ける   373
かぶしき   株式   101
かわせ   為替   52
かんかくのしげき   感覚の刺激   270
かんがえる   考える   78
かんがえること   考えること   302
かんがえること、かくこと   考えること、書くこと   106
かんせいのほうそく   慣性の法則   333
かんせつたいけん   間接体験   33
かんせつたいけん   間接体験   133
かんりょうといし   官僚と医師   266
がいぶつのとりいれ   外物の取り入れ   63
がくもん   学問   178
がっこうきょういく   学校教育   7
がっこうきょういく   学校教育   355
きおくすること   記憶すること   351
きかい   機会   41
きゃっしゅれすか   キャッシュレス化   406
きょういく   教育   124
きょういくせいど   教育制度   29
きょうこく   強国   170
きょうそう   競争   196
きょうそう   競争   230
きんめだる   金メダル   79
きんゆうせいさく   金融政策   152
くうふく   空腹   222
くうふく   空腹   223
くうふく   空腹   224
くに   国   198
くにがほろぶりゆう   国が滅ぶ理由   112
くれじっとかーどについて   クレジットカードについて   396
くれじっとかーどのぽいんと   クレジットカードのポイント   382
くれじっとかーどのぽいんと   クレジットカードのポイント   383
くれじっとかーどのぽいんと   クレジットカードのポイント   385
くれじっとかーどのぽいんとはみいりがおおきくない   クレジットカードのポイントは実入りが大きくない   407
くんしょう   勲章   12
ぐうぜんにはっけんすること   偶然に発見すること   256
ぐこう   愚行   174
けいじばつとてんばつ   刑事罰と天罰   66
けんこうしんだん   健康診断   129
けんこうとくすり   健康と薬   248
げんだいのせんそう   現代の戦争   352
こうかん   交換   45
こうさい   交際   6
こうつうきかんのりょうきん   交通機関の料金   402
こうどう   行動   24
こうどう   行動   171
こうふく   幸福   251
こうむいん   公務員   357
こうろん   口論   367
こくないそうせいさん   国内総生産   104
こころがぬすまれること   心が盗まれること   85
こころのつよみはなにか?   心の強みは何か?   297
こじんさ   個人差   201
こっかととち   国家と土地   68
ことのほんしつ   ことの本質   86
ことば   言葉   131
こんぴゅーたー   コンピューター   219
こんぴゅーたーういるす   コンピューターウイルス   307
こんぴゅーたーはんてい   コンピューター判定   169
ごがくのしゅうとくのしかた   語学の習得の仕方   370
さつじん   殺人   62
さんだいしっかん   三大疾患   149
ざいさん   財産   8
ざいさん   財産   115
ざいさんのいみ   財産の意味   71
しさんか   資産家   46
ししじんじんはみをころしてもってじんをなすことあり   志士仁人は身を殺して以て仁をなすこと有り   390
ししょうといんたーねっと   師匠とインターネット   358
しじょうかち   市場価値   9
しぜんのたんじゅんか   自然の単純化   235
しそうのれっか   思想の劣化   242
しっぱい   失敗   329
しっぱい   失敗   374
しっぱい   失敗   398
しとこうふく   死と幸福   324
しどうしゃ   指導者   82
しほんしゅぎしゃかい   資本主義社会   285
しほんしゅぎしゃかいのほんしつてきなむじゅん   資本主義社会の本質的な矛盾   95
しほんしゅぎのほんしつてきなむじゅん   資本主義の本質的な矛盾   10
しや   視野   287
しゅういのおおくのひととおなじけんかい   周囲の多くの人と同じ見解   278
しゅうだん   集団   151
しゅうり   修理   157
しょうすうは   少数派   4
しょうはい   勝敗   159
しょうはい   勝敗   226
しょうはいのるーる   勝敗のルール   250
しょうばい   商売   114
しょくよくとせいよく   食欲と性欲   316
しょてん   書店   404
しょゆう   所有   330
しることができること   知ることができること   189
しることとしらないこと   知ることと知らないこと   353
しんぎしょうはい   真偽 勝敗   244
しんにかちあるもの   真に価値あるもの   109
しんにただしいこと   真に正しいこと   40
しんにただしいもの   真に正しいもの   91
しんのかねもちとは   真の金持とは   370
しんぶん   新聞   236
しんぶん   新聞   338
しんぶんきじ   新聞記事   337
しんぶんといんたーねっと   新聞とインターネット   267
しんぽ   進歩   334
しんやく   新薬   325
しんよう   信用   298
しんり   真理   130
しんり   真理   160
しんりとぞくげん   真理と俗言   38
じかん   時間   73
じかんきゅうのたかいしごと   時間給の高い仕事   401
じぎょう   事業   349
じこしきんいじょのじぎょう   自己資金以上の事業   59
じっさいにいきたねんすう   実際に生きた年数   323
じどうしゃほけんとせいめいほけん   自動車保険と生命保険   393
じぶんでする   自分でする   350
じぶんとにているにんげん、にていないにんげん   自分と似ている人間、似ていない人間   391
じぶんのうちにしたがうものとじぶんのそとにしたがうもの   自分の内に従う者と、自分の外に従う者   143
じぶんのこころ   自分の心   43
じゃすといんたいむ   ジャストインタイム   191
じゆういし   自由意思   369
じょうしき   常識   65
じょうしき   常識   195
じょうしき   常識   313
じょうしき   常識   315
じょうしき   常識   335
じょうしきにしたがっていきているひと   常識に従って生きている人   20
じょうほう   情報   258
じょうほうかた   情報過多   257
じょうほうとげんそう   情報と幻想   36
じょうほうのはんだん   情報の判断   327
じんせいのしょうぶ   人生の勝負   39
じんたいとくすり   人体と薬   213
じんるいめつぼうのげんいん   人類滅亡の原因   177
じーゆーあいとしーゆーあい   GUIとCUI   168
じーゆーあいとしーゆーあい   GUIとCUI   203
じーゆーあいとしーゆーあい   GUIとCUI   210
じーゆーあいとしーゆーあい   GUIとCUI   221
じーゆーあいとしーゆーあい   GUIとCUI   232
すみやすいところ   住みやすい所   399
すーぱーまーけっとのまとめがい   スーパーマーケットのまとめ買い   380
せいしんてきひろう   精神的疲労   186
せいぞんきかん   生存期間   164
せいどにつかわれるにんげん   制度に使われる人間   5
せいりせいとん   整理整頓   239
せみなー   セミナー   342
せんかくしゃ   先達者   98
せんそう   戦争   69
せんそうとは   戦争とは   378
せんもんい   専門医   140
せんもんか   専門家   163
せんもんか   専門家   179
ぜんちょう   前兆   225
そうし   荘子   119
そしき   組織   92
そしき   組織   141
そしき   組織   272
そしきとこじん   組織と個人   81
そのひとのかちはいつわかるか   その人の価値はいつわかるか   327
そんしてとくをとる   損して得を取る   227
たから   宝   288
たすうけつ   多数決   58
たすうけつ   多数決   150
たたかい   戦い   246
たたかいでだいじなこと   戦いで大事なこと   274
ただしい   正しい   348
ただしいことただしくないこと   正しいこと正しくないこと   281
ただしいこととただしくないこと   正しいことと正しくないこと   204
たてうりじゅうたく   建売住宅   166
たどく   多読   16
たよく   多欲   110
だいじしん   大地震   138
だいにゅーす   大ニュース   268
だいのう   大脳   44
だいのう   大脳   137
だいのう   大脳   139
だいのう   大脳   158
だいのう   大脳   194
だいのう   大脳   214
だいのう   大脳   261
だいのう   大脳   282
だいのうがちからをはっきするとき   大脳が力を発揮する時   284
だいのうとしぜん   大脳と自然   318
だいのうとたのぞうき   大脳と他の臓器   295
だいのうとのうかん   大脳と脳幹   25
だいのうとびょうき   大脳と病気   134
ちえ   知恵   27
ちえ   知恵   80
ちえ   知恵   293
ちえとほん   知恵と本   94
ちきゅうのちつじょ   地球の秩序   228
ちしき   知識   67
ちしきとがくもん   知識と学問   2
ちしきとちえ   知識と知恵   49
ちしきとちえ   知識と知恵   50
ちしきとちえ   知識と知恵   93
ちしきとちえ   知識と知恵   276
ちしきとちえのちがい   知識と知恵の違い   77
ちしきのしょうかきゅうしゅう   知識の消化吸収   262
ちしゃ   智者   18
ちしゃ   智者   21
ちしゃ   智者   22
ちしゃ   智者   23
ちとせんもんか   知と専門家   111
ちとのうをえるにはどうするか   知と能を得るにはどうするか   9
ちゃんす   チャンス   372
ちょうせんせんそうのきゅうせんきょうてい   朝鮮戦争の休戦協定   392
ちょうぼ   帳簿   83
ちんしもっこう   沈思黙考   144
つねがない   常が無い   42
てきすとふぁいる   テキストファイル   241
てれび   テレビ   88
てれび   テレビ   362
でふれ   デフレ   11
とうさん   倒産   156
とうしのたいしょう   投資の対象   100
とじたせかい   閉じた世界   118
とちとききんぞく   土地と貴金属   60
どうぶつえんのらいおん   動物園のライオン   354
どうり   道理   175
どこでもつうじるのうりょく、ぎじゅつ   どこでも通じる能力、技術   356
どれい   奴隷   216
ないかいとがいかい   内界と外界   12
ないかくしじりつ   内閣支持率   215
なかま   仲間   332
ながいきしたいというよく   長生きしたいという欲   322
ながくおこらないこと   長く起こらないこと   207
ながくつづくこと   長く続くこと   208
なにしたがえばしっぱいする   名に従えば失敗する   341
なまえ   名前   280
なれ   慣れ   54
にがつ   2月   237
にほんじんのえいご   日本人の英語   99
にほんのえいごきょういく   日本の英語教育   311
にほんのこめのじきゅうりつはほんとうに100%か?   日本の米の自給率は本当に100%か?   405
にんげんのあな   人間の穴   15
にんげんのえさ   人間の餌   128
にんげんのそんざい   人間の存在   14
にんげんのたべるもの   人間の食べるもの   148
にんげんののう   人間の脳   310
にんげんはこころざしいじょうのものになりえない   人間は志以上のものになり得ない   108
ねうち   値打ち   192
ねっちゅうしょう   熱中症   387
ねっちゅうしょう   熱中症   388
ねっとしょっぷ   ネットショップ   384
のうかんとびょうき   脳幹と病気   135
のうりょく   能力   75
のーべるしょう   ノーベル賞   187
はそこん   パソコン   154
はばつ   派閥   303
はん   藩   197
はんだん   判断   96
はんだんみす   判断ミス   76
ばくちとちょきん   博打と貯金   269
ばとう   罵倒   364
ぱそこん   パソコン   167
ぱそこん   パソコン   305
ぱそこんとまうす   パソコンとマウス   283
ぱそこんをつかう   パソコンを使う   209
ひっぱい   必敗   304
ひっぱい   必敗   346
ひっぱいのかたち   必敗の形   289
ひつようとされるじんざい   必要とされる人材   343
ひとにきにいられること   人に気に入られること   218
ひとにしたがうもの、てんにしたがうもの   人に従う者、天に従う者   211
ひとのこうどう   人の行動   61
ひとをしょすること   人を処すること   72
ひとをつかう   人を使う   260
ひとをつかう   人を使う   294
ひなん   非難   117
ひなん   非難   259
ひなん   非難   265
ひなん   非難   366
ひろきものとしるもの   博き者と知るもの   51
びょうきとちりょうほう   病気と治療法   120
びょうきのこじんさ   病気の個人差   202
ふかいかん   不快感   181
ふかくかんがえる   深く考える   363
ふくり   複利   53
ふこうなひとがおおいりゆう   不幸な人が多い理由   263
ふこうのみなもと   不幸の源   56
ふたつのいちぞく   二つの一族   319
ふたつのこうどう   二つの行動   34
ふたつのこうどうのしかた   二つの行動の仕方   31
ふたりのいきかた   二人の生き方   317
ふるいぱそこんとそふと   古いパソコンとソフト   309
ぶきをもつということ   武器を持つということ   299
ぶりょくをひつようとするざいさんとひつようとしないざいさん   武力を必要とする財産と必要としない財産   70
ぶりょくをもちいるということ   武力を用いるということ   300
ぶんじょうまんしょん   分譲マンション   320
ぷろぐらむ   プログラム   340
ぷろぐらむげんご   プログラム言語   155
ぷろぐらむみす   プログラムミス   279
へいさけい   閉鎖系   57
へいほう   兵法   55
べすとせらー   ベストセラー   326
べすとせらーになるじょうけん   ベストセラーになる条件   375
べつのかんがえかた   別の考え方   193
ほうどうとじじつ   報道と事実   336
ほうりつ   法律   105
ほうりつ   法律   182
ほりょ   捕虜   347
ほん   本   30
ほんのかち   本の価値   403
ほんをよむ   本を読む   183
ほんをよむ   本を読む   188
ぼんじん   凡人   161
まいほーむ   マイホーム   123
まうすときーぼーど   マウトとキーボード   306
まちがい   間違い   172
まんぷく   満腹   271
みしらぬせかいへのたびだち   見知らぬ世界への旅立ち   145
みず   水   74
みること、きくこと   見ること、聞くこと   199
みんしゅしゅぎとせんそう   民主主義と戦争   331
みんしゅしゅぎのこんぽんてきなけっかん   民主主義の根本的な欠陥   314
むい   無為   87
むけいのこころ   無形の心   102
むちのち   無知の知   84
むりょうなほうがかえってすぐれているもの   無料なほうがかえって優れているもの   308
もちいえ   持家   249
もっともこうかてきなこうこく   最も効果的な広告   400
ものがみえないこと   ものが見えないこと   301
ものがわかること   ものがわかること   229
ものをすてる   物を捨てる   328
やくにたつこと   役に立つこと   264
やむをえざるちから   已むを得ざる力   275
ゆうめいなもの   有名なもの   103
ゆーちゅーぶ   YouTbue   394
よきしていなかったはっけん   予期していなかった発見   153
よそくしないこと   予測しないこと   277
よそくしなかったこと   予測しなかったこと   165
よぼういがく   予防医学   32
り   利   17
り   利   243
り   理   365
りえきとつうかはっこうりょう   利益と通貨発行量   121
りがい   利害   35
りがい   利害   107
りにかなうこと   理にかなうこと   125
りにかなうこと   理にかなうこと   126
りゅうこう   流行   47
りゅうこう   流行   142
りょこうあんないしょ   旅行案内書   386
ろうそうのみち   老荘の道   122
ろうひをふせぐ   浪費を防ぐ   381
わすれる   忘れる   176
クレジットカードのポイント   クレジットカードのポイント   379


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1 価値体系
 きちっとした価値体系が失われているというのが現代であろう。儒学や仏教が規定する価値を人々は無視している。俗人の考える価値に従って動いている。そのため価値の変動が大きく、今日価値ありとされるものが、数年後にはもはや無価値とされる。

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2 知識と学問
 今自分が正しいと考えていることを疑い、ものごとを違う角度から見ようとする。これが儒学と、老荘のいう学問だと思う。ただ儒学は先王の道を重んじるから、それを学ぶということを強調する。しかしそれとて無批判、無理解に受け入れよというのでない。思うことを重んじるのである。ところが今の人の学問というのは既成の事実を疑おうとせずに、ただ知識を得ることを目的とする。

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3 大きな誤り
大きな誤りはわかったと信じていることから起こる。

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4 少数派
 40人の人がいて39人が正しいとすることを、1人だけ反対するのは極めてしにくいことである。それでたいていの人は大勢に従うことになる。ところが能のある人というのはいつも少数なのである。大半は無能である。夕日の美しさのわかる人、白波の美しさがわかる人というのはいつも少数である。39人の人がありふれた景色だと言えばそれはありふれた景色になってしまう。

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5 制度に使われる人間
 世の制度というものを見ると、みな人間をある型に規定しようとしている。人間が従で制度が主なのである。けれどよくよく考えてみるに、あるがままの人間のほうが制度の規定する人間よりよいのでないか。自然のままの人間のほうが、大かつ広でないのか。イルカに芸を覚えさせて、人の言うことをよく聞き、芸をするイルカを賢いと言い、そうでないイルカを賢くないと言う。けれど真に賢いイルカとは大海で人に捕まえられることなく自由に暮らすイルカである。制度に使われている人を見るにつけ、私はこの芸をするイルカを思い出す。

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6 交際
 人の交際というもののあり方を酒が如実に示している。酒はよくお客に出される。また何人かそろうと一杯飲みに行こうかということになる。ところが、その本心を聞いてみると、今日は調子がよくないから酒はひかえたかったとか、昨日飲み過ぎたから今日は飲みたくなかったとか言う者が多い。酒は一時的に人を愉快にし雰囲気をもりあげる。それで社交の場で多用されるのである。酒は人を今幸福にして、後で不幸にする典型である。交際というのは、今一時を楽しくすることが重んじられる。

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7 学校教育
 今の世の中で出世するタイプは二つあるように思う。一つは上の人に認められて引き上げてもらうタイプである。もう一つは自分の能力を頼りにして金や名声を得るタイプである。いわゆるサラリーマン社長は前者であり、オーナー社長は後者である。歴史に残るほどの人物は後者が多い。けれど後者のタイプはその個性の強さゆえに前者型の出世はできなかっただろう。大学教授は圧倒的に前者が多い。大学教授はサラリーマンであるということと、能力のある人をポンと教授にすることをしないためだ。教授になるためには大学院を出て、少なくとも何年間か教授に仕え、教授に気に入られなければならない。個性の強い人間は教授に嫌われ、引き上げられることがないのである。こういう学問環境にあると、広い範囲に独創的能力を持っている教授が出にくい。また一つの狭い専門内でも、あまりに革新的な発想はむしろ教授の反感を買う。教授は自らを絶対視している者が多く、新しい考え方を受け入れようとする人が少ないからである。学校教育は上の言うことを早く理解し、早く覚えるということを生徒に強要する。その結果自分で考えて行動しようとする人間がますます少なくなる。学校教育は上に引き上げてもらう成功者はつくるが、自分でことを成す成功者をつくるにはむしろマイナスに働いている。

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8 財産
 財産、市場価値のあるものを増大するにはどうすればよいか。
 一つは暴力で人のものを奪うことである。戦争で人の土地を占領して自分の土地とするのがこれにあたる。
 二つは人を安く雇って、ものをつくらせ高く売ることである。これはマルクスの言ったことである。経営者は原料を買い、労働者を雇って、製品をつくり、それを売って利益を得る。利益の源泉は労働者を実際の値打ちより安く雇っていることにあるというのがマルクスの主張である。労働者は搾取されているというのである。
 三つは安く買って高く売ることである。これは商人や株式投資家のしていることである。商品の値打ちは土地によって違う。安い土地で仕入れ、高い土地に運び、高く売れば利益がでる。
 四つは土地や、海の生産力を利用することである。土地は稲を育て、野菜を育てる。それを売って利益とするのは農民のしていることである。海は魚を育てる。その魚をとり、売って利益とするのは漁師のしていることである。
 五つは人に金を貸し、利子という利益をとる方法である。銀行のしていることである。銀行に預金をしている人も間接的にこれにより利益を得ている。
 六つは価値はあるが市場価値のないものを犠牲にして市場価値のあるものを得ることである。夜遅くまで会社のために働き、時間と健康を犠牲にして高給をもらうのがこれにあたる。
 七つは価値のないものを価値あるもののように思わせ高く売ることである。現在の商品には多かれ少なかれこの傾向がある。商品の宣伝は価値のないものを価値あるように思わせる洗脳である。

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9 市場価値
 市場価値とは、金で売買でき、しかも高い値がつくものである。空気は人間が生きる上に一時も欠くことができないものである。しかしどこにでもあるものだから大金を出して買おうとする者はいない。金で買おうとする者がいないのだから、空気は金で売買できるものでない。金で売買できないのだから、市場価値はないのである。空気は非常に価値があるものだが、市場価値はないのである。このように価値と市場価値は乖離がある。市場価値を持つためにはまず金で売買できるものでなければならない。
 資本主義社会は市場価値の増大をその目的とする。つまり金で売買できるものの増大をその目的とする。ここに大きな問題がある。人間にとっては金で売買できないものが金で売買できるものよりも大きな価値を持つことが多いのである。前の例の空気がそうだし、水、健康、愛、信頼、時間もそうである。資本主義社会は金で売買できるものの増大のみを考えるがために、しばしば金で売買できないが、価値あるものを犠牲にする。空気や水を汚して金になる化学製品をつくる。おいしいからよく売れて金になるが、長い目で見ると人の健康を害する食品をつくる。金を得るために信頼されている人を裏切る。夜遅くまで働いて自分の時間を持つことができない。
 資本主義社会の目的に振り回されると、市場価値がないが価値あるものを失うことになる。かくて多くの人は不幸となる。

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10 資本主義の本質的な矛盾
 プロ野球の勝敗など本来どうでもよいことである。それなのに自分と選手を一体化し、試合に勝つと自分が勝ったような気分になり快感を覚えるためであろうか、多くの人が熱心に応援する。単なるボールゲームから市場価値のある商品がたくさんつくられる。その経済効果はすごいものがある。このように価値の低いものを価値あるように思わせることは大きな利益を生む。このことは現在の資本主義の本質的な矛盾を呈することになる。
 資本主義は財産の増大を究極の目標とする。組織も個人もこの目標のために動いている。財産の増大とは金と金で売れるものの増大である。価値の低いものを価値あるように思わせれば大きな利益を生む。それで本来無価値な商品、それどころか反対に人を害する商品をつくり、これを価値あるもののように思わせることがよくなされる。財産を増大させるために懸命に働いて、金を増やし、その金でたくさんの商品を買う。ところがその商品は実際はそんなに価値がなく、かえって人を害するものも少なくない。それで財産をたくさん持っていること、商品をたくさん持っていることがかえって人を不幸にする。幸福になろうと思ってたくさん財産、商品を持てば持つほど、ますます不幸になるのである。これが現在の資本主義が呈する本質的な矛盾である。
 元来病気は自然になおる。病気になった時まずしなければならないことは何か体に悪いことをしなかったかと懸命に考えることである。その原因をつきとめ、それをやめれば同じような病気にならなくなる。病気でウンウンうなっている時、何が悪かったのかと懸命に考えることが極めて大事なのである。病気は誤りを人に知らせる警告と考えるべきである。人を苦しめるという警告を与えた後病気は自然に治る。その警告を無視し、体に悪いことを続けるなら体がだんだんと害される。ついに死病にかかり死ぬことになる。最初の警告で改めることが極めて大事なのである。
 ところが病気になって生活を改めるだけでは何の経済効果ももたらさない。それで資本主義は金を得るために安い材料から薬という高い製品をつくる。病気になればこの薬を飲まなければならないとマスコミ、専門家を動員して盛んに宣伝する。その結果病気になれば薬を飲まなければならないと誰もが考えるようになる。薬を飲めば病気はなおるものだと思ってしまい、なぜ病気になったのか、何が体に悪かったのかと懸命に考えようとしない。生活を改めようとしないならだんだん体を害し、病気は悪化し、ついに死病にかかるだけである。
 けれど病気の悪化は現代資本主義にとって極めて好ましいことなのである。売れる薬の量がさらに増えるし、手術等の大きな医療行為をすればまた金となるのである。金を生む出すには人が病気になればなるほど都合がよいのである。医療という行為は本来人を健康にするためにある。しかし資本主義の究極の目的である金の増大を得るためには、医療は多くの人を病気にしておかなければならなりのである。人を健康にするのが医療行為であるのに、人が健康になっては資本主義社会の中では生き残れないのである。これが資本主義の呈する本質的な矛盾である。

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11 デフレ
 日本はデフレだと騒いでいる。都市部の地価が下げ止まらない。高値の半分以下となり、財産の半分が消滅した人がかなりいるのである。特に銀行や大企業などの上流階級に損をした人が多い。そのため政府を動かし地価の下落をくいとめようと必死になっている。しかし土地を持たずに預貯金だけの人にとっては、土地が半値になるということは買える土地が倍になったのだから、財産が倍になったのと同じことである。これは喜ばしいことであるはずである。しかしそういう人たちまでもが、金利が低いと文句を言っている。自分の財産が倍になっているとは考えようともしないのである。財産は土地、預貯金、株券、債権、貴金属などの形で保存される。今の日本の状態では預貯金と債券の形で保存した人が一番得をした。利子も考えるなら債券、特に国債で保存した人が一番得をした。土地や、株券で保存した人はその人の判断ミスである。これはその人が責任を負うべきことであり、政府が援助に乗り出すことではない。政府が土地と株券の値を上げようとするのは、国のために国債を買ってくれた人々の利益を害することである。政府は国債を買った人に損をさせるという裏切り行為をし、さらに税金まで使って土地、株券の値段を上げようとする。愚行ここに極まれりである。
記述日 2000年9月17日

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12 内界と外界
 人間が生きるためにはどうしても食べ物が必要である。その食べ物を得るには金が必要である。しかしいくら食べ物があっても胃腸が弱くてそれを消化利用できなければ何にもならない。
 人間の内の世界の内界と人間の外の世界の外界を考えてみるに、内界が主で外界が従でなければならない。胃腸器官が主であって、食べ物は従なのである。
 ところがこの大事な内界を充実させることなく、内界を犠牲にしてまで、外界を求めるのが世の常なのである。金を得るために体の無理を重ねる人、名誉のために懸命に働く人をよく見かける。内界を犠牲にして外界を求めているのである。

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13 生きる
 生きるとは思うことに過ぎない。

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14 人間の存在
 カントの言うようにまず内面世界があり、外界が内面に従うように思う。人間の存在とはその人が思っていることに過ぎない。

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15 人間の穴
 人間は外から何の刺激もなければ自ずと何かを考えるようにできている。ぼんやりとしている時でも何かを思い出したり、考えたりしている。五感に何かの刺激があると、その刺激のために自然な考えが滞りがちになる。人間の穴を開けば人間はかえって無知になるという老子の教えはこれを言っているのだろう。

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16 多読
 人を盲にする最良の方法はたくさん見せることである。人を聾にする最良の方法はたくさん聞かせることである。人を無知にする最良の方法はたくさんの知識を与えることである。人は自分の思っていることしか見ることができない。人は自分の思っているものしか聞くことができない。人は自分の思っているものしか知ることができない。五感を刺激すれば思うことが少なくなる。思うことが少なければ知ることが少なくなる。多読ほど人を無知にするものはない。多く読めば思うことが少なくなる。思うことが少なければ知ることが少なくなる。少なく読んで、深く思うべし。そうすれば多く知る。
 私は大学時代に、昔の人は四書五経を読んでおればよかったから楽であったが、我々はたくさんの本を読まなければならないと教官が言い、現代人のほうがずっと賢いように言うのを聞いたことがある。四書五経を精読し深く思って得た知恵は、新聞、雑誌、本をたくさん読んで得た知恵よりはるかに大きくなることを知らない。

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17 利
 人は利に従って動く故、真にしなければならないことをしない。自分が一人で生きるためにまず何をしなければならないかをとくと考え、まずそれをしなければならない。

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18 智者
 人は金のために働く。金を儲けてどうするかというと物を買う。自動車、家、テレビ、珍味な食べ物などを買う。つまり自動車、家、テレビ、珍味な食べ物のために働いている。これは物の奴隷と言わなければならない。智者は自分を高めるために働く。得た金で物を買わない。その金で人を自分のために働かせる。

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19 一日のリズム
 朝、昼、夕、夜と一日を分けるが、人間の体も朝、昼、夕、夜のリズムを持っている。朝は頭の時間帯である。頭を使った仕事に最もよい。昼は筋肉の時間帯である。筋肉を使った仕事に最もよい。夕と夜は栄養と休息の時間帯である。食事をとり眠るのに最もよい。このリズムに逆らうと頭の働きも、悪くなる。朝にたくさん食べると、消化のために胃腸にもエネルギーを送らなければならない。それで頭の働きが悪くなり、頭の発達が悪くなる。ただ朝にまったく食べないと夕にたくさん食べることになり、私の経験上体に好ましくない。

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20 金の効用
 たいていの人は金のために働く。だから人を自分のために働かせるにはたくさんの金を持つことが必要である。これが金の一番の効用である。決して物を買うことでない。

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21 智者
 人は金を得るために働く。智者は能力を得るために働く。金は能力についてくる。

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22 智者
 人は欲を満たすために金を使う。例えば暑さ寒さをなくするためにエアコンを使う。寒暑が少なくなれば、人間の寒暑に耐える能力が落ちる。それで少しの寒暑でも病気となりがちとなる。病気となればさらに金を使う。よって人は金を使えばさらに金を使うことになる。智者は能力を得るために金を使う。能力は金をもたらす。よって金を使い、かえって金を得る。

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23 智者
 ほとんどの人は人に認められるために動く。智者は人に認めさせるために動く。

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24 行動
 人が正しいと言うことによって動いてはならない。自分の内から生じるやむを得ない力によって動くべきである。

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25 大脳と脳幹
 大脳によって生きるよりも脳幹によって生きることが大事である。なぜなら大脳は誤るが、脳幹は決して誤らないからである。

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26 争い
 争いは縦に勝つようにしなければならない。横に勝つことを求めてはならない。横とは現在の時間に近い点で時間の流れに垂直に切った平面であり、縦とは時間の流れに沿って切った平面である。
 本で言うなら現在は売れてベストセラーだが、十年後は誰も読まない本が横で勝ち縦で負けた本である。現在多くの人が読むわけでないが、十年後も読まれる本が横で負け縦で勝った本である。
 A、B二人の野球をする高校生がいるとする。Aは甲子園をめざして猛練習をし、ついにピッチャーとして全国優勝をした。Bは適宜の運動ぐらいしか野球をしなかったため県内の大会でも目立たなかった。しかしAは肩の酷使が災いし、右手が十分に挙上できなくなってしまった。適度に運動をしたBはもとよりそういうことはなかった。縦の争いでAはBに負けたのである。多くの人は横で勝とうとする。ただ横で勝とうとするため縦で負けてしまう。縦で勝つためには人と争う必要もない。人は縦で勝とうとしないからである。人の捨てるものを拾っておけば縦で勝つことになる。

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27 知恵
 一日に十冊の本を読むことは普通はできない。頭が疲れて働かなくなるからである。一年に十冊の本を読むことは比較的たやすい。一ヶ月に一冊足らずを読めばよいからである。
 十冊の本を読み、消化し、蓄積しておけば、ひとつのできごとを判断するのにその十冊から得た知恵を使うことができる。外から知恵を吸収するには時間がかかる。しかし一度自分の血肉としたものはいつでも使うことができる。
 知恵を蓄えるのは毎日少しずつである。少しだから知恵を蓄えようとしない人とあまり差がないように見える。しかし時間がたつと莫大な差が出てくる。

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28 価値
 価値があるとは多くの場合価値があると思っていることに過ぎない。価値という実体があるのではなく、人が自分の心の中で思っていることに過ぎないのである。
 ここに一株千円の株券があるとする。千円という価値の根拠は多くの人が千円と思っており、株式市場で千円で売れるということである。もし同じ株券が株式市場で五百円でしか売れなくなったら、この価値は五百円になる。もし株式市場で千五百円で売れるようになれば、この価値は千五百円になる。一枚の株券であることはいつも同じである。けれどその会社の利益の推移、時の経済状況により人のその会社に対する評価が違ってくる。この評価の違いが価値を生み、また価値を失わしめているのである。価値という実体があるのではない。人が自分の心の中で思っていることに過ぎないのである。
 利益は価値がないと思っているものを買い、価値があると思うものにして売れば得ることができる。この時価値は人の心の中でつくられているものだということを肝に銘じるべきである。また人の心は変わりやすいものだということも肝に銘じるべきである。人が今は価値がないと思っているが、価値あると思わせることができるものを捜し買うべきである。人の捨てるものを買い、人がほしがるような形にする、あるいは人に価値があるように思わせて売るのが商売というものである。

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29 教育制度
 世の中で正しいとされることはしばしばそれを正しいとすれば一部の人に利益をもたらすからであることが多い。
 現在の日本では教育と称して六歳から十五歳まで、かなりの人は十八歳まで、数学、英語、社会等を強制的に教えこまれる。しかし社会人となってから、中学時の数学や社会の教科書を読みなおしてもっと理解を深めようとする人はまずいない。卒業してしまえばその教育は終わるのである。後にまた教科書を読みなおそうとする人がいないのはその教育が実生活に役に立っていないからである。ではなぜこういう役に立たない制度が維持されているのか。それが多くの人に利益をもたらすからである。
 教育制度は学校の教員、塾や予備校の教師に生活の糧を与える。また教育関連の出版社にも利益をもたらす。学校の成績がよいということは、上の人に従順で上の人の言うことをよく理解することだから、会社組織や官僚組織に都合がよい。学校の成績がよいものを採用しておけば、会社組織や官僚組織は間違いが少ないのである。国家は教育を通じて愛国心を植え込むことができる。強い権力基盤は強い軍隊の上に維持され、強い軍隊は強い愛国心の上に維持される。愛国心を植え込むことはその国の権力者にとって肝要なことなのである。成績がよいというのは人より優秀だという気持を生じさせ、人の虚栄心を満足させる。このように多くの人に利益を与えるから、肝腎の教育される者にほとんど利益のない教育制度が維持されるのである。

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30 本
 本を読んで賢くなると考えてはいけない。本を読んでよく考えてこそ始めて賢くなる。いくら本を読んでもよく考えなければ賢くなることは決してない。本を読むことは単によく考えることの材料を与えるに過ぎない。

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31 二つの行動の仕方
 人の行動の仕方には二つあります。一つは上の人や周囲の人から認められよう、ほめれれよう、仲間として認められようとして動くことです。一つは自分の考えたことによって、あるいは自分の体の欲求によって、あるいは自分の内から生じるやむを得ない力によって動くことです。後者の行動の仕方をしている限り大きな間違いはありません。前者の行動の仕方をしていると非常に危ういです。周囲の人の気に入るように動いているのですが、周囲の人は君のためになるように懸命に考えてくれはしないからです。周囲の人も単に周囲の人に認められるように行動しているか、自分の利益のために言動しているのに過ぎないからです。
 将棋をしていて、相手がある一つの所に駒を進めると相手が勝ち、それ以外なら君が勝つ着手点を君が見つけたとします。単に友好のための将棋なら、勝っても負けてもいいですから、相手がどこに着手するかあまり気にしないし、自分が負けて相手が気持ちよくなるほうが商談がうまくいくと思えば、それとなく相手に着手点を示唆して自分が負けることもあるでしょう。しかし真剣な勝負の時は何とかして相手にその着手点をさとられないようにと願い、またさとられないように言動することでしょう。人間は互いに競争している訳ですから、一人の勝ちは一人の負けなのです。人に勝たせるようなことをわざわざ言動する人は少ないのです。だから人の言動に認められようと動くなら、負けの着手点ばかりをつかまされて負けがこむのです。

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32 予防医学
 救急医療は確かに大事なものである。自分の体を犠牲にしてまで救急医療に従事する医者は貴いものである。しかし彼らには大事なものが欠けている。予防の重要さを知らない。予防医学にとって最も大事なものは適切な食事と適切な運動である。しかし彼らは食事に気をつけようともしないし、適切な運動をしようともしない。このことは何も救急医療に従事する医者にだけ言えることでない。すべての分野にわたる医者に言える。医者のしていることは単に病名をつけ、投薬や手術をするだけである。どうすれば病気にならないかということを教える医者は少ない。病気にならない方法は医者自身が知らないのである。

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33 間接体験
 小泉議員が総理大臣に選ばれたというニュースがある。このニュースはどのように伝わってくるのであろうか。まず衆議院での総理大臣指名選挙で小泉議員が他の議員よりもたくさんの票をとったという事実がある。その事実をマスコミ関係者が実際に見て、あるいは他のマスコミ関係者から聞いて新聞、テレビ等のマスメディアを通じて流す。それを私たちが読んだり聞いたりしてニュースを知ることになるのである。ニュースを知るにはマスコミ関係者という人間を経由しているのである。自分の五感でその事実に接した実体験でなく、人の口から聞いた間接体験に過ぎないのである。
 ここにAという一人の人がいる。その人を一番よく知るにはその人と何年も一緒に暮らすことである。自分の五感でその人の行動、言語に接するのだからその人を一番よく知ることになる。一人の人を知るのに何年もかけることができないなら、実際にその人に会って話をすることである。その人の話だけで判断するのだから誤ることも多いが、その人に実際に接した実体験に基づいている。その人に会うこともせずに、他の人の言う噂話で判断したらどういうことになるか。これは他の人の言うことで判断しているのだから間接体験である。人は自分にとって都合のよい人はほめ、都合の悪い人はけなすものだから、その人の実像が伝わりにくい。またAが偉い人だとしてもそれを見る人にそれを見抜く力がないなら単に凡人、奇人に過ぎないと思う。凡人、奇人という人の評価をうのみにすればその人の実像を誤ることになる。
 原物が月の容量のような大きな液体であったとしても、それを注ぐ器が一リットルしか入らないなら、原物は一リットルの液体に過ぎなくなる。間接体験は原物を見ているのでなく、それを介した人に理解しえた原物、それを介した人に都合のよい原物を見ているのだということを銘記しなければならない。

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34 二つの行動
 自分で深く考えて動く時、天がくれた心を用いて動いているのである。自分の心身は自分の生存を維持するために懸命に考えている。自分を害することなど命ずるはずがないのである。
 他人の考えで動く時、他人の考えは他人を益するために考えられたものだから他人を益するために動いている。それでしばしば自分を害することになる。多くの人は自分が人にほめられよう、自分が人に認められよう、自分を仲間として扱ってもらおうとして動く。これは他人の考えで動いているのである。自分を害し不幸となる。

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35 利害
 腐ったものを摂取すれば体を害します。酒も多量に摂取すれば体を害します。同じように体を害するのですが、腐ったものの摂取が原因となって死んだ人よりも、酒が原因となって死んだ人の数が有史以来はるかに多いのです。なぜでしょうか。腐ったものを口に入れれば変な味がし、まったくおいしくありません。それで多量に摂取しようとしないのです。多量に摂取しようとしないから重い病気となることは少ないのです。酒は多くの人にとって、口に入れればうまいし、愉快にもなります。それでつい飲み過ぎ、多量に摂取します。多量に摂取するから重い病気を引き起こすのです。これは人間がどういうものに害されるかをよく示唆しています。一見して不快で嫌なものは人は避けようとします。だからその害を免れるのです。一見して快を与えるものは、その快のために近づき、その快の中に潜む害によって大きく害されるのです。
 人を害そうと思えば、その人が利と思うものを与えるのが鉄則です。決してその人が害と思うものを与えないのです。嫌いな人がいてその人を害してやろうとすると、人はよくその人を面と向かって非難します。その人がどんなに自分より劣っているか、どんなに間違っているかを言い散らします。これでその人を害していると思っているのです。非難された人は自省し間違っている所は改め、劣っている所は努力して能力をつけようとするでしょう。それでより正しくなり、より有能になります。これはその人を害しようとしてかえってその人を益したことになったのです。人を害しようと思えば決して腐ったものは与えません。酒を与えます。酒の利に溺れその利に潜む害にやられるのをじっと待つのです。利ほど害なるものはなく、害ほど利なるものはないのです。

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36 情報と幻想
 今BがAに叩かれたとします。この叩かれたということは確かに現実に存在する事実です。頭の中にだけ存在しているものでありません。今AがBを勝手な人だと評価したとします。Bが勝手な人だということは現実に存在するのでしょうか。これはAの頭の中に存在するものに過ぎないのです。Bという人間は確かに現実に存在する事実ですが、「Bは勝手な人だ。」という評価はBという実在の人間をAの頭の中で評価したものに過ぎないのです。いくらか月日が経ち、AがBの別の面を知れば「Bは勝手な人だ。」という評価は変わってきます。また同じBという人を評価しても、Cは勝手な人だとしないこともよくあります。つまり「Bは勝手な人だ。」ということは一種の幻想なのです。「Bは勝手な人だ。」と思い、AがBを叩けば、これは現実に存在する事実となります。つまりBの幻想は一つの事実を生み出したのです。
 世の中で言われている事実とは単なる幻想に過ぎないことが多く、この幻想がよく真の事実を生み出します。太平洋戦争前に日本がアメリカを勝手だと非難したのも、アメリカが日本を勝手だと非難したのも一種の幻想に過ぎません。しかしこの幻想が数百万人の死者という傷ましい現実となったのです。
 私たちが得る情報とは単にそう思っているだけの幻想に過ぎないものが多いのです。ところが人はこれを事実と思っています。事実と幻想は峻別しなければなりません。

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37 書くこと
 本を読むことの重要さを言う者は多いが、文章を書くことの重要さを言う者は少ない。多読するだけではものにならず、それをよく考えなければならない。文章を書くことはよく考えることの大きな助けとなる。

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38 真理と俗言
 周囲の多くの人に正しいとされたら正しいとか、上司の人に正しいとされたら正しいとか私たちは考えがちである。これが大きな間違いのもととなる。試みに十〜二十年前に周囲や上司の人が言ったことが正しかったかどうか考えてみるがよい。誤っているものが多いことがわかる。真理は時と場所を変えてもなお正しいものである。俗言は一つの時、一つの場所に於いてのみ正しいものである。

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39 人生の勝負
 モハメドアリはリング上で勝つために懸命に戦った。実際彼は何度も勝ち。世界チャンピオンになった。しかし後にパーキンソン病となり動くことも十分にできない体になった。今リング上に立てばボクシングに素人の一般人にも負ける。モハメドアリは時の流れのいくらかの点で世界で最も強かったが、別の多くの点で一般人よりも弱い存在になったのである。
 私達は時の流れを止めてしまってただ現在という一瞬で勝とうとする傾向がある。今していることが後にどんな結果をもたらすかをあまり考えない。しかし人生の勝負とは今一点だけではない。十年後も二十年後も三十年後も勝負があるのである。人生の勝負とはむしろ後で勝つことが大事なのである。

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40 真に正しいこと
 真に正しいかどうかは多くの人がそれに賛成し同意するかどうかで判断すべきでなく、時間を経た時になお正しいと考えるか、あるいは効果があったと考えるかどうかで判断すべきである。

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41 機会
 また後でできる機会があるだろうと思ってしないことがある。今と同じ機会がまたあるだろうと思うのは単なる推測である。推測はしばしばはずれるものである。機会をみつければすぐにしなければならない。

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42 常が無い
 私達は今の状態に慣れてしまっている。今の状態がずっと続くものと信じてものごとの予定をたてている。だから今の状態が変化すれば予定は根本から崩れる。人は今日目が見えるから、明日も目が見えるに違いないと思っている。人は今日癌でないから、明日も癌でないに違いないと思っている。そうではなく、今の状態は必ず変わるのである。諸行は常が無いのだとの前提の上に予定を立てなければならない。

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43 自分の心
 自分が持っている一千万円の金をポンと人にあげる人がいくらいるでしょうか。汗水たらして稼いだ金ならなおさらのことです。ところが自分が持っている大事な心をポンと人にあげてしまう人が大勢いるのです。自分の評価を他人の意見によってしようとすることは、自分の心をポンと他人にあげてしまうことなのです。

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44 大脳
 大脳の特徴は考えたことを記憶することである。同じ一時間を過ごすに、Aは飲み食いして過ごし、Bはものを深く広く考えて過ごしたとする。Aはおいしいという感覚が強い。このおいしいという感覚に阻まれ、あまりものを考えることができない。それで大脳の記憶として残るものが少ない。深く広く考えたBは多くのものを記憶する。つまりその能力がより向上する。

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45 交換
 世の中の活動は多く交換行為でなり立っている。会社で働くという行為は自分の労働と自分の時間を提供してお金というものをもらっている。つまり自分の労働、時間とお金とを交換しているのである。家を建てるという行為は自分のお金と家を交換しているのである。
 ものを交換する時双方が得をすると思うから交換が成り立つ。双方が得をする交換はあるのだろうか。当然ある。それは人間はひとつのことに習熟するのに時間がかかるからである。自分の得意なものを提供し自分が不得意なものをもらう交換は双方が得をするのである。しかし一方が得をすると思っているだけで実際は損をしている交換も多い。金のために懸命に働いて、無理がたたり、重い病気になって亡くなる場合がこれになる。自分の命と金を交換したのである。
 経済活動とは交換活動である。一見得と見える交換が本当に得なのか、長い目で見て得なのか、得に伴う失がないのか、入念に吟味しなければならない。

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46 資産家
 資産家とは交換できるものをたくさん持っている人である。単にものをたくさん持っている人でない。同じ千円のものでも、次に売る時にやはり千円で売れるものと、半額の五百円でしか売れないものとでは経済価値は同じでない。経済価値=価格×交換率 千円のものでも次に売る時に五百円でしか売れないものは交換率が0.5である。経済価値は1000×0.5=500 五百円となる。
 ものを買う時、今の価格とともに次に売る時にいくらで売れるかと考えなければならない。次は安い値段でしか売れないか、まったく売れないものは、その経済的価値減少に見合うだけの得るものがあるかどうかをよく考えなければならない。

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47 流行
 流行に走る人が多い。人のしているようなことをしようとするのである。こういう人は価値というものの本質を知らない人達である。数が少ないものは価値が出て、数の多いものは価値がなくなる。みんなが持っているもの、みんながしていることは数が多いから価値がなくなるのである。好んで価値のないものを得ようとする、愚かと言うべきである。

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48 医者の学閥
 医者の間では学閥が強い。不合理なことのように言われるのだが、なくなろうとしない。なぜだろうか。学閥というのは大きなメリットを持っているからである。医者のする治療法や主義は一面は合理性を求めてなされる。もう一面は人と同じように、上の医者に教えられたようになされる。自分のしている治療法や手技が正しいという根拠は、かなりの程度他の医者と同じようにしているということなのである。同じ大学の医局出身の医者は同じような治療法や手技をする。同じような治療法や手技を学んでいるからである。同じであるということが、かなりの程度自分が正しいという根拠なのである。他大学の医局出身の者が違う治療法や手技をすると、自分と違うから自分のやり方が否定されたように思う。それで排斥しようとする。本当はそれが合理的かどうかと考え、いい所は取り入れなければならない。それをせず自分のしていることは正しいと思いたがるのである。自分と同じ治療法や手技をする者が徒党を組み、同じであるということで自分を肯定する。これが学閥が強い理由である。

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49 知識と知恵
 日本食、中華食、欧米食、インド食、アフリカ食といろいろ食べあさると人間の体は健康になるだろうか。むしろ体のバランスを崩す。毎日毎日、昔風の日本食を食べているほうが健康である。いろんなものを食べるということと健康になるということは別であると知るべきである。
 今の世の中にはいろんな情報があふれている。テレビ、新聞、雑誌、インターネット、周囲の人の話を通じていろんな情報がもたらされる。いろんな情報を得ていると人間は賢くなるのだろうか。そうではない。情報はむしろ人の知恵を殺すのである。今、敵がこのように布陣しているという情報が入ってくるとする。同じ情報を凡将とナポレオンが得たとしても、じゃあどう動くかという判断は違ってくるのである。このどう動くかという判断が知恵である。毎日毎日たくさんの情報をあさっている人と毎日毎日孫子を読んでいる人とでは、この判断力、知恵は後者のほうが上なのである。知識ほど人を愚かにするものはないのである。

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50 知識と知恵
 木を植えその四方を1メートルの頑丈なもので囲んだとする。これはコンクリートのように固いのだけれど、光は通るし、雨水も通るし、空気も出入する。木はこの固いものに囲まれているために1メートル以上は絶対に成長できない。
 凡人はこの木のようである。毎日たくさんの知識が耳から入って来るから、その知識で1メートル四方に囲まれてしまっている。その内なる知恵がどんどん伸びようとしてもこの固い囲みのために1メートルより伸びることができない。

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51 博き者と知るもの
 博き者知らず、知る者博からず。

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52 為替
 一国はそれぞれ政府があって、一応その指導のもとに秩序が維持されています。ところが世界で見ると、それぞれ各国の利害で動き、その秩序を保つ強力な権力がありません。今の世界で一番の強国はアメリカですが、アメリカの大統領と雖も、他国民は自国民のように動かすことはできないのです。この無秩序は経済の世界でも同じことです。世界の経済で一番無秩序なのは為替です。各国の通貨は自国内で見ると、価値の基準として確固たる権威を持っているのですが、世界で見ると、通貨の価値は大きく変動しています。為替を統制する強力な権力がないからです。
 利益を得る鉄則は価値の低いものを買い、価値の高いものを売ることです。同じものでも地域間に価値のばらつきがある時、安い地域で買い、高い地域へ持って行って売れば、利益になります。同じものでも時間の経過によって価値のばらつきがある時、安い時に買い、時の経過を待ち、高い時に売れば、利益になります。利益を得るには、価値のばらつき、価値の変動が必要なのです。権力が強力な価格統制をしているような所に利益は出ません。為替はそれを統制する強力な権力がなく、その価値は大きく変動します。利益が出やすいのです。

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53 複利
 蓄財の時、お金を借りる時、銘記しなければならないのは、複利ほど恐いものはないということです。0.01%の利率というとわずかに見えます。1000万円あったとしても、1000円の利子です。ところが、毎日0.01%の利子がつき、これを複利で回したとしましょう。1年で3.707%になります。元本1000万円とすると、370,700円の利子です。毎日1%の利子がつき、これを複利で回したとすると、1年で3640.934%になります。元本1000万円ならが3億6409万円の利子です。莫大な利子が生じるのです。また毎日1%の利子の複利という利率で、一年間1000円のお金を借りたら、一年後に3万6409円の利子を取られます。1000円しかお金を借りていないのに、利子として3万6409円取られるのです。たとえ少額であっても、これを複利で多くの回数回せば、大きな金額になるのです。複利ほど恐いものはないのです。

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54 慣れ
 人間が大きく誤るものに慣れと類推があります。例えばAは就職試験に2回続けて落ちました。それがために、十回も二十回も落ちるように思い、落ち込んでしまいました。2回続けて落ちれば、それに慣れ、何回も落ちるように思うものなのです。株価も下がり続けるといつまでも下がるように思います。ほとんど動かなかった株が急に二十円も上げると、明日も二十円上がるように思います。人間は今起こっていることに慣れ、それから類推し、それがいつまでも続くように思うものなのです。けれど世の中はそうは動かないのです。諸行無常というのが事実なのです。つまりすべてのものは常がなく、移り変わるものなのです。

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55 兵法
 兵法は奇正に過ぎません。奇兵とは相手の気づかぬ所を攻めることです。どうして相手の気づかぬ所を攻めることができるかと言うと、相手に求めるものがあるからです。前に求めるものがあれば、後ろに気づかぬ所ができます。右に求めるものがあれば、左に気づかぬ所ができます。それで奇兵を置くには相手の求めるものを詳細に知ることが大事なのです。相手に求めるものがあれば、それを得ようと動きます。相手がほしいと考えることは心の中の動きですから、外からはわかりにくいです。しかしその動きは外に表われるわけですから、わかりやすいのです。つまり相手の動きを詳細に見れば、その求めるものがわかります。相手の求めるものと動きがわかれば、その気づかぬ所に奇兵を置けばいいのです。争いの時、相手の動きを詳細に見ることほど大事なことはありません。動かない相手はその求めるものがわからず、難しい相手です。相手の求めるものがわかれば、その道程に害あるものを置いたり、動きと反対の手薄な所を攻めます。すべては相手の動きを知ることから始まるのです。

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56 不幸の源
 自分の内からの力に従い、やむを得ずして動くのでなくて、外の物を求めて動くことが、諸々の不幸の源である。例えば、多くの人は人にほめられようとして動く。けれど人がほめることは、必ずしも自分に益をもたらすものでない。将軍は自分のために命を捨てて戦う者をほめる。それで将軍のほめるように動けば、身を害することになる。会社の社長は給料以上によく働く者をほめる。それで残業を繰り返して、健康を害する者が出てくる。

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57 閉鎖系
 自分の体は一つの閉鎖系である。この閉鎖系は自分を正常に保つために動いている。しかし完全な閉鎖系ではない。空気、食物という外の世界との交流がある。またこの交流がなければ生きていけない。ほぼ閉鎖系であるのに、食物、他の人の考えという閉鎖系外のものがたくさん入ってくるとその閉鎖系は自ずから存在している閉鎖系内の道理に従って動きにくくなる。外物の存在が大きくなるため、自分の内在のものの存在が小さくなってしまうのである。これは自分という閉鎖系にとって危険な状態である。自分という閉鎖系は十分に機能しなくなるのである。

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58 多数決
 多数決は多くの人が正しいとすることを正しいとする。民主主義は多数決を原則とする。それで民主主義制度とは多くの人が正しいと思うことに従う制度である。ここで根本的な問題がある。多くの人が正しいとすることは本当に正しいのだろうか。
 夏は暑く、冬は寒い。たいていの人はこう感じる。寒暑の感覚に極端な差はない。だから気温が30度近くの時暑いかどうかで多数決をとれば、まず正しい結果となる。
 今高等数学の専門家に高等数学の講義をしてもらい、少し数学を知っている人に中学程度の数学の講義をしてもらう。一般の人はどのように反応するだろうか。わかりやすい初等数学を正しいとし、難解な高等数学はわからない故に嫌うのでないだろうか。人は自分のわからないもの、自分の嫌うものを正しくないとする傾向があるから、高等数学を正しくないとするのでないだろうか。遠慮深謀という言葉がある。人の考えない先のことまで考え、人の考えない深い所まで考えていることを言う。この遠慮深謀を知恵の浅い者は理解することができない。たいての人は目の先の利害のみを考えて動いている。こういう人に遠慮深謀を言っても、理解されないから、正しくないとされだろう。
 寒暑のような単なる感覚に近いことは多数決でも正しい答えが出る。しかし遠慮深謀を必要とすることは、理解されないから正しくないとされ、浅薄な考えが正しいとされる可能性が高い。

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59 自己資金以上の事業
 事業をしようとする時、元手を自己資金内にするのと自己資金以上にするのとの二通りがある。自己資金以上にするのは借金をするのである。銀行から借りたり、株式を発行したりする。株式の発行も他人の金を使うのだから借金の一種である。元手を大きくすれば、当然儲けも多くなる。そのかわり損失も多くなる。ハイリスクハイリターンになるのである。やっていることは少額の金を元にして大きな取引をする株の信用取引や、商品先物取引と同じである。信用取引や先物取引で勝ち続けることが難しいのと同じように、事業も勝ち続けることは難しい。過去に大成功した企業も失敗し、凋落することが多い。ダイエー、西武百貨店、三菱自動車と危機に面している。
 自己資金内ですれば、失敗しても自分の金を失うだけである。他人に金を返さなくてよいから気楽である。しかし自己資金内ですると、どうしても規模が小さくなり、世間の耳目を引くことが少ない。世にもてはやされる経営者は元手を大きくして、たくさんの人を雇い、大きな事業をして成功した人である。しかしその多くはやがて大きくつまずく。自己資金内で事業をしているような人は世間の注目を浴びることはないが、堅実な世渡りをする。
 今の企業を見ると、自己資本利益率が1%を割る所が多い。その企業の資産をすべて売り払い、従業員をすべて解雇し、負債をすべて払い、残った資金を十年国債に投資すると、1%以上の利子が得られる。しかもこれは社長として懸命に働くこともなく得ることができる利益である。外債を買うなら、5%の利益を得ることもできる。単に金儲けだけを考えるのなら、事業をするより、国債で運用したほうが有利なのである。
2004年7月16日記述

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60 土地と貴金属
 土地という財産と貴金属という財産では何が本質的に違うのでしょうか。土地を持っているとは、その土地を優先的に使用する権利を持っているということですが、この権利を保証しているのは国なのです。もっと詳しく言うと国の武力でこの権利が保証されているのです。だから国が滅べばこの権利もなくなります。日本が米国に戦争で負けた時に、多くの地主が土地を失ったのはこの例です。ところが貴金属を持っているというのは国がその権利を保証しているわけでありません。貴金属を山中に隠してあった人や、貴金属をスイス銀行に預けていた人は、日本が戦争に負けてもその貴金属を失うことはないのです。土地を多く持っている人は必然的に愛国者になるのです。国が負ければ、自分の財産も失ってしまうのですから。人がなぜ財産を持とうとするかというと、それは自分や家族を益し、自分や家族を守るためです。無一文では生きることが非常に難しくなります。自分や家族を守るための財産が国家に頼らなければ維持できないのでは、財産としての価値は半減します。なぜなら国家は自分の思うように動かないからです。国家の権力者に殺された人は枚挙に暇ありません。

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61 人の行動
 人は行動する時正しいと思って行動する。あるいは幸福になろうと思って行動する。殺人をする時でさえ、人は自分を正当化して行動する。ところが物事がうまくいかないことが多い。あるいは不幸になることが多い。理由は簡単である。正しいと思っていること、幸福になると思っていることが間違っているからである。なぜ間違うのだろうか。一番多いのは人と同じことをしているから正しいだろう、幸福になるだろうと思い、深く考えないことである。

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62 殺人
 人間が他人を殺す動物であることは間違いない。過去のどの時代でも、どの社会でも、人を殺す殺人者はいた。殺人者から自分の身を守るために権力者の武力が必要であった。人は誰でも人を殺したいという情念を持っている。しかしこれはたいてい理性と慈悲の心で制御されている。ところが自分の内に従わすに、集団心理で動く時、この情念が出やすくなる。戦争は大勢でなされる。多勢のほうが勝ちやすいためである。しかし大勢で動くために、集団心理が出やすい。これがために普段では考えられない殺人を平気ですることになる。

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63 外物の取り入れ
 健康になるには、選別したよいものをよく噛んで食べることである。質の悪いものを食べれば、体に害となったり、栄養分が不足したりする。よく噛んで消化しなければ血肉とすることができない。
 賢人になるには、選別したよい情報をよく考えて取り入れることである。質の悪い情報に接すれば、誤ったり、考えが狭くなったりする。よく考えなければ、自分の血肉とすることができない。

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64 お金をためること
 お金をためることは風呂に水を入れるようなものである。一番大事なのは下から一滴ももらさないようにすることである。もれてさえいなければ、たとえ一滴ずつ入れたとしても必ずたまる。お金をためるというと世間の人はたくさんかせぐことばかりを考える。それでいて無駄な出費をしていないかと懸命に考えることをしない。どんなにたくさん水を入れたとしても、下からザーザーともれればたまることは決してないのである。

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65 常識
 常に大きくなる木を植える。それに1メートル四方のコンクリートのように固い箱をかぶせる。この箱はコンクリートのように固いのだけど、透明で太陽光は自由に注ぐことができるとする。水も十分量与える。さてこの木は1メートル以上成長することができるだろうか。その固いおおいのため、決して1メートル以上に成長することができない。
 人は自分が周囲と同じだと安心する。自分の属している集団で認められようとして生活する。これはその人に集団の常識という箱をかぶせるのと同じである。その人はその常識という小さな箱以上に決して成長することができない。

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66 刑事罰と天罰
 刑事罰を受けた者は前科者として人に蔑まれる。けれど病気をした者は何ら蔑まれることはなく、むしろ運が悪かったとか、大変だっただろうと同情される。しかし病気とは間違ったことをしたがために、天が下した刑罰でないのか。
 民法や刑法は人間がつくったものである。また時の権力者の同意のもとにつくられたものである。それで法律は権力者の統治に都合のいいようにつくられている。また人間のつくったものだから、不合理な面が残る。つまり法律とはかなり不完全なものなのである。この不完全な法律により、悪と評価され罰せられたとしても、これもまた不完全と言わざるを得ない。道理の面から考えて間違っていることも少なくない。また単に権力者に都合が悪いために悪人にされていることもある。
 病気とは体の理に逆らう生活を続けたために、体がついにこらえきれなくなって起きた状態である。(ただし先天性の遺伝疾患を除く。)病気の原因は体の理に逆らうことをしたことである。それを天が罰しているのである。しかもこれは天の道理によって下された罰である。天の道理は完璧である。完璧の道理に従って下された判断は完璧に正しい。

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67 知識
 人間の考えることは盲人が象をなでるのに似ている。自分がなでた所が象のすべてだと思っている。知識に従って生きるとは、一盲人の言うことにより、象全体を判断することと同じである。危ういことである。

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68 国家と土地
 国家とは土地の権利を守る必要から生まれた所があります。他人が勝手に自分の土地を使うことを防ぐために武力を必要とするのです。土地を持っている人は国家とか大名の武力を必要とするのです。
 北朝鮮が日本に攻めてくるかもしれないから防衛力が必要だと騒いでいます。日本の武力だけで守る自信がないから米国の武力に頼ろうとしています。日本が占領されて一番困るのは、たくさんの土地を持っている人達です。土地を持っていない人は北朝鮮が占領すれば支配者が北朝鮮人にかわるだけです。北朝鮮人に支配されることが嫌なら、他の国に移住すればいいだけです。もっとも見知らぬ異国で暮らすというのはかなり不安がありますが。

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69 戦争
 戦争というのは大部分土地の奪い合いのためになされて来ました。できるだけたくさんの土地を自分のものにしようとする欲望、自分の土地を守ろうとする欲望、それがぶつかり合い、殺し合いをして来たのです。

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70 武力を必要とする財産と必要としない財産
 土地という財産はそれを守るのに武力を必要とします。土地の所有者は国家の武力に頼ってその財産を守っているのです。
 財産の中でも貴金属はそれを守るのに武力をあまり必要としません。隠すことができるからです。山中に分散して埋めておけば、守ることができます。
 現在では銀行制度が発達していますから、世界中の銀行に預金しておけば、自分の国とその銀行のある国が戦争状態にならない限り、財産は守ることができます。預金という財産もそれを守るのに武力をあまり必要としないのです。

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71 財産の意味
 非常に大事なことは、財産とは自分を守るために、自分を生かすために、自分の夢を実現するためにあるということです。決して財産のために自分を傷つけてはならないのです。この簡単明瞭なことが人にはわかっていないのです。
 戦争は土地という財産のために、自分を傷つけ、命さえなくしているのです。夜遅くまで残業する人は金という財産のために自分の健康を傷つけているのです。財産のために自分を傷つけるほど財産は価値を持たないのです。

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72 人を処すること
 人を処する上に大事なことは、人が今喜ぶことをしても、将来それがために困ったり苦しんだりすることになれば、怒ったり不平を言ったりするということである。凡人は一時一時の利害で動く故、過去にそれがよくても、今悪くなれば不快になるのである。それで人を処するには、そのことが長い目で見てよいかどうかを判断し、長い目で見てよいようにその人を処さなければならない。将来よいと思えば、今現在怒ることもしなければならないのである。

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73 時間
 病気になると、ほとんどの人は治療して少しでも長く生きようとする。しかし健康な時に時間を惜しむ人は少ない。健康な時に時間を惜しめば、治療して命が伸びる時間ぐらいは十分に出てくるだろうに。

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74 水
 水には学ぶことが多い。兵を語る時も水の動きによく学ぶべきである。火は熱くて、焼かれると痛いから、人は誰でも気をつける。ところが水は何も人を害しないように見える。暑い時に水の中に入ると気持ちがいい。それで人は好んで水の中に入って来る。ところがひとたび水に囲まれると、泳いで逃げることができなければ息ができないのだから、窒息死する。一見した所自分を益してくれるように見えるのに、一瞬にして大きな害を与える。これはまさに孫子の兵法である。

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75 能力
 私達は普通人にほめられることをしたり、多くの人がいいと言うことをしたりしている。それで人がけなすこと、多くの人に悪いとされることは、する人が少なくなる。する人が少ないことをしておれば、多くの人にはできない特殊な能力が身につく。やがてその能力は数が少ないから値打ちが出る。このように価値あるものとは、むしろ価値なきものから生まれる。人が価値あるとするものは、皆がそれに走るために、数が多くなりやがて無価値になる。
 多くの人にけなされる。こんなにありがたいことはない。多くの人がけなすことはたいていの人はしない。人がしないことをすれば、人のできないことができるようになる。人のできないことができるのだから、やがて値打ちが出る。
 多くの人にほめられる。これは問題である。多くの人がほめることは、たいていの人がする。人と同じことをしておれば、人と同じことしかできなくなる。人と同じことしかできない人間はやがて値打ちがなくなる。

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76 判断ミス
 私達は判断する時、まずそのことを自分の五感で観察する。五感で得た情報を、記憶している情報を参考にして、判断する。判断ミスは次のどれかで起こる。
1 五感の観察が不十分でそのことを十分に把握していない。
2 記憶している情報が誤っている。
3 記憶している情報の使い方が誤っている。

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77 知識と知恵の違い
 「AはBである」というひとつの考えがある。これが真に正しいかどうかはわからないが、これが正しいと固く信じるとこれがその人の行動原理となる。「CはDである。」「EはFである」と次々とこういう考えを増やすことを知識を得ると言う。「Aは真にBであろうか」と疑い、「AはBでなく、AはGである」という結論を得る。これを知恵を得ると言う。知識とは二つの概念の結合である。誰もが当然と思っている概念の結合を疑い、新しい概念の結合得るのを知恵と言う。
後ろの急峻な山を見て、敵は攻めてこないと誰もが信じる。急峻な山=敵は攻めて来ないという概念の結合を持っているのである。急峻な山だけど真に攻めることができないのかと疑う。攻める方法が見つかれば、急峻な山だけど、敵は攻めてくることができるという新らしい概念の結合を得る。この新しい概念の結合が、誰も考えていないものである時、それは知恵になる。源義経の一ノ谷の合戦がこれである。義経だけが、急峻な山だけど、攻めることができるという知恵を持っていたのである。
 古来知恵者はその時代の異端であることが多い。これは偶然でなく、知恵者の本質である。知恵とは誰もが考えないような新しい概念の結合を得ることであるからである。

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78 考える
 ものをよく考えないと、ただ表面だけを見てものを判断してしまう。

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79 金メダル
 私達がよくする間違いは、ただひとつのことをほしがり、それを得た時に付随して来るものがあることを考えないことです。たとえばオリンピックで金メダルを取りたいと思います。するとただこの金メダルのことのみを考え、金メダルを取った時に付随して来ることを考えないのです。金メダルを取れば、有名人になりますから、マスコミが追い回すようになります。プライベートがなくなってしまいます。次回もいい成績を出さなければなりませんから、厳しい練習を続けなければなりません。競争のためにする練習ですから、体に極度の負荷になり、健康に大きなマイナスになります。金メダルを取るのはいいことですが、プライベートがなくなり、健康を害し、その健康を害する練習をまた続けなければなりません。金メダルをほしがる人はこの付随するものを知って、金メダルをほしがっているのでしょうか。

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80 知恵
 ここにAとBがいます。二人はCという人の下で働いていました。今度二人を転勤させることになりました。ひとつの土地は冬も気温が10度を割ることなく、夏も25度を越えることがない甲という所でした。もうひとつの土地は冬はマイナス20度まで下がり、夏は30度を越える乙という所でした。AもBも温暖な甲へ転勤になりたいと思いました。CはAを嫌っていたということもあったのでしょうか、Aは乙に転勤になり、Bは甲に転勤になりました。
 3年の後、AもBもまた元の所へ帰ってきました。Bは温暖な所で暮らしましたから、そう苦労することもなく、のほほんと暮らしました。Aは冬の厳寒に苦しみました。また家の防寒設備が十分でなかったため、Aは防寒のために必死に工夫をこらしました。その結果新しい防寒器具に思いつきました。こちらへ帰ってから、Aはその新しい防寒器具を売り出しました。それがあたりかなりのお金を儲けました。AはなぜBのできないことができたのでしょうか。それはAが厳しい環境におり、その環境で生き抜くために、必死で頭を使ったからです。
 私達はとかく自分の感覚に快い環境を好み、それを争って求めます。温暖な所に住みたがります。人にほめてもらいたがります。おいしいものを食べたがります。ところが自分の能力を高めるのは逆に自分の感覚に不快なことなのです。寒いところに住めば、体は寒さに強くなり、防寒の知恵が身につきます。粗末なものを食べれば、粗食でも生きていける体力が身につきます。人に悪口を言われれば、発奮するからかえって能力が身につきます。
 中国は北の夷狄に苦しみました。蒙古や清のように中国全土を占領したものもいます。ところが南の夷狄にはそんなに苦しんでいません。中国全土を占領したような南の夷狄は皆無です。なぜでしょうか。北の寒い所に住む者は気候が厳しいために心も体も鍛えられます。悠長にしていては生きれません。それで心も体も発達し、強力な敵となるのです。南は気候が穏やかで、作物も豊かです。悠長な生活をしていても十分に生きることができます。それで心も体もあまり鍛えられません。中国全土を占領するほどの知恵と体力は出てこないのです。

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81 組織と個人
 兵は法のあるほうが強いです。一人の指導者のもとにまとまりのある組織と烏合の衆が戦った時、まとまりのある組織が勝ちます。かなりの数がいても烏合の衆では勝てません。だから勝ち組は一人の指導者のもとにまとまりのある組織が多いのです。しかしこれは必ずしも、その指導者の言うことが正しい、理にかなっているということを意味しません。理に反したことであっても、まとまっているという強みのために、まとまりのない組織に勝ってきたことがあるからです。
 組織は秩序が必要です。秩序がなければまとまらないからです。この秩序は上意下達によって維持されます。上意下達に従うことにより、組織の秩序が維持され、そのまとまりがまとまりのない組織を圧倒するのです。しかしこの上意は必ずしも正しい理にかなっているということを意味しません。理に反したことであっても、まとまっているという強みのために、まとまりのない組織に勝ってきたことがあるからです。
 組織の上意下達は絶対でなければなりません。たとえ下が不審に思っても、その命に従わなければならないのです。なぜなら下がもっともと納得するような命令は、他の組織の人ももっともと納得します。万人が納得するということは、並みの考えしかできない指導者であるということを示しています。遠慮深謀の指導者の発する命令は下が不審に思います。その深謀が理解できないからです。不審に思っても命令だからと従っていると、組織としてのまとまりもでき、その遠慮深謀が他の凡庸な指導者の組織を圧倒するのです。
 組織の一員である時、上意下達に従わなければなりません。これに従わなければ組織の秩序が維持できないからです。しかしこの上意下達は組織を益するが、自分自身は必ずしも益しません。またこの上意下達に従うだけでは決して指導者になれません。一生組織の歯車の一つです。自分が指導者になりたければ、また自分の身を守りたければ、自分で考え自分で行動しなければならないのです。つまり組織の一員は上意下達に従わなければならないのだけど、上意下達の及ばない所では、身を守るために自分で考え自分で行動しなければなりません。

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82 指導者
 人間は脳だけでは生きれません。脳の命令に従う手、足、内臓が必要です。社会も指導者だけでは機能しません。指導者に従うだけの手、足、内臓となる人も必要なのです。このためでしょうか、自然は大多数の人をただ命令に従うだけにつくっています。大多数の人々は自分の属している組織の常識を疑うことなく、ただそれに従っています。しかしこれでは自分の身を守ることもできなければ、自分が指導者になることもできません。

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83 帳簿
 今の税金は収入や財産に応じて累進課税されています。つまり収入や財産が多いほど税金が多くなるのです。国家はできるだけ多く税金を取りたいですから納税者の財産をできるだけ多く見積もろうとします。それで減価償却を実際より少なくしか認めないとか、財産と思えないものを財産とみなしたりすることが起こります。田舎では通勤するのに自動車がどうしても必要です。自動車は必要経費として控除の対象とすべきですが、実際は財産とみなして税金をかけてきます。国家は税金をとるために、財産を過大評価しています。実際の財産は国家が言うよりははるかに少ないのです。納税のために、国家の定めた基準にあった帳簿と、財産を実状にあうように厳しく見積もった帳簿の二つが必要なのです。

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84 無知の知
 人の誤りと不幸の原因は非常に簡単なことにあります。それは人が話をするということです。話をするとは、外界や内界に対する自分の判断を言っているのです。神がつくった外界内界を自分の大脳で小賢しく判断し言っているのです。月を一枚の葉で目の前でおおえば、月はその葉の中に隠れます。これを見て月はこの葉より小さいんだと言っているようなものです。知らないことをまるで知っているかのように言う、当然これは誤っています。その誤りの言を聞き、そのまま信じる、これで誤りの言葉が多くの人を誤らせます。今はマスコミに乗り、この誤りの言が瞬時に多くの人に伝わります。大きな誤りが生まれるのです。ソクラテスの言う無知の知ということをもう一度玩味すべきでしょう。私は何も知らない、知っているのは私は何も知らないということだけなのです。

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85 心が盗まれること
 今百万円入っているカバンを持って列車に乗っている。用を足すためにトイレに行きたいとする。そのカバンを座席に置いてトイレに行くだろうか。必ずカバンを持ってトイレに行く。人に取られることを心配するからである。百万円という高額でなくともお金は身につけて行くだろう。一万円入っている財布でも座席においてトイレにいくことはあるまい。
 人間というのはすべてがそうではないが、必ず人のものを盗む者がいると私たちは思っている。だから金目のものを簡単に盗むことができる座席に置いて、トイレに行ったりはしない。
 テレビを何時間も見るだけで深くものを考えない人は多い。外から入る情報が多く、深く考えることがなければ外からの情報で動くことが多くなる。人の言うことをそのまま信じてそれに従って動くほど人の言うことは信用できるのだろうか。人の中には人のものを盗む悪人がいるというのが私たちの共通の認識である。それならば人の中にはただ自分の利益を考えて言っている人がいると思うべきである。ただ自分の利益を考えて言っているだけの情報がたくさん入ってくる。それを自分の心を用いて吟味することをしない。それでは自分の心が盗まれることになる。一万円の金も盗まれないように守ろうとするのに、自分の心が盗まれないように守ろうとはしない。これは危ないことでないか。

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86 ことの本質
 今日の新聞にはたくさんの記事が載っている。けれどその記事をすべて読んですべて記憶したとしてもほとんど役に立たない。大事なのはそういうことを起こしている本質、なぜそういうことが起こるかを理解することである。

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87 無為
 老子が無為を重んじることは周知のことである。それは鋭く人間の本質をついている。人間の不幸はほとんどはむやみにすることから起こる。無為であれば不幸になることは少ない。

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88 テレビ
 テレビという媒体は誰でもがわかること、単に見ているだけでわかることを伝える。深く考えてようやくわかることは伝えようとしない。その対象が多くの一般人であり、視聴率を気にしているためである。そのため内容がどうしても浅薄になる。

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89 内から出るもの
 自分が内から出るやむを得ない力に従い動き、相手が他人の言に動かされている限り、その人に負けることはない。一時的に負けることはよくある。しかし時が経つなら負けることは決してない。

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90 医療
 医療は宗教に近い。本当に正しいかどうかわからないが、多くの人が神というものをあがめ、布教者の言うことを信じる。本当に正しいかどうかわからないが、多くの人が医学というものをあがめ、医者の言うことを信じる。

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91 真に正しいもの
 真に正しいものは一見正しくないように見える。真に正しくないものは一見正しいように見える。なぜならまがいものは懸命に正しいように見せようとするからである。
 人間にとって一番価値のあるものは何か。それは水であり、空気であり、太陽である。これらはありふれたものであり、ほとんどただ同然である。しかし最も価値あるものである。けれど普通の人間は価値あるものと問われると、金とか家とか自動車とかダイヤとか答える。まがいものが一見真に価値あるもののように見えるのである。真理も同じ事である。

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92 組織
 組織は必ず上意下達が機能しなければなりません。上意下達の指揮系統がなくなれば組織としての統一がとれず、各自がバラバラに動くことになります。これでは多くの人がいても一個人と同じことです。集団の持つ強さがまったく失われます。
 集団の持つ強さを示すのは戦争がよい例になりますから、戦争を例にとりましょう。ここにそれぞれ千人の集団のAとBがあります。Aは一人のリーダーの指揮系統が機能しており、Bはまったく上意下達の指揮系統がないとします。AとBが戦争になりました。Aのリーダーは人数を250人ずつ四つに分け、特に弱い250人を選んで1軍をつくりました。この弱い1軍に敵を真っ向から攻撃させ、他の3軍を伏兵として三方向に隠しました。Bはまとまりがないのですが、弱い1軍が真っ向から来たため、千人で撃ちかかり、大いに打ち負かしました。敗走する弱い1軍を追いつめ完全に撃ち殺そうとしました。Bの中の知恵者は相手が簡単に負けすぎるし、また人数が少ない、おかしいと思いましたが、Bはリーダーもおらず、群衆心理で動いています。目先の勝利を見て勝った、勝ったと動いてきます。敗走する敵を追って疲れている所にBは急に3方から攻められました。しかもその1軍、1軍にはそれぞれリーダーがおり、その指揮でまとまりのある行動をとってきます。Bは簡単に打ち負かされ全滅となりました。
 このたとえでAがBに勝ったのはAは集団としてまとまって動いたが、Bは集団としてのまとまりがなく、各自がバラバラに動いたからです。集団としてまとまって動くには一人のリーダーの命令が全員に伝わる指揮系統がどうしても必要なのです。厳格な指揮系統のない組織は弱体な組織なのです。
 ここにCとDという会社があります。Cは一人の社長の命令で動く組織です。Dは議論を重ね社員の多数決で動く組織です。この二社は競争相手で両社とも新しい商品開発をしていました。Cの新しい商品は社員もそんなものが売れるかと思うような商品でした。社内の評判は極めて悪いのです。しかし社長の命令で動く組織ですから、社長の命令に従い社員はみなその商品の開発製造に懸命に働きました。D社の新しい商品は社内の多数決で決まりました。多数決で決まったのですから、社内の評判は当然よかったのです。けれど一部反対する者がおり、全員がその商品の開発製造に懸命に働くということはできませんでした。C社、D社の新製品がともに発表されました。D社の商品は社内の多くの人が売れると思ったぐらいですから、他社の数社も売れると思って開発していたようでした。じきに類似商品が出ました。類似商品がたくさん出たため、D社の新商品の売り上げは伸びず、じきに価格競争になり、利益率も低下してしまいました。C社の新商品は社員でさえ、売れないと思ったぐらいですから、他社に開発していた所はありませんでした。また社員全員が一致してつくったことも奏功したのか、機能がよく、人々に受け入れられ爆発的に売れるようになりました。他社が開発していなかったため、類似品が出てくるまでかなり時間がかかり、その間に大きな利益をあげることができました。
 この例でわかることは、多くの人がよいと思うことは多くの人がしようとするから、同じようなものがたくさん出てくる、たくさんあるようになると価値がなくなる、しかし多くの人がよいと思わないことは少数の人しかしようとせず、数が少ないから価値が出る可能性があるということです。強い組織とは組織員でさえ納得しないことを厳格な指揮系統で無理矢理させることができる組織なのです。

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93 知識と知恵
 知識と知恵は違う。たくさんのことを知っているのとものの本質を知っているのとは別なのである。毎日毎日テレビや新聞でたくさんのニュースが流される。これは知識である。このニュースをいくら熱心に聞いたところで人間の本質を知ることはできない。単なる表面的な知識に過ぎない。論語や孫子は人間の本質を鋭く指摘する。これは知恵である。
 今日Aという所へ行き、Bと話をしてBの言うことにかなり腹を立てて帰って来たとする。この経験だけでほっておけば、これは知識の段階にとどまる。自分はBの言うことになぜ怒ったのかと、深く考えれば人間の本質の一端を知ることができる。これは知恵になる。老子の言う部屋を出でずして、天下を知るである。
 いわゆる専門家は知識の専門家であることが多い。多方面の知識を集めるのは大変だから、狭い分野だけに限定して知識を集めたのが専門家である。知恵者はジェネラリストであることが多い。人間の本質を知ろうと思えば、全体を見なければならない。狭い専門という一分野だけから見たのでは、人間の本質がとらえられないからである。君子は器ならずなのである。

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94 知恵と本
 知恵を得るには本を読むのと、読まないのと、どちらか一方を選ぶとすればどちらがいいですかと尋ねられたら、私は本を読まないほうだと答える。人間は考えるようにできている。本を読んでいない時人間はおのずと何か考えている。考えるから知恵が生まれる。単なる知識の本を読む時、知恵を得ようとして考えることが少なくなる。考えることが少ないから、知恵を得ることが少なくなる。ただ一番いいのは適宜に読んで、深く考えることである。

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95 資本主義社会の本質的な矛盾
 資本主義社会とは、ものをたくさん売り利益をあげることを根幹とする社会である。ものをたくさん売るには需要を発生させなければならない。人をどういう状態にすれば需要が発生するか。それは人を弱い状態にし、多欲な状態にすればいいのである。
 今ここにAとBがいる。Aは生来健康で暑さ、寒さにも強い。足も強く、数キロでも平気で歩く。Bは病気がちで暑さ、寒さにも弱い。少し歩くと疲れて歩けなくなる。Bはよく病気をするために医者にかかり薬をもらうことが必要である。夏はクーラーが必要だし、冬は暖房が必要である。歩くことも十分でないため自動車かバイクが必要である。Bからは医療機関への受診、薬、エアコン、乗りものという需要が発生する。Aからはこういう需要は発生しない。かりに薬、エアコン、乗りものに支払う金額をそれぞれ年に5万円とする。一人で十五万円の需要が発生する。日本にBが一千万人いるとすると、一兆五千億円の需要が発生する。
 次にここにCとDがいる。Cは倹約家で質素な暮らしをする。安アパートに住み、自動車は百万円の軽自動車に乗っている。Dは多欲であり、豪邸を建て、一千万円もするベンツを乗り回している。自動車のことだけで考えてみるとDからはCより九百万円たくさんの需要が発生する。かりに一千万人のCがDのような生活をするようになれば、九十兆円の需要が発生する。
 資本主義社会が発展するためには、人間を弱体にし、多欲にすることが必要なのである。人間は体が弱くなり、多欲になれば幸福だろうか。不幸になるだけである。かくて資本主義社会は人間の不幸を糧にして成長していく。

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96 判断
 パソコンはデータを入力しそれをプログラムに従って演算し結果を出すものである。同じデータを入力したとしてもプログラムが違うと結果が違ってくる。よい結果を出すためにはよいプログラムをつくることが非常に大事である。またよい結果が出ない時、プログラムが悪いのでないかと反省すべきである。
 人間もパソコンに似ている。外界から来る情報を判断し、その結果として行動する。よい行動をするためにはよい判断をすることが非常に大事である。また同じ外界のデータが入ったとしても、人により行動が違ってくるのはその判断が違うからである。行動して失敗したとすると、その一番の原因は判断の間違いである。

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97 医師免許状
 医者は免許制度であり、医師の免許状がなければ医療行為を行うことができない。この免許状を交付しているのは当然国である。すると医師免許状は国の認める医業をすることを許可する免許状となる。免許状なしに医療行為をする人が危険かと言えば、免許状を持っている者より危険性は高いが、中には免許状を持っている人よりも優れた医者がいるというのが実状だろう。免許状を持っている医者のする医療行為は安全かと尋ねられれば、免許状を持たない医者よりは危険性が低いが、それでもかなり危険であるというのが実状である。免許状は国というお上が与えるものだから、免許状で権利が守られると、目が上を向こうとし、下を見なくなる。具体的には、医者は個々の事例に学ぼうとせずに、国とか学会とかの認めることのみを行おうとする。

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98 先達者
 世に教師、評論家と自称し、他称される人は多い。有名人が講演するとたくさんの人が集まる。多くの人はその言うことを信じる。しかし多くの人が誤る大きな理由は、現実のものの道理を知ろうとせずに、教師、評論家と称する人の言うことを単に信じるからである。先達者自身が誤っているのだから、先達者に従えば当然誤った所へ行くことになる。

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99 日本人の英語
 日本人の英語が下手な大きな理由は母国人に学ぼうとせずに、日本人の英語の教師に学ぼうとするからである。日本人流の発音に慣れてしまい、これが英語の発音と思ってしまう。実際の発音はかなり違うから母国人の英語が聞き取れないことになる。

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100 投資の対象
 企業は利益が上がるという見込みのもとに土地を買ったり、工場を建てたり、店舗を建てたりという巨額な投資をする。見込み通り利益があがればいいが、見込みが外れると、固定費に投資してしまったため、動きがとりにくく損失が大きくなる。ダイエーは土地を買い、そこに店舗をたくさん建てた。しかし見込みが外れ利益が出なくなると、土地と店舗という固定費は動かすことが難しく大きな損失となった。百億円を土地と店舗に投資した時、地価が上がっている時なら、売却して百億円を回収することができる。しかし地価が下がっていると五十億円以上の損失にもなる。売却が容易なものに投資することはリスクが低い。投資に失敗すれば売却し比較的少ない損失ですむからである。売却が困難なものに投資することはリスクが高い。売却できず丸損にもなる。心すべきことである。

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101 株式
 資本主義社会とは、小さな資本を大きな額にして投資する社会です。手元にある一千万円を元手として事業を始めた時、事業が失敗すれば損失は最大限一千万円です。仮に三割の利益をあげたとすれば、三百万円の利益になります。これが資本主義社会以前の事業です。ところが資本主義社会では株式を発行して株式会社をつくる方法があります。額面十万円で千株発行し、投資する人がおれば九百株を買ってもらい、九千万円調達できます。資本金一億円を元手として事業をすることができるのです。仮に三割の利益をあげれば、三千万円の利益になります。投資額が十倍になったから利益も十倍になったのです。もっとも自分の出資分は一千万円だけですから、利益として自分がもらえるのは三千万円の十分の一でやはり三百万円です。しかし株式の配当金は三割にしなければならないことはなく、会社の剰余金として金を残し、配当を一割とか五分にすることがよく行われています。事業の見込みが外れた時、損失も最大限一億円になります。しかし自分の損失はやはり一千万円で前回と同じです。残りの九千万円は出資者の損失です。
 株式を発行した時、出資者が多くなるのは株式市場があるからです。たとえば先ほどの例で百万円の株式を買った人が、何らかの理由でお金が必要になった時、この株式を売って百万円をとりもどすことができると便利です。これがため株式を売買する市場が生まれました。株式市場ができると出資者が増え、株式に人気が出て、額面十万円の株式が二十万円とか百万円とかで取り引きされるようになりました。もし額面十万円で発行した株式が株式市場で百万円で売れるのなら、発行した時点で百万円で十株買い、上場して売れば一千万円になりますから、たちまち九百万円の利益が得られます。手持ちの一千万円を元手に事業を始めた人も百株の株式が一億円で売れるのですから、たちまち九千万円の利益が得られます。もっとも上場にはいろんな条件があり、株式会社をつくれば、誰でも上場できるといいうものでありません。
 株式市場に上場されている株式の値段は日々動きます。一年に三割も五割も変動することが多いのです。安い時に買い、高い時に売れば当然利益が出ます。この相場の変動による利益を狙ってまた多くの人が参入して来ます。今では株式投資と言うと上場株式を売買する意味になってしまいました。株式投資の本来の意味は企業家が発行した株式を配当金目的に買う意味です。株式投資の意味が変わったことからもわかるように今株式を買う人の多くは株式相場による利益を狙って株式を買っているのです。

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102 無形の心
 人が正しいとすることに従って行動する時、自分の無形の心を形にしてしまう。形あるものは必ず無形に敗れるのである。何が正しいのか。それは自分の無形の心に従ってやむを得ずして動くことである。人が正しいとすることに従って動けば自分の心を形にしてしまう。

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103 有名なもの
 有名なものは数が少ないものである。

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104 国内総生産
 国内総生産とは一国で一年間に生産された社会的生産物の総和を言う。社会的生産物は付加価値の合計に等しい。付加価値とは金額で表示される利益である。だから金額で表示される利益が多くなればなるほど国内総生産は多くなる。たいていの家庭では朝食、夕食は家でつくる。家でつくったものは金額で表示される利益を生まない。食事をすべて業者につくってもらうと、業者の利益は増える。その増えた利益だけ国内総生産は上昇するのである。日曜日に散歩したり、家庭菜園をつくったりして過ごせば、金額で表示される利益は生じない。野球を見に行くと、交通費、入場料を払うわけだから、鉄道会社や野球チームのオーナー会社の利益が増える。その分国内総生産は上昇するのである。つまり自給自足に近い生活をすると国内総生産は上昇しない。分業が進むと国内総生産は上昇するのである。
 金額で表示される利益とは他面から見れば人が支払う金額である。だから国内総生産とは国内の社会的生産物に対して国内の人や外国の人が払った総金額から、中間生産物に対して払われた総金額を引いたものであるとも言える。だから国内総生産を引き上げるには倹約をせずに、ドンドン金を使い最終生産物を買えばいいのである。
 今ここに一千万円の金がある。この一千万円で最終生産物を買ってすべて使えば、国内総生産は一千万円上がる。これを銀行に預金すればどうなるか。銀行がこの一千万円を企業に貸し付ければ、企業はこれを中間生産物を買うのに使う。企業とは生産物を生産するための組織であり、単に消費するだけで何も生産しないことはありえない。つまり企業が最終生産物を買うことはありえない。企業がこの一千万円の中間生産物への投資から、一千二百万円の最終生産物を生み出したとする。すべて売れれば消費者が最終生産物に支払った一千二百万円から企業が中間生産物に支払った一千万円を引いた二百万円分国内総生産は上昇する。半分しか売れなければ消費者が最終生産物に支払った六百万円から企業が中間生産物に支払った一千万円を引いたものはマイナス四百万円になる。つまり国内総生産は四百万円低下する。銀行がこの一千万円で国債を買ったとする。国はこれを公務員の給料や公共事業や福祉や企業への融資やと多様に使う。どれだけ最終生産物に使われるかはっきりしないが、少なくとも一千万円以下である。これを見ると国内総生産を上げる一番確実な方法は人が最終生産物をたくさん買ってくれることである。この一千万円を担保に一千万円のローンを組み、二千万円を最終生産物の購入に使ってくれれば、国内総生産は二千万円上昇する。非常に景気がよくなるわけである。これが今アメリカで起こっていることである。日本は伝統的に貯蓄率が高かったが、最近は急に低下している。景気の面から考えるとよい傾向だろう。
記述 2005年10月26日

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105 法律
 裁判で有罪となると多くの人はその人を悪人と思う。裁判で無罪となると多くの人はその人を善人と思う。そうではない。裁判で有罪になったのは、その社会を支配している人あるいは物に都合が悪かったからであり、裁判で無罪となったのは、その社会を支配している人あるいは物に都合がよかったからである。法律が正義のために書かれていると思ってはならない。法律は支配者あるいは支配物のために書かれている。法律は統治の道具に過ぎない。

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106 考えること、書くこと
 思想家は散歩を好む者が多い。ただ歩いているだけでは何の益もないように見えるが、散歩は頭の休養にもなるし、こういう心を自由に遊ばせている時間にまったく新しい考えが浮かぶものである。本を読めということがよく言われる。しかし本を読むだけでは効果は少ないのである。ここに数学の問題があるとする。問題を見て自分で解こうともせずにすぐに答えを見ているだけでは、問題を解く能力は身につかない。答えを見る前に自分で解こうとして懸命に考えてこそ問題を解く能力が身につく。自分で深く考え、自分の考えをまとめるためにそれを書きとめて検討してこそはじめて読書で得た知識が身につくのである。

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107 利害
 利ほど害なるものはなく、害ほど利なるものはなし。

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108 人間は志以上のものになり得ない
 エベレスト山に登ろうとしても登れなかった人はいくらでもいる。しかしエベレスト山に登ろうとせずにエベレスト山に登れた人は一人もいない。人間は志以上のものになり得ない。志大ならざるべからず。

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109 真に価値あるもの
 生きるとはこれが自分にとって価値あると判断して行動することに過ぎない。真に価値あるものとそうでないものを見分ける能力が将来の幸、不幸に大きく作用する。真に価値あるものとは、自分の支配下にあるもの、あるいは自然の支配下にあるものであり、時とともに価値を減じない、あるいは価値を減じることが少ない、あるいは価値が増大するものである。
 社長に気に入られて部長になろうと社長の気に入られるように行動した。それで部長という地位を手に入れた。この行動は真に価値あるものを得ようとする行動だろうか。部長という地位を与えたのは社長である。すると社長の気に入らなくなれば部長の地位を失うことになる。部長という地位は自分の支配下にないのである。
 その会社が金融関係の会社であれば、金融の猛勉強をする。その会社が貿易関係の会社であれば貿易の猛勉強をする。そして金融や貿易の知識、知恵に関しては、その人に匹敵する者が社内にいなくなったとする。すると社長は会社を発展させるためにその人の知識、知恵がどうしても必要だと思う。その人をライバル会社に引き抜かれれば、自分の会社の業績が落ちるし、倒産の憂き目になる恐れもある。それでその人を部長にせざるを得なくなる。たとえ社長の気に入らない人でも部長にせざるを得なくなる。知識や知恵は自分の支配下にある。あるいは自分の中の自然の支配下にある。これを社長が奪うことはできない。また知識や知恵は一度身につけると時を経ても失うことが少ない。知識や知恵をつけようとする行動は真に価値あるものを得ようとする行動なのである。

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110 多欲
 自分という一個体はひとつの閉じた世界です。もっとも外界と交流していますから、完全な閉じた世界ではありません。この閉じた世界はその一個体をできるだけよい状態にすること、その一個体をできるだけ益することを至上命令として動いています。家、土地、金、地位、名誉はこの閉じた世界の外にあります。これを外物と呼びます。外にあるのですから、その一個体をできるだけ益するようには動きません。多欲とは外物をたくさん得ようとすることです。一外物でもその一個体を害する可能性があるのですから、外物をたくさん得ればその一個体を害する可能性はますます高くなります。多欲な人は身を害され不幸となる可能性が高いのです。これがほとんどすべての宗教が多欲を戒める理由です。
 人が多欲になりたくさんものを買おうとすれば、需要が増大します。寡欲になりものを買おうとしなくなれば、需要は減退します。需要の増大は資本主義社会を発達させるのです。多欲は人を害し、人を不幸にします。つまり資本主義は人を害し、人を不幸にしながら発達してゆくのです。これが資本主義社会の根本的な矛盾なのです。

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111 知と専門家
 知は限りがある。知らないことのほうがずっと多い。その限りある知に従って生きればその知らないことで誤ることになる。専門家の言うことに従ったので間違いないのだと人は言う。専門家とは一つの特定の分野でよく知っている人のことである。その特定の分野以外は無知のことが多い。世の中のことは錯綜しており、一つの分野のことが他の分野のことと影響し合っている。一つのことは一つの専門分野にとどまらず他の分野にも影響を及ぼすのである。専門家の言うことに従えばその専門以外の所で誤ることになる。

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112 国が滅ぶ理由
 有史以来いくらの国ができたことであろうか。無数の国ができたが、すべての国が滅んだ。なぜ国は滅ぶのであろうか。有能な者を登用せずに無能な者を登用したからである。猫は人間のペットになる。ところが虎は人間のペットにならない。虎は人間より強く、いつも近くにおいておけば、人間が噛み殺される恐れがある。猫は人間より弱く、人間を殺すことはまずできない。人間は自分を殺す恐れがあるものをペットとすることはしないのである。上に立つ者は自分の地位を危うくするような有用な者を登用することはない。自分の地位を脅かす恐れのない者を登用する。つまり自分より劣っている者を登用する。これが世代毎に繰り返される。それで世代を経る毎に上の者はますます無能になる。無能の者が治めれば国は治まらなくなる。有能な者が立ち上がり、その国は滅び、新たな国がつくられるのである。

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113 古えの達人
 どうして古えの達人の言葉が今に伝わらないのだろうか。古えの達人に直接学ぼうとしないからである。達人の言を伝える古典そのものを懸命に読もうとしない。今の師と呼ばれる人が解釈したもののみを読みそれで足れりとする。言う者知らず、知る者言わず。よくしゃべる者はほとんど知らずに言っていることが多い。

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114 商売
 商売の場合一番恐いのは損失ではない。在庫なのである。商売は商品や金を動かすことで利益をとるものである。在庫となり動きがなくなれば利益をまったく生まなくなる。在庫は時の経過により商品の劣化も生ずる。在庫になりそうなら損をしてでも売り尽くすべきである。冬が来て始めて松柏の葉を落とさないことを知る。商売人の真の実力は、見込み違いから在庫を抱えそうになった時にわかる。損をしてすばやく在庫を処分する。これが実力のある商売人である。目先の損を見て処分しかね、また売れることもあるのでないかと思い、たたき売りに踏み込めない。それで在庫を抱えこみ、新しく仕入れる金がないから、利益はまったく出なくなる。商品は日々に劣化してゆく。大損となるのである。
 消費者の立場から言えば、実力のある商売人は必ずたたき売りをするものだから、そのたたき売りを待って買うべきである。人が買わないものでもすぐれたものは少なくない。

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115 財産
 Aが土地を二千万円で買って持っているとする。この土地の市場評価は現在三千万円である。すると人は三千万円の財産があると言う。これは取得時価格でなく、市場評価で財産を評価しなおしたのである。しかし本当に三千万円の財産があるのだろうか。三千万円の財産があるとは言えないのである。なぜなら売ろうとしても売れるとは限らないし、売れても税金をかなり取られ、仲介手数料も取られるから入ってくる金額は三千万円よりずっと少なくなる。またAに売るつもりがなければ、単に人が三千万円の値打ちがあると言っているだけである。現金が入ってくるわけでない。それどころか毎年固定資産税を取られるし、土地を荒らさないために手間もかけなければならない。この三千万円という金額は一種の幻想である。
 Aがこの土地を誰かに貸して年に六十万円の賃料を得て、固定資産税として三十六万円払ったとする。するとその差額の二十四万円が現金として入ってくる。この金額は単なる幻想でなく、実際に入ってくるお金である。誰にも貸さず、作物もつくらず、ただ持っているだけでは、固定資産税として三十六万円の現金が出ていくだけである。
 財産とは一般的には取得価格を基準とした金額か、現在の市場価格を基準とした金額で言われる。先の例で言えば、土地の取得価格の二千万円を基準として二千万円の財産と言うか、現在の市場価格の三千万円を基準として三千万円の財産と言うかである。私はどちらも財産の実体を表していないと思う。財産の額はその財産が生み出す果実の金額で表すべきである。先の例で言えば、土地を貸して賃料六十万円が入ってくるなら、固定資産税との差額の二十四万円がその財産が生み出す果実である。それでこの土地は二十四万円の財産と言う。単に土地を持っているだけだと、固定資産税として三十六万円が出て行くだけだから、これは財産でなくなる。この土地は三十六万円の負債となる。財産を果実の金額で考えると、今まで財産と思っていたものが、実は負債であったと気づくことが少なくない。

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116 内の世界と外の世界
 自分が内の世界に従い、相手が外の世界に従っているなら、その相手に負けることは決してない。ただ総合的に考えて、十年、二十年のスパンで考えて負けることはないという意味である。高校野球で目の前の試合のためにすべてを尽くして練習しているチームAと、自分の内の世界に従って練習しているチームBが試合をすれば、おそらくAが勝つだろう。ところが無理して練習したAは肩を痛めたり、他の病気の原因をつくることが多い。勝利至上主義で過ごした青春は精神的に偏った人間を生む。その後の人生で遭遇するだろういろんなことをうまく処理できない可能性が高い。二十年後の人間の完成度、あるいは幸福を考えた時、おそらくBチームのほうが上だろう。

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117 非難
 人に非難されると怒りすぐに言い返して相手を非難することがよく見られる。時には暴力を振るうこともある。殺人は人に非難されたためにかっとなり、激しい暴力行為で応じたことが原因であることが少なくない。人に非難される場合、自分がその非難に値する場合と値しない場合がある。値する時は自分の誤っていることを言ってくれているのだからこれほどありがたいことはない。これは喜ぶべきことである。相手が高慢に言えばついかっとなるものだが、これはせっかくの忠告を無にしていることである。千金を捨てるようなものである。自分がその非難に値しない時は相手は自分をまったく知らないことになる。自分が深慮でしていることを、相手はその深慮が理解できず、表面的なことだけを見て非難している。これは心でその浅慮を笑って上辺は真剣そうに聞くべきである。そんな浅慮で動けば相手は所詮ゆきづまるだろう。しかし相手が礼を尽くしていないだからこちらが忠告する義理はないのである。聞いて捨て置くべきである。

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118 閉じた世界
 地球は一つの閉じた世界である。ここではその秩序を守るために自然は動く。シマウマが増えようとすればライオンの餌食となりその増加が妨げられる。ライオンがいなければシマウマは異常繁殖することになる。これでは地球の秩序が保てない。だから自然はライオンという天敵をつくりその秩序を保とうとするのである。地球という一つの閉じた世界において生物の命などどうでもよい存在なのである。地球の秩序を維持することがその至上命令なのである。生物は地球の秩序を乱すと思われれば殺されるし、地球の秩序に必要と思われれば生かされる。
 一人の人間も一つの閉じた世界である。ここでは自然はその個体をできるだけよい状態で生かそうとする。その脳幹、肝臓、腎臓、内分泌系、神経系などすべての器官を駆使してその個体をよい状態で生かそうとしているのである。ここでの自然の至上命令はその個体をよりよい状態で生かすことである。だから人間の一個体の内部から、その個体を害するような指令、その個体を病気にするような指令が出るはずがない。
 人間は食べ物や空気を通じて地球という閉じた世界と交流している。もし人間の一個体が完全に閉じた世界なら、人間は地球と独立に行動することになり地球の秩序が保てなくなる。だから自然は人間の個体を地球世界と交流する不完全の閉じた世界にしているのである。
 人間にとって外界からくるものは、人間の体を益するためだけに動くものでない。地球という閉じた世界を益するために動いているのである。地球の秩序のため必要とあれば、平気で人間を害するのである。だから人間の体の外から来るものは人間に病気をもたらすことがある。人間は病気になった時まず自分の体の外から来たものに間違いがなかったかと深く考えるべきである。食事は病気の大きな原因となる。間違ったものを食べていないか、きちんとしたものを食べているかと懸命に考えるべきである。自分の内臓や脳幹が間違ったことをしたと思うべきでない。この可能性は非常に低い。
 この外から来るものとは間違った医学理論も含まれる。歴史を見れば間違った医学理論が人を病気にした例を多く見る。例えば発熱するとする。人は体が発熱という間違った指令を出したからすぐに解熱剤で熱を下げなければならないと考える。熱は下げなければならないという医学理論で判断しているのである。これは外からは行って来たこの医学理論が間違っているというべきである。自分の体は自分の体を守るために懸命に働いている。最も体を害せずして体を守る方法は発熱であるとの判断のもとに、視床下部が発熱を命じているのである。この判断のほうが正しい。実際ウイルスが体に侵入した場合、ウイルスが熱に弱いこと、発熱すれば白血球の活動が活発になることを考えれば、ウイルスの侵入に対して発熱で応じた視床下部の判断は正しい。病因はまず内にない。たいてい外にある。ただし遺伝疾患のような少ない例外はある。
 地球の閉じた世界はただ地球の秩序を維持するために動いている。人間一個体を生かすことは考えていない。人間一個体の閉じた世界はただその個体をできるだけよい状態で生かすために動いている。だから病気になった時人間一個体の閉じた世界と外との交流をできるだけ断ち切れば回復が早い。
 怪我をして皮膚を損傷したとする。その傷をそのまま放置しておけばこれは内の閉じた世界と外の世界との交流を許すことである。傷を何かでおおって外との交流をできるだけ断ち切れば、内の個体をできるだけよい状態に保とうとする力が働きやすくなる。それで傷は早くきれいに治る。これが外傷の閉鎖療法である。閉鎖療法に関する卓見は夏井先生のホームページに詳しい。
 病気をした時に一番すべきことは食事を断つ、あるいは食事を減らすことである。食べ物は人間一個体の外に属するものである。地球の秩序を維持するために動いているのであって、人間一個体をただ益するために動いているのではない。食べ物は体で消化吸収し、新しいものにつくり変えてこそ人間一個体を益するように働く。この消化吸収という作業はかなりのエネルギーを要する。もし食べなければこのエネルギーがすべて病気の治癒に働く。それで病気は早く治る。病気になった時たいてい食欲が落ちる。これはその体が正常に機能している証拠である。今体は病気であり、その修復に忙しい時である、食物の消化吸収に使うエネルギーの余裕はないと体はサインを発しているのである。だから病気で食欲のない時は食べないというのが正しい。多くの人は食べなければ病気を治す体力がつかないように思い、食欲がないのに無理して食べる。これも間違った医学理論で動いていると言うべきである。
 現代は精神疾患が増えている。現代人はストレスが多いのが原因だと言う人が多い。私はそうは思わない。戦国時代や太平洋戦争中などは人々が殺し合いをしていた。いつ殺されるかわからないのだから、これは大きなストレスである。今の平和な日本よりはるかに大きなストレスと言うべきである。しかしこういう時代でも精神疾患は現在ほど多くなかった。ストレスが精神疾患の原因だと言うならこれが説明できない。私は現在精神疾患が増えている原因は情報過多にあると思う。現在はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍、インターネットを通じ莫大な情報が流れて来る。こんなことは未だ嘗てなかった。この莫大な情報は他の個人が発したものであり、他の個人を益することはあっても、自分一個人を益するとは限らない。この外から来る多くの情報でかき乱され、自分の閉鎖した世界から来る声が十分に聞かれなくなった時精神に変調を来す可能性が高い。精神疾患に対する対処はまず外から来る情報をできるだけ断ち、自分本来の声で動くようにすることである。具体的には、座禅などはきわめて有効だろう。

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119 荘子
 荘子は知識に従って動くことを戒めます。知識とはほんの一部を知っているに過ぎないから、その知識に従って動けば、知らない多くのことで誤るからです。知識とは違う、自分の中から湧き上がってくる衝動のようなものがあります。例えばお腹が減ればものを食べたいと思います。何もしていない時、心は勝手にいろんなことを考えています。荘子はこういうやむを得ない力に従って動けと言うのです。自ずと然る力つまり自然に従って動けというのです。これは現在主流の主知主義と大きく違う考え方ですが、その知恵の深さを示しています。知識は必ず限界があり、多くの場合自然の一部を知っているに過ぎないということは声を大にして言うべきことでしょう。知識によって動けば、ほとんど必発で誤ります。

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120 病気と治療法
 組織を顕微鏡で見て、癌組織であれば癌と診断されます。その分類は組織の違いを根拠にしています。同じ肺癌でも腺癌、扁平上皮癌、小細胞癌などに分けられます。それぞれの組織の癌に対して治療法が考えられています。ここでは同じ組織所見の癌に対しては共通の治療法があるはずだという前提の上に立っています。組織所見が同じなら治療法も同じなのでしょうか。精神疾患はその症状により統合失調症、うつ病、不安障害(いわゆるノイローゼ)などに分けられます。それぞれの疾患に対して治療法が考えられています。ここでは同じような症状を示す精神疾患に対しては共通の治療法があるはずだという前提の上に立っています。症状が同じおれば治療法も同じなのでしょうか。
 癌の原因ははっきりわかりません。精神疾患の原因もはっきりわかりません。病気は癌や精神疾患に限らずその原因がはっきりとわからないものがほとんどなのです。病気の原因は特定できないのですが、いろんなリスクファクターが挙げられています。癌は、たばこ、大気汚染、農薬、食品添加物、ストレス、動物性食品の過食等がリスクファクターに挙げられています。精神疾患は、家庭環境、職場のストレス、性格の問題点、食事の偏り等がリスクファクターに挙げられています。同じような癌組織であったとしても、同じような症状であったとしても、それを起こした原因は違っている可能性が高いです。少なくともまったく同じではないでしょう。ある人はたばこが主な原因で癌を起こし、ある人はストレスが主な原因で癌を起こしたのでしょう。ある人は家庭環境が主な原因でうつ病を起こし、ある人は職場のストレスが主な原因でうつ病を起こしたのでしょう。原因が違うのであれば、治療法もまた異なるべきです。組織所見や症状のような結果が同じであったとしても、原因が異なるなら治療法も当然異なるべきです。結果であるそれぞれの病気の状態のみを見て、その病気に共通な一つの治療法があるとするのは無理があります。その病気を起こした原因に応じた治療法があると言うべきです。

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121 利益と通貨発行量
 今ここに一つの国があります。その国はA、B、C、Dの四人の国民からできています。Aは食品生産者です。米、野菜をつくり、魚をとり、肉牛、乳牛を飼い、それらを原料にして豆腐、チーズ、ハムなど何でもつくります。Bは日常品の制作者です。家具、自転車、自動車、食器、電気器具と何でも作ります。A、Bともに原料はすべて自分でつくり、雇っている人もいませんから、売り上げはすべて利益となります。Cはサービス業です。医療、法律相談、テレビ、ラジオ放送、通信、新聞、書籍の発行、銀行業務と何でもやります。また医薬品や放送機器、通信機器もすべて自分でつくり、雇っている人もいませんから売り上げはすべて利益となります。Dは統治者です。国の法律をつくり、国家の事業を行い、また税金を徴収します。すべて一人でやります。
 AはB、C、Dに二百万円ずつ食品を売り、六百万円の収入があります。ところがBから日常品を二百万円で買い、Cからサービスを二百万円で買い、Dに税金を二百万円納めるために手元に残りません。BはA、C、Dに二百万円ずつ日常品を売り、六百万円の収入があります。ところがAから食品を二百万円で買い、Cからサービスを二百万円で買い、Dに税金を二百万円納めるために手元に残りません。CはA、B、Dに二百万円ずつサービスを売り、六百万円の収入があります。ところがAから食品を二百万円で買い、Bから日常品を二百万円で買い、Dに税金を二百万円納めるために手元に残りません。DはA、B、Cから税金として二百万円ずつで六百万円の収入があります。ところがAから食品を二百万円で買い、Bから日常品を二百万円で買い、Cからサービスを二百万円で買うために手元に残りません。A、B、C、Dともに六百万円の収入で支出はトントンの生活をしていました。
 ところがA、B、Cが税金が高いと言うようになりました。Aは日常品やサービスは生活をするためにどうしても必要ですから、この出費は削ることができません。ところが税金の二百万円は取られているだけで、何か生活を益しているという実感がないのです。この税金さえ減れば、貯蓄もできるのでないかと思います。この思いはBもCも同じでした。A、B、Cに強く税金引き下げを迫られるために、Dも何とか税金を減らそうとします。しかし税金を例えば百五十万円に減らせば、Dの収入は四百五十万円になります。Dは生活するためにA、B、Cから計六百万円のものを買わなければなりませんから、これでは百五十万円足りません。それでDは税金を百五十万円とし、足りない百五十万円分通貨を発行して収支のバランスをとることにしました。こうすればDは税金を減らして、しかもDに必要なものを買うことができます。税金が百五十万円になったため、A、B、Cはそれぞれ五十万円の蓄えができるようになりました。これにはA、B、Cは大喜びです。ところがA、B、Cがそれぞれ五十万円貯蓄ができるようになったのはDが通貨量を百五十万円増やしたからに過ぎないのです。
 A、B、Cはともに利益を増やそうと努力しています。それでいろんな新商品をつくり、売り上げを上げ、利益を増やそうとします。A、B、Cともに魅力的な商品ができ、Dはもっと買いたいと思いました。しかし今の状態ではそれぞれから二百万円しか買えません。それでDはさらに百五十万円通貨を発行し、A、B、Cそれぞれから二百五十万円の商品を買いました。この購買はA、B、Cに波及し、A、B、Cもそれぞれ二百五十万円分購入するようになりました。それでA、B、Cの利益はそれぞれ七百五十万円になりました。六百万円から七百五十万円に百五十万円増えたのですから、25%増大したのです。A、B、CはDの統治で利益が増大したのですから満足げです。Dをなかなかの政治家とほめます。しかし実際は発行した通貨量が利益の増大となって現れたのに過ぎないのです。
 貯蓄や利益を考える時、私達はお金の額で考えます。額が多ければ貯蓄や利益が増えていると考えます。しかし通貨発行量を増やせば当然お金の額は増えるわけです。企業の利益が増大したとは、単に通貨発行量が増えたに過ぎないことが多いのです。

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122 老荘の道
 老子の徳を王弼は「徳は得なり」と注する。徳は自分が得ることだというのである。自分を犠牲にして他人を救うようなことは老荘の道でない。

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123 マイホーム
 財産は必要のものを買うために価値を保存しておくものと考えられる。必要なものは金によって買うのだから、換金性の乏しい財産は役に立たない。多くの人は多額の住宅ローンを組んで、マイホームを持とうとする。マイホームは役に立つ財産なのだろうか。マイホームを換金しようと思っても、すぐに売れるとは限らない。また不動産の売却はかなりの税金を取られる。また家は時とともに劣化しその価値を失っていく。こう考えてみるとマイホームは換金性に乏しく、財産としてあまり役に立たないことがわかる。人がマイホームを買おうとするのは財産としての価値よりも、単に家というものにあこがれているからだろう。

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124 教育
 数学や英語を勉強し、試験でよい点をとる。最終的には、大学入試で人よりよい点をとり有名な大学に入学する。これを人は教育と考えています。試験でよい点をとることを教育の目的とすると、試験が終われば教育は終わってしまいます。これは真の教育ではありません。数学や英語を学ぶことは大事なことです。数学を学ぶ目的は数学的思考を身につけ、それを日々の生活、仕事の中で生かすことです。英語を学ぶ目的は英語を自由に駆使し新しい知識を得ることです。ともに試験が終われば終わるというものでありません。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と十六年以上の教育がなされます。単に試験のためになされるという莫大な無駄が今の日本では行われているのです。

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125 理にかなうこと
 真に正しいとは理にかなっていることを言います。しかし一般的に正しいとされることは、多くの人が正しいとすることや権威のある人が正しいとすることです。多くの人はそれが真に理にかなっているかどうかと懸命に考えようとせず、単に周囲の人に正しいと認めてもらおう、権威のある人に正しいと認めてもらおうと動きます。ここからまた多くの誤りが生まれます。数学は美しい論理の真理です。論語や老子は広大、幽玄な道の真理を説いています。これは理にかなった真に正しいことです。数学を単に大学入試のために勉強する、論語を単に論文を書くために研究する、これは試験の出題者や学会に認めてもらおうとして動いているのです。これは誤りを生みます。

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126 理にかなうこと
 これは多くの人が正しくないとするから正しくないとか、これは部長が正しくないと言うから正しくないというような判断がなされます。ここから多くの誤りが生まれます。正しくないとは理にかなっていないことであって、決して多くの人が正しくないと言うことや権威のある人が正しくないということでありません。

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127 イラク戦争
 アメリカは、イラクが大量破壊兵器を約束に違反して保有していると主張し、イラクを攻撃し、フセイン政権を滅ぼしました。ところが戦後どんなに捜しても大量破壊兵器は見つかりませんでした。この行為は国際平和に大きな暗雲をもたらしたのです。
 イラクは曲がりなりにも約束を守り、大量破壊兵器を持っていなかったのです。ところがアメリカは大量破壊兵器を持っていると言いがかりをつけ、滅ぼしてしまったのです。もしイラクが約束を破って大量破壊兵器を持ち、それを使用したら、アメリカにも多くの犠牲者が出たでしょう。それでそう簡単にフセイン政権を滅ぼすことができなかったはずです。アメリカ大統領の行動はアメリカの世論に左右されます。多くの犠牲者を見てアメリカの世論が厭戦気分に傾けば、アメリカも攻撃を停止せざるを得なかったかもしれません。フセイン政権が滅んだ最大の理由は約束を守り、大量破壊兵器を持たなかったことなのです。このことは他の国の支配者にどう映るでしょうか。北朝鮮や、イランにどう映るでしょうか。大量破壊兵器を持っていないと、アメリカは口実をつけて滅ぼそうとしてくると映るでしょう。それで大量破壊兵器の開発、所有に懸命になるに違いありません。事実、北朝鮮やイランはミサイルや核兵器の開発を以前よりさらに懸命に進めています。アメリカがどんな有利な条件を出してそれを中止させようとしても、あるいは逆におどしてそれを中止させようとしても、北朝鮮やイランはそれに乗らないでしょう。イラクの例を目の前で見ているからです。アメリカがイラクが大量破壊兵器を持っていると口実をつけ、フセイン政権を滅ぼした行為は世界の平和に大きな暗雲をもたらしたのです。

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128 人間の餌
 芸をする利口なチンパンジーやイルカがいる。数字の瞬間的記憶では人間を上回るチンパンジーもいると聞く。芸をすると、ご褒美としてバナナや魚をもらう。これを見ると、結局餌ほしさに人間に使われているのだな、やはり愚かな動物なのだなと思う。しかしよく考えてみるに、人間が組織の中で懸命に働くのは、金や地位を得るためである。組織の中でよい仕事をするとご褒美として金や地位がもらえる。これは金や地位という餌のために使われているのであって、チンパンジー、イルカレベルのしていることと変わらない。人間の餌はチンパンジー、イルカと違っているだけである。

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129 健康診断
 人間の脳はいろんな部位に分けられる。大脳、脳幹、間脳、小脳などである。意識下の考えるということは大脳が司っている。無意識下になされる心臓の拍動、消化吸収、呼吸、ホルモンの分泌などは主に脳幹、間脳が司っている。私達が健康診断を受けた時、種々のデータが出される。血圧がいくら、白血球の数がいくら、肝臓の機能を示すALTがいくら、腎臓の機能を示すクレアチニンがいくらというふうに出される。また画像検査をして普通は見えないものが見えていないか調べられる。健康診断が示すこういう種々のデータは無意識下の臓器の働きを示している。これを司っているのは主として、脳幹、間脳である。脳幹、間脳は日々体をベストな状態に保とうとしている。だから健康診断のデータが示す値は脳幹、間脳がこの個体を最もよい状態にするために働いた結果である。このデータを大脳が判断して異常を発見しようとするのが健康診断である。大脳は一般の健康な人が示すデータやその人の過去のデータと比較して異常かどうかを判断する。これは大脳が脳幹や間脳の仕事を評価しているのである。例えば収縮期血圧が150だとする。大脳は血圧が140以上は体に好ましくないという多くのデータが示す判断基準に基づき、血圧が150は高血圧であり、異常であると判断する。この判断が正しいことが成立するためには、大脳の判断が間脳、脳幹の判断よりすぐれるという前提が必要である。間脳、脳幹はこの人をベストな状態にするには、血圧が150必要であると判断して血圧を150にしているのである。この間脳、脳幹の判断を否定するほど大脳の判断はすぐれているのだろうか。これは大脳と間脳、脳幹とのどちらがすぐれるかという問題でなく、この二つは働く分野が違うと考えるべきである。
 人間は現在動物の王者であるかのように振舞っている。人間が他の動物に対して有利な立場に居れるのは大脳が発達しているからである。大脳は柔軟であり、自分に適するように外物をつくり変える能力を有する。人間は何も衣服をつけなければ氷点下10度の世界では生きることはできない。しかし防寒服をつくり、暖房設備をつくることで氷点下10度の世界でも生きることができる。これは大脳の力である。人間は素手で闘えば熊に殺される。しかし種々のものから鉄砲を作り出した。鉄砲を使えば熊と闘っても人間は勝つことができる。このように大脳は外物から人間に役立つものをつくるのに優れるのである。大脳は人間の体の外、外物をつくり、外物をつくり変えるのが得意であり、これが大脳の働く分野である。人間の体の中、今血圧をどの程度にするのがベストなのか、今インスリンをどの程度出すのがベストなのか、今体温をどの程度にするのがベストなのか、こういう判断に優れるのは脳幹、間脳である。人間の体をベストな状態に維持するのが脳幹、間脳の得意なことであり、これが脳幹、間脳の働く分野である。
 健康診断は体の内部の秩序の判断を大脳によってしようとするものである。この分野は大脳の働く分野でない。脳幹、間脳の働く分野である。それなのに、大脳の判断を脳幹、間脳の判断の上に置く。これでは必ず誤りが生じる。

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130 真理
 テレビのつくる世界を虚構の非現実の世界とし、小さい頃からテレビを長時間見ると、非現実を現実と考えるようになり、非現実の世界で見たものを現実の世界で実行するようになり、暴力、犯罪という異常行動が出やすいとする考え方がある。もっともな考え方である。ただ人間の言葉もすべてが諸々のことの真理を説いているわけでない。ものの本質を知らずに次々と言葉が発される。日常生活で発される言葉は現実とせざるを得ないが、この言葉は必ずしも真理に則していない。むしろ理に逆らっていることのほうがはるかに多い。この言葉をよく考えることもせずにそのまま受け入れて動く時、理に従って動いていないのだから、当然種々のことがうまくいかなくなる。

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131 言葉
 私達が思っている現実とは、五感で感じたことを大脳皮質が言葉で表現したものである。今、甲と話をするとする。甲について視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚が感じたことを、大脳皮質が言葉で表現する。つまり、甲は面白い人だとか、甲は真面目な人だとか表現する。これが現実となる。
 ところが大脳皮質が言葉で表現したものだけが現実となることも多い。今Aが甲と話をし、Aは甲は真面目な人だと甲について表現した。Aが今度はBと話をし、甲は真面目な人だと言ったとする。Bがその言葉をそのまま信じればBにとって甲は真面目な人だというのが現実となる。BがCと話をした時、話は大げさに言えばおもしろくなるから、甲はとても真面目な人だと、少し大げさにCに言った。Cがその言葉のまま信じれば、Cにとって甲はとても真面目な人になる。Cは遊び人でとても真面目な人が好きでなかったから、CがDと話をした時、甲はくそ真面目でおもしろくないやつだと言った。Dがその言葉をそのまま信じればDにとって甲はくそ真面目でおもしろくないやつになる。Dも遊び人でくそ真面目な人が好きでなかったから、DがEと話をした時、甲はくそ真面目でおもしろくないから、人に嫌われていると言った。Eがこれをそのまま信じればEにとって甲はくそ真面目でおもしろくないから、人に嫌われていることになる。EがFと話をした時、甲が人に嫌われているというのが印象に残っていたので、甲は人に嫌われているとだけ言った。Fがこの言葉をそのまま信じればFにとって甲は人に嫌われていることになる。Fは人に嫌われるのは嫌みだからに違いないと思い、FがGと話をした時、甲は嫌みだから人に嫌われていると言った。Gがこの言葉をそのまま信じれば、Gにとって甲は嫌みだから人に嫌われていることになる。GがHと話をした時、甲が嫌みだというのが印象に残っていたため、甲はとても嫌みだと言った。この言葉をそのまま信じれば、Hにとって、甲はとても嫌みな人になる。かくてAの甲は真面目な人だという現実は、Hには甲はとても嫌みな人だという現実に変わったのである。言葉は単なる虚構の現実をつくり出すのである。

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132 インターネット
 この十年ぐらいインターネットが急に普及した。このインターネットはグーテンベルクの活版印刷術にも勝るとも劣らない大革命である。
 インターネット以前は、言葉などでつくったものを公表する媒体は、本、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどであった。テレビとラジオはNHKを除き、広告収入で運営されている。新聞、雑誌も広告収入が大きな割合を占める。広告主は多くの人が見る番組や新聞、雑誌に広告を出そうとするから、多くの人が見る番組や新聞、雑誌の広告料は高くなる。それでテレビ、ラジオは視聴率を上げようとし、新聞、雑誌は売上部数を伸ばそうとする。一方本、雑誌、新聞は千部売るのと、百万部売るのとで、原価は少しの差なのに、売上金額は大変な差が出る。それでやはり売上部数を伸ばそうとする。
 インターネット以前の媒体はできるだけたくさんの人が読んでくれることを目標としていた。それがため一般受けのするものを使おうとする。どんなに値打ちがあっても、ごく一部の人しか読まない本は、採算が立たないから、積極的に取り組もうとしない。大ベストセラーになり、一年で百万部を売ったが、十年後まったく読まれない本がある。一年に千部しか売れないが、千年も読み継がれる本がある。真に役にたつ本は後者の本である。しかし出版社にとって大きな収入となるのは前者である。後者は少量ずつ出版するから、手間ばかりかかり収入が少ないのである。多くの大衆の中で知恵者は一部である。眼力のある人も一部である。真に値打ちのある本は、一部の知恵者、眼力のある人にしかその価値がわからない。それで少量しか売れない。また高度に専門的な本は少数の専門家しか買おうとしない。こういう本も少量しか売れない。真に値打ちがあっても少量しか売れない本は出版社は出版しにくいのである。赤字覚悟で出版する必要がある。
 インターネット以前はどの媒体も少数の人しか見ないものは取り上げようとしなかったのである。インターネットはその経費の安さが特徴である。採算を考えずに使ったとしても、問題のない程度の経費である。見てくれる人が少数でも気にすることなく掲載することができる。ごく少数の人のみを対象として、言葉などでつくったものを公表する媒体ができたのである。
 インターネットのもう一つの強さはその検索機能である。少しのキーワードからそれに関連した膨大な文献を一瞬のうちに出すことができる。コピーして保存することも簡単である。まさに一大革命である。

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133 間接体験
 自分の五感で直接接して体験するのが直接体験である。人の言葉や人のつくった映像を見て体験するのが間接体験である。火事があった。それを自分が直接行って、見て、感じて、体験するのが直接体験である。新聞に載った火事の記事を読んで、あるいはテレビの火事の映像を見て、体験するのが間接体験である。直接人と話して得た情報であっても、単に話として聞いただけで、自分が実際に見て、感じて、体験していないものは間接体験である。
 近代のマスコミの発達はこの間接体験の量を飛躍的に増大させた。間接体験は実際に起こったできごとを直接体験した人が、その印象をその人の言葉等で表現したものをまた体験することである。つまり間接体験は事実の一つの解釈の再体験である。この解釈をそのまま信じれば、その人が直接体験して解釈してなかった別の面を見落とすことになる。Aが甲に直接会って話をし、甲はまじめな人だと思った。これはAが甲を直接体験して得た一つの解釈である。BがAから「甲はまじめな人だ。」という言葉を聞き、実際に甲に会わなければ、これはBの間接体験になる。BがAの言葉をそのまま信じれば甲はまじめな人になるが、Aが見落としたかもしれない別の面をやはり見落とすことになる。BがAに実際に会って話をした時、確かに甲はまじめな面があるが、遊び人の面もあると思うかもしれない。Bの甲に対する直接体験から得たBの解釈は「甲はまじめな面もあるが、遊び人の面もある。」である。Aの甲に対する解釈とは違ってくる。
 間接体験を言葉等で別の人に伝えてその別の人が間接体験するのを第二間接体験と呼ぼう。第二間接体験をやはり言葉等で伝えてその別の人が間接体験するのを第三間接体験と呼ぼう。Aの直接体験をAがBに伝え、Bが第一間接体験した。Bの間接体験をCに伝え、Cが第二間接体験した。第一間接体験は直接体験がそのままは伝わらない。第一間接体験を受けた人の解釈が入るからである。同様に第二間接体験も第一間接体験がそのまま伝わらない。第二間接体験を受けた人の解釈が入るからである。だから間接体験が繰り返される時、その内容はかなり変わったものになってしまう。事実からますます遠ざかるのである。
 現代はマスコミの発達で間接体験、第二間接体験が多い。間接体験が何回も繰り返された間接体験も多い。間接体験の増大する時、実際の事実とかなり違う解釈がゆきわたるのである。

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134 大脳と病気
 人間の臓器の中で間違いをするのは大脳だけである。肝臓、腎臓、肺、心臓などは間違いをしない。実際には肝、腎、肺、心にはたくさんの病気があるではないか、こういう臓器も間違いをしているではないかと言うかもしれない。肝、腎、肺、心が病気になったとしても、これは肝、腎、肺、心が間違ったのではない。間違ったのはやはり大脳なのである。大脳が間違いをし、健康に悪い生活を長く続けた。肝、腎、肺、心はそんな厳しい環境のもとでも体を正常に保とうと懸命に働いた。しかしその厳しい環境についに適応できなくなり破綻したのが、肝、腎、肺、心の病気である。具体的に言うと、大脳が毎日一升の酒を飲むという行為を体にした。肝臓はこの厳しい環境でも懸命に働いて、体を正常に機能させようとした。しかし毎日摂取する大量のアルコールをついに処理できずに破綻したのが肝臓病である。病気は確かに各臓器がなっている。しかし各臓器に罪はない。間違いをしたのは大脳である。
 酒を毎日一升飲むことが体によくないのは誰にもわかる。自分はそんな不健康なことはしていない。それなのに病気になった。これは肝、腎、肺、心という臓器が間違いをしたのであって、大脳は間違いをしていないと言う人も大勢いるだろう。しかしそれも多くの人が大脳で正しいと考えていたことが間違っていた可能性が高い。例えば現在の栄養学では炭水化物、蛋白質、脂肪の三大栄養素をバランスよくとり、動物性食品、植物性食品をバランスよくとるのが健康にいいことになっている。これはかなり疑問がある。これほど肉や乳製品を食べる必要があるのか甚だ疑問である。こういうものが病気を起こしている可能性がある。今一般的に正しいと考えられていることをしているから、自分の大脳は間違ったことをしていないのだとはならないのである。

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135 脳幹と病気
 病気とは体が、脳幹、間脳できちんと統制がとれない状態を言います。正常であれば不要の細胞がどんどん増殖して正常な細胞の活動を妨げることはありません。脳幹、間脳の命令で不要な細胞は殺されます。ある種の細胞が脳幹、間脳の支配を脱してどんどん増殖するのを癌とか肉腫と言います。正常であれば、体を害することのない外物が体に入った時、自分自身の体を害するほど過剰に反応することはありません。脳幹、間脳は体を害するような過剰な反応を許すはずがないからです。脳幹、間脳の調節作用がきかず、体が過剰に反応するのがアレルギー疾患です。これも脳幹、間脳のきちんとした統制がとれていないのです。人間には有害なウイルスが侵入した時、これをたたくために脳幹、間脳の命令で抗体をつくります。ところがこの抗体が勝手に自分の体を攻撃するのがSLE、リウマチのような自己免疫疾患です。正常なら脳幹、間脳は抗体が自分自身の体を攻撃することなど許すはずがありません。脳幹、間脳の支配を脱した自己抗体がこういうことをするのです。正常であれば、血管は脳幹、間脳の命令によりきれいに保たれています。ところが脳幹、間脳の支配を脱した物質が血管壁にたまり血管を狭小化することがあります。これがために起こるのが、脳梗塞、脳出血、心筋梗塞、狭心症です。このように病気はすべて脳幹、間脳によるきちんとした統制がとれない状態なのです。
 人間の体にとって脳幹、間脳の支配下に一番おきにくいものは何でしょうか。それは外から体の中に入ってくるものです。自分の体の外にあるものは当然自分の脳幹、間脳の支配下にありません。それで自分の支配下とするにはこれをつくり変える必要があるのです。具体的には食物は外物であり、脳幹、間脳の支配下にありません。これを食べた時、消化吸収してこれを脳幹、間脳の支配下におかなければなりません。もし脳幹、間脳の支配下に完全におけない物質ができて、これを外に排出できないなら、これにより体の秩序が乱れます。脳幹、間脳で支配できない物質が体にできた時、この状態はすでに病気と言っていいのです。食物をたくさん食べれば絶対量が多いのですから、脳幹、間脳の支配下におけない物質が生じる可能性が高くなります。食事量を少なくしたほうが病気になりにくいのです。「腹八部目、医者いらず」は正しいことなのです。病気になるとよく薬を飲みます、薬は外物ですから、やはりこれも脳幹、間脳の支配下におけるように変えなければなりません。しかし薬は特に偏った物質ですから、脳幹、間脳の支配下におけない可能性が高いのです。脳幹、間脳の支配下におけない物質が体の中にできるとこれはすでに病気の状態です。病気を治すために飲んだ薬がかえって病気を引き起こす可能性は少なくないのです。

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136 多くの人がすること
 Aは多くの人がすることをして日々生きる。Bは自分の頭でよく考えて正しいと思うことをして日々生きる。この差はほんのわずかである。しかしこれが日々積み重なると大きな差になる。
 多くの人がすることは多くの人がするのだからありふれたことである。ありふれたことしかしないと当然ありふれた人間になる。つまり凡人になる。また多くの人がすることであってもそれが自分を益するとは限らない。足の平均的な大きさは20〜30センチぐらいだろう。足の大きさが32センチの人が、みんながはくからと30センチの靴をはけば足を痛めることになる。個人差というものがあるから、多くの人にあてはまることでも自分にあてはまるとは限らない。
 その時の統治者は自分の統治に都合よく行動する人を称讃し、地位、勲章、金銀を与える。人は富貴を求めて統治者に気に入られるように動く。統治者に都合のよいことがみんなのすることになるのである。統治者にとって益となることが、自分にとって益となるとは限らない。自分の命を省みず敵国の軍人を殺す行為は統治者にとって益となる。しかしこれは自らを害することである。
 テレビ等でとりあげられると一つの流行になり、多くの人がそれをすることがある。ところが流行というのは必ず廃れる。何年か経つと多くの人はそれをしなくなる。このように多くの人がすることは時が経てば変わることが多い。一貫性がなく移り変わるのである。大事をなすには一貫性を持ち、十年、二十年の計画を立ててすることが必要である。移りやすい多くの人がすることをするだけでは、とてもこういう遠大な大事ができない。

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137 大脳
 自然科学は大脳が自然の構造を知り得るのだという仮説の上に立っている。この仮説は証明できない。今まで自然科学は古人のなし得なかった成果(物の理を知り、それを応用することで、ロケット、自動車、原爆、テレビ、パソコン等古人ができなかったものをつくってきた)を根拠に多くの人が、大脳は自然の構造を知り得ると思っている。しかしこれは単にそう思っているだけである。大脳は自分の周りで見たことを根拠に論理を進める。例えば2+3=5という数学がある。これは人間の指や人間の周囲にある石ころなどで数えてみて2と3をたすと確かに5になるということから出てきている。大脳が正しいとし、大脳が納得することは必ず大脳が見てきた世界で大脳が正しいとし、大脳が納得することである。大脳が見てきた世界で正しくないならば、大脳はそれを正しくないとする。原子、電子という微細な世界、銀河系のような広大な世界、こういう人間の住んでいる世界と非常に違う世界を支配している理は人間の住んでいる世界の理と同じなのだろうか。人間の住んでいる世界にはない理が動いている可能性がある。するとそれは大脳で解明不可能だろう。

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138 大地震
 必ず大地震が来るとか言われ、防災グッズがよく売れると言う。そのくせ持ち家を売って、賃借り住宅に住みましょうとという動きは起こっていない。震災保険の加入率は16%程度と言う。地震が来ると言われても、持ち家を売り払うほどの危機感はほとんどの人が持っていない。

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139 大脳
 ここにA、Bという二つの国があります。Aの国の主君は甲と言い、Bの国の主君は乙と言います。AとBは対立している国でいつも紛争が絶えません。今度も国境問題で激しく対立し、両国とも十万の大軍を国境に集結させました。甲はaをその大将軍に任命し、乙はbをその大将軍に任命しました。甲は政治のことには自身があるのですが、軍のことではとてもaの能力にかなわないと思っていました。それでその十万の軍の戦略、規律、賞罰すべてaに一任しました。甲はa に「軍のことには口出ししないから、正しいと思うことを遠慮なくやってくれ。」と言ったのです。B国の主君乙は軍のことにも少なからず自信がありました。また十万の大軍をすべてbに任せてしまうのは不安でした。Bがそむいて乙を攻めた時、乙は君主から追い落とされる可能性があります。それで軍を監視する監軍というポストをつくり、自分の腹心のcを派遣しました。十万の軍をbの意のままに動かすのでなく、監軍のcを通して乙の意でも動かすことができるようにしたのです。
 さてA軍、B軍は長く対峙した後、ついに合戦が始まりました。激しい戦いの後、A軍の大軍が大きく崩れ、敗走し始めました。B軍のcは「しめた。これを追い落として全滅させれば我が軍の大勝利だ。」と思いました。B軍の兵隊も大半がそう思い、追いかけようとしました。ところがB軍の大将軍bの命令は「追わずに、引き上げろ。」でした。これにはBの兵隊は不満でした。「もう一追いすれば全滅させることができるのに、どうして引き上げるのだ。大将軍bは腰抜けか。」と思ったのです。これはcも同じ思いでした。それですぐに君主乙に連絡しました。乙からは「追い落として全滅させろ。」という命令が出ました。B軍の命令は二つに割れたのです。君主が大将軍より上ですし、B軍の兵隊は大将軍bの命令に納得していなかったのですから、大半がcを通じた君主乙の命令に従いました。A軍は左右に山のある狭い谷に逃げ込みました。B軍が追っていくと、突如左右の山から敵が攻め落として来ました。伏兵がいたのです。B軍は長追いして疲れていた所に、狭い谷で左右から不意打ちをされたのですから、散々に負け、追って行った軍は全滅になりました。この大敗でB軍は浮き足立ち総崩れとなり、A軍はB国の首都近くまで攻め込んで来たのです。B国は存亡の危機にさらされることになりました。
 戦いを知っている大将軍bの目にはA軍の崩れは真の崩れでなく、伏兵の所におびき寄せる崩れであることがわかったのです。だから「引き上げろ。」という命令を出したのです。戦いをよく知らない乙やcが口出しをしたからこの戦いは敗れたのです。孫子に「将能にして、君御せざる者勝つ。」(将軍に能力があり、君主が口出しをしなければ勝つ)とあります。君主が将軍を任命する時は新たに壇を築いて、君主みずから鉞柄を将軍に授け、「門より外は将軍の心のままにしたまえ。門より内は私が治める。」というのが古法であったとのことです。君主は「政治のことは私がするが、軍のことは将軍がすべてしたまえ、私は口出ししない。」と宣言したのです。
 さて人間の脳は大脳とそれ以外の間脳、脳幹、小脳に分かれます。君主が大脳で、将軍が間脳、脳幹、小脳にあたります。君主は内を治め、将軍は外を治めるのでしたが、脳の場合は大脳が外を治め、間脳、脳幹、小脳が内を治めます。人間の体の内を治めるとは、具体的に言うと、血圧はいくらにしろ、体温はいくらにしろ、インスリンはいくら分泌しろというような指令を出すことです。こういう種々の指令を出すことで体の恒常性が保たれます。体の外を治めるとは、食べ物を確保するために、体を動かす、寒さをしのぐために衣服や家をつくる、動物から身を守るために、ナイフや銃のような道具をつくることなどです。四肢を動かすのは大脳ですから、大脳は体の中も治めているように見えますが、四肢は外界を変えたり、外界に適応するために動かすのですから、これは体の外を治めることと考えます。
 人間の大脳の本来の機能は人間の体の外を司ることです。人間の体の中を治めるのは大脳よりも間脳、脳幹、小脳のほうがはるかに有能なのです。だから大脳が間脳、脳幹、小脳のすることに口出しをすべきでありません。大脳が体の中のことに口出しした時、体の恒常性が失われ、病気になる確率が高くなります。君主が将軍のすることに口出しすれば、負ける可能性が高くなるのと同じことです。

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140 専門医
 ここに甲という一つの動物がいます。その動物は A、B、C、Dという臓器からできています。A、B、C、Dの臓器の機能を調べる検査があり、その基準値はすべて20〜30であることが知られています。ところが、これはまだ知られていないことであったのですが、A、B、C、Dの検査値をすべてたした値は95〜105の間でなければなrなかったのです。これを外れると甲の健康は失われます。このA、B、C、Dの値をたした値を臓器の総和値といいましょう。さてAの臓器の専門医をaと言い、Bの臓器の専門医をbと言い、Cの臓器の専門医をcと言い、Dの臓器の専門医をdと言います。
 ある年甲は健康診断を受けました。A、B、C、Dの値はそれぞれ29、28,29,19でした。甲はa、b、c、dの専門医に診てもらいました。A、b、cの専門医は健康状態に問題なしと診断しました。しかしd専門医は好ましくないと判断しました。臓器Dの値は19で基準値より低下しているからです。「今は症状が出ていないが、早めに投薬しておいたほうがよい。」とdは判断し、Dの検査値を上げる薬を処方しました。甲の検査値は29+28+29+19=105で、臓器の総和値は105になります。これは甲が健康でいることができる上限です。Dの値を基準値内の20にすれば、臓器総和値が106になり、甲の健康は失われます。甲の生体はこれを考え、やむを得ずDの値を19にしたのです。ところがd専門医は臓器Dのことばかり研究していますから、Dのこと以外はあまり知りません。また臓器の総和値が95〜105でなければならないということは、あまり知られていないことだったのです。
 さて甲は臓器Dの薬を飲み始めました。この薬はよく効き、Dの値はじきに25になりました。これを見て専門医dも甲は健康に問題なしと診断しました。今甲のA、B、C、Dの値はそれぞれ29、28、29、25ですから、臓器総和値は111になります。これは健康でいることができる95〜105から大きくずれています。甲はやがてだるさ、疲れやすさを感じるようになりました。しかも日々悪化していくようです。それでもう一度検査を受けました。A、B、C、Dの値はそれぞれ、28、29、29、26でした。A、b、c、dの専門医はいずれも問題ない状態だと言いました。甲がだるさ、疲れやすさを強く訴えると、「単なる気のせいだ。」とか「精神科を受診してみたらどうだ。」とか言われました。さてしばらくすると甲は疲労感が強く仕事ができないようになりました。家でほとんど横になっている生活です。精神科も受診し、安定剤も飲みましたが、一向に改善しません。それでもう一度検査しました。A、B、C、Dの値はそれぞれ、32、29、29、26でした。これを見てa専門医は「A臓器がよくないからこれが原因だろう。A臓器の薬を出すから。」と言いました。この薬はよく効き、Aの値はじきに21まで下がりました。それで臓器総和値は105に下がりました。これがため甲はやがて疲れ、だるさがとれ仕事にも復帰できました。
 専門家とは他の分野を犠牲にして特定の狭い分野のみをよく知っている人のことです。ところが人体のような各臓器が複雑な相互作用を持っている有機体に対して、一つの臓器の知識のみで薬を投与すると、風が吹けば桶屋が儲かるのような複雑な相互作用が起こり、人体はかえって不調となることがあります。

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141 組織
 理を考えようとせずただ言うだけの人が上にいる組織は、一時はいいように見えても時間が経てば必ず崩壊してくる。もし事情がよくわからずにそういう組織に入ったら、できるだけ早く出るようにすることである。

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142 流行
 流行を追う人は価値というものの本質を知らない人である。流行しているとは、多くの人が持っている、あるいはしているということであり、多くの人が持ったり、したりしていることはありふれていることである。ありふれていること、たくさんあることは必ず価値がなくなる。たとえピカソがつくった版画であっても、それを無数に刷れば価値がなくなるのである。
 価値あるものを得ようとすれば、流行していないものを追うことである。
 誰もが見向きもせず、放置されているものを買い、流行するようになり、誰もが買おうとする所で売る。これが投資の原則である。
 人に疎んぜられ非難されている人の能力を見抜き登用する。これが人材登用の要である。能力があるのに不遇の人を登用すると、その人はそれを恩義に感じてその恩に報いようと懸命に働いてくれるものである。

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143 自分の内に従う者と、自分の外に従う者
 自分の内から湧くものに従っている者と自分の外から来る評判や常識に従っている者とでは、時間が経つと前者が優れてくる。「時間が経つと」である。目の先の一時的な勝敗を考えると後者が優れることが多い。

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144 沈思黙考
 多くの人が正しいと言うことと、真に正しいのとはまったく別の話である。多くの人が正しいと言うと真に正しいかのように思い安心してしまう。ここから多くの誤りが生まれる。
 北朝鮮が核実験をしたということで国会でいろいろ討議されている。彼らは討議すればよい策が出ると思っているのだろうか。討議により出る策は多くの人が納得することだから、ありふれた策である。その程度の策はすでに北朝鮮に読まれている。驚天動地の策は沈思黙考から生まれる。多くの人はその深意が理解できず、むしろそれを非難するものである。

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145 見知らぬ世界への旅立ち
 初めて外国へ旅立つ時、私達は何か心が躍るのを感じる。見知らぬものを見ることができるという期待感があるのである。もう明日は死ぬと告げられた時たいていの人は落ち込んでしまう。それで死期を言わないのが一般的である。ところが死ぬとはあの世という見知らぬ世界への旅立ちである。それならば見知らぬものを見ることができるという期待感で心が躍ってもよいのでないか。

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146 愛国心
 愛国心は美徳とされる。祖国を愛し祖国のために働き祖国のために戦うのは美徳とされる。愛国心は本当に美徳なのだろうか。
 愛国心は自分を愛することから生まれる。自分を愛するから自分に近いものを愛する。自分の家族を他の家族より愛するのは自分に近いからである。自分の郷土を他の土地より愛するのは自分に近いからである。自分の国を他の国より愛するのは自分に近いからである。自分に近いものを愛するのは自己愛に近い。愛国心は自己愛に近いのである。自己愛が強く、いつも自分の利益ばかりを考えて行動すればどうなるか。あの人は自分勝手だとか利己主義だと人に非難される。各自が自分の利益だけ考えて動けば、会社も国もまとまりがなくなり崩壊の危機に陥る。各自が強い愛国心を持って動けば国としてはまとまる。しかし世界で見た時、各国がただ自分の国の利益だけを考えて動いているのだから、世界としてのまとまりがなくなる。世界の秩序は崩壊の危機に陥るのである。
 近代国家になって特に愛国心ということが言われるようになったと思う。自分の国を強国にするにはどうしても戦争が避けられない。各国の指導者は、強い国にするために、つまり戦争に強い国にするために国民の愛国心を煽ったのである。国民が強い愛国心を持てば、祖国のために命を顧みず戦ってくれる。それで子供の頃から愛国心を教えこんだのである。近代の学校制度は愛国心を教えこむことがその目的であったと思われる。
 冷静に考えてみて、単に自分が生まれた国だというだけのことでその国を愛さなければならない理由はない。自分の生まれた国のために命を賭して戦う必要などはもちろんない。人間は自分の最も住みやすい国に住む権利を有する。自分を最も厚遇してくれる国に住む権利を有する。自分が生まれたというだけの理由でその国に住み続けなければならないというものではない。自分を厚遇してくれた国のために命を賭して戦うということはあり得る。しかしそれは愛国心から戦うというよりは恩義に報いただけである。

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147 過去の自分
 10年前に考えたことを正確に覚えているだろうか。かなりの部分は忘れてしまう。ところが考えたことを文章化しておけば10年を経ても、20年を経ても考えたことは正確に残る。文章化せずに忘れてしまったことはもう永遠に取り戻すことができない。なかったのと同じことである。よく私は10年前はこういう人間であったとか、子供の時はこういう人間であったとか言う。けれど実際はそうでないのである。10年前や子供の時に考えたことを今正確に思い出せるはずがないのである。実際昔の日記を読むと私はこういうことを考えていたのかと自分でびっくりすることがある。私の10年前はこういう人間であったとか、私の子供の時はこういう人間であったとかいうのは、今覚えている10年前の私はこういう人間であった、今覚えている私の子供の時はこういう人間であったということに過ぎない。実際にあったのだけで忘れてしまったことがたくさんある。自分自身でさえ年月を経るとどういう人間であったのか正確にはわからなくなるのである。よく宮本武蔵はこんな人間であったとか、ナポレオンはこんな人間であったとか言う。しかし宮本武蔵やナポレオン本人でさえ、自分が10年、20年前にどういう人間であったのか正確にはわからないのである。まして他人が正確にわかるはずがないのである。宮本武蔵やナポレオンがどういう人間であったのか一番正確に示すのは、その残した文章である。その文章を読めばその文章を書いた時点での宮本武蔵やナポレオンがどういう人間であったのか一番正確にわかる。世の中の人が言っている宮本武蔵像やナポレオン像は、多くは他人が勝手に想像しているだけのものである。実際とはかなりかけ離れているだろう。

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148 人間の食べるもの
 肉をたべることができるのは、牛、豚、鶏を自分で殺してさばかないからである。もし肉を食べる人は必ず自分で牛、豚、鶏を殺してさばかなければならいないと法律で決めれば、肉を食べる人は急減するだろう。自ら牛、豚、鶏を殺してさばいてまで肉を食べようとは思わないからである。野菜をつくり収穫することは罪悪感はない。家庭菜園は楽しいので趣味にもなる。米づくりは重労働だが、米をつくり収穫することも罪悪感はまったくない。魚釣りは趣味とする人が多い。魚釣りは殺生だと考えしない人も少なくないが、魚を釣って、さばいて食べるということは比較的抵抗が少ない。魚をさばいて食べる人は多い。これは人間の食べものは米、野菜が一番適していることを示している。魚は少し罪悪感があるからあまりたくさん食べてはいけないということだろう。牛、豚、鶏を殺してさばくことは罪悪感が大きいから牛、豚、鶏は人間の食べるものでないのである。

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149 三大疾患
 癌、心臓病、脳血管障害は3大疾患であり人類の敵であるとされる。医療機関や製薬会社はこの3大疾患を予防、治療するために懸命に努力している。今何かのことが起き、今日からこの3大疾患がまったくなくなったとする。人類は幸福になるだろうか。患者が激減するため、医療機関はたくさん倒産し、倒産しなかった医療機関も売上高の急減のためリストラをするため、医療関係者は大量に失業する。薬が売れないため製薬会社もたくさん倒産し、倒産しなかった医療機関も売上高の急減のためリストラをするため、多くの社員が職を失う。製薬会社が大量に倒産したため、製薬会社と取引している会社は売掛金が回収できないことが起こり、連鎖倒産が起こる。製薬会社と取引している会社が倒産すると、製薬会社と取引している会社と取引している会社もは売掛金が回収できないことが起こり、連鎖倒産が起こる。かくして連鎖倒産の連鎖が起こる。連鎖倒産のため、さらに失業者が増え、社会は大勢の失業者があふれる。失業者が大勢になり、職を保った人も給与カットされる人が増えるため、人々は消費をひかえるようになる。それで医療機関や製薬会社以外の業種の売り上げも激減する。他業種もかなり倒産したり、リストラしたりするため、失業者はさらに増える。かくして人類に恐慌が訪れるのである。
 失業した人は食べものを買う金がなく、生きるためにものを盗んだり、人を害してものを奪ったりする者も増えてくる。人を殺してまでものをとる者も増えてくる。以前は夜道でも安全に歩けたのに、夜道は危なくて歩けないようになる。失業者はデモを繰り返し、政府の無策を攻撃する。デモは時おり暴徒化し商品の略奪をする。デモを制止しようとした政府の治安部隊とデモ隊が時おり衝突し、双方に多くの死者が出る。
 国民に不満が充満しているため、政府は次に選挙をすれば与党が負けると思う。権力を失いたくない政府は隣国に攻め込むことを考え出す。隣国と戦争し、勝てば土地が手に入るから、それを自国民に与えることができる。隣国と戦争し、国民の憎悪を隣国に向けて、愛国心を高揚させれば、政府に対する不満が減少する。戦争をすれば、大量の武器を消費するから、軍需関係会社の業績がよくなる。軍需関係会社の業績がよくなれば、それと取引している会社の業績もよくなる。雇用が増え、失業者が減る。戦争をするには大勢の兵士がいるが、失業者を兵士として使うことができる。兵士になった失業者は兵士として就職したのと同じである。これで失業者も減る。
 政府はささいなことで、隣国に言いがかりをつけ、「隣国の横暴を正義の力で正す」と言い、大量の戦車で攻め込んだ。大量の失業者と社会不安で悩んでいたのは、隣国も同じことである。攻め込まれたのをこれ幸いと、隣国も大量の戦車で応戦した。戦いは何ヶ月も続き、双方の死者はうなぎ登りに増えた。政府や軍隊の高官の身内も戦死するようになった。身内を殺された政府や軍隊の高官は隣国に対する憎悪に満ちて、ミサイルで民間人も無差別に攻撃するようになった。これがために女性や子供の犠牲者もうなぎ登りになった。顔を焼かれた女性、片足のない子供も多数みられるようになった。
 人々はどうしてこんな悲惨な状態になったのだろうと考えた。癌、心臓病、脳血管障害の3大疾患があった時は収入もかなりあり、失業者も少なく、社会は平和であった。3大疾患がなくなってから、事態は日ごとに悪くなってきた。人間に収入と平和をもたらしていたのは、3大疾患であったと人々は気づいたのである。

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150 多数決
多くの人が信じていることは、しばしば大脳が理を検討したものでなく、単に大脳が思っていることに過ぎない。理を知るには深く考えなければならない。深く考えなければわからないから、理はしばしばわからないもの、変なものとして排斥される。大脳が単に思っていることは、わかりやすいから多くの人に受け入れられやすい。これがために多くの人が正しいとすることに従う多数決はしばしば大きな誤りを招く。

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151 集団
一つの集団の中にだけいると、その集団でなされていることがすべてのように思ってしまう。いろんな集団に属すると、その差異がわかり、本質的なものが見やすい。

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152 金融政策
 金融政策は日本銀行が公定歩合を変えたり、国債を売買したり(公開市場調査)支払準備率を変えたりすることで国に出回っている通貨の量を変えようとするものである。金融期間は保有する預金量の一定の割合を日本銀行に預け入れるように法律で定められており、この割合を支払準備率と言う。インフレが出てくるようなら通貨供給量を下げる必要があり、景気が落ち込みデフレになっているなら通貨供給量を上げる必要がある。
 通貨の供給が単に日本国内だけで行われているのならこれで通貨供給量の調節はできるだろう。しかし現在はグローバルな時代である。日本が有望な投資先と思われると、世界中から日本に投資し日本の通貨供給量は増える。日本が投資先として魅力がなくなると、日本銀行がいくら通貨を供給してもその通貨は国内にとどまらずに有望な海外の投資先に出て行ってしまう。
 世界で見ると、景気が悪いため景気をよくしようと中央銀行が通貨供給量を増やしている所もあれば、景気がよくてインフレ気味になり、中央銀行が通貨供給量を減らしている所もある。ところが景気が悪いと中央銀行が通貨供給量を増やした所の通貨は、その国にとどまらずに景気のよいところに集まってしまう。景気のよい所に投資すれば、株式の配当金もよいし、インフレ気味だから利率も高いからである。一国による金融政策ではその国の通貨供給量さえ調節できないのである。

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153 予期していなかった発見
 予期していた発見である時はたいした発見でないことが多い。自分が予期していたのだから、他人も予期していたはずであり、多くの人が予期していたのだから多くの人が同じ発見をするはずであり、多くの人が発見するのだからありふれた発見になりたいした発見でなくなる。
 自分が予期していなかったことはたいした発見となることが多い。自分が予期していなかったのだから、他人も予期していなかったはずであり、多くの人が予期していなかったのだから、多くの人が発見しないはずであり、多くの人が発見しないのだから、数が少なくたいした発見となる。
 予期していなかったことが起こった時は大きなチャンスとなる。なぜそういうことが起こったのか、その原因をよく解明しなければならない。

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154 パソコン
 パソコンを使うのは非常に優秀な部下をたくさん持つのと同じである。命じたことを手際よくやってくれる。パソコンに使われるのは、非常に悪い上司に仕えるのと同じである。パソコンは自ら考えることがないから、視野が狭く、頭が固く、変化に柔軟な対応ができない。

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155 プログラム言語
 まったく日本語を知らない部下を動かそうと思えばその人の知っている言葉で命じなければなりません。自分はまったくその国の言葉を知らなければ、通訳を頼むことになりますが、通訳を通じての命令は自分の意図した所と違うように訳されたということも出てきます。自分が部下の国の言葉に通じれば、部下のことももっとわかるようになります。自分の部下の多くが話す言葉は自分も知っているほうがよいのです。コンピューターを動かすには、プログラム言語というコンピューター語を使います。コンピューターを部下として使うには、自分もプログラム言語に通じているほうがよいのです。人間が日常使う言語は融通性があり、少し誤字脱字があったとしても、相手はその意味をとってくれます。ところがプログラム言語は、一語一語に厳格な意味を決めており、また文法も厳格に決まっています。プログラム言語では)や;を一つ忘れただけでも、コンピューターは命令の意味がわからず、うんともすんとも動きません。しかしその規則通りに記述すれば、誤解なく自分の意図していることがコンピューターに伝わります。日常言語では、少し誤字脱字があっても相手にわかりますが、同じことを言っても人により取り方が違ってくることがあり、自分の意図していないことが相手に伝わり誤解が生じることがあります。コンピューター言語はコンピューターが誤解することは少ないのですが、文法通り記述しなければコンピューターはまったく動きません。

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156 倒産
 私達は今ある状態、今まで続いてきた状態ががずっと続くような錯覚を抱きます。自分は今目が見えるし、もの心ついてからずっと目が見えてきた、だから明日も目が見えるに違いないと当然のことのように思っています。自分は今歩くことができるし、もの心ついてからずっと歩くことができてきた、だから明日もあるくことができるに違いないと、当然のことのように思っています。ところがものごとは変わるとというのが本質です。明日と今日が同じであるのがむしろ不思議なのです。
 企業がある製品をつくり成功してたくさん儲けると、今の状態がいつまでも続くような錯覚を持ちます。それで借金して生産工場をたくさんつくったりします。しかしライバル企業もその製品を分解して必死で分析してくるでしょうから、やがて類似品が出てきます。類似品がたくさん出てくれば当然売り上げが落ちます。売りあげが落ちてくると、借金の返済が重荷となります。他社が自分の所よりよい商品を開発したりすることでも起これば、売りあげはさらに落ちます。借金が返せなくなり、倒産することも少なくありません。大きな成功をおさめた時は、もう撤退を考えなければならない時なのに、今の状態がいつまでも続くように思い、生産工場をさらにつくったりするために倒産するのです。

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157 修理
機械の修理は、どの部品が不具合であるかを捜し、その部品を新しい部品と交換することです。不具合のある部品そのものを修理するのでありません。修理というよりは、むしろ部品交換と言うべきことです。現代の文明で古代の文明よりはるかに優れるのは、物理学とそれを応用したいろんな機械でが、それでさえ故障すると部品交換するより他方法がないのです。

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158 大脳
 大脳は縦横無尽に変化します。外界に対して縦横無尽の変化を見せて、いろんなものを作り出してきたのが大脳です。この大脳の働きが他の生物に見られない人間の特徴で、これがために人間は他の生物に勝ってきたし、地球上で広く生きることができるのです。人間は素手で戦えば虎に殺されます。しかし大脳が銃を作り出したため、銃を使えば虎を殺すことができます。人間は極寒の地でも生きることができますが、これは大脳が作り出した暖房器具のおかげです。
 大脳は使えば縦横無尽の変化を見せます。だからよく大脳を用いる人は他人からわかりにくいのです。縦横無尽に変化しているから大脳を使わない人の固定観念からでは理解できないのです。

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159 勝敗
頭を使わない者は頭を使う者に敗れる。
信じて疑わない者は疑う者に敗れる。
驕る者は謙譲な者に敗れる。
短きを見る者は長きを見る者に敗れる。
多欲な者は寡欲な者に敗れる。
利のみ見る者は利を見て害を見る者に敗れる。
勝とうとする者は負けじとする者に敗れる。
人の理に従う者は天の理に従う者に敗れる。
人の考えに従って動く者は自分の考えに従って動く者に敗れる。
考えずに動く者はよく考えて動く者に敗れる。
小人の友多き者は賢人の友多き者に敗れる。
慣習に従って動く者は自分の中から来るやむを得ざる力によって動く者に敗れる。
流行に従って動く者は古典に嗜む者に敗れる。
己の利のために動く者は人の利のために動く者に敗れる。
知っていると思って動く者は知らないと思って動く者に敗れる。
人を侮りて自らを省みない者は人を重んじて自らを省みる者に敗れる。
礼儀を尽くして聞かない者は礼儀を尽くして聞く者に敗れる。
多くの人が行く所へ行く者は多くの人が行かない所へ行く者に敗れる。
周囲に認められることを求める者は理を求める者に敗れる。
権威に認められることを求める者は理を求める者に敗れる。
軽動する者は静にして動かざる者に敗れる。
ものに使われる者はものを使う者に敗れる。
人と同じことをする者は人と同じことをしない者に敗れる。
知らないことを知らない者は知らないことを知る者に敗れる。
佚楽を好む者は苦難を好む者に敗れる。
侮る者は侮られる者に敗れる。
相手を知らない者は相手を知るものに敗れる。
人に致される者は人を致す者に敗れる。
人を軽んじる者は人を重んじる者に敗れる。
人に使われる者は人を使う者に敗れる。
人の短を見る者は人の長を見る者に敗れる。
有限を頼る者は無限を頼る者に敗れる。
多くして理なき者は少なくして理ある者に敗れる。
外からの刺激の多い者は外からの刺激の少ない者に敗れる。
快い環境を求めるものはあえて不快な環境を求める者に敗れる。
情報を入れるだけの人は、情報を分析する人に敗れる。

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160 真理
すぐに多くの人に受け入れられることは真理でないことが多い。深さがないから簡単にわかるため多くの人が受け入れるのである。真理でないから時間が経てばすぐに忘れられてしまう。

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161 凡人
多くの人が走るほうへ走る者は必ず凡才になる。多くの人と同じことをすれば多くの人と同じことしかできないからである。多くの人と同じことしかできない人を凡人と言う。

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162 一番知らないこと
一番知らないことは一番知っていると思っていることである。なぜなら一番知っていると思っていることはそれを疑うことをしないからである。

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163 専門家
 有機的に結合していないものの集合に対しては、それぞれのものに対する専門家はありえる。また専門家の意見を聞いたり、専門家に任したりした方がよい結果を生む。有機的に結合したものの集合に対しては、それぞれのものに対する専門家はありえない。それぞれのものに対してだけよいことをしたのでは、それぞれが有機的に結合しているから、全体を見ると悪い影響を及ぼすことがあるからである。
 家を建てること、自動車を修理すること、英語の文献を訳すことという三つのものの集合は有機的な結合はしていない。だから家を建てる専門家である大工、自動車を修理する専門家である自動車修理工、英語を翻訳する専門家である翻訳家が成立しうる。また専門家の意見を聞いたり、専門家に任したほうがよい結果を生む。人間の肺、肝臓、心臓という三つのものの集合は有機的な結合をしている。生体では肺、肝臓、心臓の三つの臓器は緊密な連携のもとに人間の体を維持している。だから肺の専門家、肝臓の専門家、心臓の専門家はありえない。それぞれの臓器にだけよいことをしたのでは、それぞれの臓器によくても、体全体を見ると悪影響を及ぼすことがあるからである。
 現代医学は呼吸器の専門、肝臓の専門、循環器の専門と臓器別の専門家に分けて治療しようとしている。しかし各臓器だけを知っているのでは、体全体を治療することはできない。

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164 生存期間
治療効果を考える時よく生存期間が使われる。生存期間の長いほうが優れた治療だと言うのである。話すこともできず、歩くこともできない、食事を取ることもできないため経鼻栄養であり、排泄はおむつである、こういう状態で生きているのと、普通に歩き回って生きているのとではまったく違う。同じ生存しているのでも生活の質がまったく違うのである。治療効果は単なる生存期間だけでなく、生活の質も考えた生存期間でなければならない。現在の治療効果は生活の質も考えた生存期間で判定していない。これは大きな問題である。

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165 予測しなかったこと
 世の中はしばしば予測しなかったことが起こる。予測しなかったことが起こったときこそ、人間が向上し新しいことを発見するチャンスである。なぜそういうことが起こったのか深く考え、原因をつきとめ、わかれば書き留めておくことが大事である。世の中の大発見はしばしば偶然から起こる。ある結果を出そうとして実験をしていたのだけれど、偶然予測しなかった結果が出る。その原因をつきとめていくうちに大発見をするのである。

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166 建売住宅
 購入して使うのとリースして使うのとを考えた場合、カスタマイズする必要のあるものはどうしても購入する必要がある。パソコンは自分の必要なソフトをインストールしたり、自分の入力に便利なユーザー辞書を使う必要がある。カスタマイズしなければならないから購入する必要がある。建売住宅はすでに業者が設計して建ててしまっている。購入しても自分に合うようにつくりなおす余地が少ない。カスタマイズできる余地が少ないから購入する必要はない。建売住宅を何十年ものローンを組んで購入する人が多い。私には購入する必要のないものを購入しているように思える。

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167 パソコン
 パソコンを使うのとパソコンに使われるのとでは大違いである。パソコンを使うにはパソコンが動くような言語でパソコンに命令しなければならない。プログラミングが必須になる。

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168 GUIとCUI
 GUI(graphic user interface)はメニューバーやアイコンを見てマウスで操作するから感覚的にわかりやすい。しかしどのように操作したのかを記録するとなると、言葉で長々と表現しなければならない。またその手順は一つの操作に対する手順で、別の操作に対してはまた手順が違ってくる。操作ごとに手順を覚えなければならない。さらにバージョンが変わるとメニューバーや操作法が変わり、前にしていた通りしていると動かなくなることが少なくない。
 CUI(character user interface)は操作を文字で表現する。文字だから抽象的であり直接目に見えるわけでないから感覚的にわかりにくい。しかし一つの操作に対する手順を記録するとなると、プログラム言語で簡潔に表現できる。プログラム言語は一語一語に厳格な意味を持たせており、日常言語のようなあいまいさがない。一つのプログラム言語できちっと動くようになれば、そのプログラム言語をコピーして少し変えただけで別の操作をさせることができる。動くことを検証したプログラム言語を組み合わせることで複雑な操作もさせることができる。プログラム言語もバージョンアップあり変化するが、GUIほどの大きな変化はない。長い目で見るとCUIのほうが優れている。

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169 コンピューター判定
 大手の結構紹介業には相性のコンピューター判定を売りものにする所がある。コンピューターの判定がすぐれていると思うからこういう宣伝をするのであろう。コンピューターのすぐれている点は大量の単純計算を短時間で間違いなくすることである。大きな数の計算だと人間は時間がかかるし、またたくさんすると頭が疲れてきて間違いが多くなる。コンピューターは瞬時に計算するし、大量の計算をしても間違うことがない。コンピューターはもとより自分で考えて行動しているのでなく、書かれたプログラムの指示に従って計算しているだけである。計算は確かにコンピューターがしているのだが、そのように計算させているのはプログラムである。このプログラムは人間が書いたものである。だからコンピューター判定とは結局はそのプログラムをつくった者の判定、あるいはそのプログラムをつくる時に参考にした心理学の学説などの判定である。これらは人間のつくったものである。コンピューター判定とはコンピューターがしているのでなく、結局は人間がしているのである。
 コンピューターは数式に書かれた計算を得意にする。しかし人間の恋愛感情や相性は数式で表せるものだろうか。人間の心は数式だけでは動かない。

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170 強国
 土地という財産を守るにはどうしても武力を必要とします。自分の土地に勝手に入ってくる者がおれば武力で追い出す必要があるのです。武力と武力が争うのが戦争ですが、どちらが勝つかと言えば、数の多いほう、一人の命令で秩序だった動きのできるほうが勝ちます。千人と十人が戦えば明らかに千人が勝ちます。大将の命令で動いている千人と烏合の衆の千人が戦えば、大将の命令で動いている千人が勝ちます。だから土地の財産を守るために武装した時、一人の大将のもとに多くの人が秩序だった動きをする集団が生まれます。そのほうが強いからです。その大将を王と呼び、多くの人がその指揮によって動くのが国です。国と国は土地の所有権をめぐって戦いを繰り返します。数の多いほう、秩序だった行動のできるほうが強いですから、やがて一人の有能な王のもとに非常にたくさんの人が秩序だって動く大国、強国ができます。土地の所有権を守るには一人の有能な王のもとに多くの人がその命に従って動く集団が一番強いからです。大国、強国というのは王の命を受けて死をも厭わずに盲目的に動く大勢の人が必要です。各自が自立していて自分の考えで動くような集団では戦争をすれば負けます。大国、強国というのは、一人の賢い王と馬鹿な多くの人がいる集団なのです。

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171 行動
 行動する時や人に何かを言う時、何かを思って行動したり言ったりする。その思いにとらわれているために、他のことが見えなくなる、後であのことを見落としていた、あのことを忘れていたと気付く。後で修復のきくことならよいが、一度してしまったこと、一度言ってしまったことは取り返しのつかないことも少なくない。行動したり言ったりする時は、もう一度虚心になり、これでいいのか、見落としていることはないか、忘れていることはないかと思うことが大事である。

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172 間違い
 間違いはすることから起こる。なぜなら一つの思いにとらわれてするから、それ以外のことが見えなくなっているのである。

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173 大きな誤り
自分一人がそう思い、他の多くの人がそう思っていない時は、それは真に正しいのだろうかと疑う。その思いにとらわれないから見落としていたと、忘れていたことに気づきやすい。多くの人がそう思っている時は、みんながそう思っているという安心感がありその思いを疑わない。だから見落としていたこと、忘れていたことに気づきにくい。大きな誤りは多くの人が同じように思っていることにある。

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174 愚行
 愚行はほとんど集団でなされる。みんながしているということで愚行が正当化されるからである。

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175 道理
道理に合うように懸命に考えて動いている人と、人に認められるように懸命に考えて動いている人とでは、長い時間がたつと必ず前者が勝つ。短期間の勝負では後者が勝つことが多い。

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176 忘れる
人間は忘れるということがあるおかげで外から入った情報に振り回されないですむ。何回も考えたことが記憶に残る。つまり何回も考えて外から入った情報の誤りを取り除いた後初めて記憶するようになっている。これがために外から入った誤った情報で動くことが少なくなる。

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177 人類滅亡の原因
人類が滅亡して他の生物が人類滅亡の原因を考察した時、何をその原因とするだろうか。
核兵器か。核兵器は人類滅亡の直接原因となるが、核兵器を使うことがなければ人類が滅亡することはない。なぜ核兵器を使ったのか。その原因はどこにあるのか。
公害か。公害は人類滅亡の直接原因となるが、公害をたれ流しにしなければ人類が滅亡することはない。なぜ公害をたれ流しにしたのか。その原因はどこにあるのか。
他の生物はその原因をテレビの発明と普及にするのでなかろか。
テレビにより大量の情報が外から人間に入ることになった。テレビを見ていると外から情報が入ってくるだけで自分で考えることがない。外から入った情報の真偽をよく考えることなく行動することになる。これがために大きな誤りが生じる。

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178 学問
 学問は現在狭い専門分野に分けて研究されている。一人ですべての分野を知るのは大変だから狭い分野だけを集中的にしようとするのである。
 学問が一番身につくのは日常生活で起こる個々のことについてよく考えることである。近思黙考である。日常生活で起こることは多方面なことである。狭い自分の専門分野のことだけ起こるわけでない。だから近思黙考の学問をすればその学問はどうしても多方面になる。専門分野のみの学問は日常から遊離した学問である。それでは日常生活に役に立たないし身にもつかない。

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179 専門家
一面から見ると正しいが、他の面から見ると正しくないというのが誤りの本質である。つまり誤りとは一面から見ると正しいことなのである。多面的に見て正しいということが言えてはじめて正しいと言えるのである。専門家というのは、一面だけを専門に見ている人である。他の面を見ようとしない。だから大きく誤る。

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180 誤り
当然だと思っていることで大きく誤る。当然なされると思っていることがなされないことがしばしば起こるのである。

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181 不快感
人に命令口調で言うと人は不快になる。人に使われるのは気持ちのいいものでないからである。その人の言うことをまったく否定してしまうとその人は不快になる。誰でも人に認めてもらいたいからである。

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182 法律
 どこの国の法律でもその国のために懸命に働く人を罰する法律はありません。その国のためにならないと考えられる時、その人は罰せられます。自国民を殺すことが許されるなら、国内のあちこちで殺人が起こり、その国は非常に住みにくくなります。自国民を殺すことはその国のためになりません。だから殺人は厳しく罰せられます。他国と戦争をしている時、敵国の人を殺すことは自国の利益になります。だから敵国の人を殺すことは罰にならないばかりか賞賛されます。将軍が敵国の人を10万人殺して戦争に勝てば、その将軍は英雄として自国の法律に賞賛されます。人を殺すことは同じなのですが、自国民を殺せば、犯罪となり、他国民を殺せば犯罪となりません。法律は、自国の益になることは、道徳的に悪であっても罰することをせず、自国に害をもたらすことは罰するからです。法律は統治の道具に過ぎません。その国に都合のいいことは善となり、その国に都合の悪いことは悪となります。

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183 本を読む
本を読むのは考えることのヒントを得るためである。本を読むのが主体でない。考えることが主体である。

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184 王手
将棋で王を詰める時、王手、王手と攻めるだけでは王は逃げるだけである。王を取る伏兵を準備して置き、王手、王手と攻めて王をその伏兵の所へ追い込めば王は確実に詰められる。攻めるのは伏兵の所へ追い込むためである。伏兵の準備ができなければ攻めることはしない。人はしばしばある人を非難するだけで、自分が勝ったように思う。これは伏兵の準備をせずに王手をかけるのと同じである。非難された人が負けることはない。

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185 会議
会議は最大公約数的な意見がその結論となります。つまりありふれた意見がその結論となります。ありふれた意見で動いては、会社は他社との競争に勝てません。他社のやらない独創的な商品やアイデアをつくってこそ競争に勝つことができるのですから。だから会議で動く会社は必然的に負け組になります。

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186 精神的疲労
精神的に疲れた時に、テレビを見れば気分転換になって疲れがとれるだろうとテレビを見ることがある。これはかえって疲れることになる。これは胃の調子が悪い時に食事をするようなものである。外から入ってきた食物はそのままの形では使えない。消化吸収して始めて使える形になる。胃の調子の悪い時に食事をとれば、調子の悪い胃をまた働かせることになり、胃はさらに調子が悪くなる。胃の調子が悪い時は、食事をとらずに胃を休ませることが大事である。耳目から入ってくる情報もそのままの形では使えない。思索、吟味して自分の言葉で表現しなおして始めて使える形になる。精神的に疲れている時にテレビを見れば、たくさんの情報が入ってくるから、それを心で吟味しなければならない。疲れている心を使うことになるからさらに疲れる。精神的に疲れた時は外からの刺激を断って心を休ませることが大事である。具体的には眠ることである。

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187 ノーベル賞
たいていの人はノーベル賞や文化勲章をもらうと大喜びする。自分という人間は自然がつくったものである。ノーベル賞や文化勲章はしょっちゅう誤りをする大脳がつくったものである。大脳のつくったものが、自然がつくったものより上と言うのであろうか。

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188 本を読む
本を読むのは考えることのヒントを得るためである。本を読むことが主体なのでない。考えることが主体である。

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189 知ることができること
 数学や言葉やプログラム言語は人間の大脳がつくったものである。人間の大脳がつくったものである以上、人間の大脳で百パーセントわかるはずである。時間をかけ、努力をすれば百パーセントわかるはずである。生物学や医学が対象とする生物や人体は人間の大脳がつくったものでない。自然がつくったものである。自然がつくったものである以上、人間の大脳でわかるかどうかわからない。
 私達は自分の経験したことでものを理解しようとする。自分の経験や思考で自然がつくった生物や人体を理解できるかどうかわからない。生物や人体は人間の大脳で理解できない超論理で動いている可能性がある。人間の大脳でわかるかどうかわからないことは、わからないものとして扱うことが大事である。「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、是れ知るなり」である。

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190 科学者の信仰
敬虔なキリスト教徒は神がいると信じている。それを根拠もないのにただ信じていると笑う科学者は多い。それでは科学者は根拠もないのにただ信じるということはないのだろうか。科学者も根拠もないのにただ信じているのである。科学者は根拠もないのに理性を信じている。理性で自然のつくった物質や生物がわかるということを信じている。これは単なる信仰に過ぎない。物質や生物は人間の理性で理解できない超論理で動いている可能性がある。

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191 ジャストインタイム
「必要なものを、必要な時に、必要な数量だけ」というジャストインタイムのトヨタ生産方式を個人に応用するなら、ものを買う時は、必要なものを、必要な時に、必要な数量だけ買い、そうでないものは商店に置いておくということになるだろう。いつか必要になるかもしれないと思いものを買うと、それを管理するのに手間がかかり、実際に必要になるまで時間があるからその間に商品の劣化が起こる。商品の管理と在庫の劣化のリスクを販売する商店側に押しつけ、自分は持つものをできるだけ少なくするのが賢いだろう。たくさん持っていることを自慢する人が多いが、ジャストインタイムの対極であり、経済的ロスが大きい。

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192 値打ち
自分の内から出るものは、多くの人が正しいとするものより値打ちが出る。なぜなら自分とまったく同じ人間は世の中に一人もいないから、自分の内から出るものは世の中に一つしかない。多くの人が正しいとするものは、多くの人が正しいとするのだからたくさんある。数の少ないものが値打ちが出るから、多くの人が正しいとするものより、自分の内から出るものが値打ちが出るのである。

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193 別の考え方
生まれてから日本人しか見たことのない者は、人間の肌の色は黄色っぽいものだと思ってしまう。周囲にいないヨーロッパ人やアフリカ人を見た時に初めて、肌の色は白い人もいるし、黒い人もいるということに気づく。同じように周囲の人と違う考え方をする人に接した時に初めて別の考え方もあることに気づく。

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194 大脳
人間の大脳の考えることは不完全である。また大脳の考えることは、大脳を使うことで日々変化する。だから大脳の考えることを固定化し、絶対化し、それに従うことは非常に危険である。
大脳の考えたことを文字で記録したのが本である。本になってしまうと、何か神聖なもののように思い、それに盲目的に従う人が多い。本は大脳の考えたものに過ぎないのだから、たとえ論語であっても、聖書であっても徹底的に疑うべきである。

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195 常識
知らないことを知っていると多くの人が信じている。これを常識と言う。

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196 競争
 他人の考えたことに従って動くのは、不幸と失敗の源になる。大脳は柔軟性があり、いろいろな新しいものをつくり出す。その反面常に間違いを繰り返す。だから大脳に従うと間違うことが多いのである。また人の大脳は自分の生存を至上命令としてものを考える。その人の大脳が言うことはその人にとってはよいかもしれないが、他の人にとっては害となることが少なくない。他人の大脳の考えたことに従って動くと、大脳自体が誤りを繰り返すこと、その人の大脳はその人を益することを第一としており、他の人を益することは二の次であることの二つが理由となり、他人の大脳の考えたことに従って動くことは、不幸と失敗の源になる。
 人間は競争が好きである。サッカーの試合に勝とうと懸命に練習したり、学校の試験で人よりよい点を取ろうと懸命に勉強したり、会社で人より出世しようと懸命に働いたりする。この競争の勝負の判断基準は大脳の考えるものである。サッカーの試合のルール、学校の試験問題、ポストを与える判断基準は人間の大脳がつくったものである。しかもこれは他人の大脳のつくったものである。他人の大脳の考えたことに従って動くのは不幸と失敗の源になる。人間の競争が不幸と失敗の源になっているのである。

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197 藩
交通機関の発達による世界の事実上の縮小を考えれば、現在の国は江戸時代の藩にあたるだろう。藩を統制する世界政府がないから、世界は乱れるのである。

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198 国
国とはサービス業に過ぎない。その武力で住民の安全を守り、道路や公共施設をつくり住民に便利さを提供する。住民はその対価として税金を支払う。ホテルに宿泊する時、部屋の快適さ、交通の便、ホテルの従業員の接客態度、食事のおいしさなどとその料金を考えてホテルを選ぶ。住む国を選ぶのもホテルを選ぶのと同じである。その国の住みやすさと料金である税金を考えて住む国を選ぶ。

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199 見ること、聞くこと
私達はものをたくさん見れば賢くなるように思っている。あるいはものをたくさん聞けば賢くなるように思っている。これは大きな間違いである。視覚や聴覚は単なる感覚器に過ぎない。感覚器は判断することができない。記憶することができない。見る、聞くとは感覚器でとらえたものを判断し記憶することである。この判断、記憶は心を用いてなされる。心を用いることがなければ、単に感覚器でとらえた表面的な形だけを見たり聞いたりするだけである。五色人をして盲ならしむ、五音人をして聾ならしむ。

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200 争い
争いで大事なことは、自分が勝つことでありません。相手に勝たせることです。何だ自分が負けるばかりではつまらないと思うかもしれませんが、世の中のことはそう簡単に勝ち負けと分けることができないものです。また勝ちは負けにつながり、負けは勝ちにつながります。人は自分が正しいのだと思いたがります。一人の人が自分が正しくお前が間違っているんだと言えば、相手も自分が正しくお前が間違っているんだと言い、争いとなります。こういう場合君が正しいんだとあっさり認めてしまいます。表面的には負けたことになります。ところが相手の言うことが真に正しいのかを徹底的に検討します。世の中のことは錯綜していますから、そう簡単にすべての面で正しいことなど見つかるはずがありません。よく考えれば相手の言うことの無理、不合理が見えてきます。それがわかれば相手がそれに従って動いた場合に失うものがわかります。それを前もって得ておくのです。人がほしがる前に取るのですから、簡単に手に入ります。時間が経てば相手はその失ったものを後悔し、非常にほしがるようになります。相手が欲するものを与える、ただし相手がそれを得ることで失うものを前もって得ておく。これが人と争わずに確実にものを得る方法です。

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201 個人差
 ここに三人の人、A B Cがいます。Aは酒を三合飲んでもほろ酔い程度の酒の強い人です。Bは一合程度がほろ酔いで、それ以上飲むと深酒になり、後に残ります。Cは酒がまったく飲めません。この三人が酒はどの程度飲むべきかという議論をしました。Aは3合だと言い、Bは一合だと言い、Cはまったく飲むべきでないと言います。それぞれが自分だ正しいと主張しなかなか結論が出ません。これは唯一の正しい酒量はありません。Aにとっては三合であり、Bにとっては一合であり、Cにとってはゼロです。個人の体質により違いがあるのです。すべての人にあてはまる酒量があるのでなく、それぞれに正しい酒量があるのです。また同じ一人の人でも、年月が経てば変わってきます。Aは今三合飲んでもほろ酔い程度しか酔いませんが、年を取ってアルコールに弱くなれば、一合でほろ酔いになるかもしれません。するとAにとって一合が適量に変わります。
 世の中にはたくさんの宗教があります。また一つの宗教の中にもたんくさんの宗派があります。各自が自分が正しいと主張し、争っています。時々武力闘争までになります。今甲はキリスト教の信者で、乙は仏教の信者で、丙はイスラム教の信者とします。各自自分が正しいと主張しています。甲にとってはキリスト教を信仰してから、自分の人生がよくなったという実感があるからキリスト教が正しいと主張するのです。乙、丙も同様に仏教、イスラム教を信仰してから自分の人生がよくなったという実感があるから、それぞれ仏教が正しい、イスラム教が正しいと主張するのです。ところで唯一正しいものというのはあるのでしょうか。人間の個人差があるのでないでしょうか。甲にとってはキリスト教が合い、乙にとっては仏教が合い、丙にとってはイスラム教が合うのでないでしょうか。甲にとってはキリスト教が正しく、乙にとっては仏教が正しく、丙にとってはイスラム教が正しいのです。世の中で議論されていることを見るとすべての人にあてはまる唯一正しいことがあるという前提の上になされていることが少なくありません。この前提がそもそも間違っています。一人の人にとって正しいことがあるのです。一人の人に正しいことは、他の人にとっても正しいとは限りません。この個別差を無視し、自分が正しいと信じることを人に押しつけることから多くの間違いが起こります。

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202 病気の個人差
病気には診断基準があります。診断基準として挙げられた項目の内決められた数以上あてはまるとその病気と診断するのです。例えばSLE(systemic lupus erythematosus)では、頬部紅斑、円板上皮疹、光線過敏症、口腔内潰瘍、関節炎、漿膜炎、腎病変、神経学的病変、血液学的異常、免疫学的異常、抗核抗体と11もの項目が挙げられており、その内4項目以上あてはまれば、SLEと診断されます。11から4つ以上を選ぶ組み合わせは、11C4 + 11C5 + 11C6 + 11C7 + 11C8 + 11C9 + 11C10 + 11C11 = 330 + 462 + 462 + 330 + 165 + 55 + 11 + 1 = 1816 と1816通りあります。1816通りの型があるものをSLEと表現し、それを一つの病気とし、それに対する治療法を考えています。これは各自の個人差を無視したやり方でないでしょうか。

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203 GUIとCUI
 GUI(graphical user interface)は目でアイコンやメニューバーを見て操作するから直感的でわかりやすい。しかし自分のした操作を記録するとなると長い言葉になる。また次に同じような操作をする時も最初から同じ操作を繰り替えさなければならない。
 例えば文書1フォルダにある山田.txtファイルと文書2フォルダにある加藤.txtファイルと文書3フォルダにある鈴木.txtファイルを文書4フォルダにコピーするという操作をするとする。GUIでしたことを記録すれば次のようになる。WindodwsキーとEキーを押してエクスプローラを開く。左のツリー表示で文書1フォルダをダブルクリックして文書1フォルダを開く。文書1フォルダにある山田.txtを左クリックして選択し、CtrlキーとCキーを押してコピーする。左のツリー表示で文書4フォルダをダブルクリックして文書4フォルダを開く。フォルダの中の空白のところを左クリックしてから、CtrlキーとVキーを押して、山田.txtを貼り付ける。次に左のツリー表示で文書2フォルダをダブルクリックして文書2フォルダを開く。文書2フォルダにある加藤.txtを左クリックして選択し、CtrlキーとCキーを押してコピーする。左のツリー表示で文書4フォルダをダブルクリックして文書4フォルダを開く。フォルダの中の空白のところを左クリックしてから、CtrlキーとVキーを押して、加藤.txtを貼り付ける。次に左のツリー表示で文書3フォルダをダブルクリックして文書3フォルダを開く。文書3フォルダにある鈴木.txtを左クリックして選択し、CtrlキーとCキーを押してコピーする。左のツリー表示で文書4フォルダをダブルクリックして文書4フォルダを開く。フォルダの中の空白のところを左クリックしてから、CtrlキーとVキーを押して、鈴木.txtを貼り付ける。
これをCUI(character user interface)で書くと次のようになる。
copy C:\文書1\山田.txt C:\文書4
copy C:\文書2\山田.txt C:\文書4
copy C:\文書3\山田.txt C:\文書4
3行で終わる。これを実行すればいいのである。
 次に旧文書1フォルダにある山田.txtファイルと旧文書2フォルダにある加藤.txtファイルと旧文書3フォルダにある鈴木.txtファイルを文書5フォルダにコピーするという操作をするとする。GUIでするなら、先ほどしたのと同じ操作を繰り返さなければならない。CUIでするなら、先ほど書いたコードをコピーして、文書を旧文書に書き換え、4を5に書き換えるだけで終わる。つまり
copy C:\旧文書1\山田.txt C:\文書5
copy C:\旧文書2\山田.txt C:\文書5
copy C:\旧文書3\山田.txt C:\文書5
と書いて実行すればいいのである。
 人間は忘れる動物である。自分のした操作を簡単な形で記録できないのは致命的な欠陥である。また同じような操作を何回も繰り返さなければならないのも煩雑である。CUIは最初はとっつきにくいが、時間が経ってくると以前に書いたものがたくさんたまってくる。同じような操作をする時はそれをコピーして一部修正すればいいのである。GUIは以前にした操作が記録として残っていないから、同じような操作でも最初からしなければならない。時間が経てば経つほどCUIのほうが有利になる。
 GUIがもてはやされるのはメーカーの思惑もあると思われる。多くの人がCUIで操作すると、柔軟性があるから、不便だと思えば自分でコードを変えて使いやすいようにできる。GUIは柔軟性に乏しく、不便と思っても自分で変更できない。便利になったというソフトが新しく発売されるとそれを買おうと思うようになる。新しいソフトを買ってくれるからメーカーは潤うのである。マイクロソフトはウインドウズを改良することで莫大な利益を得たのである。

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204 正しいことと正しくないこと
正しいとは多くの人に利益があるように見えることである。正しくないとは多くの人に害があるように見えることである。

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205 インターネットと本
インターネットの情報は誰でも発することができるから本の情報より一段落ちるという人がいる。どうであろうか。確かにインターネットの情報は誰でも発することができる。しかしグーグルやヤフーで上位に掲載されることは誰にでもできない。上位に掲載されているものはそれだけの読む価値があって多くの人がアクセスしているということである。また本は出版するのにかなり費用がかかる。それで著者も出版社も売れるように本を書こうとする。少なくとも赤字になるようなことは書きにくい。真理や真実よりも儲けのことを第一にして書かれる。一方インターネットは自分でサイトをつくるのなら、費用がほとんどかからない。儲けのことを気にせずに真理、真実を第一にして書くことができる。

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206 起こらないという確信
状況から考えてあることが非常に起こりそうなのに、起こらないことが長く続くと、長く起こらなかったのだから起こらないのだと思ってしまい、やがて起こらないのだと確信してしまう。非常に起こる確率が高いのに多くの人が起こらないと確信している奇妙な状態が起こる。

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207 長く起こらないこと
 長く起こっていないことは人の虚となる。長く起こらなかったから人は起こらないことに慣れてしまい、起こらないことを当然のことのように思ってしまう。
 一応健康な人は明日死ぬと思っている人は誰もいない。生まれてから長い間生きてきた。勿論死ぬということは一度も起こっていない。人は生きていることに慣れてしまい、生きていることを当然のことのように思ってしまう。死ぬことは起こらないと確信してしまう。今の人類になってから数万年だろうか。数万年前から現在までに生まれた人間はそのほとんどが死んでいる。生きているのは、現在地球上に生きている人間だけである。数万年前から地球上に生まれてきた全人間のおびただしい数のほんの一部である。地球上に生まれてきた人間はほとんどが死んでいるのだから、生きていることが珍しいのである。死んでいるのが当然なのである。明日も生きているならこれは珍しいことと言うべきなのである。

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208 長く続くこと
人は長く起こらなかったことで大きく失敗する。長く起こらなかったから起こらないことが当然のように思ってしまい、何の準備もしていないからである。バブルがはじけた後で人はどうしてあんな高い値段で買ったのだろうと思う。バブルの時はずっと値段が上がることが続いていたから上がるのに慣れてしまい、値段が上がるのを当然のことと思ってしまったのである。だから高値でも買ったのである。長い間値段が上がることが続いているものは売るべし。長い間値段が下がることが続いているものは買うべし。長い間起こらないことは起こることとして準備をすべし。

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209 パソコンを使う
パソコンの一番の強みはその自動化である。指示を出しておけば人間がやれば何日もかかる計算であっても自動的にしてくれる。しかも誤りがない。GUIは人間が画面を見ながら操作する。画面を見ながら操作するということは自動化できない。人間が画面を見ながら自分の手を動かして作業しなければならない。これではパソコンの一番の強みである自動化ができていない。一般的にパソコンを使うとはワード、エクセルや会社のソフトを使い、画面を見ながら手で入力し、文書をつくったり、計算をさせたりすることであることが多い。確かに入力をすれば、パソコンが自動的にしてくれて文書ができるのだからある程度自動化はできている。しかし長時間人間の目と手を使い入力するだけの作業はパソコンを使うと言うより、パソコンに使われていると言うべきである。真の意味のパソコンを使うとは、人間が指示を出してその指示通りにパソコンを動かすことである。この指示の仕方を定めているのがプログラム言語である。CUIは以前に出したパソコンに対する指示はコピーしてそのまま使うから入力作業が少なくてすむ。CUIでなければ本来のの意味でのパソコンを使うことはできない。

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210 GUIとCUI
GUIの一番の問題点は自分がした操作を簡単な言葉で記録しておけないことである。記録がないから後にまた同じ操作をする時一からやり直さなければならない。同じ操作なのにまた人間が繰り返ししなければならないのである。CUIは一度した操作はプログラム言語の記録として残る。後にまた同じ操作をする時はその記録をコピーしてパソコンに指示を出すだけである。後はパソコンが自動的にする。

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211 人に従う者、天に従う者
人に従う者は天に従う者に敗れる。

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212 多くの人がもてはやすこと
多くの人は目の先の利益を求める。20年先の利益を求めて動く人は少ない。多くの人は一面からの利益を求める。自分の見方を疑うことが少なく、他の見方もあるのでないかと思うことが少ないからである。そのため目の先に利益のあることは多くの人が納得し、よいと思う。一面からの利益があることは多くの人が納得し、よいと思う。それで目の先に利益のあること、一面からの利益のあることは、よいこととして多くの人がもてはやす。多くの人がもてはやすことであっても、10年先、20年先のことを考えたらどうなのか、他の面から見たらどうなのかと考えなければならない。

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213 人体と薬
薬の薬理を説明する時、人体の構造、機能はこうであり、薬はそのこの部分にこのように働くと説明する。人体の構造、機能はこうであると説明するが、その説明で本当に正しいのであろうか。自然の一部である人体の構造、機能が私達にどれだけわかっているのだろうか。もちろん100%はわかっていない。50%だろうか。いや数パーセントもわかっていないかもしれない。よくわかていない人体をあたかもわかったかのように考え薬を投与するのは危険なことである。

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214 大脳
人間はライオンのような牙を持たない。象のような巨体を持たない。キングコブラのように猛毒を体から発することもできない。それでいて人間は現在地球上で一番強い動物である。人間の武器は何なのか。それは大脳である。人間は大脳で剣をつくり、銃をつくった。剣や銃を用いることで他の動物を打ち負かしたのである。それでは人間の大脳を打ち負かすものは何だろうか。それは自身の大脳である。人間は自身の大脳の誤りによって倒されるのである。

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215 内閣支持率
 人がどう考えているかとということを知るために、ある程度の数の人を無作為に標本として抽出しアンケートがなされる。そのアンケートの結果が多くの人が考えていることだと言うのである。内閣支持率もこの手法で出される。そのアンケートの回答率が100%ということはまずない。70%ぐらいはざらである。回答した人もあまり興味はないのだが、アンケートにあたったから仕方ないという気持で回答している人が多いのだろう。つまり回答する人は深く考えずに単にその時の感じを回答しているのである。きちっとした根拠に基づいて回答しているのでなく単なる感じで回答している。単なる感じは少し状況が変わればすぐに変わる。内閣支持率が短期間で大きく変動するのは、内閣に対する感じで支持率が決められているからである。アンケートで出る結果ぐらいは、自分の気持ちと自分の周囲の人の言うことを分析すればわかる。自分や自分の周囲の人がどう感じるかということとアンケートの結果に大きな差異はない。
 現代の政治体制において内閣支持率というのは大きな意味を持つ。内閣支持率が低迷すると内閣がつぶれることになるし、次の選挙で惨敗することになる。そんなに大事な内閣支持率が単なる内閣に対する感じで決められているのである。つまり今の政治は遠慮深謀なく単に多くの人の感じで動いているのである。

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216 奴隷
 奴隷とは職業の自由、移動の自由がなく上から労働を強いられる者を言うようである。現代の日本では皆職業の自由、移動の自由を持っているから誰も奴隷であると言うことはできない。しかしその労働の過酷さはある意味では奴隷以上かもしれない。
 自動車は人間ではないが、もしこれが人間ならば自動車は奴隷である。自動車の仕事は主人を運ぶことに決まっているし、主人の許可なしにはどこにも移動できない。私達は自分の自動車を愛車と言い、結構大事にする。ワックスをかけてきれいにみがいたり、どこかあてればすぐ修理に出す。自動車は自分の所有物だから大事にするのである。自分の所有物は自分と同じもののように思い大事にするのである。主人の奴隷として主人の食料を生産したり、主人の家の家事をする奴隷がいるとする。主人はこの奴隷をぞんざいに扱うだろうか。主人にしてみれば奴隷は自分の所有物である。自分の所有物はぞんざいにしないのである。自分の自動車をぞんざいにしないのと同じである。もし奴隷を虐待して奴隷が病気になったり死んだりすれば主人の損失になる。主人の食料をつくってくれたり、家事をしてくれる人がいなくなるのである。奴隷が死ねば別の奴隷を買うこともできる。しかしそれにはかなり金がかかる。主人にしてみれば奴隷を大事にして奴隷が健康に働いてくれるほうが得なのである。奴隷通しが結婚し子供を3人産めば、奴隷が3人無料で増える。虐待して殺してしまうよりはるかに得である。奴隷は確かに職業の選択や移動の自由がないが、そう虐待されるはずがないのである。
 現代の日本の会社員は深夜まで働く人も多い。食事を食べる時間もないと言う人もいる。これは奴隷以上の労働である。主人は奴隷をそんな深夜まで長く働かせることはしない。そんなことをすれば奴隷が健康を害し、働けなくなり、主人の損失になるからである。現代人は職業選択の自由を持っている。これは一見よいように見えるが、会社にしてみればいつやめられるかわからない。いつやめられるかわからないのだから会社にいる間にできるだけ働かせようとする。もしそれで病気になれば、他の人を雇えばよいだけである。職業選択の自由があるから雇われたいと言ってくる人は他にもたくさんいる。かくて会社は社員に奴隷以上の過酷な労働を強いるのである。

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217 魚が釣られること
魚が人間に釣られるということはどうして起こるのか。魚はおいしい餌があると思って食いついたのである。しめた、自分に利があると思ったのである。ところがその餌の中に釣針が隠されていたために魚は人間に釣られたのである。自分の外の世界は災いに満ちている。利に見えることに大きな害が潜む。ただ利だけを見て食いついていけば魚のように釣られるという大きな災いとなる。

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218 人に気に入られること
人に気に入られるように動いている限りたいした人間にならない。気に入られるように動いている人の大脳がつくった世界から出ることがないからである。小人に気に入られようと動けば小人がつくった世界にいつまでもとどまる。

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219 コンピューター
 人間がコンピューターの入力ミスをしたためにしばしば大変なことが生じている。ある医者はサクシゾンと入力すべき所を誤ってサクシンと入力し、患者が亡くなった。みずほ証券の担当者は61万円1株売とすべき所を1円61万株売と誤って入力し会社に大きな損害を与えた。こういうミスがあると、世間は入力ミスをした人を責める。もっと注意深く入力すべきだったと非難する。
 コンピューターは元来人間を助けるためにつくられた。大きな計算をたくさんすると人間は疲れてきてミスをする。また計算にたくさんの時間をとられる。それで人間のミスを補い、人間の時間を節約するためにコンピューターがつくられたのである。人間はミスをするものである。だからコンピューターはそのミスを補うためにつくられたのである。人間が入力すれば、当然入力ミスが出る。入力ミスをしても大きな失敗がないようにソフトをつくって置かなければならなかったのである。
 コンピューター端末を使っていて、何かミスをすると、もっと注意して下さいと言われる。人間がミスをしたのであっても、人間はもともとミスをする動物なのだから、人間を責めるべきでなく、コンピューターソフトをそのようなミスが起こらないように改良すべきである。コンピューターソフトを使っている人の入力ミス、使い勝手の悪さという情報を常に収集しそれを防ぐためにたえずソフトを更新しなければならない。ところがソフトの制作を外部に依頼しているためソフトをしょっちゅう更新すると手数料を取られるためか、一度納入されたソフトはなかなか更新されない。そのソフトに合うように人間が注意することが求められる。これではコンピューターを使う意味がない。人間はミスをするから、コンピューターソフトの助けを借りてミスを防ごうとしているのである。コンピューターソフトの不備を人間がミスをしないように注意して補うのでない。今のコンピューターの使い方は最初に意図したことと反対の方向へ行っているようである。

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220 金槌と錐
 金槌Aと錐Bがいました。金槌Aは釘を打つのに欠かせないもととして定評がありました。釘を打つ時には多くの人が金槌Aの力を借りに来ます。金槌Aのおかげで釘が上手に打てたと多くの人にほめられ金槌Aは得意顔です。ある日裏道を一人で歩いていた時、金槌Aは人が陰口を言っているのが耳に入りました。「金槌Aは自分がいなければ釘が打てないように思っているが、あの平べったい頭は何だ。あんな頭では板に穴をあけることなどとてもできない。それに引き替え錐Bの鋭い切っ先は素晴らしい。すぐに穴をあけることができる。金槌Aも少し見習えばいいんだ。」金槌Aは家に帰ってからもそのことが気にかかります。「自分の頭が平らで錐Bのようにとがっていないことを人が非難している。人は面と向かっては自分をほめるのに、裏ではあんな悪口を言っているのだ。」金槌Aは自分の平らな頭と鋭い切っ先の錐Bを思い浮かべます。錐Bの鋭い切っ先で穴をあけるようなことは金槌Aにはとてもできません。金槌Aは錐Bがうらやましくなりました。よし、それなら自分も努力して錐Bのようになろうと金槌Aは決心しました。金槌Aはあちこちに硬い岩を捜し求めました。そしてかなり離れた所でしたが、自分の頭より硬い岩を見つけました。金槌Aは毎日そこに通い、自分の平らな面の頭を硬い岩にすりつけて頭を鋭くしようとしました。
 半年ほど経つと努力のかいがあって金槌Aの頭の平らさはかなり少なくなり鋭くなってきました。金槌Aはこれで人に頭が平らだなどと悪口を言われることはなくなると思いました。ところが頭が平らでなくなった頃から釘を打つのを頼みに来る人がどんどん減りました。頭が鋭くなり平らでなくなったため釘を打ちにくくなり、人々は釘を打つのを頼みに来なくなったのです。ちょうどその頃金槌Cがこの町にやって来ました。金槌Cは平らな頭をしていますから釘が打ちやすく、釘を打つなら金槌Cに助けを求めるようになりました。金槌Aは錐Bのようになろうとして頭を鋭くしたのですが、錐Bと違い柄が頭に垂直についています。切っ先の上に持ち手がある錐Bと違い、頭と柄が垂直についているため、頭を鋭くしてもやはり穴はあけにくいのです。穴をあけるのでは金槌Aはやはり錐Bにかないません。人々は穴をあける時はやはり錐Bに助けを求めます。釘を打つ時は以前は金槌Aに助けを求めていたのに、今や誰一人来ることはなくなりました。皆金槌Cに助けを求めます。金槌Aはもう一度平らな頭にもどりたいと思いました。しかし一度けずってしまった頭は二度ともとにもどりません。かくて金槌Aは役に立たないものになってしまったのです。
 短所を直さなければならないということがよく言われます。しかしことはそう簡単ではありません。短所はしばしば長所となっているからです。短所を直そうとすれば長所を失ってしまいます。

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221 GUIとCUI
 GUIはコマンドをメニューバーの項目やアイコンに割り振ってメニューバーの項目やアイコンをクリックすればコマンドを実行するようにしたものである。コピーしたければメニューバーの項目にコピーという項目があるし、アイコンではコピーをイメージしたアイコンがつくられている。cp copyというコマンドを覚えなくてもコマンドを実行できるのである。しかしコマンドはコマンドを組み合わせることで複雑な操作をさせることができる。この複雑な操作をすべてメニューバーに入れようとすれば、項目が膨大になってしまうし、アイコンで表示しようとしてもアイコンの数が膨大になってしまう。そんなに膨大な数のメニューバーの項目やアイコンをつくれば数が多すぎてコピーのようなよく使うものがかえって取り出しにくくなる。またアイコンでは画面全体をアイコンがおおってしまうことになる。それでメニューバーやアイコンはコピーとか貼り付けとかの単純な操作に限られるのである。
 GUIで複雑の操作をさせちょうとすれば、自分の目で画面を見てメニューバーの項目やアイコンをクリックするという作業を繰りかえさなければならない。また自分のした操作は記録されない。それで次にまた同じような操作をする時また同じ操作を繰りかえさなければならない。時間が経てば同じような操作であっても以前にした操作を忘れてしまうことも起こる。
 CUIはコンピューターにさせる操作をコマンドの文字で書く。一連のコマンドを書き、それを例えばjikko.batなどと名づけておけば、画面にjikko.batと入力するだけで一連の複雑な操作を実行させることができる。パソコンがその作業をしている間画面に向き合っている必要がない。かなり時間のかかる操作であれば外出してもよい。帰って来たら操作は終わっている。また文字で書いてあるから記録として残る。後に同じような操作をしたければ、それをコピーして少し修正すればよいだけである。文字として残っているだから忘れることもない。CUIはコマンドやプログラム言語を覚え理解しなければならないからとっつきにくいが、GUIよりずっと役に立つ。

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222 空腹
食物が足らないことは動物にとって一大事である。食物がないことが続くと動物は死ぬからである。だから食物が足らないと体はできるだけ体を食物を確保しやすい状態にしようとする。どういう状態が食物を確保しやすいか。体は敏捷に動き、頭も明瞭に動くことである。体が敏捷に動かないと敏捷な獲物を捕らえることができない。頭が明瞭に動かないと獲物の裏をかいて獲物を捕らえることができない。つまり空腹の時は食物を確保するため、体力も知力も高まるのである。健康になりたければ空腹になることである。頭をよくしたければ空腹になることである。

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223 空腹
満腹に食べる中で悟りを開いたということは聞かない。断食したり、乏しい食事の中で悟りを開いたということはよく聞く。空腹であると知能も高まるのである。

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224 空腹
満腹の者は空腹の者に敗れる。

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225 前兆
大きなことが突然起こるのはまれである。何事もその前兆があってそれに困ることがある。その原因を深く考えもせずに過ごしていると突然大きなことが起こる。突然起こったように見えるが、よく考えるとその前兆がある。

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226 勝敗
 百メートル競走という競技がある。百メートルをできるだけ速く走ることを競うのである。当然ながらゴールに入ればもう誰も走らない。ゴールに入ってからも懸命に走っても百メートル競走の順位が上がるわけでないからである。百メートル競争は勝敗を百メートルに限っている。しかしこれは人間が恣意的にしたことである。今一番長い距離の競技はマラソンの42.195キロメートルである。これ以上距離が長くなると走る時間が長くなり過ぎ見るスポーツとしては興ざめする。それでこれ以上長い距離の競技をつくっていない。しかし4千キロメートルを速く走ることができる、4万キロメートルを速く走ることができるというのも一つの価値がある。
 一般的に勝敗は比較的短い期間で決められる。あまり長くなると間のびし見るおもしろさがなくなるからである。高校教育はよく大学入試が目標とされる。大学入試までの期間を競争期間とし、ブランド大学合学を勝ちとする競争である。この競争に勝つために勉強している人は大学入試が終わるともう勉強しなくなる。大学入試以後勉強してもブランド大学に入学できるわけでないからである。百メートル競走で百メートル以後は誰も走らなくなるのと同じである。しかし人生の勉強は大学入試で終わるのであろうか。とても終わるものでない。勝敗や競争は比較的短期間で決められる。しかし実際に大事なのは、長期間の勝敗と競争である。

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227 損して得を取る
 ここに室温が20度の部屋と室温が5度の部屋がある。どちらでも好きな方にいてよいと言われるなら、百人が百人20度の部屋にいるだろう。室温が20度あれば暑くも寒くもない。快適である。室温が5度ではかなり寒い。人は快適なところを選ぶのである。それでは室温が5度の部屋は悪いことばかりだろうか。温室育ちの草木と酷暑厳寒の中で生育している露地の草木とではどちらが生命力が強いだろうか。当然後者である。酷暑厳寒に適応するように草木の適応能力、生命力が高まるのである。だから人も好んで5度の部屋にいれば、その適応能力、生命力は高まるはずである。
 群集心理で動けば、人は20度の快適な部屋に行く。目の先の利、目の先の快を求めて動くからである。遠慮深謀の人は人の捨てるものを取るため、5度の部屋を好む。5度の部屋がもたらす適応能力、生命力を考えた時に、5度の部屋が得になるからである。20度の部屋は快適だったでおしまいである。後に残るものがない。
 一見すれば損をするようなものを取る。これを損して得を取ると言う。

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228 地球の秩序
 内から来るものに従うか、外から来るものに従うかは決定的な違いとなる。内から来るものはその個体を最善の状態にすることを至上命令としている。その個体を害することは決してない。外から来るものは地球を最善の状態にすることを至上命令としている。地球を最善の状態にするためならば個体などどうでもよいのである。
 一頭のシマウマがいるとする。そのシマウマの内臓はそのシマウマを最善の状態にするために動いている。そのシマウマを害することは決してない。シマウマが増え過ぎると草を食べ尽くし地球の秩序が乱れる。それで地球はシマウマの数を減らそうとする。ライオンにシマウマを食べさせるのである。シマウマの外から来るものは一頭のシマウマの命などどうでもよいのである。
 人間は増え過ぎている。自然は地球の秩序を維持するために人間の数を減らそうとするだろう。自然は人間の数を減らすために何を用いるだろうか。人間の弱点は何だろうか。その大脳である。長所が短所となっている。

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229 ものがわかること
数学の本を目で読むだけで数学のわかる人はいない。紙と鉛筆を使い自分で問題を解いてみて始めてわかる。プログラムの本も目で読むだけではわからない。サンプルプログラムを参考に自分で書いてみて、少し書き変えれば動作がどう変わるのかをいちいち確かめて始めてわかる。自分の頭を使って考え、自分の手で書いてみることをしないとものはわからない。テレビを見る時深く考えるということがあるだろうか。目と耳から一方的に情報が入ってくる。一つのことを深く考えようとしても次々と情報が入って来るから深く考えることができない。テレビを見て深く考えようと思うなら、ビデオにとっておいてそのビデオを見る必要がある。ビデオなら深く考えたい所で再生をストップして考えることができる。

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230 競争
多くの人が比較的短期間の競争で勝つことを求めるから争いが起こる。そういう時比較的長期間の競争で勝つことを求めるべきである。人と争わずに確実に大事なものが手に入る。

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231 新しい医学
 西洋医学は人体を形成している内臓、血管、血液、神経、ホルモン、筋肉、皮膚などに起こる異常を病気と言っている。冠状動脈が閉塞するのが心筋梗塞である。肝臓に炎症が起こっているのが肝炎である。血液の糖が高くなっているのが糖尿病である。甲状腺ホルモンが十分に出ていないのが甲状腺機能低下症である。治療は薬物などを用いその異常な状態を正常な状態にもどすことである。心筋梗塞には薬剤などを用い閉塞している血栓などを取り除こうとする。肝炎には薬剤を用い炎症を少なくしようとする。糖尿病には薬剤を用い血糖を下げようとする。甲状腺機能低下症には甲状腺ホルモンを経口摂取して甲状腺ホルモンを上げようとする。その治療の基本戦略は異常な状態にある人体を薬剤などで正常な状態にもどすことである。
 漢方医学は体の異常を気血水の異常としてとらえる。気の少ないのが気虚であり、水が滞っているのが水滞である。薬剤や鍼灸などを用いてこの異常をなくそうとする。治療戦略はやはり薬剤などを用い異常な状態にある人体を正常な状態にもどすことである。
 西洋医学も漢方医学も基本線略は同じである。人体の異常のとらえ方が違うだけである。ただ両医学とも人体がどうしてそういう異常な状態になったのかの考察が乏しい。なぜ血糖が上昇することになったのか。なぜ甲状腺ホルモンが低下することになったのか。なぜ気虚が起こったのか。なぜ水滞が起こったのか。人間の体は自然の一部である以上ミスは起こらないはずである。異常な状態は起こらないはずである。
 人間の強さはその大脳にある。柔軟な大脳を持つからこそいろんな機器をつくり出し、恐い牙を持つライオンも、巨大な体を持つ象も打ち負かしたのである。しかし人間の弱さはこの大脳にある。人間の大脳は柔軟さがあるが故に本能的に動くことが少ない。それでしょっちゅう誤りをする。人間の体は本能的に動いているために誤りをしない。それなら人体の異常の原因は大脳の誤りに求めるべきである。人体の異常を見た時に大脳がしたことの何が誤っていたのかを徹底的に考えるべきである。病気の原因を大脳の誤りに求める新しい医学を考えなければならない。

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232 GUIとCUI
GUI(graphic user interface)は画面を見て一つの操作をするから、多数の操作を連続してする時はずっと画面を見続けなければならない。パソコン操作以外のことはできない。CUI(character user interface)は複数の操作を書いたものをまとめて実行名をつけることができる。その実行名を入力してEnterキーを押しておけばパソコンが勝手に処理する。ずっと画面を見続ける必要がない。処理に時間がかかるような時は他のことができるし、外出することもできる。帰ってくれば処理が終わっている。

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233 明らかに正しいこと
明らかに正しいと言われていることに従って動くのは危険な所がある。世の中のことは混沌が実態であり、何事もそう明白にわかるはずがないからである。多くの人が明らかに正しいと言うようなことは凡人でもわかるように無理して単純化している。その強引な図式の誤りをよく見なければならない。

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234 多くの人が通る道
多くの人が正しいとすることに従って動くなら多くの人と同じ結論になる。多くの人が歩く道を歩けば当然多くの人と同じ所に到着するのである。多くの人が正しいとしないことに従って動くなら多くの人と違う結論になる可能性がある。多くの人が歩かない道を歩けば多くの人が到着しない所に着く可能性があるのである。ただ人の通らない道だからみんなの通っているようなよい道でない。やぶの生い茂ったいばら道である。またこんないばら道を通っても到着する所は多くの人と同じになることも多い。多くの人が通る道を通って多くの人が着かない所に到着することを求める人が多い。これは100%不可能なことである。

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235 自然の単純化
自然の構造は複雑である。人間はわかりやすくするためにしばしばこれを単純化しようとする。それがために大きな間違いをする。コレステロールをLDLコレステロールとHDLコレステロールに分け、LDLコレステロールは悪玉、HDLコレステロールは善玉などと単純化して言う。悪玉扱いされたLDLコレステロールにとってはとんだ濡れ衣である。LDLコレステロールがなければ人間の体は正常に動かない。人間はLDLコレステロールのおかげで健康でいられるのにLDLコレステロールを悪玉扱いしているのである。血圧が140mmHg以上を高血圧と言う。これも血圧を単純に考えすぎる。人間の血圧は140mmHg以上に上がることが必要なこともある。高齢になれば血圧を140mmHg以上にするのが必要なこともある。個人差があり140mmHg以上の血圧が必要な人もいる。一律に140mmHg以上を高血圧とするなどと単純に断じることはできない。

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236 新聞
新聞は起こったことを正確に伝えているのだろうか。新聞記者が起こったことを実際に見た、あるいは起こったことを実際に見た人が話をしたり書いたりしたことを聞いたり読んだりした、あるいは起こったことを実際に見た人が話したり書いたりしたことを聞いたり読んだりした人が話したり書いたりしたことを聞いたり読んだりしたことにより新聞記者が理解したことあるいはその新聞記者が理解したことを説明した編集長や編集会議が理解したことを読者が興味を引くようにアレンジして報道している。記事のソースは実際に見た人でなく伝聞であることも多く、伝聞の伝聞、伝聞の伝聞の伝聞の...伝聞ということもあるだろう。実際に起こったことを見たAがそれをBに伝える時、Aの心で理解できるものが伝えられる。Aの理解できないことは伝えられない。Aの話を聞いたBがそれをCに伝える時もBの心で理解できるものが伝えられる。Bの理解できないものは伝えられない。それで伝聞を繰り返すとごく一般的な人が理解できるものだけが伝えられる。新聞はこういう伝聞を繰り返した事実で新聞記者や編集長が理解したことをできるだけ読者の興味を引くように書かれたものである。正確な事実を伝えているのでなく、新聞記者や編集長の心で理解できた事実や伝聞を伝えているだけである。

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237 2月
人間は2月のようになるべきだし、2月のような時が一番幸せなのかもしれない。2月はまだずいぶんと寒い。しかし陽が着実にどんどんと盛んになっており朝日の勢いがある。内部は実に強いのだが外を見るとまったく強く見えない。寒々としている。過ごしやすい4月、5月は外からもその強さがわかってしまう。登りきった7月、8月はもう落ちるだけである。

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238 為と不為
人間の力で太陽が昇るのだと言う人はいない。太陽は人間の力で昇らすことはできず、自ずと昇るのである。これをしたのは自分の功績だと誇る人は多い。人間が何かを為したということは、何かを為さなかったということである。為の裏に不為がある。功の裏に罪がある。功罪相半ばすることが多い。真に為したとは自ずと為したことである。太陽が昇るように自ずと為したことである。自ずと為したことだから、太陽が昇るのを自分の力だと誇る人がいないように、自分の為したことを自分の功績だと誇ることはしない。自分の功績だと誇るなら、それは自ずと為したことでなく、大きな不為がある。

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239 整理整頓
整理、整頓、掃除を一度にしようとするからうまくいかない。この3つを分けてすればいいのだと言う人がいる。その通りだと思う。整理は整えて理にかなうようにすることである。不要なものは捨てる。壊れているものは修理する。整頓の頓は「すぐに」という意味がある。整えてすぐに出てくるようにすることである。定位置に置いておけばすぐに出て来るから決まった所に置いておく。

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240 栄養摂取と知識摂取
 栄養摂取と言うと人は食べたり飲んだりすることだと考えている。確かに食べたり飲んだりすることは栄養摂取の一部だが、栄養摂取には食べたり飲んだりすることより重要なものがある。それは消化吸収することである。十分に消化吸収してはじめて栄養を摂取したと言うことができる。十分に消化吸収させるために食べたり飲んだりしないこともある。これも栄養摂取である。
 知識摂取と言うと人は本を読んだり人の話を聞いたりすることだと考えている。確かに本を読んだり人の話を聞いたりすることは知識摂取の一部だが、知識摂取には本を読んだり人の話を聞いたりすることより重要なものがある。それは消化吸収することである。十分に消化吸収してはじめて知識を摂取したと言うことができる。十分に消化吸収させるために本を読んだり人の話を聞いたりしないこともある。これも知識摂取である。
 知識の消化吸収とはどういうことを言うのであろうか。自分の頭で考え、自分の言葉で書くことである。自分の言葉で書かないと知識を吸収したとは言えない。世の教師は生徒に本を読むようにと教える人は多い。自分の言葉で書くようにと教える人は少ない。自分の言葉で書かないと知識の消化吸収ができない。いくら本を読んでも、いくら人の話を聞いても、ざるに水を入れるようなもので残るものがない。

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241 テキストファイル
パソコンは互換性が大事である。そのパソコンだけ、そのソフトだけに通じることは有用性が少ない。ファイルで一番互換性のあるのはテキストファイルである。テキストファイルで保存しておけば、いろんなソフトで読みこみ書きこみができるし、いろんな言語で読みこみ書きこみができる。

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242 思想の劣化
Aの言うことをBが聞き、それをまたCに伝える時、Aの言うことはそのままCに伝わらない。Aの言うことでBが理解したものがCに伝わる。Aが偉大な思想家であった時、AからBに伝わる段階で思想の劣化が起こる。Bに理解できるものしかCに伝わらないからである。BからCに伝わる段階でも思想の劣化が起こる可能性がある。

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243 利
餌がなくて魚が釣られることはない。利がなくて人が倒れることはない。

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244 真偽 勝敗
10年先、20年先のことを考えない真偽、勝敗はどんな意味があるのだろうか。人間は適応力があるから間違ってもすぐに害毒は出てこない。10年、20年の時間が経つとその害毒が出て来る。10年、20年の時を経て判断して真であること、勝であることが真であり、勝である。1日や1週間の時間で真偽や勝敗が判定できるものでない。短い時間で無理して勝とうとすると長い時間で大きな害となる。

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245 陰陽両面
何かのことをすることを人が提案する時、これをすればこんなにいいことがあるとたくさん列挙する。そんな時これをすればどんなよくないことが起こるかと懸命に考えることが大事である。陰陽両面を見て始めて大過なくものの判断ができる。

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246 戦い
戦いの時疑わないことが一番危うい。疑わなければ敵の奇兵に気づくことがない。平家が一ノ谷の合戦で敗れたのは、敵は絶対に急峻な山から攻めてこないと信じこみ疑わなかったからである。

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247 価値あるものと幸福
 価値があるためには数が少なくなければならない。たとえピカソがつくった版画であってもそれを無数に刷れば二束三文になってしまう。価値あるものは数が少ないからなかなか手に入らない。なかなか手に入らないから私達はそれにあこがれる。大きなダイヤモンドを手に入れるにはたくさんの金が必要である。普通の人の手に入らないものである。だから人のあこがれとなる。総理大臣の地位を手に入れるには、能力と策謀と運が必要である。普通の人の手に入らないものである。だから人のあこがれとなる。私達はこういう価値あるものを手に入れたら幸福になるように思う。しかし天はそれほど人間に意地悪をしていない。幸福になるためには数の少ないものを手に入れる必要はない。ありふれているものだけで十分である。人間が生きるためには水と空気がどうしても必要である。こういいうどうしても必要なものはたくさんあるのである。

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248 健康と薬
健康でいるために数の少ない高価な薬を飲む必要があるだろうか。天は高価な薬を飲まなければ健康が維持できないような意地悪を人間にしていない。ありふれた食べ物を食べるだけで十分に健康が維持できるようにしている。

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249 持家
政府は住宅金融支援機構でお金の援助をして国民が自分の住宅を持つことを支援しています。これは国民に持家志向があるから、希望をかなえて支持率を高めようとする意図がひとつにあります。もうひとつは不動産は政府が100パーセント把握できますから徴税しやすいということがあります。家を建てようとすれば土地も買うことが多いです。それで家と土地から固定資産税が確実にとれます。また土地や家を持っていると他国に侵略されると自分の財産を失ってしまいますから、国民は他国の侵略に対して懸命に戦おうとします。お金のような流動資産で持っており、他国の銀行に預けているなら、他国に侵略されても自分の財産を失うことがありません。それで不動産を持っている人ほどは懸命に他国の侵略に対して戦いません。このように国民が持家を持つことが政府にとって都合がよいから政府は国民が持家を持つことを支援するのです。

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250 勝敗のルール
人は名を求めて動くもの故、勝敗のルールをきちんと定めて競争させれば勝者という名を求めて動く。勝敗のルールをきちんと定めないと、どちらが勝者なのか判然としないため名が得にくいと思われ、人は動きにくい。

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251 幸福
 人の言う幸福とはしばしば勝者であるということである。例えば野球で優勝すると幸福だと言う。同期に先駆けて課長に出世すれば幸福だと言う。しかし勝者があるということは敗者があるということである。一チームが野球で優勝するためには多くのチームが敗者になっている。同期のトップで課長になるためには同期の他の人はみな敗者になっている。勝者が幸福であるなら、敗者は不幸である。勝者が少数で敗者が多ければ不幸な人の数がずっと多い。勝者であることの幸福とは他の多くの人を不幸にして得る幸福である。
 天は他人を不幸にして自分が幸福になることを望まない。競争に明け暮れる生活は天の意図に逆らうことである。

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252 大きな誤り
人間の大きな誤りは知らないから起こるのでなく、知らないことを知っていると思うことから起こる。

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253 大きな誤り
知らないことを知っていると思っている。自分の周囲の人の意見を聞いても、会社の上司の意見を聞いても、同じように言う。だからそれは正しいのだとさらに強く思ってしまう。これから大きな誤りが生じる。

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254 誤り
人は権力者にならう。権力者にあこがれがあるから、権力者のするようにする。権力者が知らないことを知っていると思っている時、国民の多くもそれにならい知らないことを知っていると思ってしまう。それで一国みんなが間違うことが起こる。

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255 誤り
テレビや新聞が知らないことを知っているように言うと、多くの人も知らないことを知っているように思う。国全体が誤ることになる。

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256 偶然に発見すること
偶然に発見したことは大事である。他人も発見するのにおそらく偶然を必要とするだろう。そういう偶然はなかなか起こらない。だから他人はなかなか発見できない。大発見がしばしば偶然の産物であることは納得できることである。

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257 情報過多
食べ物を食べ過ぎると胃腸の調子が悪くなることは誰もが知っている。食べ物は人間に必要なものだが、それでも取り過ぎると十分に消化吸収ができないため体に害となるのである。耳目から入って来る情報も過多になると人間の心を不安定にする。情報の消化吸収が十分にできないためである。昔は耳目から入って来る情報は自分が実際に見るものと人との話や書物に限られていた。交通も現代ほど発達していなかったため、入って来る情報は比較的少なかった。現代は自分が実際に見るもの以外に、テレビ、ラジオ、インターネット、新聞、雑誌、書物が大量の情報を人間の耳目に入れる。大量の情報を十分に消化吸収できず、心が不安定になっている。腹八分に食べることが体にいいように、情報も腹八分に取ることが精神衛生によい。

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258 情報
食べ物をたくさん食べるのが大事なのでない。少量の食べ物でよいから十分に消化吸収することが大事である。情報をたくさん得るのが大事なのでない。少量の情報でよいから十分に消化吸収することが大事である。

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259 非難
私達は人を非難する時、「人間はAでなければならない。しかるに甲という人はAでない。よって甲は悪く、非難されるべきである。」という論理を使う。「人間はAでなければならない。」という論理は本当に正しいのか。人間のあるべき姿の唯一絶対の基準があるのか。聖人と言われる孔子やキリストも激しく非難された。世の中には「人間は孔子やキリストのようであってはならない。」という基準もあるのである。「甲という人はAでない。」と断じているが、本当に甲はAでないのか。甲の表面だけを見てその深意を知らないのかもしれない。人が言う甲の評価をそのまま信じただけかもしれない。いずれにしても、「人間はAでなければならない。しかるに甲という人はAでない。よって甲は悪く、非難されるべきである。」という論理はなかなか成立しない。

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260 人を使う
私達はこの人はこれができないから駄目だ、あの人はあれができないから駄目だと一人の人に備わるを求めがちである。それでは人を使うことはできない。この人はどこが優れるのかと十分に考えてその優れている所を使うべきである。あの人はこのような人だと他の人が言う。自分もそのように思ってその人に接する。それではその人を使うことはできない。他の人と同じようにその人に接すれば、その人は他の人にするのと同じことを自分にもする。他の人が見いださないような長所をその人に見いだし、その長所を引き出すようにその人に接する。そうすればその人は他の人にはしないことを自分にしてくれる。

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261 大脳
人間の大脳はどれだけのことを知っているのだろうか。人間の大脳が知っているわずかのことで動くのは危険である。

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262 知識の消化吸収
 栄養摂取と言うと人は食べたり飲んだりすることだと考えている。確かに食べたり飲んだりすることは栄養摂取の一部だが、栄養摂取には食べたり飲んだりすることより重要なことがある。それは消化吸収することである。十分に消化吸収してはじめて栄養を摂取したと言うことができる。十分に消化吸収させるために食べたり飲んだりしないこともある。これも栄養摂取である。
 知識摂取と言うと人は本を読んだり人の話を聞いたりすることだと考えている。確かに本を読んだり人の話を聞いたりすることは知識摂取の一部だが、知識摂取には本を読んだり人の話を聞いたりすることより重要なことがある。それは消化吸収することである。十分に消化吸収してはじめて知識を摂取したと言うことができる。十分に消化吸収させるために本を読んだり人の話を聞いたりしないこともある。これも知識摂取である。
 知識の消化吸収とはどういうことを言うのであろうか。自分の頭で考え、自分の言葉で書くことである。自分の言葉で書かないと知識を吸収したとは言えない。世の教師は生徒に本を読むようにと教える人は多い。自分の言葉で書くようにと教える人は少ない。自分の言葉で書かないと知識の消化吸収ができない。いくら本を読んでもいくら人の話を聞いても、ざるに水を入れるようなもので残るものがない。

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263 不幸な人が多い理由
 権力者は戦争や陰謀で敵対する者を殺すか、権力者に気に入られて引き上げてもらうことでその地位を獲得してきた。戦争や陰謀は人を殺したり害したりすることであるから本質的に悪である。戦争や陰謀で権力を得た者は邪心を持つ者なのである。
 人は自分を愛するから自分に似ている者も愛する。それで自分に似ている人が気に入る。しかし自分より能力が優れている人は好まない。その能力によって権力者の地位が脅かされる恐れがあるからである。猫は人間のペットになるが、虎は人間のペットにならない。猫は人間より弱いから人間が猫に殺されることはまずない。虎は人間より強い。人間は虎に容易にかみ殺される。人間より強い虎は人間のペットにならないのである。だから権力者に気に入られて引き上げられる者は権力者に似ているが、権力者より能力が劣る者である。つまり戦争や陰謀で権力を得た者に気に入られ引き上げられる者は権力者と同じく邪心を持ち、その能力が権力者より劣る者である。
 権力者は権力を得た時、自分を美しく飾り自分を正当化しようとする。理にかなったような法律や制度をつくり、自分を金銀や勲章で飾り、大きな邸宅に住み、たくさんの従者を従え、自分を正当化しようとする。国民は権力者のきらびやかさと人の中心にいることを見て、権力者のようになろうと思い、権力者のつくった法律や制度を正しいことと思う。その法律や制度の中で出世しようと努力する。しかし邪心を持つ権力者のつくった法律や制度であるから、もとより無理があり、理に従っていないことがある。国民は理でないことに従い動くために、やがて大きく害されることになる。これが不幸な人が多い理由である。

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264 役に立つこと
役に立たないことはすることにまとまりがない。あることが終わればそのことが終わってしまう。野球の試合で勝つために懸命に練習したとしよう。野球の試合で勝つために身につけた技量、技術は野球の試合が終われば終わってしまう。その後に生きることがない。ところが野球の試合で勝つために努力した中で身につけた体力、人を使う力は後にも生きる。後にも役に立つ。常に後にも生きることを身につけるようにしなければならない。

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265 非難
 人が非難したり馬鹿にしたりする時はこちらのチャンスになる。
 人を非難するのは、自分が正しいと思い、相手が間違っていると思う場合、相手の優れているのを見て自分を正当化するためにことさら相手の非を捜して非難する場合、相手を非難して自分が優越感を持ちたい場合、相手に何かをさせないためにそれをすることを非難する場合がある。
 自分が正しいと思い、相手が間違っていると思う場合は、その人が正しいと思い、その人が間違っていると思うことが、真に正しいものであるか、真に間違っているものであるかが問題になる。相手と冷静な議論をしようとせずに頭ごしに非難するのであればものの道理を知ることがない。理に従わないのであれば自滅する。冷静な議論であればこちらの勉強になる。
 相手の優れているのを見て自分を正当化するためにことさら相手の非を捜して非難する場合は、相手の優れている所に学ぼうとしていない。それでは自分が向上することがない。また相手の優れている所を使おうとしていない。それでは人を使うことができない。
 相手を非難して自分が優越感を持ちたい場合は相手の優れている所に学ぼうとせず、相手の優れている所を使おうともしない。それでは自滅する。
 相手に何かをさせないためにそれをすることを非難する場合は、それをすることがその人の不利益になるから非難しているだけである。もとより聞く必要のない非難である。聞けばこちらの不利益になる。
 人を馬鹿にするのは、相手が自分より劣っていると思う場合、自分のするようなことを相手がしない場合、他の人がその人を馬鹿にするから一緒になって馬鹿にする場合がある。
 相手が自分より劣っていると思う場合は本当に相手が劣っているのかどうかが問題になる。真に劣っているのでなければ単なる驕りである。人間はそれぞれ優れている所があり、すべて自分より劣っていることは少ない。相手の優れている所を学ぼうとしていない。また相手の優れている所を使おうともしていない。それでは自分が向上することもないし、人を使うこともできない。
 自分のするようなことを相手がしない場合は、自分のすることを正しいと信じてしまって間違っているところがないかと反省することをしていない。それでは自分の誤りに気づくことがない。自分とは違うことをする人に何か理があるのでないかと考えることをしていない。それでは人から学ぶことがない。
 他の人がその人を馬鹿にするから一緒になって馬鹿にする場合は、ただ単に人に付和雷同して動いている。自分でよく考えるのでなければ学ぶことがない。

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266 官僚と医師
「前例を踏襲し省益を優先させて全体を見ない」のが官僚主導の政策決定の欠点と言われる。医師も同じようなことが言える。医学部を卒業すると医局に入る医師が多い。医局では先輩医師から診察の仕方、治療の仕方を教えられる。その前例を踏襲して診察、治療をするようになる。ところが医局の中の前例は、しばしば他の医局では通じない。その医局でのみ通じる前例が多いのである。これが同じ前例に従って診察、治療をしている者が徒党を組む学閥の源になっている。また自分の専門とする面からのみ患者を診て、人間全体を診ないようになる。

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267 新聞とインターネット
インターネットの出現は新聞の値打を落とした。新聞の記事は記者が取材して書かれる。新聞に書かれている事件は記者の目から見た事件である。事件の当事者の言うことを記者が伝聞したものを報道しているのである。インターネットであれば、事件の当事者が情報を発することができる。当然事件の当事者の情報のほうが信用できる。新聞社の収入は半分が購読料、半分が広告宣伝費である。たくさん広告宣伝をしてくれる所は大事なお客であり、大事なお客を非難することはできない。だからその記事は多額の広告宣伝費を出してくれる所寄りになる。一方インターネットは掲載するのに費用がほとんどいらない。誰に気兼ねすることなく書けるのである。

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268 大ニュース
 ニュースとなるのは日常とかけ離れた変わったことである。観測史上の最高気温や最低気温は大ニュースになる。しかし観測史上の最高気温や最低気温が出るのはごくまれである。多くは平均気温に近い気温である。十人を殺した人は大ニュースになる。戦争でもないのに、十人も人を殺すことはまれなことだから、大ニュースになる。多くの人は人を殺すことなく一生を終える。
 大ニュースはまれなことであるため、起こる確率が非常に低い。逆に起こる確率が非常に低いことが起こったから大ニュースになるとも言える。
 私達の人生は多くは平穏で単調なことの繰り返しである。朝起きて、会社へ行き、仕事をして家に帰る。休みの日には遊びに行ったりする。この繰り返しである。時に病気になったり、事故に会ったりという変わったことも起こる。もっとまれには自分の家が家事になったり、人に刃物でさされたりということも起こる。しかし人生の多くは平穏で単調なことの繰り返しである。
 大事なことは頻度の高いことである。よく起こるからよく知っていなければならない。頻度の低いこともよく知っているのに越したことはないが、当然頻度の高いことが優先される。頻度の高いことを十分に知り尽くして余力があれば頻度の低いことも知るようにする。もし余力がなければ頻度の低いことは知る努力をしなくてもよい。頻度の低いことが起こった時はその専門家に依頼すればよいのである。
 大ニュースは頻度の低いことである。人生にはもっと大事な頻度の高いことがある。頻度の高い日常のことをよく知るようにしなければならない。

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269 博打と貯金
 ここに100万円を持っている青年がいる。するとその青年に仙人のような老人が近づいて来て言う。「私は君に二つの提案をする。君はその二つの好きな方を選ぶことができる。一つの提案はここでさいころを振る。1、3、5の奇数の数字が出れば、私は君に今5000万円をあげる。2、4、6の偶数の数字が出れば、君の持っている100万円を私がもらう。ただしこれはただ1回の賭けだ。今後二度とこういう賭けはできない。もう一つの提案は君が働いて毎年100万円を貯金するなら、私はその貯金に年4%の利子を30年間つける。君はどちらを選ぶ?」
 最初の提案はいわゆる博打である。二番目の提案は働いてこつこつと貯める堅実な生き方である。毎年100万円ずつ貯金して、30年間年4%で回すなら、30年後にいくらになるのだろうか。56,084,937円になる。

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270 感覚の刺激
内から出るもので動こうとする時、外の刺激は障害になる。例えば食べ物を食べている時は舌がおいしいと感じるからそのおいしさに引かれて動くようになる。もう十分に必要な食事量を取っているからそれ以上摂取することは不要とシグナルを出しても、舌のおいしいという感覚が内から出るシグナルを消してしまう。内から出るものの声を聞きたければ外の刺激を断つことが大事である。

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271 満腹
食べすぎないためには、もっとほしいなと思う所で一度食べるのをやめて、まだ腹が減っているようなら後でもう一度食べようと考えることが大事である。食べている時は舌のおいしいという感覚が強いから、満腹を知らせる内からのシグナルがわかりにくくなっている。一度食べるのをやめて舌の感覚がなくなると、満腹を正常に判断できる。

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272 組織
人間は自分を愛す。だから自分に似た者も愛す。人の使い方を知らない人がトップに立つと、自分に似た者を愛するために自分に似た者を上に引き上げる。その組織の上層部はトップに似たような人間ばかりになる。トップと違う人は嫌われて地位も下に甘んじることが多く、その言うことも重んじられない。するとその組織には居づらくなる。現代の日本では働く組織は自由に選択できるから、冷遇された人はその組織をやめて別の組織に行くことになる。かくてその組織を構成する人はトップに似たような人ばかりになる。

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273 大きな誤り
それをすることに利があること、それをすることに一面の理があること、周囲を見渡してもそれをしている人が多いこと、この三つがそろうと正しいことと考えられ大きな誤りとなる。逆に人に大きな誤りをさせたければこの三つをそろえばよいのである。

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274 戦いで大事なこと
孫子に「是故始如處女、敵人開戸、後如脱兎、敵不及拒。」(是の故に始めは処女の如し、敵人戸を開けば、後は脱兎の如し、敵拒ぐに及ばず。)(始めは処女のようである。敵が戸を開けば、その後脱兎のようになる。敵はふせぐことができない。)これは孫子十三篇の第十一篇九地の最後の四句である。第十二篇は火攻で火を使った戦争の仕方を言い、第十三篇は用間でスパイの使い方を書いたものである。純粋に合戦のことを書いたのは第十一篇九地までであり、その最後を締めくくるのがこの四句である。荻生徂徠も「孫子の合戦の妙この四句に極まる」と注するほど孫子の兵法を凝縮した四句である。孫子はなぜ脱兎と言い、猛虎と言わなかったのだろうか。戦いにおいて大事なのは強さよりもスピードなのである。敵がしまったと思った時はもうどうすることもできないスピードなのである。

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275 已むを得ざる力
荘子の言う「已むを得ざる力」で動くためには、外からの刺激をできるだけ断つことが大事である。外からの刺激があればその刺激で内からの已むを得ざる力がかき消されるからである。

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276 知識と知恵
知識を告げるのは簡単である。自分の外の世界はいろんな形を呈しており、その形を言えば知識を告げることになるからである。例えば日本には市の名前はたくさんあるが、その市の名前は知識になる。市の名前を告げれば知識を告げることになる。
知恵は単なる知識でなく、ものの理を述べるものである。知恵は知識という表面の中に潜む理を言うものである。これは簡単でない。

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277 予測しないこと
 予測しない事態が起こると、たいていの人は怒ったり、深く嘆いたり、あるいは自暴自棄になったりする。しかし予測しない事態が起こった時は大きなチャンスなのである。自分がこういうことが起こると予測していないのだから、他のたいていの人もこういうことが起こると予測していない。こういうことが起こると予測していないのだから、たいていの人はそれが起こった場合の備えをしていない。それが起こった時に対応する能力を持たない。自分がこの予測していない事態に何とか対応し、乗り切るなら、こういうことが起こった場合にも対応できる能力を身につける。これはたいていの人が身につけようと努力しないことだから、たいていの人はそういうことができない。人のできない能力を持っているのだから、そらはやがて価値が出て、人に尊重される。

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278 周囲の多くの人と同じ見解
 自分の周囲の多くの人が自分と同じ見解だと、自分は正しいのだと思い、安心してしまう。これは非常に危険なことである。
 多くの人が正しいと思うことは、多くの人が正しいと思うほど理解しやすいということである。多くの人に理解しやすいということは、それが遠慮深謀がないということである。多くの人は浅近なことばかりを見ているから深遠が理解できない。理解できないからそれをいぶかり、それに納得しない。納得しないからそれを正しくないと思う。だから多くの人が正しいと思うことは、浅近な見解が多い。浅近な考えで動くことは非常に危険である。
 また周囲の多くの人と同じ見解というのは、そういう見解を抱く人が多く、ありふれた見解である。ありふれた見解が価値を持つことはない。価値が出るには数が少ないということが絶対条件だからである。
 つまり自分の見解が周囲の多くの人と同じというのは、その見解が浅近なありふれた見解で、価値が出ることもない見解ということである。しかもその見解に従って動くと、大きな失敗をすることが多く、非常に危険な見解である。
 自分は浅薄で無価値で危険な見解を持っているのに、周囲の人と同じ見解だと安心してしまう。これは非常に危険なことである。

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279 プログラムミス
 プログラムミスが起こるのは、人間の手でプログラムを書くからである。プログラムはプログラムに書かせるようにすると、ミスが少なくなる。つまりプログラムを書くプログラムをつくっておき、そのプログラムにプログラムを書かせるのである。プログラムを書くプログラムを書く言語はPerlが優れている。
 人間の大脳はミスをする臓器である。それでプログラムミスを後から修正しやすくするために、同じような処理はできるだけ、require やサブルーチンで書くようにする。後でミスが見つかっても、require したファイルやサブルーチンを修正しさえすれば、すべて自動的に修正される。

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280 名前
 人間は自分によい名前をつけたがります。自分に大臣とか、社長とか、優秀とか、偉大とかの名前がつくと、非常に喜びます。自分に犯罪者とか、悪人とか、間抜けとかの名前がつくと非常に嫌がります。この名前をつけるいうことをしているのは大脳ですが、大脳の命名はしばしば誤ります。優秀、大臣という名前をつけた人が、実は無能で、凡人以下であったとういうこともあります。変人、無能という名前をつけた人が、実は優秀で、達人であったということもあります。
 人間は大自然の一部であり、大自然を人間の大脳で知り尽くすことが非常に困難なように、人間という自然の一部を人間の大脳で知り尽くすことも非常に困難です。大脳の命名よりも、人間という存在のほうが、ずっと大きいのです。大脳の命名よりも、人間という存在のほうがはるかに価値があるのです。ずっと大きな存在であり、はるかに価値のある存在である人間に従わずに、ただ他の大脳によい名前をつけてもらおうと動いているのが、たいていの人間のしていることです。黄金を捨てて石ころを求めることをしているのです。

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281 正しいこと正しくないこと
 十人の内九人の人が正しいとすれば、それはまず正しいことになります。唯一正しくないとした人も、他のみんなが正しいとするのだから自分は間違っているのだろうと思ってしまいます。それでは眞に正しいものはどうすればわかるのでしょうか。時間がたてばわかります。正しいものに従えばうまくいきますが、正しくないものに従えばうまくいきません。正しいものに従う人は万事うまくやりとげますが、正しくないものに従う人はいたる所で障害が出てきます。その差異が明らかになるまでにどのくらいの時間が必要なのかはものによって違います。「日本の原子力発電は100パーセント安全である。」ということは多くの人が正しいこととし、長く正しいことと考えられてきました。しかし東日本大震災が起こり、福島原子力発電所がメルトダウンし放射性物質を広範囲にまき散らすことが起こり、それが正しくないことがわかりました。正しくないことがわかるまで何十年もの時間がかかったのです。コンピュータープログラムは正しくないプログラムを書くと、コンピューターが動きませんから、すぐに正しくないことがわかります。しかしこれも、百万回に1回や千万回に1回出るようなミスはなかなか誤作動がでませんから、ミスがわかるまで時間がかかります。
 多くの人は自分はだんだん不幸になっているように感じています。子供の頃や、二十歳前後の頃が一番幸せだったように感じています。これは正しくないことをしているからです。正しくないことをしているから、時間がたつとその害毒が明らかになり、不幸になったと感じるのです。正しくないことをしているから、時間がたつと、何をやってもうまくいかなくなるのです。

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282 大脳
人間は大脳が優れているがために、他の動物より強くなり地球上の王となった。では人間の弱さはどこにあるのだろうか。その大脳にあるのである。大脳は確かに人間の一番強い所だが、同時に人間の一番弱い所でもあるのである。人間は大脳により栄えたが、人間は大脳のなす誤りで滅ぶ。

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283 パソコンとマウス
現在では多くの人がパソコンを使っています。パソコンはインターネットにつないで、情報を得たり、ワードやエクセルで文書をつくったり、データベースに情報を入力したり、データベースから情報を取り出したりするという使い方がなされます。パソコンを操作するには、キーボードやマウスが使われます。マウスで画面上のアイコンをクリックしたり、メニューバーから項目を選択することで、パソコンにある処理をさせることができます。パソコンはもともとはコマンドと言われる文字で書いたパソコンへの処理の命令を入力することで、パソコンにある処理をさせていました。しかしコマンドは綴りを1文字間違えても、パソコンは動きません。またたくさんあるコマンドを覚えなければなりません。アイコンをクリックしたり、メニューバーから選択するのは、コマンドの綴りを間違うことがないし、コマンドを覚える必要もありません。マウスを使った操作が簡単で便利だというこどで、現在ではマウスによる操作が主体になっています。
 パソコンを使う時は、キーボードで文字を入力し、マウスでアイコンをクリックしたり、メニューバーの項目を選択したりして、パソコンにある処理をさせれいることが多いです。こういうパソコンの使い方は初心者でもすぐにできるようになります。誰でもパソコンが使えるようになるのです。しかし大きな問題があります。画面を見てマウスをクリックしなければパソコンは動かないのです。アイコンやメニューバーにあるパソコンへの処理の命令は比較的簡単なものが多いです。「コピーする」「貼り付ける」「検索する」という類です。例えばいくらかの文をコピーして貼り付けるのであれば、マウスで、コピーする文を選択して、コピーのアイコンをクリックして、貼り付ける所をクリックして、貼り付けのアイコンをクリックするということをしなければなりません。1回のコピー、貼り付けならばそう時間もかかりませんが、同じコピー、貼り付けを100回しようと思えば、コピーのアイコンのクリックは1回でいいですが、貼り付けのアイコンは100回クリックしなければなりません。1000回コピーしようと思えば、貼り付けのアイコンを1000回クリックしなければなりません。大変に手間になります。
 コンピューターが人間より優れる点は、単純な処理が速いことと、間違いがないことです。例えば、
Q=(0.47×P+1871-69)×3.45678
で、まずP=1とし、Qを計算します。出たQの値をPに代入して、さらにQを計算します。出たQの値をまたこPに代入して、さらにQを計算します。これを10000回繰り返します。人間が紙計算でやると、非常に時間がかかります。またたいていはどこかで計算を間違います。コンピューターにやらすと、短時間で間違うことなく計算します。単純な処理を。たくさん、高速に間違いなくするのがコンピューターの優れている点です。
 コピーを100回する、1000回するというのは、単純なことの繰り返しですから、パソコンの得意な所です。ところがアイコンでパソコンを動かすと、アイコンを100回も、1000回もクリックしなければなりません。大変な手間になるのです。文字によるコマンドやコードでパソコンを動かすと、こういう簡単にできます。
 アイコン一つのクリックでパソコンの処理が終わることは少なく、いくらかのアイコンをクリックしたり、キーボードから入力したりして、パソコンの処理が終わることが一般的です。この一連の処理をエクセルでは、マクロで保存しておき、そのマクロを実行することで、また同じ処理を実行させることができます。マクロで保存しないなら、同じ処理をするたびにいくらかのアイコンをクリックしたりキーボードから入力したりすることをしなければなりません。またほぼ同じ操作だけど、途中で一つだけ違うアイコンをクリックすることだけが違うという操作もあります。ほぼ同じ操作であっても、最初から、いくらかのアイコンをクリックしたり、キーボードで入力したりすることをしなければなりません。コマンドやコードでパソコンを動かせば、一つだけ違う操作をする時は、その所だけ書き変えればよいのです。手間がかかりません。また同じ処理であれば、以前につくったコードをコピーして実行するだけですみます。これも簡単です。
 マウスでアイコンをクリックしたりメニューバーの項目を選択したりしてパソコンを動かすと、コンピューターにさせた処理の記録が残りません。後に同じ処理をしようと思えば、また画面を見ながらマウスでアイコンをクリックしたり、メニューバーの項目を選択したりすることをしなければなりません。時間がたてば、どのアイコンをクリックし、どのメニューバーの項目を選択したのかを忘れてしまうことがあります。忘れないためにどのアイコンをクリックして、どのメニューバーの項目を選択するということを書きとめておく必要があります。またバージョンが変われば、メニューバーの項目が違ったり、アイコンの配列が違ったりしてきます。バージョンが変わるたびに新しい操作を覚えなければなりません。コードでパソコンを動かす場合はコードが残ります。同じ処理をする時は、そのコードを実行するだけです。コードもバージョンが変われば変わりますが、アプリケーションソフトほどの変化はありません。
 アイコン、メニューバーとマウスによるパソコンの操作は簡単にできるようになりますが、同じ操作を繰り返さなければならない点、画面を見て操作するから自動化ができない点、した操作の記録が残らない点、少し違う操作でも最初から同じようにしなければならない点、した操作を忘れてしまうことがある点、バージョンが変わればまた新しい操作を覚えなければならない点などデメリットが非常に大きいのです。

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284 争い
 人と争う時相手にものを考えさせないようにする。相手にものを考えさせると強力な相手となるからである。相手にものを考えさせないためには、相手を一人にしないようにする。一人でいるとものを考えるからである。人と一緒にいると話をするから、同じ考えだと安心しそれ以上ものを考えなくなる。ものを考えなくなれば組しやすい相手である。周囲の人間と同じ考えであるというだけで安心し、こちらを侮るようなれば、もうその相手に負けることはない。

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285 資本主義社会
資本主義社会は利益を至上主義として動いている社会です。そこでなされることは、誰かが儲かるからなされているのです。誰かが儲かっているのでないかという観点から見れば、資本主義社会でなされていることはすべて解き明かすことができます。勿論露骨に利益第一ということは表に出していません。上辺は道徳や真理というきれいな衣服をまとっています。しかし衣服を一枚脱がせれば、利益第一という本性が見えてきます。

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286 映画の英語
映画のシナリオは英語を勉強する上で非常に優れた教材である。またこれを使わないから英語が上達しないとも言える。現代は昔と違い映画のDVDを購入し何回も聞くことができる。またシナリオも有名な映画ならインターネットから無料で手に入れることができる。映画の英語は難しい言葉を使っていない。それでいて言いたいことをきちんと表現している。やさしい単語で文も短いから文ごと覚えやすい。覚えた文は日常に遭遇するいろんな場面でそのまま使うことができる。またDVDは何回でも聞くことができるから、ネイティブのハツオンを知り、ネイティブの発音に慣れることができる。

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287 視野
小人の考えることは視野が狭いことを特徴とする。ものごとを見やすい一定の視野から見ている。その視野が見やすいから、その視野から見る人が大多数を形成しそれが正しいこととされることがある。ものを考える人は安易な見方を疑い別の視野から見ようとする。別の視野から見るからものごとの違う面が見える。狭い一定の視野から見たものはものごとの理をつかんでいない。それで一時大流行しても、やがてその見方だとものごとがうまく動かないことが明らかになり、廃れてしまう。

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288 宝
人が誰も馬鹿にしたり、人が誰も非難したりすることに、宝があります。人が誰も馬鹿にしたり、非難したりすることですから、ほとんどの人はそれをしようとしません。そこに宝があっても、誰も掘ろうとしなければ宝を見つけることはありません。人が誰も馬鹿にしたり、人が誰も非難することであっても、深く、広く考えれば、そこに理があることがあります。そこを掘るのです。源義経が一ノ谷の戦いで平氏に勝ったのは、平氏が誰も攻めてこないと思った急峻な山から攻めたからです。誰もが宝がないと思っている所を掘ることが大事です。

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289 必敗の形
 多くの人が正しいと言うからとか、多くの人と同じだからとかで正しいことだと信じきっていること、それと違うことを見ればすぐさま非難してくるようなことには、大きな危険(敵対する人にとっては大きなチャンス)があります。
 正しいと信じ込んでしまっているからそれを疑うことをしません。疑わないからその誤りに気づくことがありません。一ノ谷の戦いで平氏が源義経に敗れたのは、絶対に攻めて来ないと信じきっていた急峻な山から攻められたからです。絶対に正しいと信じきっていることの誤りから攻められたら必敗の形になります。
 多くの人が正しいと言う、多くの人と同じという程度の根拠で正しいとするのは、徹底的な窮理をしていません。徹底的な窮理をしないと誤りで満ちているのが一般的です。その誤りから攻められたら必敗の形になります。

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290 金
金は金のために動くほどの値打ちを持たない。しかし人は金で動かすことができるし、資本主義社会は金で動いている。

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291 大きなチャンス
皆が正しい、当然のことと考え、それと違うことを言うと笑ったり、すぐに非難してくるようなことにチャンスがある。誰もが正しい、当然のこととしても、詳細に検討すると、何の理もなかったり、明らかに間違っていたりすることがある。ここに大きなチャンスがある。源義経が一ノ谷の戦いで平氏が何の準備もしていなかった急峻な山から攻めたのと同じ形になる。

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292 大きな災い
魚を釣るには必ず餌がいる。針を餌でおおわなかったら食いつく魚はいない。餌という利がないのに、あえて釣り針に食いつこうとする魚はいないのである。大きな災いが小利でおおわれると、その小利を得ようとして、大きな災いを招く。もろに大災が見れたら、誰もそれを取ろうとしない。大災が小利でおおわれ、一見して利を得るように見えると、人はその大災を取るのである。利がなくて大きな災いを招くことはない。大きな災いの前には必ず利がある。利ほど害なるものはないのである。

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293 知恵
知恵とは同じものを別の面から見ることである。パソコンのプログラムを書いている時、一生懸命書いている時は今持っている構想にとらわれている。その構想内で書こうとする。ところが空白な時間、つまり散歩したり、料理をしたりしている時にふと別の構想が浮かぶ。あるいは今までの構想の欠陥が見えてくる。心を空白にしている時間だから、今までの見方にとらわれていない。それで新しい見方が浮かびやすい。知恵を得るには空白な時間がどうしても必要なのである。古来思想家が散歩を好むのはこのためだろうか。

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294 人を使う
人を使う時、たいていの人は評判のよい人を使おうとします。多くの人が認めているから間違いないと思うのです。しかし評判のよい人はいつも人からよく言われていますから、人からよく言われるのを当然のことのように思ってしまいます。自分が同じようによく言ってもあまり嬉しいと思いません。当然のことだと思うだけです。少しでも悪く言えば非常に侮辱されたように思い怒ります。自分を振り返ってみればわかりますが、自分の優れている所を誰も認めてくれなかった経験が誰にもあります。またありもしない悪口を言われた経験が誰にもあります。人の評判とはこのようにいい加減なものなのです。人が認めない人の優れた所を見抜き使う、多くの人が悪口を言うが、実際はそうでないと見抜き使うことが大事です。誰もが認めないことを認めて使うのですからその人も喜び懸命に働いてくれます。役に立つ人材はむしろ評判の悪い人の中にいるのです。

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295 大脳と他の臓器
大脳は他の臓器を殺したり害したりすることができる。包丁で自分の心臓を刺せば心臓を殺すことができる。包丁で自分の腕に切りこめば皮膚を害することができる。しかし大脳は害された臓器を修復することはあまりできない。せいぜい助けができる程度である。切りこまれた皮膚を修復するのは皮膚である。大脳は縫合したり、閉鎖療法をしたりして皮膚が修復するのを助けることはできる。しかし縫合したり閉鎖療法をしたりしなくても皮膚はやがて修復する。縫合や閉鎖療法は修復を早めたり、きれいに修復させるだけである。大脳のできることはあくまで補助である。
大脳は他の臓器を殺したり害したりすることができる。しかし他の臓器を修復することはあまりできない。大脳以外の他の臓器が他の臓器を殺したり、害したりすることができるだろうか。心臓が皮膚を殺すことが出きるだろうか。できない。心臓が皮膚を害することができるだろうか。できない。ただし心臓が弱れば末梢循環が十分でなくなり、皮膚に浮腫ができることはある。しかしこれは心臓が弱った影響が皮膚に出たのであり、心臓が意図的に皮膚を害したのではない。
大脳以外の臓器は臓器を殺したり害したりすることができない。ただし一つの臓器が弱り、その影響で他の臓器も弱ることはありえる。
肺が癌になった時、人は肺が病気になったのだから肺が悪いと言う。しかし肺が肺を害することはない。肺は害された肺を懸命に修復しようとしている。肺が肺を癌にすることはありえない。ただし肺が弱り肺が癌になることはありえる。また他の臓器が弱りその影響で肺が癌になることもありえる。
肺を害したり、肺を弱めたり、他の臓器を害したり、他の臓器を弱めたりすることができる臓器がある。大脳である。大脳は他の臓器を殺したり害したりすることができる。大脳は誤る臓器である。その誤りのために、他の臓器を殺したり害したりすることもある。肺癌の大きな原因は大脳の誤りである。大脳の誤りが肺癌を起こしていることが一番多い。これは肺癌だけでない。他の病気も同じである。大脳の誤りが人の病気を起こしていることが一番多い。

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296 陰口
どういう場合に人は非難をするのでしょうか。「こうでなければならない」という考え方、価値観、理論があり、その考え方、価値観、理論に従っていないと考えられた時に人は非難をしてきます。その非難が正鵠を得ているためには、次の二つのことが成り立たなければなりません。まず、「こうでなければならない」という考え方、価値観、理論が理にかなったものであること、次にその考え方、価値観、理論に従っていないことが確かであることです。「こうでなければならない」という考え方、価値観、理論は単に一面的な見方であったり、単に皮相的な見方であったりすることが少なくありません。それでその考え方、価値観、理論が真に理にかなったものであるかどうか、非難する者と非難される者との間で徹底的に議論することが必要になります。また人の心は外見からわからないことも多いものです。それで非難されている人が真に根拠となっている考え方、価値観、理論に従っていないかどうかもわかりにくいものとなります。
このように非難が正鵠を得ているとなる二つの成立条件を立証することは難しいのです。少なくとも非難する者と非難される者との間で徹底的に議論しなければ、その非難が正鵠を得ていると言うことはできません。
非難されている人のいない所でその人を非難することがよくあります。いわゆる陰口です。この陰口は100パーせんと誤っています。なぜなら非難されている者との間で、「こうでなければならない」という考え方、価値観、理論が理にかなったものであるかどうかの議論をしていません。意図的にその人のいない所で非難してその人との議論を避けけています。根拠としている考え方、価値観、理論の誤りを指摘されるのを恐れているのです。これではその根拠としている考え方、価値観、理論が誤っていることを自ずと露呈しています。
陰口を言われた時はどうすればよいのでしょうか。ほっておけばよいのです。あるいは陰口を言われるのを喜んでおけばよいのです。陰口はその根拠としている「こうでなければならない」という考え方、価値観、理論が理にかなったものかどうかの十分な議論をしていません。それでその考え方、価値観、理論が誤っていることは明らかです。誤った考え方、価値観、理論に従って動けば、理にもとりますからものごとがうまく動きません。ものごとがうまく動かないので、そのしようとしていることは失敗することになります。やがて大きな災いとなります。また陰で悪口を言うくらいですからその人が根拠としている考え方、価値観、理論に従って動いていないかどうかの判断もいい加減です。つまりその人を実際とは違うように言って悪口を言っていることが多いのです。つまり嘘の悪口を言っているのです。人間は一度はだますことができます。最初からその人の言うことを嘘だと思わないからです。けれど二度だますことはできません。一度だまされたから、この人の言うことは嘘だと思い、何を言っても信用しなくなるからです。嘘の悪口を言うと、人は一度はその嘘の悪口を信じます。しかしやがてその悪口が実際とは違っていることが露見すると、それが嘘であることが明らかになります。以後その嘘の悪口を言う人は信用されなくなります。人の陰口を言う人にはやがて大きな災いが訪れ、人に信用されなくなります。人の陰口を言う人を不幸にする最も効果的な方法はますます人の陰口を言わせることなのです。

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297 心の強みは何か?
 心はその柔軟さが強みである。柔軟さのない心は極めて弱いものである。心を白くして、新しい考え方、見方が浮かび、新しい考え方、見方が宿るようにする。心を白くしないと、ひとつの考え方、見方に固まってしまう。そういう固い心は柔らかい心に簡単に負かされる。
 敵に動きをつかまれた軍は必敗である。必ず東に動くとつかまれると、東に伏兵を置かれて必敗の形となる。同様に固い心は人にその動きをつかまれる。その動きに因りて撃たれると必敗の形になる。柔軟な心はどのように動くのかまったくわからない。だから撃ちようがない。

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298 信用
 信用をつくるには、何年も何十年もかかるが、信用を失うには一日もあれば十分である。利益のために信用を失うとその代償はあまりに大きい。信用を守るために大きな損失を出すのを嫌ってはいけない。守った信用は後に大きな利益をもたらす。

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299 武器を持つということ
 武器を持って、殺傷する意図を持って、襲ってきた人を反対に殺傷しても正当防衛が成立するから、罪は問われない。自分を殺傷しようとする人を殺傷するのは正当なことなのである。武器を持つとは、「私は人を殺傷します。」という意思表示である。殺傷されようとする相手方は当然正当防衛が成立する。武器を持った人を相手方が反対に殺傷しても。相手方は罪を問われない。正当防衛が成立するからである。武器を持って相手を殺傷しようとすれば、逆に相手に殺傷されても何の文句も言えないのである。武器を持つとは、「私は人を殺傷します。」という意思表示であると同時に、「私は相手方に殺傷されても当然のこととして、何の文句も言いません。」という意思表示でもある。
 武器を持っていない人を殺傷すのは犯罪行為である。武器を持っていないから、人を殺傷しようとしていない。そういう人を殺傷すのは正当防衛が成立しない。犯罪となる。アメリカが武器を持っていない広島市民を原爆で惨殺した如きは空前絶後の犯罪行為である。

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300 武力を用いるということ
 武力を用いてものごとを解決するのは、誤りであることが多い。しかし武王が武力で紂王を討ったような例もあるから、武力行為をすべて誤りと言うことはできない。武器を持って人を殺傷しようとすれば、当然相手方もこちらを殺傷しようとする。だから武力を用いるには、反対に自分が殺傷されることもあると覚悟してしなければならない。
 人のため武力を用いなければならないことも確かにある。だから人のために、自分が殺傷されるのを覚悟して立ち上がる者がいる。志士仁人は身を殺して仁をなすことありである。しかし武力を用いるのは武器を持っている人に対してでなければならない。武器を持っていない人を武器で殺傷するのは、決して許されることでない。これは犯罪である。だから武器は武器を持っている人のみを殺傷するものでなければならない。決して人を無差別に殺傷するものであってはならない。無差別に人を殺傷する武器は、武器として適さない。絶対に使うべきでない武器である。毒ガスの如きは、その風下いる人は、武器を持っている人も武器を持っていない人も無差別に殺傷する。これは使うべきでない武器である。まったく武器を持たない子供が地雷を踏み、両足を失うことが多い。地雷も使うべき武器でない。原爆は武器を持つ人も、武器を持たない人も無差別に大量に殺傷する。これも使うべき武器でない。
 アメリカはよく大量破壊兵器を持っているとかで、よく他国を攻撃するが、大量破壊兵器が悪いのでない。無差別破壊兵器が悪いのである。アメリカが大量に持っている原爆、水爆は無差別破壊兵器である。ただちに破棄すべき武器である。

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301 ものが見えないこと
ものが見えないようにさせるには、ものを見させることである。ものを見ると視点は見ているものに行く。見ているものは見えるが、それ以外のものが見えない。視点は一点である。一点だけ見えて他の多くのものが見えていない。だからものを見ると、ものが見えなくなるのである。

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302 考えること
 プログラムを書いても、それがきちんと動くがどうか実行してみないと、とてもプログラムを書いたとは言えない。実際に実行してみると、意図したように動かないことがむしろ普通である。間違った所を修正し、また実行する。まだ動きがおかしいなら、また修正する。これを繰り返してはじめてきちんと動くプログラムができる。
 私達の考えることは修正前のプログラムのようなものである。実際にものの理に合うかどうかを検討しなければならない。多くの人と同じ考えだとか、多くの人がほめてくれるとかで、考えたことが理にあうかどうかを検討しようともしない。それではほぼ百パーセント理に合わない。ほぼ百パーせんと誤りである。

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303 派閥
 派閥をつくるのは、自分を周囲の人々と同じということで正当化しようとするためである。派閥は必ず他の派閥を排斥しようとするし、また必ず自分達と違う人間を排斥しようとする。派閥は似たような人間が同じであるということで自分達を正当化するためにできているのだから、自分達と違う人間を間違っている、悪いとして排斥するのは、派閥をつくった目的に一番かなうのである。
 国というのも一つの大きな派閥である。言語、体の特徴、考え方が似ている者が、一つの大きな派閥を組んだのが国である。国の指導者が国民の多くの支持を得る一番確実な方法は他の派閥、つまり他国を排斥することである。他国は言語道断の悪者で武力で制圧すべきだと主張することである。国民は自分達は正しく、他国は悪いと言われると、内心快哉と思うのである。それで他国を言語道断の悪者とする指導者を強く支持する。世界に国という派閥がある限り戦争がなくなることは決してない。

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304 必敗
外に動かされている人は、内から動いている人に必敗である。

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305 パソコン
 パソコンを使う上で一番大事なのは、きちんとOSとドライバがインストールできることである。プログラムには、ミスがつきものであり、いろんなプログラムをインストールしていると、ミスが積み重なり、パソコンがおかしい動きをすることがある。これを修復する一番確実な方法はOSとドライバを再インストールすることである。OSとドライバの再インストールができなければ、いつまでも不安定な状態でパソコンを使うことになる。パソコンを購入すると、すべてのパソコンでOSとドライバはすでにインストールされている。必要なアプリケーションソフトもインストールされているものが多い。そのままの形で使える状態になっている。そのままの形で使えるから、OSとドライバの再インストールなどはほとんど誰もしない。にっちもさっちもいかない状態になって、始めてOSとドライバの再インストールを考える。しかしメーカーがサポートする期間があり、にっちもさっちもいかない状態になった時点ではサポートが受けられないことも多い。OSとドライバを再インストールしていて、途中でつまってしまい、聞く人もなく、途方にくれることがある。だからパソコンを購入したら、まずすべきはOSとドライバの再インストールである。わからなけばメーカーに聞き、必ず自分でOSとドライバが再インストールできるようにしておく。忘れないようにその手順を書いておく。OSとドライバの再インストールができずにパソコンを使うのは基礎工事を疎かにして家を建てるようなものである。基礎工事は地味だが、基礎工事が一番大事なものである。

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306 マウトとキーボード
 パソコンはマウスにより操作されることが多い。文字入力以外はほとんどマウスで操作できるようになっている。ノートパソコンはタッチパッドがあり、そこを指で振れることで、マウスと同じ働きができる。スマートフォンやタブレットは画面上を指で触れて操作できるタッチパネルになっている。パソコンもウンドウズ 8では、タッチパネルによる操作が標準になった。マウス、タッチパッド、タッチパネルに共通するのは、情報を画面上に表示し、その画像を見て人間が判断し操作することである。つまり、何かしたいことがある→それをするコマンドが割り当てられている候補の画像を表示する→その候補の画像から一番適当なものを選ぶ→パソコン、スマートフォン、タブレットがそれを実行する という構図である。パソコンにはキーボードがついている。マウスでできるかなりの部分はキーボードでもできる。キーボードによる操作は、何かしたいことがある→それをするコマンドが割り当てられているキーボードを打つ→パソコンがそれを実行する となる。キーボードによる操作は、パソコンの画面を見なくてもできるのである。もっともある操作をして、意図通りの操作ができたかどうかを画面を見て確認したほうがよい。キーボードを打ち間違えたりして、意図通りの操作ができていないことも少なくないからである。キーボードによる操作は、マウスによる操作の、それをするコマンドが割り当てられている候補の画像を表示する→その候補の画像から一番適当なものを選ぶ という二つの操作を、それをするコマンドが割り当てられているキーボードを打つ という一つの操作でしてしまうのである。だからキーボードによる操作はマウスによる操作よりも速くなる。もっとも一つのキーを打つだけでは操作が完了しないで、キーをいくらか打たなければならないことも多い。それでもマウスで画像から選択していくよりは速い。キーボードによる操作は何回もしていると、その動作を手が覚えで動くためにさらに速くなる。画像に表示されたものをマウスで選択する場合は、手はクリックするだけである。どれを選ぶかを決めるのは頭だから、手がその操作を覚えることがない。だからその操作を何回やってもあまり速くならない。ただし選びたい画像がどこにあるかを覚えるからある程度は速くなる。
 ソフトは必ずバージョンアップがある。バージョンアップすると、画面に表示される画像が以前のものとかなり変わってしまう。何かの操作をする時、メニューバーのどこをクリックしていくのかも変わってしまう。マウスによる操作は、ソフトのバージョンが変わると、その変わった操作をまた覚えなおさなければならない。一方キーボードの配置は変わることがない。ただしどのキーにどのコマンドを割り付けるかは変わることがある。しかし基本的なコマンドの割り付けは変わらない。キーボードによる操作はソフトがバージョンアップしても以前の操作でそのまま動くことが多いのである。
 マウスによる操作は画面を見てクリックするのだから、画面から目が離せない。キーボードによる操作は画面を見なくてもできる。Altキー、ウインドウズキー、プロパティキーなどをブラインドタッチで打つことは難しく、キーボードを見ることになる。キーボードを見るのだから、当然画面から目を離す。キーボードによる操作はずっとパソコンの画面を見続けることがないのである。それで目の疲れがマウスによる操作よりは少なくなる。
 マウスによる操作は、画面上に出てくる言葉を見れば、どういうことができるのか、だいたい推測できる。コピーするコマンドを割り当てている画像はコピーと書いてあるし、印刷するコマンドを割り当てている画像は印刷と書いてある。だから文字さえ読めれば、ここをクリックすればコピーできるのだな、ここをクリックすれば印刷できるのだなということが推測できる。一方キーボードは半角/全角と意味のある言葉を書いてあるキーもあるが、ほとんどが単なるアルファベットか記号である。コピーと書いてあるキーはないし、印刷とかいてあるキーもない。キーボードを見ただけでは、どうしたらコピーできるのか、どうしたら印刷できるのかはわからない。コピーには、Ctrlキーを押した状態でCキーを打つことが割り当てられており、印刷には、Ctrlキーを押した状態でPキーを打つことが割り当てられている。こういう知識がなければキーボードによる操作はできない。キーボードによる操作は知識がいるのである。マウスによる操作は、知識がなくても、画面の文字を見ればどういう操作ができるのかが推測できる。知識がなくても操作できるのである。この入りやすさがマウスによる操作が一般的となった理由だろう。

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307 コンピューターウイルス
 コンピューターウイルスの脅威ということがよく言われる。コンピューターウイルスが悪さをしてパソコンの動作がおかしくなったり、パソコンのデータが盗み取られるというのである。パソコンのトラブルはコンピュータウイルスよりも、バグ(プログラムのミス)が原因になていることがはるかに多いと思われる。ソフト会社は修正プログラムを出す時に、「ミスがありましたから修正します」と言えば、その責任が問われる。そのプログラムミスで生じた損害賠償を請求されても文句は言えない。この賠償額は小さいソフト会社なら倒産するほどの高額になると思われる。ところが、「新たなウイルスの脅威に対して修正プログラムをつくりました」と言えば、顧客はそれはありがたいと思い、むしろ感謝する。その修正プログラムは見つかったバグも当然修正してあるのである。高度なコンピューターウイルスがつくれるほどの腕があれば、どこのプログラム会社でも雇ってくれる。おそらく高給だろう。危険を犯してコンピューターウイルスをばらまくようなことはしないはずである。高度なプログラムの腕を持っていてコンピューターウイルスをばらまくような人はかなり例外的な人と思われる。つまり数は少ない。ソフト会社が宣伝するほど多くないはずである。
 リナックスは個人ではまだあまり普及していないが、組織のOSにはかなり採用されている。ところが目立ったコンピューターウイルスの報告がない。これはリナックスは使っている人の数が少ないから、ウイルス作成者はおもしろみがなく、つくらないのだと説明されている。しかし組織ではかなり使われているのだから、これでは説明にならない。リナックスにコンピューターウイルスがないのは、リナックスをつくる組織の人にコンピューターウイルスの脅威を言う必要がないからである。リナックスは無料である。だからリナックスを使っていて、そのバグで大きな損害を被っても、リナックスをつくった組織の人に損害賠償を請求することができない。もともと無料でもらったものだからである。損害賠償の請求を受ける心配がないから、リナックスをつくる組織の人は修正プログラムを出す時にことさらウイルスの脅威を宣伝する必要がない。それでリナックスに目立ったウイルスの報告がないのである。
 ウイルスバスターはトレンドマイクロ社が出しているアンチウイルスソフトで、ノートンとともによく使われているソフトである。2008年にトレンドマイクロ社のウイルスデータベースサイトがコンピューターウイルスに感染するという失態を犯した。自社のサイトさえウイルスから守れないのだから、アンチウイルスソフトがあてにならないのは明らかである。もっとも抗ウイルス会社のサイトに侵入できるような高度のウイルスソフトが一個人でつくれるとは思えず、競合会社の陰謀であったのかもしれない。

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308 無料なほうがかえって優れているもの
 ただほど高いものはないと言われる。世の中に無料でしてくれるようなものはなく、無料というのは、裏があり、その裏でかえってお金がかかるから、結局は最初から有料なものを買うより高くなるという意味である。
 ところが無料のほうがかえって優れているものがある。それは有料にすると、もしその商品で損害が出た時に高額な賠償金を要求されるものである。無料にしておけば、最初からお金を払っていないから、たとえ損害が出ても賠償金の請求ができない。そういう商品にコンピューターのソフトがある。ソフトは人間がプログラム言語によりつくるものである。単純なプログラムならまずミスはしないが、高度な操作をさせようとして複雑な入り組んだプログラムをつくるとミスが出る。そのプログラムミスのためにコンピューターがとんでもない指示を出し、大きな損害が出ることが起こりうる。例えば地下鉄の運転をコンピューターにさせている場合、プログラムミスがあると、コンピューターがとんでもない指示を出して、車両の衝突事故が起こりえる。
 ソフトを有料にすると、賠償金を請求されないようにとミスのないプログラムを書こうとする。態度が保守的になる。革新的なことに挑戦しなくなる。それでミスはないが、斬新さのないプログラムができあがる。ソフトが無料だと、プログラムミスがあっても賠償金を請求されることがない。それでミスを恐れず複雑なプログラムを書こうとする。だから斬新な革新的なプログラムができあがる。ホームランバッターはよく三振もするものである。ひとつのことで非常に優れている人は、他のことで大きな欠陥もあるものである。優れたソフトはミスがあるものである。逆にミスがあるからこそ優れたソフトであると言える。
 グーグルはいろんなソフトをつくっているが、それを無料にしている。収入は企業の広告から得ている。一方マイクロソフトは、ソフトを有料で販売し、それが収益源になっている。この戦略の違いを見るだけで、将来はグーグルの技術がマイクロソフトに勝るだろうとわかる。もっともOSは革新さよりも安定さが求められるから、今のマイクロソフトの戦略で市場のニーズにかなったものとなっているのであろう。しかし無料のリナックスは次々と革新的なOSを出してくるだろうから、マイクロソフトの技術はやがてリナックスに劣るものとなるだろう。

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309 古いパソコンとソフト
 会社はひとつの会社が何もかもに手を出すのでなく、得意で競争力のあるひとつのことに経営資源を集中させることが多い。そのほうが会社として生き残りやすいのである。何もかもに手を出すと、経営資源を多くのことに分けなければならない。それでひとつのことに経営資源を集中している会社にその分野ではヒトとモノが劣り、負けることになる。それぞれの分野でそのことにのみ経営資源を集中している会社があるから、結局はどの分野でも負けることになる。これがために会社は得意なひとつのことに経営資源を集中させることが多いのである。
 ところがパソコンはひとつのOSやアプリケーションソフトに何もかもさせようとする傾向が強い。ひとつのOSに文書作成、表計算、データベース、画像作成、インターネットと何もかもさせようとする。アプリケーションソフトもひとつのソフトで何もかもさせようとする。ワープロソフトにしても、次々と新しい機能を付加したバージョンが出てくる。そんなにいろんな機能を実際に使うのだろうか。ワープロソフトなら簡単な文書の作成に使うのがほとんどである。そんな新しい機能など不要である。新しいバージョンにすると、使い勝手が以前のバージョンと違うから、簡単な文書がかえってつくりにくくなる。ようやく慣れた頃にはまた新しいバージョンが出るのである。
 新しいパソコンを買うと、以前のパソコンはもういらないからと引き取ってもらったり、中古として売りに出すことが多い。ひとつのパソコンに何もかもさせようとしているのである。古いパソコンも使えるものは手元に置いておき売りに出すべきでない。簡単な文書作成は古いOSとワープロソフトでも十分にできる。慣れたソフトのほうがかえってしやすい。そういうことは古いOSと古いワープロソフトですべきである。インターネットにつないでいなければウイルスの心配も少ない。同じソフトを使い続け、習熟すると処理も速くなる。このパソコンはこのことをさせると業務を複数のパソコンに分け、そのパソコンにその業務を集中させるべきである。会社が経営資源をひとつのことに集中させるのと同じである。

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310 人間の脳
 人間の脳はいくらか仕事をすると疲れてしまい、休息を必要とする。足がいくらか歩くと疲れてしまい、休息を必要とするのと同じである。足が疲れていない時、まずどうしても行かなければならない所、一番行く必要がある所に行かなければならない。二番目、三番目に行く必要がある所に先に行ってしまうと、足が疲れてしまい、一番行く必要がある所に行けないことがある。脳も疲れていない時にまずどうしてもしなけれればならないこと、一番する必要があることをしなければならない。二番目、三番目にする必要があることをまずしてしまうと、脳が疲れてしまい、一番する必要のあることができないことがある。脳や足は休息することなしにたくさんのことをすることはできないということを銘記すべきである。

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311 日本の英語教育
 日本の大学入試2次試験の英語は難しい。語彙も難しく、書き方も凝っている。日本の教育はよい大学に入ることが目的になっているから、大学入試に出る英語がそういうものである以上、日本の英語教育は難しい英文が読めることが目的となる。
 ところが日常の会話でそういう難しい単語が使われているかというと、そんなに使われていない。そういう難しい単語を知らなくても会話はできる。日常の会話は平易な単語をいろんなふうに使うことで成り立っている。日本の英語教育は難しい英文が読めることが目的となっているから、難しい単語をたくさん覚えさせるのに、平易な単語をいろんなふうに使うことを教えない。またそれを日常生活で実際に使ってみることもしない。だから難しい英文が読めるが、簡単な日常会話ができない英語力となる。映画の英語は平易な単語を使って、どのように言いたいことを言うかのよい例である。こういう例を実際に日常生活で使ってみることが大事である。

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312 大きな誤り
大きな誤りは、多くの人が正しいと信じていることにある。なぜなら多くの人が正しいと思っているから、正しいものと安心してしまい、それが真に正しいかどうか、窮理し、検討することを誰もしようとないからである。

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313 常識
 人は常識というのか、これは当然このように考えるということを持っている。その常識に反することを言うと反発して怒ったりする。同じような常識を持っている者が群をなして、多くの仲間がいるということで自分達を正当化する。自分達と違う者は嫌い、迫害する。自分達と違う者は数が少ないから間違っているんだと自分達を正当化する。
 この多くの人が持っている常識、それがその多くの人の最大の弱点になる。正しいと信じきって、それが真に理に合うかどうかと考えることをしないから、理に合わないことを正しいと信じていることが多い。理に合わないことをすると、ものは動かないし、ものごとは失敗する。
 一ノ谷の戦いで源氏は決してこのような急峻な山から攻めて来ないというのが平氏の常識であった。誰もその常識を疑おうとしなかった。ところが源義経はその常識が理に合わず、そのような急峻な山でも攻めることができることを見抜いた。その虚を攻められた平氏は簡単に破れたのである。
 多くの人が常識と思っていること、それがその多くの人の最大の弱点になる。人を攻める時はそこを攻めなければならない。

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314 民主主義の根本的な欠陥
 階段とエスカレーターがあることがある。見ているとほとんどの人がエスカレーターを利用する。理由はエスカレーターのほうが体に楽だからである。しかし階段を使えば足腰が鍛えられる。長い目で見れば階段を使うほうが益となる。人は後に益となることよりも、目の先で益となることを選ぶのである。朝三暮四である。朝に三夕に四よりも、朝に四夕に三を選ぶのである。朝に三夕に四、朝に四夕に三ならば、ともに同じ七である。しかし朝に四夕に二、朝に三夕に四でも、人は朝に四夕に二を選ぶ。このほうが六で少ないのにである。
 選挙により指導者を選ぶ民主主義の根本的な欠陥は、人が朝三暮四的に指導者を選ぶことである。つまり目の先の利益を考えて指導者を選ぶ。また選ばれた指導者の任期は四年であることが多いため、指導者は四年という比較的短期間で成果を出そうとする。指導者も朝三暮四的指導をするのである。だから民主主義社会はいつも朝三暮四的風潮がはびこる。それで十年、二十年の比較的長い目で見ると失敗してくる。

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315 常識
常識という厚いガラスに1メートル四方をおおわれると、木は1メートル以上大きくなることができない。常識に従って生きることをよしとすると、一生1メートル四方の空間から出ることなく死んでしまう。20メートル、30メートルという大木に成長する唯一の道は常識という厚いガラスを打ち破ることである。

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316 食欲と性欲
 食欲や性欲は動物的なもの、卑下すべきものと考えられている。食欲があまりなく、性欲もあまりない人を高潔な人と考えることが多い。しかし病人であれば当然食欲もなくなり、性欲もなくなる。それでは病人は、みな高潔な人だろうか。病人であれば高潔な人であるとはとても言えない。食欲があり、性欲があるというのは、健康な証拠である。人間は幸福であるためには、健康でなければならない。健康であるならば必ず食欲や性欲がある。食欲や性欲のない人が幸福になることはない。ただ食べ過ぎると、体が外物を体に無害な形に十分に代謝し、吸収し、不要なものを排泄することができない。それで体の中に毒が残り、病気のもとになる。過度の食欲や性欲により、内が外物に振り回されると、体の調子が狂ってくる。だから食欲や性欲は十分になければならないが、食欲や性欲のために、内が外に使われることがあってはならないのである。

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317 二人の生き方
 ここにAとBという二人の男性がいる。ともに50歳である。Aは結婚しているが、Bは独身である。
 Aは日本を代表する大会社に勤務している。Aは仕事人間である。朝六時に起床し、七時にはもう会社に着いている。夜は接待があり、帰宅が深夜になることも少なくない。土日も接待ゴルフでつぶれることが多い。Aの妻は献身的にAのために働いているが、Aからはかまってもらえず、寂しい思いをしている。Aの仕事の腕はかなりのものである。Aの仕事のおかげで会社はかなり利益をあげた。その業績が社長にも認められ、Aは次期部長の有力候補である。
 Bも仕事をしているが、仕事の時間はAに比べるとはるかに少ない。仕事は午前九時から午後五時までだが、Bは五時になると、さっさと帰ってしまう。しかも週休3日であり、週に4日しか仕事をしていない。さらにBはいくらか金がたまると、長期休暇と称して、半年も一年も休んでしまう。会社はBをクビにしたいのだが、Bは絵画の才があり、その才が会社に役に立っているからクビを免れている。暇な時間でBは絵画に没頭したり、好きな女の子とデートしたりしている。長期休暇の時は、スケッチ旅行と称して日本はおろか世界のあちこちを旅行している。独身女性を同伴することも少なくない。
 AとBはふとしたことで知り合った。Bの生活振りを聞いたAは、内心いらだちを覚えてBに言った。「私は会社のために身を粉にして働いてきた。私の会社は近年かなり利益をあげているが、それは私の仕事のおかげだ。実際私の功績は認められ、今回の人事で部長に昇格すると思う。君はいい年をしてあまり仕事をしていない。会社の業績はあがっていない。若くもないのに、女性とイチャイチャしたふしだらな生活をしている。もっと真面目に働いたらどうだ。」Bはそれに対して反論しなかった。ただ、「Aさんは一日が楽しいですか。」と聞いた。Aは答えた。「自分のことを考えず、ただ会社の利益をあげるために働いている。滅私奉公をしている。人のために働くほど楽しいことはない。」
 Aは何のために働いているのだろうか。確かにAの言うように会社が業績を上げ、会社が利益を得るためだろう。しかしもう一つAが明言していない理由がある。それは自分が出世し、自分の給料を上げるためである。大会社の部長になれば、偉い人だと多くの人が認めてくれる。また多くの部下を意のままに動かすことができる。給料が上がり、金がたまれば、ほしいものをたくさん買うことができる。Aは自分の地位と金のためにも働いているのである。むしろ自分の地位と金のために働いているのが本心で、会社のために働いているというのは隠れみのかもしれない。実際Aの仕事振りを聞いたAの会社のライバル会社は、高給を提示してAを引き抜こうとしたことがあった。Aの心はかなり動いたが、今の会社にとどまればまず確実に部長になると考え、その提示を断った。もしAがライバル会社に移っておれば、Aが仕事をしているのは、会社のためでなく自分の給料のためであることは明らかである。Aが今の会社にとどまったのも、Aが部長という地位がほしかったからである。
 Aの会社が利益をあげるということは、Aのライバル会社は利益が下がるということである。Aの会社のライバル会社が二つあり、その従業員はAの会社と同人数とすると、Aの仕事でAの会社の利益が上がり、Aが幸福にした人間の数よりも、Aの仕事で利益が下がり、不幸になった人間が倍もいることになる。さらにAが出世することで、Aの会社内のライバルも不幸にした。つまりAは滅私奉公?の仕事をして多くの人を不幸にしたのである。
 きれいな絵画を見て幸福に感じる人は多いが、不幸になる人はほとんどいない。Bのかいたきれいな絵画は多くの人を幸福にしただろう。Bについて行った女性は、Bといることが楽しいからついて行っただけであり、その女性を不幸にしていない。
 Aは謹厳なやり手に見える。Bはふしだらな駄目人間に見える。しかし実際はAは多くの人を不幸にし、Bは多くの人を幸福にしたのである。

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318 大脳と自然
 自然に従うと大脳に従うでは、大脳に従うほうが必ず敗れる。
 近年は情報があふれるようになっている。新聞、テレビ、インターネットで大量の情報が伝達される。また最近はスマートフォンの普及で電車の中などでもスマートフォンを見ている人が目立つ。いつもスマートフォンで情報を受けているのである。こういう情報はほとんどが大脳のつくったものである。こういう情報をうのみにして動くと、大脳に従って動くことになる。それで自然に従って動いている者に必敗の形になる。

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319 二つの一族
 清川元男と金田一元男は小学校の時からの同級生で、家が近かったので、一緒に遊ぶことも少なくなかった。中学校まで二人は同じ学校に通ったが、清川元男は秀才であったため、高校は有名進学校へ通い、金田一元男はあまり勉強ができず、二流の高校へ行った。
 清川元男は東京大学法学部に現役で合格し、国家公務員一種試験に合格したので、東大卒後はキャリア官僚になった。清川元男は性格は真面目で、よく仕事をするので、上司にも気に入られ、その上司の紹介で女性と見合いし結婚した。子供は一男児ができ、一郎と名づけた。清川元男は女性と関係するのを汚らわしいことと考え、また妻への貞操感もあり、他の女性に好意を持っても、それを押し殺し、恋愛に発展することはなかった。
 金田一元男は高校卒後、地方の国立大学に入学した。大学三年の時にふとしたアイデアでものの売買をし、かなり儲けた。これに味をしめた金田一元男は四年になっても企業への就職活動をせず、自分で起業した。数年間は順調に儲けたが、人にだまされて大きな損害が出た。会社は倒産の危機になったが、懸命の努力でそれを何とか乗り切った。その後業績は順調に伸びて行った。金田一元男は女性好きであり、ある会合で出会った東大卒の女性に一目惚れした。持っているお金をドンドン使い、その女性に猛烈にアタックし、何とか結婚の同意を得た。二人の間に男の子が三人生まれ、一郎、二郎、三郎と名づけた。金田一元男は懇願して今の妻と結婚したにもかかわらず、他の女性を好きになることも多く浮気が絶えなかった。金田二、金田三、金田四という三人の女性との間には子供ができ、金田二竹子、金田三一郎、金田四一郎と名づけた。金田一元男は女性の面倒見がよく、金田二竹子、金田三一郎、金田四一郎をすべて認知し、十分な生活資金を援助し、三人の女性を大事にした。金田一元男は浮気していたが、妻も大事にしたため夫婦仲はよかった。
 歳月が過ぎ、清川元男と金田一元男は六十歳の還暦の年になった。
 清川元男はキャリア官僚を引退し、大企業に天下りしている。退職金は多く、生活に困ることはなかった。
 金田一元男は事業が大きな成功をし、かなりの資産ができた。六十歳で社長を引退し、長男の金田一一郎に譲り、自分は代表権のある会長となった。
 清川一郎は父に似て優秀で、有名進学校から東京大学法学部に現役で合格し、さらに国家公務員一種試験に合格し、キャリア官僚になった。やはり父に似て女性と関係するのを不潔なことと考え、専ら仕事に打ち込んでいた。しかし上司の勧めで見合いして結婚し、女の子が一人でき、清川梅子と名づけた。
 金田一一郎は母に似たのか学校の成績もよく、慶応大学を卒業した。大企業に入社し十年の経験を積んだ後に父の会社に入った。金田一一郎は妻との間に三人の男の子があり、四郎、五郎、六郎と名づけた。金田一一郎も父に似て女性好きで妻以外にも愛人がおり、金田五、金田六、金田七という三人の女性との間には子供まででき、金田五一郎、金田六美恵子、金田七一郎と名づけた。やはり父に似て女性の面倒見がよく、三人とも認知し、女性に不自由のないように援助した。
 金田一二郎は地方の国立大学を出た後に地元の中堅起業に入社した。妻との間に七郎、幸子、八郎という三人の子が生まれた。金田一二郎はよく仕事をするが父に似て女性好きであり、妻以外にも愛人がおり、金田八、金田九、金田十の三人の女性との間には子供が一人ずつおり、金田八一郎、金田九一郎、金田十典子と名づけた。やはり父に似て女性の面倒見がよく、三人とも認知し、女性に不自由のないように援助した。
 金田一三郎は地方の国立大学を卒業した後に、父親と同じように就職活動をせず自ら起業した。父に似て商才があり、会社は順調に業績を伸ばした。妻との間に三人の子供がおり、歌子、圭子、九郎と名づけた。金田一三郎も父に似て女性好きであり、妻以外の愛人がおり、金田十一、金田十二、金田十三の三人の女性との間には、子供が一人ずつでき、金田十一一郎、金田十二花子、金田十三一郎と名づけた。やはり父に似て女性の面倒見がよく、三人とも認知し、女性に不自由のないように援助した。
 金田二竹子は母に似て美貌であり、また音楽の才があった。金田一元男が十分な援助をしたため、小さい時からピアノのレッスンを受け、東京芸術大学を出てピアニストになった。その演奏を聞きに来ていた大企業の御曹司銀田一一郎が一目惚れし結婚した。二人の間に二郎、聡子、三郎の三人の子供ができた。銀田一竹子は結婚すると華やかな演奏活動は惜しまれたがきっぱりとやめ、専ら子育てと夫の内助の功に努めた。
 金田三一郎は小さい頃から私生児といじめられたのがかえって幸いしたのか、芯の強い人間に成長した。金田一元男が十分に援助したため、有名な中高一貫の私立中学校に入り、国立大学の医学部に入学し医者になった。十年間勤務医をした後開業した。医学知識があるだけでなく、父の経営の才を受け継いでおり、病院はどんどん大きくなっている。妻との間に二郎、三郎、菊子の三人の子供ができた。父に似て女性好きであり、妻以外にも愛人がおり、金田十四、金田十五、金田十六の三人の女性との間には子供が一人ずつおり、金田十四一郎、金田十五一郎、金田十六一郎と名づけた。やはり父に似て女性の面倒見がよく、三人とも認知し、女性に不自由のないように援助した。
 金田四一郎も小さい頃から私生児といじめられたが、それがためにかえって意志の強い努力家になった。金田一元男の十分な援助があったため私立の中高一貫校から京都大学法学部に入り、弁護士になった。六法全書に通じているだけでなく、幼い頃からいじめられたためか、人情の機微にも通じており顧客の信頼が厚い。妻との間に二郎、三郎、四郎という三人の男の子がいる。金田四一郎も父に似て女性好きであり、妻以外の愛人がおり、金田十七、金田十八、金田十九という女性の間には子供があり、金田十七賀代、金田十八恵美子、金田十九一郎と名づけた。
 それからまた二十八年の年月が過ぎ、清川元男、金田一元男は八十八歳の米寿になった。二人とも健在である。
 清川元男は仕事の一線は退き読書三昧の生活をしている。
 金田一元男も仕事の一線は退いているが、なお自分がつくった会社の相談役になっている。困ったことがあると時に社長や専務が金田一元男に相談を持ちかけてくる。
 清川一郎はキャリア官僚を引退し大企業に天下りしていた。かなりの退職金をもらった。
 清川梅子は祖父、父に似て優秀で東京大学法学部に現役合格し、国家公務員一種試験にも合格しキャリア官僚になった。清川家は三代続けて東大法学部を卒業してキャリア官僚となったのである。清川梅子はバリバリと仕事をし、また頭の切れが鋭く、カミソリ梅子の異名がある。女性ながら将来の事務次官と目されている。ただ祖父、父に似て異性にあまり興味を示さず、容姿にもかまわないため、女性というよりは男性というイメージがある。本人は自分は仕事と結婚したのであり結婚はしないと公言している。年もすでに三十五歳になっており、たとえ今結婚したとしても子供ができるのだろうか、もし子供ができないなら優秀な清川家は絶えてしまうと清川元男は危惧している。
 金田一一郎は社長職を長男の金田一四郎に譲り、自分は代表権のある会長になった。
 金田一四郎は慶応大学を卒業した後大会社に入り、十年いろんな経験をした後に父の会社に入社した。新しい経営の仕方の勉強に熱心で、金田一四郎が社長になってから新風を吹き込んだため、会社の業績はさらにあがり、社員の評価もよい。妻との間に子供が三人いる。
 金田一五郎は地方の国立大学を出た後に京都大学大学院で学び学者になった。今は京都大学で准教授として研究に従事している。妻との間に子供が三人いる。
 金田一六郎は大阪大学を出た後に大手新聞社に入社し新聞記者になった。妻との間に子供が三人いる。
 金田五一郎は地方の国立大学を卒業した後に地元の中堅起業に入社した。妻との間に子供が三人いる。
 金田六美恵子は津田塾大学を卒業してすぐに結婚し専業主婦となった。夫との間に三人の子がいる。
 金田七一郎は慶応大学を卒業した後、大企業に入社し今は米国の支店で働いている。妻との間に子供が三人いる。
 金田一二郎はすでに定年となっており、少なからずの退職金があり、今は悠々自適の生活をしている。
 金田一七郎は東大法学部を卒業し、国家公務員一種試験に合格し、はキャリア官僚になった。妻との間に子供が三人いる。
 金田一幸子は絵画の才があり、東京芸術大学を卒業した後画家となったが、大学の先輩の画家と恋愛し結婚した。現在は自らは前面に出ず、夫の補佐に徹している。夫との間に子供が三人いる。
 金田一八郎は大阪大学医学部を卒業し医者になった。妻との間に子供が三人いる。
 金田八一郎は京都大学経済学部を卒業した後に公認会計士となった。現在金田一一郎、金田一三郎、銀田一一郎の会社の顧問公認会計士をしている。妻との間に三人の子供がいる。
 金田九一郎は地方の国立大学を卒業した後に自らIT関係の会社を設立した。金田一一郎、金田一三郎、銀田一一郎の会社のIT関係を請け負っており、業績は確実に伸びている。妻との間に三人の子供がいる。
 金田十典子は東京大学を卒業した後にNKHに入社してアナウンサーになった。美貌であることもあり報道番組などによく起用されていた。大手企業の銅田一一郎に一目惚れされ、懇願されて結婚した。結婚後はNKKを退社し専業主婦となった。夫との間に子供が三人いる。
 金田一三郎は自分の会社を大きくし、規模では金田一一郎の会社の劣るものの、利益率では金田一一郎の会社よりも上になった。自らは会長職に退き、長男の金田一九郎を社長にした。
 金田一歌子は歌がうまく、東京芸術大学を出た後にソプラノ歌手になった。公演を見に来ていた若い国会議員の国田一郎が一目惚れし熱心な求愛を受けた。金田一歌子をそれを受け入れ結婚した。結婚後は惜しまれながら公演活動はきっばりとやめ政治家の妻に徹した。夫との間に子供が三人いる。
 金田一圭子は国立大学医学部を出て医者になった。研修医の時に一緒に働いた医者と結婚した。結婚後は専業主婦になっている。夫との間に子供が三人いる。
 金田一九郎は早稲田大学を出た後に大企業に入社した。そこで十年間いろんな経験をした後父の会社に入り、現在は社長になっている。妻との間に子供が三人いる。
 金田十一一郎は京都大学理学部を卒業した後に大手企業に入社した。技術畑を進み、独創的な技術を考え出し、その技術を搭載した製品は爆発的に売れた。その会社の最年少課長になった。妻との間に三人の子供がいる。
 金田十二花子は地元の国立大学を出た後に高校の教員になった。一緒に勤務した高校教員と恋愛し結婚した。夫との間に三人の子供がいる。
 金田十三一郎は東京大学法学部を卒業した後に司法試験に通り弁護士になった。金田四一郎の弁護士事務所でも働き、その仕事の仕方を学んだ。今は同期の弁護士と一緒に弁護士事務所を開いている。妻との間に子供が三人いる。
 銀田一一郎は大企業の社長として忙しくしている。
 銀田一竹子は専業主婦を続けている。夫が社長を長男に譲ったら、海外のリゾート地で生活し夫とゆっくり過ごす予定である。
 銀田一二郎は早稲田大学法学部を卒業した後に司法試験に通り弁護士になった。現在父の会社の法律顧問をしている。妻との間に子供が三人いる。
 銀田一聡子は地方の国立大学薬学部を出た後薬剤師資格を取った。勤めた病院で知り合った医者と恋愛結婚した。結婚後は仕事をやめていたが、夫が開業することになり、現在は薬剤師として夫の仕事を助けている。夫との間に子供が三人いる。
 銀田一三郎は東京大学経済学部を卒業した後に大企業に就職した。海外勤務が長く国際感覚が豊かである。五年前にその会社を退社し、父の会社に入社した。現在は専務として父の片腕になっている。妻との間に子供が三人いる。
 金田三一郎は自分の病院を一代で県の基幹病院の一つにつくりあげた。今は理事長として経営に従事しているが、時に診療に携わることもある。
 金田三二郎は地方の国立大学医学部を卒業した後内科の医局に入局した。いろんな病院で武者修行をした後に父の病院に帰って来て今は内科部長をしている。妻との間に子供が三人いる。
 金田三三郎は京都大学医学部を卒業した後京大の整形外科に入局した。京大で研究を続け、母校の准教授となり、数年前に地方の国立大学医学部の整形外科の教授になった。妻との間に子供が三人いる。
 金田三菊子は地方の国立大学医学部を卒業した後故郷に帰り、故郷の国立大学の眼科医局に入局した。同じ医局の医者と恋愛し結婚した。結婚後は家庭を中心に考え医者の仕事はあまりしていない。夫は現在父の病院の眼科部長をしている。夫との間に子供が三人いる。
 金田十四一郎は京都大学薬学部を卒業した後薬剤師資格を取り、大手製薬会社に入社した。私生児といじめられて育ったためか、人情の機微に通じており、営業がうまい。さらに父の病院が優先的に採用してくれることもあり、営業成績は抜群である。現在は営業部長として薬の販売を取りしきっている。妻との間に子供が三人いる。
 金田十五一郎は早稲田大学政治経済学部を卒業した後に、著名政治家の秘書となり、若くして県会議員になった。この時の選挙は金田三一郎が資金面などでかなり援助した。人望があり次回の衆議院選挙に出馬すると噂されている。妻との間に子供が三人いる。
 金田十六一郎は京都大学経済学部を出た後に地元に帰り県庁に入った。頭の切れがよく最年少課長になっている。妻との間に子供が三人いる。
 金田四一郎の法律事務所は大きくなり、現在はたくさんの弁護士を雇っている。多くの大企業の顧問弁護士をしており、大物政治家も顧客にいる。三年前から県の弁護士会会長をしている。
 金田四二郎は京都大学法学部を卒業した後、司法試験に通り、弁護士となった。父の事務所には入らず、東京の弁護士事務所に所属し、種々の訴訟を担当した。数年前から父の事務所で働かないかと父に誘われており、やがては故郷に帰るつもりでいる。妻との間に三人の子供がいる。
 金田四三郎は大阪大学経済学部を卒業した後に大手生命保険会社に入った。資産運用部の在籍が長く、ファンドマネージャーとしての腕はかなりのもので、会社の稼ぎ頭になることも多い。二年前に資産運用部長になった。金田一一郎、銀田一一郎、金田一三郎、金田三一郎、金田四一郎の個人資産の運用にもかかわっており、巧みに運用している。金田三一郎が一代で病院を基幹病院にまで大きくできたのは、金田四三郎が運用して稼ぎ出した資金で最新機器をどんどん購入することができたのも一因である。
 金田四四郎は東京大学法学部を卒業して、国家公務員一種試験に合格したので、キャリア官僚として厚生労働省に入った。妻との間に子供が三人いる。
 金田十七賀代は早稲田大学を卒業した後大手出版会社に入った。同じ会社の男性と恋愛し、結婚した。結婚後は専業主婦となっている。夫との間に子供が三人いる。
 金田十八恵美子は母に似て美貌であり、津田塾大学在学中から男性の求愛が絶えなかった。卒業してまもなく、十歳年上であるが、青年実業家として会社をどんどん大きくしていた男性と結婚した。結婚後は専業主婦になった。夫の会社が法律上のトラブルに陥った時には、恵美子の助言で夫は金田四一郎に相談に行き、金田四一郎の的確な助言で大きな損失は免れた。夫との間に三人の子供がいる。
 金田十九一郎は東京大学法学部を卒業した後、司法試験に合格し弁護士となった。社会的に大きな話題となった訴訟で、被告の弁護士として逆元無罪を勝ち取り、一躍有名になった。その後テレビ出演や執筆の依頼が多い。
 金田一元男の米寿を祝う会が催された。親族は子供夫妻が金田一一郎夫妻、金田一二郎夫妻、金田一三郎夫妻、銀田一一郎夫妻、金田三夫妻、金田四夫妻の6組12人であり、孫夫妻は金田一四郎夫妻、金田一五郎夫妻、金田一六郎夫妻、金田五一郎夫妻、旧姓金田六美恵子夫妻、金田七一郎夫妻、金田一七郎夫妻、旧姓金田一幸子夫妻、金田一八郎夫妻、金田八一郎夫妻、金田九一郎夫妻、銅田一一郎夫妻、国田一郎夫妻、旧姓金田一圭子夫妻、金田一九郎夫妻、金田十一一郎夫妻、旧姓金田十二花子夫妻、金田十三一郎夫妻、銀田一二郎夫妻、旧姓銀田一聡子夫妻、銀田一三郎夫妻、金田三二郎夫妻、金田三三郎夫妻、旧姓金田三菊子夫妻、金田十四一郎夫妻、金田十五一郎夫妻、金田十六一郎夫妻、金田四二郎夫妻、金田四三郎夫妻、金田四四郎夫妻、旧姓金田十七賀代夫妻、旧姓金田十八恵美子夫妻、金田十九一郎夫妻の33組66人であり、曾孫は99人であり、計177人であった子供が経営する会社の幹部、取引先の企業の幹部、弁護士、議員、医者なども参加し、総勢1000人を越えていた。
 清川元男と金田一元男とでは、むしろ清川元男のほうが優秀であった。清川元男は女性とあまり関係しなかったが、金田一元男は女性が好きでありまた女性を大事にした。それがために金田一元男の子孫は多くなったが、清川元男の子孫はなくなろうとしている。一族は子孫が少なければ必ず衰退する。これは国家でも同じことである。子孫の少ない国家は必ず衰退し、必ず滅ぶ。今の日本は草食系男子が増え女性にあまり興味を示さず、女性も仕事を優先し子育てを嫌い晩婚化が進んでいる。それがために子供の数はどんどん減っている。このままでは日本が衰退し滅亡することは必至である。

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320 分譲マンション
 新築価格3000万円のマンションを買い、固定金利2%で35年ローンを組むと、月々の返済額は頭金ゼロなら約10万円、頭金2割なら約8万円になるという。これを聞いて、賃料で月に8万円も10万円も払っているのだから、賃料分をローンの返済にあてれば、マンションが自分のものになる、マンションを買ったほうが得だと思い、新築マンションを買う人が多い。
 しかし新築マンションは2~3年で価格が新築時の8割ほどになり、10年で6割ほどになる。10年で6割になるなら、3000万円で買った新築マンションの値打ちは10年後に1800万円になる。つまり10年で1200万円損をしている。これは1年で120万円、1月で10万円の損である。だからマンションの返済額は、8万円、10万円と考えるべきでなく、損をした10万円を加えた18万円、20万円と考えるべきである。
 新築マンションの値打ちが35年後にどのくらいになるかは、その時の相場によるから確定できないが、目安として新築時の4割程度だろう。すると新築で3000万円で買ったマンションが35年後に1200万円になる。35年の損失は1800万円である。1年で約51万4千円の損、1月で約6万3千円の損である。だから実質上のマンションのローン返済は、8万円や10万円に6万3千円をたした14万3千円、16万3千円と考えるべきである。さらに35年もの間、家の修理がまったくいらないことはありえず、必ず修繕費が発生する。この費用も考えておかなければならない。
 賃貸マンションは当然毎月の賃料がいるのだが、マンションを所有していないため、マンションの値打ち低下による損失や修繕費が発生しない。また気軽に他の所に移転することができる。賃貸マンションのほうがはるかに有利である。どうしても分譲マンションにこだわるなら、筑後20年以上たち値打ちが落ちきったものを買うべきである。

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321 会社員
 毎日夜10時まで仕事をする会社員がいる。毎日夜8時まで仕事をするのは、会社員ではむしろ普通である。定時の午後5時や6時に帰っている会社員がどれだけいるのだろうか。このように長時間仕事をするとものをじっくりと考える時間がなくなる。それで発想がありふれたものになり、独創性がなくなる。ヒットを飛ばす独特のアイデアが出ることは少ない。

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322 長生きしたいという欲
自分の寿命をのばそうとするのは、ひとつの欲である。現代医学はその欲を満たそうとしてできるだけ寿命をのばそうとしている。しかし他の欲と同じく、寿命をのはしたいという欲も慎むべき欲である。この欲に従って動くとかえって不幸なことになる。寝たきりの状態で長く生きたり、ぼけた状態で長く生きたりする。本人にとっても、家族にとっても、社会にとっても不幸なことになる。

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323 実際に生きた年数
 20年の間毎日8時間睡眠した人と、毎日6時間睡眠した人との間では、実際に生きた時間はどのくらい違うのだろうか。眠っている時間は実際に生きた時間に含めない。毎日8時間睡眠をした人は実際に生きた一日の時間は16時間である。20年間で16×365×20=116800時間である。毎日6時間睡眠をした人は実際に生きた一日の時間は18時間である。20年間で18×365×20=131400時間である。その差は131400-116800=14600時間、8時間睡眠の人が実際に生きた一日の時間16時間で割ると、14600÷16=912.5日である。これは、912.5÷365=2.5年になる。6時間睡眠の人は8時間睡眠の人より20年間で2.5年たくさん生きている。40年間で5年、60年間で7.5年たくさん生きることになる。60年間6時間睡眠の人と8時間睡眠の人がともに80歳で死亡すると、実際に生きた年数は、6時間睡眠の人は80+7.5=87.5年である。つまり6時間睡眠の人は80歳で死亡しても、実際は87.5歳で死亡したのと同じである。
 20歳から60年間8時間睡眠の人が80歳で死亡したとすると、実際に生きた時間は20歳から80歳の間は、16×365×60=350400時間である。20歳から6時間睡眠の人が73.4歳で死亡したとすると、実際に生きた時間は20歳から73.4歳の間は18×365×53.4=350838時間である。一日8時間睡眠の人との差は、350838-350400=438時間である。8時間睡眠の人が実際に生きた時間16時間で割ると、438÷16=27.4日である。つまり6時間睡眠で73.4歳で死亡人は8時間睡眠で80歳で死亡した人とほぼ同じ時間生きている(むしろ6時間睡眠の人が27.4日長い)と言うことができる。世間は73.4歳と80歳という年齢だけを見て、睡眠6時間で無理をしたから6.6年早く死んだ、十分に睡眠をとらなければならないなどと言うが、実際に生きた時間を考えていない。むしろ比較的若い時に長く生きているのだから、6時間睡眠の人が8時間睡眠の人より充実した人生であったとう言うべきである。

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324 死と幸福
 人間は死ななければ幸福なように思っている。だから健康診断を受け、病気を早期に発見し早期に治療し死なないようにしようとする。しかし死ななければ人間は幸福なのだろうか。死ななくても年をとるにつれて体の機能は衰える。年をとるにつれて、白髪が増え、目は見えにくくなり、耳は聞こえにくくなり、筋力は落ちる。80歳の時と30歳の時とを比べると、80歳の時は視力、聴力、筋力は衰えている。もし160歳まで生きるのなら、視力、聴力、筋力はさらに衰える。もう目が見えず、耳が聞こえず、歩くことができない状態になるかもしれない。こういう状態でさらに80年、240歳まで生きて人間は幸せだろうか。幸福とは言えないだろう。だからかなり機能が衰えてきた60歳~90歳で死ぬのはむしろ幸福なのである。死ぬことができないほうが不幸である。

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325 新薬
 特許権が認められる期間は出願した日から20年間と特許法67条に定められている。医薬品の場合新化学物質を発見すると特許を出願するが、その新化学物質はすぐに薬として売り出すことができるわけでない。その新化学物質に非臨床試験、臨床試験をして人間に薬として使用できることを確認し、製造承認を受けなければならない。この期間が10年から15年かかる。すると薬として売り出してからの特許の期間は5年から10年になってしまう。しかし特許法67条第2項に「安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可を受けることが必要であるために、その特許発明の実施をすることができない期間があったときは、5年を限度として延長登録出願により延長することができる。」と規定されている。医薬品は義務づけられている非臨床試験、臨床試験があるからこの規定が適用される。それで医薬品の実質の特許期間は10年から15年になる。
 この特許期間が過ぎるとジェネリックメーカーが同じ成分の薬品を売り出してくる。ジェネリックメーカーはその薬剤の開発や非臨床試験、臨床試験に投資していないから、その薬を安く販売しても利益をあげることができる。厚労省も医療費を削減するために安いジェネリック製品を使わせようとして、医療機関がジェネリック製品を使うと保険点数を高くし、医療機関が利益を得やすいようにしている。だからジェネリック製品が出ると、多くの医療機関がジェネリック製品を使い、先発メーカーの売上は大きく落ちることになる。
 薬の薬価とは厚労省が決める薬の値段である。医療機関が薬を院内処方すると、その薬価で決められた金額が薬品代として医療機関に入ってくる。院外処方なら、その薬価で決められた金額が薬品代として薬局に入る。薬価は厚労省が2年毎に改訂し、改訂のたびに薬価は下がってくる。30年も40年もたつと非常に安い薬になってしまう。
 特許期間が10年から15年であり、その期間が過ぎると売上が大きく落ちること、薬価は2年ごとに落ちていくこと、この二つの条件がある時、先発メーカーはどのようにして利益をあげようとするだろうか。新薬として売り出してからできるだけ早い時期にできるだけたくさん売りさばこうとするだろう。
 この販売戦略は他のメリットもある。薬は多くの人が使うと今まで知られていなかった副作用が出てくる。人間の体は多様だから使う人の累積数が増えるといろんなタイプの体に使われることになり副作用が増えるのである。また同じ体でもその体調は毎日違うから、ある体調の時に使った時にだけ副作用が出ることもある。薬が長年使われるとこういう副作用も出てくる。重大な副作用が出てきたりすると、販売を中止しなければならない。それで副作用がまだあまり出ていない早期にできるだけたくさん売ってしまうことが大事なのである。
 大学等の研究機関は研究がその仕事である。30年も40年も前に発売された薬を研究しても、すでに研究され尽くされているから新しい知見を得ることは難しい。新薬はまだあまり知られていないから新しい知見が得やすい。うまくいけばNatureやScienceという一流雑誌に載る論文を書くことができる。こういう一流雑誌に掲載されると、研究者としての地位があがり、教授選などでも有利に働く。先発メーカーもその新薬の効果を示す研究をしてもらいたいから、いろんな名目で研究機関に金銭的な援助をする。研究者も研究にはどうしても金が必要だから先発メーカーの援助はありがたい。金銭的な援助を受けている以上その新薬にネガティブなデータが出ても公表しにくい。意図的にその新薬に肯定的なデータを公表し、その新薬は効果があるとする論文を発表しようとする。先発メーカーも自社の新薬の効果を示す論文が発表されると、それを大きく取り上げ、その論文をもとにパンフレットを作成し全国の医療機関に配布したり、その論文の著者に講演を依頼し医者向けの講演をしたりする。このようにして先発メーカーは医療界にその新薬を使わなければならないような雰囲気をつくっていくのである。

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326 ベストセラー
 本の出版はできるだけ多くの人に読んでもらうこと、つまりベストセラーになることを狙ってなされる。しかしこのベストセラーは二つの種類がある。出版された時にすぐに多くの人に読まれるベストセラーと、出版された時も、その後も毎年多くの人に読まれるわけでないが、百年、千年とたえずいくらかの人に熱心に読まれる、それで長い期間の累積をとるとたくさんの人に読まれており、ベストセラーとなる本である。
 十年、百年とたつと世の中の表面的なことはかなり変わる。だから表面的なことだけを書いた本はもう通じなくなり、読まれなくなる。長年読まれる本は年月を経ても変わらない深理を記述したものが多く、百年後、千年後でも役に立つから、なお熱心に読まれるのである。しかしそういう深理のわかる人は少ないから、出版された時もその後も毎年たくさんの人に読まれるわけでない。しかし目のあるいくらかの人に熱心に読まれるのである。

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327 情報の判断
耳目から入ってくる情報を判断して私達は動く。たえず情報が入ってくるとその情報をよく吟味し、よく考える時間がない。だから情報の表面だけを見て判断し、その情報の深理、ものの理を知ろうとしなくなる。それで入ってくる情報が多ければ多いほどその判断は浅薄になり、ものの理を知らないものとなる。五色人の耳をして盲ならしむ。五音人の耳をして聾ならしむ、である。

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328 物を捨てる
 物を捨てるというともったいないという気持ちになる。またいつか使うかもしれない、その時に困るのでないかとも思う。しかし今使っている物、将来必ず必要になると思う物は最初から捨てようという気持は起こらない。長年使っておらず、将来も使う可能性がほとんどないから捨てようと思うのである。
 こういうものは人からもらった物が多い。せっかくもらったからと取って置いたが、結局長年使わなかったのである。こういう物をさらに取って置いても将来使うことはまずない。たとえ使うことがあっても長年を経ているから物が劣化している。必要な時に買ったほうがよい物が手に入る。さらに家のスペースを取り続けるから、他の必要な物が置けなかったり、他の必要な物を取り出そうとする時、その不要な物に隠れて取り出すのに時間がかかったり、取り出すことができないことがある。必要な物が置けなかったり必要な物を取り出すことができないと困るし、取り出すのに時間がかかると、二度と手に入らない時間を失うことになる。だからもらったもので使わないものはすぐに捨てるべきである。
 自分で買った物はもったいないという気持がさらに強くなり、捨て難い。買った当時は確かによく使ったが、その後もっと機能のよいものを買ったために使わなくなった、しかし使おうと思えばなお使えるものがある。それでもったいないと思うのである。新しい機能のよい物を買うまでその物をよく使ったのだから、その物を買うのにかけた費用はすでに回収できている。その物の役割はすでに終わったのだからこれも捨てるべきである。さらに取って置いても、必要な物が置けなかったり、必要な物を取り出すことができなかったり、必要な物を取り出すのに時間がかかり、二度と手に入らない時間を失うことがやはり起こる。
 買ったが、長年一度も使わなかったり、ほとんど使わなかった物がある。これももったいないという気持が強くなり、捨て難い。こういう時はなぜそれを買ったのかと深く考える。これこれの理由で必要と思ったが、結局必要でなかった、どこに見込み違いがあったのかと、その見込み違いした所を探り、以後二度と同じ失敗をしないようにする。そして捨てる。捨てるという痛みを伴うから、記憶に鮮明に残り、以後同じような失敗買いをしなくなる。捨てることが将来の倹約につながるのである。この失敗買いをすることで一つ学んだのだから、それを買うことにかけた費用は授業料と考えるべきである。

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329 失敗
 失敗した時にどう動くかを見れば、その人の値打ちがわかる。なぜ失敗したのかと、徹底的に考え、どう対応して被害を最小限に食い止めるかを徹底的に考える。そしてどのように動けば失敗しなかったかを徹底的に考え、将来は決して同じ失敗をしない措置を講ずる。これは値打ちのある人間の失敗への対応である。失敗したのは自分が悪かったからでなく、人が悪かったからだと人を責める。なぜ失敗したのかとその原因を深く考えることもしない。同じ失敗をしないようにするにはどうしたらよいのかと懸命に考えることもしない。こういう対応をするとその失敗から何も学ばない。将来また同じ失敗をすることになる。
 失敗は心に痛みを伴う傷として残る。それでその記憶が鮮明なものとなる。失敗から学んだことは忘れることがない。
 

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330 所有
 会社に入社すると仕事の仕方を教えてくれる。上司や先輩がどのように手足を動かして仕事をするかを教えてくれる。その指示に従って仕事をしていると給料が支払われる。この新米社員が突然自分はその会社を所有していると言い出したらどうだろうか。誰でもとんでもないことと思うだろう。その人は単にその会社の指示に従って自分の体を動かしているだけである。とてもじゃないがその会社を所有しているいとは言えない。反対にその人はその会社に所有されていると言うべきだろう。その新米会社員が会社内で出世し、社長になり、会社員にさせる仕事を自分の意向で自由に変えることができるようになれば、その会社員はその会社を所有していると言うことができるだろう。
 ビデオを買うとビデオは自分の所有になる。電気店で教えられたように操作すると、ビデオは自分の思うように動く。もっと詳しいことを知りたければビデオの説明書がある。その説明書の教えることにに従って自分の体を動かせば、ビデオにいろんなことをさせることができる。しかしよく考えてみると、自分は電気店の人の言うことや説明書の言うことに従って動いているだけである。会社員が上司の言うことに従って体を動かして仕事をしているのと同じでないか。それなら自分はビデオを所有しているとは言えない。自分はビデオに所有されていると言うべきである。自分がビデオを分解して新しい部品をつけ加えたりしてビデオの性能を変えてこそはじめて自分はビデオを所有していると言うことができる。社長になり社員にさせる仕事を自分の意向で自由に変えることができるようになってはじめてその会社を所有していると言うことができるkのと同じである。
 人は自分は自動車を所有している、テレビを所有している、ビデオを所有している、パソコンを所有している、スマートフォンを所有していると言う。しかし私に言わせればそれはとんでもないことである。人は自動車に所有されている、テレビに所有されている、ビデオに所有されている、パソコンに所有されている、スマートフォンに所有されていると言うべきである。

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331 民主主義と戦争
 サッカーのワールドカップでは、ほとんどの人が自国のチームを熱心に応援する。他国という共通の敵がいるから、自分たちの国のチームと一体感ができ、熱心に応援するのである。サッカーの試合という争いがなければ決してこの一体感は生まれない。政治の世界でも同じことが起こる。
 他国と紛争状態になると、その国の国民は他国という共通の敵ができるから一体感を抱きやすく、その国の指導者も自分たちと同じ人間だと思い、支持する気持になる。だから他国と紛争状態になると、その国の指導者の支持率があがる。国の指導者はしばしばこれを利用する。つまり自分の支持率をあげるために好んで他国と紛争を起こすのである。
 民主主義的に国を運営するとは、国民に広く支持されるように国を運営することである。他国と紛争を起こせば国民に広く支持される。だから民主主義という制度がある限り世界から紛争や戦争がなくなることは決してない。

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332 仲間
 自分の仲間に強く支持されるには、自分たちと違う人間を共通の敵にしその敵と激しいやりとりをすることである。共通の敵ができると仲間の一体感が強くなり、強く支持される。しかしこのやり方は仲間に強く支持されても危ないやり方である。自分たちと違う人間、自分たちと違う考えもよい所は受け入れようとする柔軟さがない。それで考えることが狭く、硬直的になってしまう。これではいろんな状態に対応できず、失敗することになる。

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333 慣性の法則
 慣性の法則とは物理学上の法則で、「すべての物体は外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける。」というものである。この慣性の法則は私達の思考過程でも現れる。つまり、私達の思考は今の状態がずっと続くものという前提のもとになされる。かなりの風の中でも、自転車が一台も倒れていなければ。自転車は倒れないということを当然のこととみなして、その前提の上に思考し行動しようとする。ところがしばしばこの前提が崩れる。自転車が倒れるようなことが起こるのである。こういう想定外のことが起こると、何の準備もしていないから大きな災いとなる。人の大きな失敗は思考の慣性の法則で当然のこととみなして疑わないことで起こる。

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334 進歩
 毎日同じことを同じやり方ですると、そのことをそのやり方でするのは非常に身につく。しかしそのことをそのやり方以外でするのはまったく身につかない。結局そのことをそのやり方でするしか能がなくなってしまう。もっとよいやり方があっても決して身につくことがない。毎日同じことをするのでも、新しいやり方ですると、新しいことが身につく可能性がある。いつかよりよい方法が身につく可能性がある。
 例えば毎日料理するとして、毎日同じ具材で、同じ調理法ですれば、その具材のその調理法の料理しか身につかない。頻回に具材を変え調理法を変えてすると、新しい料理が身につく可能性がある。もっとよい料理が身につく可能性がある。
 何事でも同じやり方に固執して新しいやり方を求めようとしなければそれ以上の進歩はなくなる。恐れるに足らないのである。

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335 常識
 Aは自宅から職場まで自転車通勤をしている。自転車で行くと、1時間もかかるのだが、Aは自転車は健康によいと考えていて、晴れの日は勿論、雨の日でも自転車で行っている。ところが一つ奇妙なことがある。Aはいつも同じ道を通って職場へ行くのである。自宅と職場の間にはたくさんの小道がある。だから職場へ行く道は少なくとも百通りはある。その百通りの中でAはいつも同じ道を通って自宅と職場を行き来きするのである。
 なぜ同じ道でいつも行くのかと聞かれると、Aはその道を最初に教えられたからだと答える。Aはこの地の出身でなく、転勤でこの地へ来たのである。まったく道を知らなかった時に最初に教えられたのが今通っている道である。最初に教えられた道をずっと通っているのである。別の道も通ってみたらどうかと言われると、Aは道に迷って時間を浪費するかもしれない、仕事が忙しいのにそんな時間はないと答える。しかし同じ道しか通らないことで不便なことがある。郵便局はAの家から自転車で10分の所にある。ところがAは通勤の通り道にある家から自転車で30分の郵便局しか知らない。だから休みの日に郵便局に用事ある時でもAは家から30分の郵便局へ行っている。スーパーマーケットは家から15分の所にある。しかしAは家から20分の通勤途中にあるスーパーマーケットしか知らない。ホームセンターは家から20分の所にある。しかしAは家から40分の通勤途中にあるホームセンターしか知らない。本屋は家から15分の所にある。しかしAは家から25分の通勤途中にある本屋しか知らない。Aはこのように30年間いつも同じ道を通って通勤し、60歳の停年になった。仕事一途で来たために仕事がなくなると何もすることがなく、終日テレビを見て酒を飲んで暮らしていた。それがためか、停年後一年を経ずしてAは死亡した。
 Aはいつも同じ道しか通らなかった。そのためにAのその地の地理に関する知識はAが通勤していた道にあるものに限られた。Aが通勤していた道にある建物のことに関してはAは非常に詳しい。30年間も通った道だからその道に何がどこにあるかはすべて知っている。しかしその通勤道にない建物に関する知識はまったくゼロである。
 いつも同じ道しか通らなかったというAの奇妙な行動は私達もしているのである。幼い時は親にしつけられ、あるいは親のしている所を見て、ものの考え方や知識を教えられる。6歳になると小学校へ行き、教師からものの考え方や知識を教えられる。18歳になると一応社会的常識を身につけた大人にる。ところがいつもこの最初に身につけた常識に従って行動しようとする。そしてその常識以外の考え方や知識を見い出そうとしない。ちょどAがいつも同じ道を通って通勤し決して違う道を通って通勤しなかったのと同じである。それがために常識でない知恵や知識がまったく欠如した人間になってしまう。今持っている常識に従っているだけでは決して広い世界を知ることがない。

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336 報道と事実
 私達は新聞やテレビの伝えることが事実であると思ってしまう。これは危うい。
 新聞やテレビの伝えるものはそれを伝える記者の目に見えたものである。その人がどれだけのことを知っているかで見えるものが違ってくる。レベルの低い人には表面的なことしか見えない。またできるだけありふれていないことが人の興味をひきやすくニュースバリューがある。それで記者はできるだけそれをありふれていないものにしようとする。さらに非常識的な見方をすると、視聴者の反発を招く。それでできるだけそれを常識的な見方で見ようとする。実際はどうであるのかは、自分の目で見てみないとわからないのである。
 その人がどういう人であるかを知りたい時、その人がどういう人であるかを多くの人から聞くだけではわからない。人の人物評はそれを言う人の目に見えたものに過ぎない。その人を知るには、自分がその人を見て、その人と話し、その人とつきあうしかないのである。同様に外国を知りたければ、自分が外国に行って、その国を見て、その国の人とつき合うしかないのである。

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337 新聞記事
新聞記事よりもトルストイとか芥川龍之介とかの小説のほうがはるかに真実に近い。小説はフィクションであるが、トルストイや芥川龍之介の慧眼で見たことと見識の狭い記者の見たことでは同じものを見ても見えるものが違う。新聞では狭い知見から見たもの、大きな山を一面からだけ見たものしか伝わらない。

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338 新聞
新聞で真実はわからない。新聞でその社会の一般的な考え方がどのようなものであるかを知ることはできる。新聞はその社会の一般的な考え方、常識を書いてあるだけである。一般的な考え方、常識が真実であるとは限らない。

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339 内から来るものと外から来るもの
 外から来るものに動かされている限りものが身につくことはない。生物が必要なものは内から起こってくる。その内から来るものに従って動いているとものが身につく。
 武力と武力が衝突し、勝った者が支配者となってきたのが有史以来の歴史である。武力で勝つためには、上からの命令で忠実に動く軍隊が必要である。つまり外から来るものに動かされる兵士が多数必要である。兵士が各自内から来るものげ動いていると、軍がばらばらになり、組織だった動きができない。これは必敗の形である。つまり強国とは一人の内から来るもので動く王がおり、多数の外から来るものに動かされる兵士がいる国である。だから強国には多数の外から来るものに動かされる人がいる。多くの人が外から来るものに動かされていても、外から来るものに動かされている限りものが身につくことはない。

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340 プログラム
 プログラムを書く時、以前のコードをコピーすると使い方を覚えないように思い、一から書こうとすることがある、これはよくない。一から書くとエラーが出た時に(プログラムを書く時エラーは頻回に出るものである)どこに間違いがあるのか、書いたプログラムすべてを検討しなければならない。以前に動くことを確認しているプログラムをコピーすると、コピーした部分には間違いはないからエラーの原因は新しく書いた部分にある。間違いを捜す部分が限定されるから間違いに気づきやすい。また以前に使ったプログラムをコピーして使っていると、まれに起こることが起こり、予期しない値を出すことがある。変な値が出るとその不備に気づくからそこを修正してもっと洗練されたプログラムになる。
 もっともテーブル名、フィールド名、変数名が違うから、コピーしたものはそのままは使えない。テーブル名、フィールド名、変数名を置き換えて使うことになる。
 コピーして使うためには以前に使ったプログラムが簡単に出せるようにしておかなればならない。また関数にできるものはできるだけ関数にしておくと、頻回に使うからまれな場合にも遭遇しやすくなり、不備に気づきやすい。また取り出しやすい。

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341 名に従えば失敗する
 私達は物によく名をつける。Aという人はこういう人だ、Bとう所はこういう所だと物に名をつけたがる。そしてA君は勝手な人だとか言うのである。A君は勝手な人だというのは。A君に勝手な人という名をつけたのである。多くの人がA君は勝手な人だと言うと、A君は実際に勝手な人だと思ってしまう。しかし実際にA君とつき合うと、A君はまったく勝手な人でなく、相手に細かな気づかいをする人であるとわかったりする。名と実が相違しているのである。物に誤った名をつけると、名が理に合っていないため、その物が動かない。だから政治をする時まず何をするかと聞かれると、名を正すと孔子は答えている。名を正して物の理を得てはじめて政治は動くのである。
 現代は昔に比べてテレビ、新聞、雑誌、インターネットという知識の伝達手段が飛躍的に発達した。多くの物に多くの名をつけ、それがまたたく間に多くの人に伝わる。現代は物の多くの名があふれている。しかしその名が実にあたっているか、理に合っているかと検討されることがあまりない。つまり名を正すことをしないのである。それで理に反している名がつけられていることが多い。理に合わない名に従えば当然失敗することになる。

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342 セミナー
いろんなセミナーがある。セミナーの受講者を集めるためか、1回セミナーを受ければ素晴らしい能力がつくかのように宣伝するものがある。しかし数時間のセミナーを1回受けただけ、長くとも数日のセミナーを1回受けただけで素晴らしい能力が身につくことは望み薄である。ところが週に1回でもこれを3年続ければかなりのレベルになる。能力を身につけるのに大事なのは継続である。

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343 必要とされる人材
日本の弁護士は日本の法律を知っている。ところが本質的な弱点がある。外国の法律を知らないのである。司法試験は日本の法律さえ知っておればほとんど通るから当然のことだろう。これは税理士も同じである。日本の税理士は日本の税法しか知らない。しかしこういうグローバルな時代に企業活動をする時、日本だけの企業活動を考えていたのでは大きな遅れをとる。各国の法律を知り、この企業活動をするには、どこで生産し、どこで売るのが有利かと考えなければならない。各国の法律に通じた専門家が必要とされる。

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344 内なる声
偉い先生の言うことを一言も聞きもらさないようにしようと言ったことを書きとめようとすることがよく見られる。そのくせ自分の内から出てくる声を一言も聞きもらさないようにしようとよく聞く人は少ない。自分の内なる声を聞かずに人の声ばかりを聞こうとする。人が自分よりも自分のことを考えてくれていると思っているのだろうか。

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345 おいしいもの
おいしいものというのは、皆が食べたがる。おいしいものであればたくさんのお金を払ってでも食べにいこうとする。しかしおいしいものが食べれる料理店がいつも近くにあるわけでない。東京にあったり、大阪にあったり、遠くバリにあったりする。いつも食べに行くのでは交通費がかさむし、移動に時間がかかる。遠距離を移動すると疲れてしまう。さらに料理店でかなりの金をとられる。おいしいものを食べるとその料理法を習得する。自分でそのおいしいものがつくれるようになると、いつも食べたい時に食べられる。遠距離を移動する必要もないし、費用も格段に安くてすむ。プロがつくった味には及ばないかもしれないが、味は各自好みがある。料理店の味は一般受けがする味にしているが、自分がつくれば自分の好みの味にできる。さらに習得した技術を他の料理にも応用できる。単に食べておいしいと思うだけでは残るものが少ない。おいしいもののつくり方を習得しておけば一生それが再現できる。

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346 必敗
 ひとつの考え方に固まると必ず負ける。ものをひとつの方向だけしかみないとものの本質がわからない。ものの本質がわからないとものが動かない。ものが動かないと必ず負ける。
 ひとつの考え方に固まらせるには、周囲の人と仲間にさせ、自分は周囲の人と同じ考え方をするから正しいんだと安心させることである。正しいと安心してしまうと、他の見方をしようとしない。だからひとつの考え方に固まってしまう。仲間がいるということが、かえってその人を誤らせるのである。大きな誤りは必ず多くの仲間がいるものである。

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347 捕虜
 捕虜とは武器を持って戦ったが、武力では勝てないと思い、武力を捨て敵に武力で支配されることを容認したものである。捕虜は敵の命令に従う。そうしなければ殺傷されるからである。しかし捕虜は心から敵に臣従しているのだろうか。その厚遇に感銘を受け心から臣従する者もいるだろう。しかし一般的には心の中では臣従していない。心中では激しく敵を憎み、軽蔑しながら表面的には殺傷を免れるために服しているというのが実態だろう。
 「生きて虜囚の辱を受けず」という東条英機の戦陣訓がある。捕虜になるくらいなら死ぬことを勧めているのである。これを見ると日本はいかにも淡白な戦い方をしたものだと思う。死んでしまえば敵を倒すことは永遠にありえない。敵は完全に勝者である。しかし生きておればまた敵を倒すチャンスが出て来ることがある。どんな厳寒でも時を待てば必ず春が来る。どんな酷暑でも時を待てば必ず秋が来る。どんな強大な敵でも時を待てば必ず衰える。衰えた時に再び立ち上がればよいのである。捕虜となれば常に死傷の危機にさらされる。だから生き抜くために懸命に頭を使う。それで知恵が発達する。また敵の中で暮すから敵の事情にも通じる。「必死の戦いは決してすべからず。必ず降伏して敵の虜囚となり時節を待つべし。」を戦陣訓とすべきである。

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348 正しい
正しいとは、しばしばそれを正しいことにすると誰かが莫大な利益を得ることである。

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349 事業
 アップルやサムスンのスマートフォンが売れているのを見て、スマートフォン市場は有望と考え、スマートフォン市場に参入したり、スマートフォンに企業資源をたくさん注入したりする企業がいる。これはあまり経営を知らない経営者のすることである。
 事業を始めたり事業に参入したりするのは、誰もがそんなものが売れるはずがないと思い、それをすると言うと人に馬鹿にされるような時でなければならない。誰もが有望と思えば、すでにその事業から撤退を考えるべき時である。その事業であまり革新的なことが望めないなら、撤退を急がなければならない。

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350 自分でする
 いつもレストランで外食し自分で料理をつくらない人はいつまでたっても料理をつくることができない。自分でつくれば失敗もするだろう。しかし失敗sるたびに学んでいき、やがてひとつの料理をつくることができるようになる。何事も自分でやってみて始めて身につく。自分でやってみなければ身につくことは決してない。

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351 記憶すること
偉い先生が言ったことや書いてあることがある。私達はしばしばそれを覚えて。偉い先生が言ったり、書いたりした通りに実行しようとする。ところがしばしば時がたつとそれを忘れてしまう。自分は何と頭が悪いのだろう、自分は何と記憶力がないのだろうと思う。ところがこれは忘れるほうがいいのである。偉い先生が言ったり、書いたりしたことを自分の頭で十分に考え、それが真に正しいかどうかを十分に吟味していないから忘れるのである。何回も考え、自分の言葉で並べ換え、正しいと確信したことはなかなか忘れない。自分の行動パターンのひとつとなる。外から入って来るものはそれを十分に考え吟味しないと忘れるような構造に大脳はなっている。誤ったことで動けば危険だからである。

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352 現代の戦争
 昔の権力者は土地が生み出す米などの一部を年貢として取り立てることで経済的基盤を得ていました。土地はものを生み出す財産であり、土地を与えることで多くの部下を従えていました。さらに多くの部下を従え、多くの人を支配するには、土地がいります。それで昔の戦争は土地を得る戦争でした。新たな土地を得れば得るほど、ますます多くの人を支配することができ、強国となることができます。
 ところが現代の権力者の経済的基盤は変わってきています。それは税金であり、企業からの献金です。税金や企業からの献金が増えれば増えるほど強国になります。また時の権力者は自国内の反対勢力を打ち負かすためにも資金がいります。現代は権力者は選挙により選ばれることも多く、選挙に勝つためには多くの資金がいります。資金がなければ権力者の地位を追われるのです。だから現代の権力者は税金や企業からの献金を増やすことをしてきます.税金や企業からの献金を増やすにはどうしたらよいのでしょうか。税金のかなりの部分は企業が払っています。企業からの献金はもとより企業が払っています。企業の業績を上げれば企業からの税金や献金が増えます。だから現代の権力者は企業の業績を上げようとしてきます。企業の業績を上げるには、企業の製品を買ってやればいいのです。
 企業がつくる製品の中で権力者が必ず買うものが武器です。武器がなければ自国を守ることができませんから、必ず武器を買うのです。武器をたくさん買ってやれば軍需産業の業績が上がります。軍需産業の業績が上がれば、その関連企業の製品も注文が増えます。だから関連企業も業績も上がります。関連企業の業績が上がれば、関連企業に納品している企業の注文も増えます。だから関連企業に納品している企業の業績も上がります。関連企業に納品している企業の業績が上がれば、関連企業に納品している企業に納品している多くの企業への注文も増えます。だから多くの企業の業績が上がります。軍需産業の製品を買うという経済刺激により多くの企業の業績が上がります。それで企業の払う税金と献金が増えます。現代の権力者の経済的基盤は高まり、国は強国となります。だから現代の権力者は軍需産業の製品、つまり武器をたくさん買おうとしてきます。武器をたくさん買うには戦争を起こせばよいのです。戦争を起こせば武器をたくさん消費します。だから武器をたくさん買うことができます。特に自国が戦場から遠く離れ、自国の企業が被害を受けることが少ない戦争が現代の権力者にとって理想的な戦争です。アメリカがイラクやイスラム国にしかけた戦争がこれにあたります。
 昔の戦争は土地を得る戦争でした。それは土地が権力者の経済的基盤を与えたからです。現代の戦争は武器を消費する戦争です。武器を消費することが権力者の経済的な基盤を与えるからです。土地は製品をつくる道具のひとつ2過ぎなくなりました。現代の権力者は土地を得ようとする侵略戦争はしません.土地は製品をつくる道具のひとつに過ぎず、土地を得ても企業の業績が必ずしも上がるわけでないからです。他国からの侵略に備えるために、武器を調達し自国を防衛すると言いますが、これは無意味なことです。現代の権力者は侵略戦争はしません。それをしても、現代の権力者にメリットがないからです。

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353 知ることと知らないこと
知ることは知らないことの始まりである。知ったと思ってしまうとそれを疑わなくなる。だから知ったと思っていることの誤りに気づかない。つまり知らないのである。

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354 動物園のライオン
動物園の檻の中で生きているライオンと、広大なサバンナの中で生きているライオンではどちらが俊敏だろうか。常識という人間がつくった檻の中で生きている人間と広大な大地の中で生きている人間ではどちらが俊敏だろうか。

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355 学校教育
 学校教育はもともとが強い軍隊をつくるためにつくられた。小さい頃から愛国心を教えこみ、国のために戦う兵士をつくりたいのである。(ただし日本の教育は日本を占領したアメリカがつくったために、日本を弱体化するために愛国心は教えられていない)兵士に必要なのは上から命じられたことを命じられた通りに従順に実行することである。従順さと記憶力が必要である。だから学校教育では従順さと記憶力が重んじられる。教科書に書いてあること、教師が言うことを覚えさせようとする。しばしば試験をし、よく覚えている生徒を優秀であると表彰する。しかし教科書に書いてあることが真に正しいかどうか疑うということを教えない。だから学校教育は言われた通りに従順に動く人間をつくる。しかし自らが考え、自分の考えで動く人間をつくらない。

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356 どこでも通じる能力、技術
 一つの特殊な環境でしか生きれない時、もし環境が変われば死に絶えるより他ありません。日本では学校を卒業すると、どこかの会社に入社し定年までその会社で勤めあげることが一般的です。自分の会社で習得した能力、技術が他の会社でも通じるかというと、必ずしもそうでありません。しばしば自分の会社した通じないことがあります。もし自分の会社が倒産するなら、自分の会社した使えないことは当然他社では評価されませんから、他社が雇ってくれるかどうかわかりません。雇ってくれても能力のない者と考えられ、給料が大きく落ちるでしょう。
 日本の会社は正社員を解雇することに大きなハードルを設けています。これは解雇された正社員はしばしば自分の会社しか通じない能力しか持たないために、他社で雇ってくれず、路頭に迷うことになるからです。会社が必要とする能力、技術は時の状況によって変わります。不要な人材を解雇し、必要な人材を雇うことができないなら、会社は利益をあげることが難しくなります。いつまでっも同じ人材で同じことをやっておれば、会社は変化に適応できず、倒産することになります。
 自分の会社でしか通じない能力、技術しか持たない人間はすべての卵を一つのかごに入れているようなものです。もしかごが落ちることになれば卵はすべてこわれます。どこの会社でも通じる能力、技術を持つ人間は、たとえ自分の会社が倒産してもしぶとく生き残ることになります。

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357 公務員
民間企業の社員は利益を得るために仕事をしている。その社員の仕事で損失が出れば、その社員の責任になる。公務員は利益を得るために仕事をしていない。必要な金は予算として与えられる。その予算を決めるのは首長であり、議会である。公務員の仕事で損失が出ても、その仕事が決められた手続きに従ってなされたものなら、その公務員の責任が問われることはない。その公務員は決められた手続き通りにしただけであり、決められた通りにしたという文書があればそれを証明できる。しかし手続き通りにしていないと、たとえ大きな利益が出ても、その責任が問われる。だから公務員を動かすには決められた通りの文書をそろえることが大事である。

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358 師匠とインターネット
 学問でも技術でも本で読むだけより師匠につくと上達が速い。言葉だけでは伝えられないその場の雰囲気を五感で感じるからわかりやすく、会得しやすい。また自分のわからないことを師匠に質問できる。師匠は弟子の反応を見ながら、弟子のレベルに合わせて教えてくれる。だから会得しやすい。本で読むだけでは、質問のしようがない。疑問に思ってもこちらの反応を見て活字が変わるわけでない。いつも同じ語句が並んでいるだけである。
 ところが最近インターネットが発達したため、独力でも師匠への質問に近いことができるようになった。疑問に思ったことをインターネットで検索すれば答えが得られる。もちろん師匠が教えるようにこちらの反応を見て言葉を変えるわけでないが、レベルの低いものから高いものまでいろんな説明を読むことができる。師匠に尋ねる時は、その師匠の理解している答えしか得られない。インターネットはいろんな答えが得られるから、師匠の知らない情報が得られることもある。師匠につくより優れた面もあるのである。

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359 大きな失敗
大きな失敗は逆境の時に起こるのでなく、順境の時に起こる。

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360 会話
会話は感情を言葉で表現したもののやり取りである。時候が会話の開始に使われるのは、暑い、寒いは誰もが感じるものであり、感情のやり取りとして都合がよいのである。会話を続けるには自分の感情を表現していけばいいのである。雑談のやり取りを文に記録して読み返してみると、あまり深みがないのき気づく。単に表面的な印象をやり取りしているだけであるからである。

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361 会話
感情を言葉で表現したもののやり取りである。時候が会話の開始に使われるのは、暑い、寒いは誰もが感じるものであり、感情のやり取りとして都合がよいのである。会話を続けるには自分の感情を表現していけばいい。

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362 テレビ
 テレビは、テレビの出演者の大脳の見方が、それを見た多くの視聴者に一瞬に伝わり、多くの視聴者は無批判にその出演者の見方で動く。テレビの出演者と同じ考え方をする人間がたくさんできる。人と同じことをしたがる多くの人はその多数の意見に従って動く。だからテレビの出演者の言ったことが、またたく間に国民の多数意見となることが起こる。恐ろしいことである。

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363 深く考える
深く考え自分の内から湧くものに従うのと、本に書いてあることにそのまま従うのとでは、時が経つと大きな差ができる。
深く考え自分の内から湧くものに従うのと、人の言うことにそのまま従うのとでは、時が経つと大きな差ができる。
深く考え自分の内から湧くものに従うのと、法律ににそのまま従うのとでは、時が経つと大きな差ができる。

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364 罵倒
 人から罵倒された時に一番心配なことは、それがために萎縮してしまい自信を失い落ち込んでしまうことである。相手はこちらを萎縮させ落ち込ませるためにしているのだから、相手の罵倒で萎縮し落ち込んでしまうと相手はその目的を達したのである。外面はいかにも萎縮し落ち込んだように見せ、内心は平然として詳細に相手がどのような基準で動いているかを探る。相手の動きがわかれば、こちらは相手の動きが読めているのに、相手はこちらを知らないから明らかにこちらが有利である。

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365 理
 自分がしていること、考えていることが理に合っているかどうかと常に反省する。もし人に間違っていることの指摘を受けたら、それが真に間違っているかとよく考えてみる。確かに誤っているなら改める。これを日々繰りかえしていくと理に近づく。これをしないなら理に近づくことは決してない。誤ったことを正しいことと信じ行動する。理に合っていないことだから早晩失敗する

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366 非難
 人から非難されると自分が間違っていないかとよく考えてみるのは大事なことである。それがないと自分の過ちに気付くにくい。しかし人がこちらを非難するのは、しばしば非難することがその人に単に得であるだけであることがある。人は必ずまず自分の損得を考えて行動する。他人の損得は二の次になる。人が非難するという行動をするのは、それが第一にその人にとって得だからである。他人の過ちに気付かせようとして非難することは、その次である。非難することが得だと思って非難してくる人に、こちらの正当なことを言い反論すれば、その人は自分が害されたと思い怒ることになる。怒りのためにさらに理に合わない非難をしたりする。

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367 口論
 口論した時、人は自分が優れていて相手は劣っている、あるいは自分が正しくて相手は間違っていると主張するものである。お互いが自分が優れていて相手は劣っている、あるいは自分が正しくて相手は間違っていると主張し続けると、口論はいつまでも終わらない。一方が相手が優れていて自分は劣っている、あいるは相手がは正しくて自分は間違っていると認め、謝罪すると口論は終わることになる。自分の非を認めた者が負けで認めなかった者が勝ちだと人は判断する。果たしてそうだろうか。
 自分の主張を通したほうが買ったわけだが、相手は単に関係を悪化させるのを避けるために譲っただけかもしれない。あいるは相手が明らかに間違っており、そういう間違ったことを信じていると将来必ず大きく失敗することを知りながら、相手を失敗させるために何も言わなかったのかもしれない。
 口論は実際は勝った者が負けることになる。口論に勝った者は相手が引いたから、自分は勝ったのだ、自分が正しく、自分が優れているのだと思ってしまう。それで自分が正しいと信じていることが真に正しいのかと詳しく検討することをしない。自分が優れていると言い通したけれど、実際は相手が優れていたのでないかと詳しく検討することをしない。だから実際は誤っていることを長年することになる。相手の優れていることを知らずに長年過ごすことになる。間違ったことを正しいと信じていると必ず失敗する。相手を実際より軽く見ると将来その知らない力で倒される。口論にどちらが勝ったかは長い時間を経て始めてその真の結論が出る。

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368 誤り
 新幹線に乗っていた時のことである。私は急いで仕上げなければならないこ原稿があって、車中で原稿を書いていた。席は自由席で私は最初は通路の右側にある三人がけの座席の真ん中に座っていた。その後ある人が私の左の席に座った。次の駅で人がたくさん乗って来て席がないようなので、私は真ん中の席から一番右の席に移り、私の隣の人が真ん中の席に移り、一番左の席をあけた。それで一番左の席に新しい人が座った。私は一番右の席になったが、隣の人がテーブルを利用している時、私がトイレなどで席を立つ時、「すみません」と言って、いちいち隣の人にテーブルをたたんでもらわなければならず、不便なことに気づいた。それで次の駅で人が下車して通路の左側にある二人がけの席の通路側があいたので、私はそこに移動した。通路側だからトイレなどに立つ時もいちいち隣の人に通らせてもらうように頼む必要もなく便利だと思ったのである。
 ところがそこで原稿を書こうとすると、文字が手の影になってしまって、書きづらいことに気づいた。よく見ると照明は通路の上にあるから、通路の右に座ると、文字は手の影にならないが、通路の左側に座ると文字が手の影になってしまうのである。その後は終点まで席があくことなく、私は手の影になって書きにくいと思いながら書かざるを得なかった。
 私が二人がけの席の通路側に移動した時、照明のことはまったく考えていなかった。私は席を立つ時の便利さだけを考えていた。照明という大きなことを見落としていたのである。人間の失敗とはこういうものだろう。皆これは自分にとってよいことだ、自分に利があると思って何かをする。ところがそれをすれば大きな害があることをまったく見落としている。その害にあてられ大きな失敗をする。単によいことばかりに目を奪われるのでなく、どんな悪いことがあるのかとも考えることが大事である。

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369 自由意思
自分の自由意思で生きていない人、これを奴隷と言う。現代の特徴は多くの人は奴隷でありながら自分を奴隷と思っていないことである。

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370 真の金持とは
金持とは金が十分にあり金に使われない人のことを言う。貯金がまったくなく日々懸命に働かなければ食っていけない、人はこういう人を貧乏人と言う。こういう人は金がないから金のために懸命に働かなければならない。つまり金に使われているのだから確かに貧乏人である。大きな事業をし、大きな邸宅に住み、外車を何台も持っている。人はこういう人を金持と言う。しかしその内情を見ると銀行から巨額の融資を受けており、それを返済するために日々懸命に働かなければならない人が多い。こういう人も金のために働かざるを得ないのだから金に使われていると言うべきである。金に使われているいのだから金持でない。貧乏人と言うべきである。真の金持とは金銭的に十分に余裕があり、金に使われなくても生活できる人のことを言う。

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371 価値
 時が経てば価値を失うものを時間をかけて得ても価値あるものを手にすることはできない。その価値は時が経てばなくなるからである。時を経ても価値を失わないもの、時が経つと価値が増大するものを得ることに時間をかけなければならない。

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372 チャンス
 人が絶対にしてこないことにチャンスがある。それをしなければ何ができなくなり、何を失うかをとくと考える。多くの人ができないことができるようになり、多くの人が失うことを得るなら、これは数が少ないものを得ることになる。数が少ないものは必ず価値が出る。

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373 金を儲ける
 金を儲けることが人生の目的でない。金を儲けるのはよりよい人生を生きる手段に過ぎない。

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374 失敗
 人が失敗するだろうと言ったことをして失敗したとする。人はそれ見ろ言った通りだと言うだろう。しかしその失敗した原因は人が思っていた原因とは違うかもしれない。その失敗した原因をよく分析してその真の原因に気づけば、再挑戦すれば今度は失敗しないだろう。失敗する真の原因を知らず単に失敗するだろうと言うだけの人とは大きな差ができる。

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375 ベストセラーになる条件
 『出版営業ハンドブック 実践編』という本でベストセラーの条件をあげている。
誰もが挑戦したことがないことに挑戦した本
タイトルとカバーの色がよい
テーマが多くの人に共通で身近
ハンディで低価格
外国でベストセラー
企画時点で書店や読者の意見を参考にしている
マスコミで大きく取り上げられ、発売のタイミングがよい
著者が有名人
文学賞を受賞した作品である
 驚くのは著者の力量をあげていないことである。「文学賞を受賞した作品」は確かに著者の力量を示すが、これは文学の分野だけである。他の分野では著者の力量は必要ないのだろうか。出版のプロから見ればベストセラーになるのに著者の力量は多くの条件の一つにも満たないのである。

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376 新しいものを求める人
 単に新しいものを求める人に認められても、常に飽きて捨てられる。認められても、それが新しいものでなくなれば捨てられるのである。
 新聞やテレビで報道するニュースはそれが新しいから価値を持つ。昨日の新聞はもう新しくないからその価値は半減する。一ヶ月前の新聞になればもうほとんど価値を持たない。

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377 化学兵器
 シリアが化学兵器で武器を持たない民間人を攻撃したとの理由で、米、英、仏が制裁としてシリアをミサイル攻撃した。これは化学兵器で武器を持たない民間人を攻撃することは通常兵器で武器を持たない民間人を攻撃することよりはるかに悪いことであり、ミサイル攻撃の制裁に値するとの論理に立っている。化学兵器で攻撃しても通常兵器で攻撃しても民間人は同様に死傷する。化学兵器で攻撃したほうが通常兵器で攻撃するよりもはるかに悪いということにはならない。武器を持たない民間人を攻撃して死傷させることは同様に悪いことである。また米国は戦闘に小型原子爆弾を使うことを許容している。化学兵器は使ってはいけないのにどうして小型原子爆弾は使ってよいのか。今度の攻撃でもし武器を持たない民間人に死傷者が出たら、これは強く非難されるべきことである。

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378 戦争とは
 どこの国であれ、いつの時代であり、殺人のない所はない。それがために殺人を罪として厳しく罰す。それでもなお殺人がなされる。殺人をするのは狂暴な人だけでない。善良な普通の一般市民でも殺人を犯す。
 アクションものの映画やテレビドラマなどで、悪人である敵を次々と殺すシーンがよくある。悪人を殺すことに人間は爽快感を感じる。人間のそういう性情を知っているから、人々に見てもらうために映画やテレビドラマ制作会社はそういうシーンをたくさん入れる。人間は性情として殺人を喜ぶ性情を持っているのである。
 普段の日常生活では殺人を喜ぶ性情を理性で押さえている。ところが怒りなどで理性の押さえがきかない時に殺人が行われる。またいつも殺人を喜ぶ性情を理性で押さえていると、時にはその性情を発散したくなる。それで映画やテレビドラマの殺人シーンを見て発散させることになる。
 戦争というのは、人間の殺人を喜ぶ性情を野心のある者が権力を取るために利用したものである。平和な社会の中では殺人は許されない。殺人は大罪である。ところが戦争で敵をたくさん殺せばこれは大きな手柄である。殺人を喜ぶ性情を満足させ、しかも地位と富を得る。だから人間は戦争をしたがる所がある。この性情を野心のある者が権力を取るために利用したのが戦争である。

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379 クレジットカードのポイント
 クレジットカードを使うと、年会費無料のカードでも0.5%~1.25%程度のポイントがつく。このポイントは買物に使うことができる。それでポイントをためようとする人が少なくない。すべてクレジットカードで買ったり、ポイントがたくさんつく店で買ったりしようとする。カード会社にしてみdれば、自社のカードが店で使われると店から手数料が入る。この手数料が収益源なのだから、できるだけたくさん使ってほしい。ポイントでいくらか還元してもたくさん使ってくれるとそれ以上の手数料が入る。だからポイントをつけているのである。ポイントをためようとしてたくさん買物をするのはカード会社の思うツボぼである。
 カード会社が収益を増やす道は二つある。一つは人々のクレジットカード使用量を増やすことである。これはすべてのカード会社の収益が増える。もう一つは他の会社のクレジットカードを使っている人がそれをやめて自社のクレジットカードを使ってくれるようにすることである。つまり他社のシェアを奪うことである。自社のカードのポイントを他社より高くすれば、人々は自社のカードを使ってくれる可能性が高い。しかしポイントを高くすれば収益を圧迫するから、どうしても上限がある。自社が関連するサイトで自社のカードを使ってくれるとポイントを高くすれば、自社が関連するサイトでは自社のカードを使う人が増えるだろう。これは自社が関連するサイトの売上も上がることになるから、一石二鳥である。他社のシェアを奪う非常に有効な手段なのである。楽天カードで楽天ショップで買物をすると、たくさんポイントがもらえるのがこれである。
 クレジットカードのポイントとつき合うのに一番大事なことは、ポイントにひかれて買物を増やさないことである。買物を増やせばカード会社の思うツボである。
 次に大事なのは、ポイントは一年ほどの有効期限があるから、ポイントが失効しないようにすることである。楽天スーパーポイントやリクルートポイントのように一年に一回でもポイントが加算されると、また期限が一年伸びるポイントは、電気、電話料金のような毎月必ず支払うものをそのカードで支払うようにしておくと、ポイントの期限を気にしなくてもポイントが失効することはない。
 次に大事なのは、電気、電話料金のような毎月確実に出費するものは、できるだけ高い還元率のカードで払うようにする。
 カード会社関連のサイトで買物をする時は、そのカード会社のカードで支払うようにする。ホテルを予約する時に楽天トラベルをよく使う人は、楽天カードをつくり、楽天カードで払う。じゃらんをよく使う人はリクルートカードをつくり、リクルートカードで払う。

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380 スーパーマーケットのまとめ買い
 スーパーマーケットはまとめ買いをする人が多い。カゴいっぱいの商品を買っている人の中で一つ二つの買物をして列に並ぶのは、何か恥ずかしい雰囲気もある。しかしたくさんのものをまとめて買うのは決して経済に明るいとは言えない。たくさんのものをまとめ買いすれば在庫リスクを自分が負うことになる。冷蔵庫にたくさんのものを入れておくと、傷んで食べれなくなったり、賞味期限が過ぎてしまうものが必ず出て来る。スーパーマーケットで安売りをしており安いと思って大量に買ったが、結局期限内に食べれなかったということが起こる。
 トヨタのジャストインタイムはスーパーマーケットの買物に応用できる。必要なものを必要な時に必要なだけ買うのである。そして冷蔵庫の在庫をできるだけ少なくする。すると在庫リスクは自分が負わず、スーパーマーケットが在庫リスクを負うことになる。冷蔵庫の中にほとんどものがなkれば傷んで食べれなくなることも賞味期限を過ぎることも起こらない。
 

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381 浪費を防ぐ
 50円というとわずかの金額である。電車で一駅先に行くにも50円では行けない。クレジットカードを使うとポイントのつくものが多い。年会費無料のクレジットカードなら、ポイントは使用額の0.5%~1.5%程度である。(2018年6月)仮に1%のポイントがつくとして、50円分のポイントをためるにはどれだけ使えばいいのだろうか。50÷0.01=5000 5千円である。5千円というとかなりの金額である。50円のポイントをためるためには、5千円使わなければならいないのだと思うと50円が貴重に見えてくる。現在円普通預金の年利率は0.001%である。0.001%の年利率で50円の利子を得るにはどれだけの金額を預けておかなければならないのだろうか。50÷(0.001÷100)=50÷0.00001=5000000 500万円である。500万円の金を1年間預けておいてようやく50円の利子がつくのである。こう考えると50円はますます貴重に見えてくる。
 私の家にシロアリがおり、業者に駆除をお願いした。この時の費用が約35万円であった。還元率1%のクレジットカードで35万円のポイントをためるにはいくら使わなければならないのだろうか。35万÷0.01=3500万円 である。普通の人の年収をはるかに超える額である。35万円でもかなりの金額だが、35万円のポイントをかせぐのに3500万円使わなければならないと思うとこの35万円はさらに巨額に見えてくる。年利率 0.001% で35万円の利子を得るにはいくら預金しておかなければならないのだろうか。35万÷(0.001÷100)=35万÷0.00001=350億円である。莫大な金額である。350億円の金を1年間預けておいてようやく35万円の利子が出るのである。
 現金を使う時、クレジットカードでものを買う時、この金額だけのポイントとを得るにはいくら使わなければならないかと考えると、金額が100倍になり額が大きくなる。それで抑止力が働き浪費しにくい。50円の金も無駄にしないようになる。

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382 クレジットカードのポイント
 2017年度の平均貯蓄額1812万円、中央値1074万円と言う。1000万円を年利率1%、0.5%、0.1%、0.01%、0.001%で預けると一年の利子はそれぞれ10万円、5万円、1万円、千円、百円となる。現在円普通預金の年利率は0.001%、円定期の年利率は0.01%が多い。1000万円の金額を年利率1%の所に預けるのと0.5%の所に預けるのでは一年で5万円の差が出てくる。
 クレジットカードに関する消費者向け実態調査によると、2017年度のクレジットカードの支払平均額は月5.8万円である。ただし半数近くが3万円以下と答えている。月に5.8万円とすると、一年に69.6万円である。約70万円と考えると、クレジットカードの利用で1%のポイントがついた時一年で7000円のポイントがつく。0.5%のポイントがつくなら、一年で3500円のポイントがつく。クレジットカード払いにするのと、現金払いにするのとの差は7000円である。0.5%ポイント還元率が違えば年に3500円違ってくる。
 これを見て気づくのはクレジットカードはポイント還元率が大きくなってもあまりポイントは増えないということである。0.5%から倍の1%になってもポイントとして還元される金額は3500円増えるだけである。ポイントにつられて、3500円余計に買い物をすればそれで増えた金額はなくなってしまう。一方貯金の年利率が0.5%から1%になると、一年で5万円の金額が増えることになる。これは大きい。どうしてこういうことが起こるかと言うと、貯金は1000万円と額が大きいが、クレジットカードの使用額は70万円と額が小さいからである。クレジットカードも年に1000万円使えば還元率1%と還元率0.5%のクレジットカードでは年に5万円違ってくる。しかし年に1000万円も使えばたいていの人の年収を越えている。自己破産への道である。
 クレジットカードのポイント還元率よりも預金の利率に気を配るほうが得るものは大きくなる。

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383 クレジットカードのポイント
 クレジットカードのポイントをためるにはどうしたらいいだろうか。まず還元率の高い所のクレジットカードを使うべきである。還元率が1%と0.5%の所とではたまるポイントが倍も違う。次に使いやすいポイントを選ぶべきである。クレジットカード会社にしてみればポイント還元は費用になるからできるだけポイントは使われたくない。しかし還元率を低くすると人が使ってくれない。それげ還元率は高いのだが、ポイントが使いにくいポイントをつくることになる。有効期限を短くしてポイントが失効しやすくしたり、ポイントを使うことができるポイント数を高くしてポイントが使われないようにするのがこれである。
 ポイントをためる一番簡単な方法はたくさん買物をすることである。しかしこれは一番してはいけないことである。これをすればクレジットカード会社や商売人の思うつぼである。クレジットカード会社がポイントをつける目的の一つはポイントにつられてたくさん買物をするよにさせることである。今買えば何百ポイントとか言うメールが来ることがある。ポイントを餌にして物を買わせようとしているのである。期間をきられているからよく考えることもなく買ってしまうことが起こりうる。

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384 ネットショップ
 現在実店舗の売上は落ちネットショップが伸びている。ネットショップの弱点は二つある。品物を手に取ってよく見ることができないことと送料がかかることである。生鮮食品は同じ品物でも一つ一つが微妙に違う。同じほうれん草でも生き生きしているほうれん草としおれかかっているほうれん草では誰でも生き生きしているほうを買うだろう。この差異は実店舗だからわかることだり、ネット上ではわからない。しかし生鮮食品でなければ、質はネットで買っても実店舗で買っても同じである。Aというメーカーの甲というチーズはネットで買っても実店舗で買っても同じである。Bというメーカーの乙という型番のテレビはネットで買っても実店舗で買っても同じである。しかしネットではやはり実物を見れないという不安が残る。実店舗で実物のテレビを見てきれいな画面だと納得して買うのと、ネット上で見て買うのとではやはり差がある。テレビのような長く使うものをネットだけで買うにはやはり不安が残る。それでよく考えている消費者は、実店舗に行って実際の製品を見て気に入った製品の型番を記録して帰り、ネットの価格ドットコムなどで一番安い所を調べ、ネット上で買うことをする。こうすれば実物を見ることができないというネットショップの欠点はなくなる。
 ネットショップのもう一つの欠点である送料は価格の高いものや再販制の本などは無料にしている所が多い。利ざやが大きいから無料にしても利が取れるのである。ところが価格の安いものはやはり送料を無料にできない。百円もしないボールペン1本を送料無料で送れば明らかに利は取れない。実店舗では大量にまとめて運搬するから一つあたりの送料が安くなる。価格の安いものは実店舗がネットショップより価格面で有利になる。実店舗に行くのに電車を使えば交通費がかかる、車を使えばガソリン代がかかる。それでネットショップが送料を無料にできればネットショップが価格面でかえって有利になる。
 ネットショップの強さはまず手軽さである。24時間いつでも気に入った時に外へ出ることなく買物ができる。朝から仕事に忙しく買物ができるのは夜の10時、11時という人もいる。こんな時間になれば実店舗はしまっている所が多い。ネットショップは昼間と同じく豊富な品物が並んでいる。また加齢などで歩くにくくなり外に出にくい人もいる。こういう人もネットショップなら買物ができる。また辺鄙に住んでおり、実店舗まで行くのに時間と費用がかかる人もいる。こういう人もネットショップは便利である。
 次に価格の比較が容易である。ネットで検索すればどの店が安いか簡単にわかる。安いものを買うことができる。
 次にポイントサイトを経由すればポイントサイトのポイントもたまる。それでさらに価格が安くなる。

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385 クレジットカードのポイント
 現在普通預金の年利率は0.001%の所が多い。100万円を1年間預けてようやく10円の利子がつく。税金で2割取られるから手取りは8円である。現在8円で買うことができるものがどれだけあるだろうか。ところが年利率0.1%の年利率を提供している所もある。100万円を0.1%の年利率で一年間預ければ1000円の利子がつく。手取りは800円である。0.001%の年利率より792円たくさん利子がつく。還元率1%のクレジットカードのポイントで792円ためようすすれば、792000円使わなければならない。クレジットカードのポイントをためることを考えるよりも年利率の高い所に資金を置くほうが手取りは多くなる。

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386 旅行案内書
 表面的な新しい情報を提供していいる本は売れる期間が短い。少し年月が経てばその情報は古くなってしまう、そんな古い情報しかのっていない本を人は買おうとしないからである。こいう種類の本は旅行の案内書や薬の解説書がある。こういう種類の本は新しい情報を提供するために毎年出版されるものが多い。今年の版が出版されると以前の版は非常に安くなる。
 一番新しい情報を得ることに関しては本はインターネットにかなわない。インターネットは情報が変われば最新の情報に更新される。インターネットはずいぶんと以前の情報ものっているが、最新の情報ものっている。調べれば最新の情報を得ることができる。ところが本はたとえ今年の版であってもそれが執筆された時点の最新情報である。毎年出版されている本でも平均して6ヶ月以上情報が古い。最新の情報を得たければ結局インターネットで調べざるを得ないのである。
 本のよい所はあるテーマにしぼったまとまった情報を与えてくれることである。例えば台湾旅行を計画していて台湾の旅行案内書を買うとする。すると台湾の旅行に関するまとまった知識を得ることができる。通貨、交通、ホテル、食事、名所、習慣等台湾旅行に必要な知識をまとめて得ることができる。インターネットでこれを得ようとすればそれぞれの項目で検索しなければならないことになる。また一つの検索でたくさんのものが出てくるから、簡潔に知ることが難しい。一つのサイトで必要なことをすべて書いてくれているサイトもあるが、それに行き着くまでにいろいろ検索しいろんなサイトを読むことになる。台湾旅行に必要十分な知識を得るには旅行案内書を買ったほうが効率がいいのである。ところが旅行案内書は今年のものでも6ヶ月は古い。そこにのっている交通機関の時刻や開館時間は現在は違っている可能性がある。最新の情報はインターネットで確かめる必要がある。
 その土地の基本情報は数年で変わらない。だから数年前の旅行案内書でもその土地のことは十分にわかる。ただし交通機関の時刻のような細部は数年経てば変わる。それでこれはインターネットで確認する必要がある。今年の本でもやはりインターネットで確認する必要がある。その情報は平均6ヶ月古いのだから。今年の旅行案内書でも結局インターネットでの確認が必要なのだから、あえて一番高い今年の本を買う必要はないのである。

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387 熱中症
 現在は熱中症対策として、冷房することが多い。確かにいつも冷房した所にいるなら熱中症にはならないだろう。しかしいつも冷房した所にいることができるわけでない。いつも部屋の中にいることができず、外を出歩く必要もある。戸外で重労働をしなければならないこともある。いつも冷房した所にいるとこういう暑い所にいると体が十分に適応できなくなる。それで熱中症となる。熱中症にならない道は決して冷房して暑さを避けることでない。むしろ暑い所でも冷房せずに過して体を暑さに慣らすことである。暑さに慣れ暑さに適応できるようになれば熱中症になることはない。現代の人は暑さを避けることで熱中症を防げるように思っているが、それではかえって熱中症になることを助長する。暑さを避けず体を暑さに慣らすことで熱中症は少なくなる。

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388 熱中症
 暑さに慣れていないと体温が上昇しても汗が出ず、体温がかなり上昇してから大量の汗が出ると言う。ボタボタと汗がしたたるような汗は汗があまり気化せず下に落ちてしまう。気化熱で体の熱を奪うことが少ないから、体温はあまり下がらない。汗が出ても体温はあまり下がらないのである。暑さに慣れている人は少し体温が上がるとしっとりとした汗が出る。しっとりとした汗だから、すべて気化して体温熱を奪う。それで体温があまり上がらない。暑さに慣れていれば熱中症になりにくいのである。
 汗をよく吸収する木綿の下着などを着ないと汗が吸収されずに流れ落ちてしまう。下着に吸収されると、その下着の水分が体熱で気化する時に体熱を奪う。それで体温が下がる。暑いからとあまり汗を吸収しない生地の服一枚では、かえって暑く感じるし熱中症になりやすい。
 

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389 アップデートプログラムのバグ
 しばらくCentOS6の更新をしていなかった。メールをチェックするたびに「このFirefoxは古いFirefoxです」との表示が出る。これはうるさいのでCentOS6の更新をした。すると当然「このFirefoxは古いFirefoxです」との表示は出なくなった。ところがかえって不便になったことも出て来た。まずスクリーンセーバーが使えなくなった。正常ならスクリーンセーバーの状態になってからマウスを動かすとスクリーンセーバーはなくなりもとの状態にもどる。ところがマウスを動かしてもスクリーンセーバーがなくならない。もとの画面に復帰できない。やむなくスクリーンセーバーの設定をやめた。次に、テキストボックスにime-mode:disabled を設定しておくと、そこにフォーカスを移すと日本語入力モードから半角入力モードに変わる、いつも数字を入力するテキストボックスにはこれを設定しておくと便利である、半角/全角キーを押すことなく半角入力モードに変わるからである、ところがこの自動モード変換が使えなくなった。数字のみを入力するテキストボックスでも半角/全角キーを押さなければ半角入力モードに変わらない。さらにコマンドボタンの表示が以前より大きくなったり、小さくなったりして見にくくなった。私はCentOS7も使っているがCentOS7ではこの3つのことはない。これは明らかにCentOS6をアップデートするプログラムのバグである。
 以前のバグをなおすために、セキュアリティ上の問題などをなくすためにアップデートプログラムをつくった。それで以前のバグはなくなるかもしれないが、そのアップデートプログラムがまた新しいバグを生むのである。新しいプログラムが必ずしも一番よいとは言えない。使い古した以前のバージョンは枯れたよさを持っている。

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390 志士仁人は身を殺して以て仁をなすこと有り
 資本主義社会というのは人間の欲望で動いている社会である。欲望を犠牲にして義をなすという観念に乏しい。論語に「志士仁人は生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁をなすこと有り」とある。自分の身を犠牲にしてでも仁や義をなすという倫理観は現代人は希薄である。現代ではむしろ生を求めるのを絶対的な目標のように考えている。長生きするのを絶対的な目標のように考えている。人生は長く生きたらよいというものでない。自分の一生でどれだけ社会に貢献したかが大事である。論語の言うように社会に貢献するためなら自分の命さえ犠牲にしなければならないのである。それなのに現代人は自分の命をのばすことばかりを考えて社会に貢献することを考えない。自分の命をのばすためなら社会を害することもする。

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391 自分と似ている人間、似ていない人間
 ツバメの餌は飛んでいる昆虫である。ハエ、アブ、羽アリのような人間に害があるものも食べる。スズメは虫も食べるが、田んぼの米も食べる。スズメに食べられると稲穂は空になり白くなってしまう。スズメは食性が人間と似た所があり、人間の食べる米を食べる。ところがツバメは人間と食性が違い、米は食べない。人間が食べないハエ、アブ、羽アリを食べる。
 人間は古来ツバメを大事にする。人間と食性が違うために人間を害することがなく、人間に益を与えるからである。一方スズメは人間に嫌われてきた。人間と食性が似ており人間の大事な食料である米を食べるからである。人間と似ている動物は人間と同じものをほしがり、人間と同じものを得ようとするから、競争が起こり人間と対立しやすい。これは人間同士でも同じことであrる。自分と同じような人間は同じものをほしがり同じものを取ろうとするから競争が起こり対立しやすい。だから同じような人間は本質的に対立しやすく、仕事を一緒にすることは難しい。ところが類は友を呼ぶという言葉があるように、同じような人間が友人になることが多い。これは人間は自分を愛するがために、自分と似ている人間は自分のように思い愛する、だから友人となりやすいのである。しかし自分と同じような人間ばかりを登用して仕事をすると、似ている人間は本質的に対立しやすいから、やがて対立することになる。自分と違う人間は、共通点が少なく共感することが少ない。しかしそういう人と仕事をすれば、嗜好が違うから対立することが少ない。また自分と違う人間は自分のできることはできないかもしれないが、自分のできないことができる。それで長短相補い役に立つ人材となる。

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392 朝鮮戦争の休戦協定
 私は朝鮮戦争はずいぶんと前に終わったと今まで思っていた。ところが実際はまだ平和条約は結ばれていないと言う。単に休戦協定が結ばれているだけである。休戦協定は1953年7月27日に署名され、「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と既定されている。米国、中国、北朝鮮の三者が調停し韓国は休戦に反対して署名しなかった。それ以後平和条約締結の試みが何度かなされたがいずれも実現しなかった。
 歴史的に見ると休戦協定は疲弊した自軍を休ませるために、あるいは単に相手国を油断させるために結ばれることが多い。自軍が武力的に劣れば相手国は攻めて来ることが多い。大阪の陣で豊臣が徳川に敗れたのは、単に休戦協定しか結ばれていないのに大阪城の堀を埋めるという武力の削減に応じたからである。豊臣の武力が劣れば徳川は攻めて来た。「秀頼の身の安全と本領の安堵」という規定は無視された。休戦協定しか結ばれていないのに、北朝鮮に核の放棄を求めるのは無理がある。北朝鮮の武力が劣れば北朝鮮は攻め込まれる可能性が高いからである。平和条約を結び、お互い相手国に攻め込まないという条約を結んではじめて相手国に武器の削減を求めることができる。平和条約を結ぶのがまずなされるべきことである。

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393 自動車保険と生命保険
 自動車事故を起こし相手を死亡させる確率は非常に低い。ほとんどの人は一生の間に一度も死亡事故を起こさない。ところが一度こういうことが起こると億単位の巨額の賠償金が必要になる。これを自分の貯金で払うことのできる人は少ない。だから自動車保険には必ず入る必要がある。また保険会社にしても、死亡事故が起こした1人に億単位のお金を支払っても、死亡事故が起こる確率は非常に低いから一年間で支払った総額で考えるとあまり大きな額にならない、それで十分に利益が出る。自動車保険は保険に入った人にも保険会社にもメリットがあるのである。
 死亡した時に支払われる保険が死亡保険である。生命保険とも言う。人間は必ず死ぬ。今年は死なないとしても100年のスパンで考えれば、まず100%の確率で人間は死ぬ。人間が死ぬ確率はこのように高いから、保険会社は1人にたくさんのお金を支払うことができない。1人に払う金額が少なくても、多数に払うことになるから、一年間で支払う総額で考えると大きな額になる。保険会社はこの大きな額を支払うために保険料を高額にすることになる。死亡保険に入った人は多額の保険料を取られるのに、もらえる金額はそれほど多くない。起こる確率が高いものは、保険に入る人にメリットが少なく、保険会社にもメリットが少ない。

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394 YouTbue
 YouTubeは素晴しい。膨大な数のコンテンツから自分の見たいもの、興味のあるものを選んで見ることができる。ほとんど無料である。宣伝は出て来るがスキップできる。
 今年の夏は暑く熱中症で搬送される人が多い。そう言えば何年か前「ためしてガッテン」で熱中症のことをしていたなと思い出した。うろ覚えの所があったのでもう一度見たいと思ってYouTubeで検索すると出て来た。もう一度見ることができた。
 テレビ番組で見ることができるのは今放送されているコンテンツに限られる。YouTubeの膨大な数にとても及ばない。民法番組は必ず宣伝がつく。録画すれば宣伝のスキップはできるが、そうでないと必ず宣伝も見なければならない。またテレビの番組は放送される時刻が決まっている。その時刻に合わせて見なければならない。他にしたいことがあっても、それをやめてテレビを見ることになる。YouTubeは見たい時に宣伝をスキップして見ることができる。またテレビは録画していないと、画面を止めることができない。メモをしたい時は画面を止めるときちんとメモできる。さらにYouTubeはもう一度見るのも容易である。
 テレビで放送されるものは、初めての放送だとその内容がよいかどうかがわからない。YouTbueは検索すると、当然よく見られるものが上に出て来る。みんながよく見ているということは、内容がそれなりの価値があるということである。テレビ放送のようにその内容に価値があるかどうか、視聴者の評価がまだできていないものとは違う。だから価値ある内容のものを見ることができる。人間の使える時間は限れれているから、価値あるものを選択して見ることは非常に大事なことである。
 YouTubeでは英語のドラマや映画も多い。最近は字幕のつくものが多い。わからない所があればそこで動画を止め辞書で調べることもできる。英語の勉強にもなる。
 YouTubeがこれだけ素晴らしいともうテレビの時代は終わると思われる。ケーブルテレビも将来は厳しいだろう。一番肝腎なコンテンツにおいてYouTubeが圧倒的に優れる。他の点でもYouTubeのほうが優れる。有料動画配信もよほどよいコンテンツを配信しない限りYouTubeに対抗するのは難しいだろう。

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395 過去の学者のできなかったことができる可能性
 歴史上の大国は強大な武力でつくられてきた。アレキサンダー大王のマケドニア、カエサルのローマ帝国、ジンギスカンの蒙古...。現代の大国である米国は、歴史上のあらゆる国より武力が強い。その兵器が優れるからである。マシーンガン、戦車、戦闘機、ミサイル、水爆...。米国がこれれを用い攻撃すればアレキサンダー大王もカエサルもジンギスカンも簡単に打ち倒される。過去のいかなる国よりも強いということが現代文明は優れるのだという自信を生んでいる。
 現代文明は学問にも強力な道具をもたらした。パソコン、インターネットである。こういう強力な道具を過去の学者は利用できなかった。こういう道具があるから、現代の学者はアリストテレス、カント、朱子ができなかったこともできる可能性がある。

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396 クレジットカードについて
 クレジットカードを使えば今手元にお金がなくとも物が買える。お金がなくても物が買えるから、どうしても物をたくさん買いがちになる。クレジットカードを使えば浪費するから、クレジットカードは使わない、すべて現金で買うという人もいる。それはそれで堅実な消費行動と思う。しかしクレジットカードは年会費無料でありながら、1%程度のポイントをつけるものがある。これは1%の割引と同じことになる。だから賢くクレジットカードを使えばすべて現金で買うよりもいくらか出費が少なくなる。
 クレジットカードを使う場合、決してしてはいけないのがリボ払いである。リボ払いは毎月5千円とか1万円とかの一定額のみ口座から引き落とされていくものである。50万円のような高額な買物をしても、月に5千円、1万円しか口座からお金が減らない。一見得をしたように見える。しかしまだ払っていない残額に年率15%もの高率の利子がかかる。それで利子を合わせた支払総額はかなり大きなものになる。クレジットカード会社はリボ払いの利子が大きな収益源になっている。それでカード利用者ができるだけリボ払いを利用するように誘導しようとする。クレジットカードのサイトでもリボ払いに変更するのは簡単だが、リボ払いから一括払いに変更するのは操作がわかりにくかったりする。何かの確認を求められて、よく見ずに確認してしまうといつの間にかリボ払いになっていたりすることがある。クレジットカード会社のサイトで利用状況を確認する時は十分に注意する必要がある。
 ポイントはできるだけ現金に近い形のがよい。そのほうが浪費につながらないからである。商品を買うことしかできないポイントだと必ずたくさん物を買おうとし浪費につながる。ソニー銀行のビザデビットカードのSony Bank WALLETはその人の優遇状態に応じて使った額の0.5%~2%がその翌月にキャッシュバックされる。これは文字通り現金のポイントである。Booking.comカードは使用額の1%のポイント分が翌月の請求から減額される。これも現金に近い。P-one Wizカードは使った金額から1%を減額した額が口座から引き落とされる。これも現金に近い。P-one Wizカードはさらに使った金額の0.5%のポイントがつく。このポイントはTポイントに交換できる。P-one Wizカードは本来はリボ払い専用のカードだが、一括払いにも変更できる。

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397 大きなチャンス
多くの人が正しいと思っているがそうでないことがある。これは大きなチャンスになる。そのことをしないだで人に優れることになる。

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398 失敗
人が失敗するのは理に合わないことをするからである。多くの人がしているからと理を省みずにする。人にほめられようと理を省みずにする。理を省みずにするから理に合わないことをする。だから失敗する。

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399 住みやすい所
どこが住みやすい所かと思い人に聞いたりインターネットで調べたりすることがある。多くの人にアンケートを取り一番多くの人が住みやすいとする所を一番住みやすいとしたりする。しかしどういう所を住みやすいとするかは人により違いがある。交通機関が整っている都会を住みやすいとする人がいる。交通機関が不便でも静かで空気のよい所が住みやすいとする人がいる。寒がりの人は暖かい所を住みやすいとする。暑がりの人は涼しい所を住みやすいとする。人の嗜好はそれぞれ違う。自分にとって一番住みやすい所は結局自分が行ってみて決めるより他ない。

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400 最も効果的な広告
最も効果的な広告はニュースである。ニュースの広告効果は非常に大きい。それでいて無料である。
ニュースとは広告の一形態である。

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401 時間給の高い仕事
時間給の高い仕事は時間給の低い仕事よりよい仕事とされがちである。しかし時間給が高いのは時間給が高いわけがる。その仕事ができる絶対数が少ないと時間給は高くなる。専門職などである。労働条件が厳しいと時間給は高くなる。深夜の仕事とか危険な仕事である。労働条件が厳しい仕事は長く続けることができない。無理して長く続けると身体を害す。むしろ時間給が安い楽な仕事を長く続けたほうが得る金額は多くなる。

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402 交通機関の料金
私は棟庵アジアではマレーシア、フィリピン、台湾に行ったことがるがどこもMRT、バスの料金が非常に安い。台湾の台中市はバスが10km以内なら何と無料であった。公共交通機関の料金を安くして自動車、バイクに乗ることを減らそうとしているのであろうか。これれの国では交通機関の料金がこんなに安いのになお自動車、バイクが多い。

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403 本の価値
 学会に行くと必ず教育講演がある。医者の場合、自分の専門の学会へ行って教育講演を聞くといくらか点数がもらえる。専門医の称号を維持するには、5年とかの決められた期間に決められた点数以上を獲得しなければならない。でないと専門医資格を維持できない。つまり医者の専門医の資格は学会に行って教育講演を聞くことで維持されるのである。
 医者の場合この他にも製薬会社が資金提供する学術講演会がよくある。そこではまず製薬会社から薬の効果の説明がなされ(事実上の薬の宣伝である、これがために製薬会社は資金を提供している)、呼ばれた教授などが講演し、その後少し質疑応答がなされる。それが終わると食事と酒類が出され出席者が歓談する。
 医者の世界だけでなく、講演会はよくなされる。有名人を呼んでの講演会は各地でなされている。
 何か本を書く、あるいは論文を書くという場合、こういう講演会で得た知識を引用資料として使えるかと言うとそれができない。講演は話し言葉でなされるから、その言ったことが文献として残らない。このように言ったというのは、聞いた人の記憶に残っているだけである。記憶というのは時間がたつと忘れていくものだから、やがて忘れ去られる。また同じ話を聞いても受け取り方は各人少し違う。あの講演者がどういうことを言ったかと出席者に聞いてみると、出席者によって少し言うことが違う。紙媒体で残っておらず、しかも人によって受け取り方が少し違うのでは本や論文の根拠にできない。
 現代ではテレビの影響力は大きい。テレビでは有名人がいろいろと言う。その有名人が言ったことを本や論文の根拠にできるかと言うと、これも難しい。テレビで言ったことは紙媒体で残っていない。YouTubeなどにアップロードされているのでなければ、もう一度見ることもできない。よって資料的価値がない。テレビで言うことは影響が大きいにもかかわらず資料的価値はないのである。
 まったく無名の人が自費出版した本でもこれは資料的価値がある。本や論文に参考文献として引用できる。その本は国立国会図書館に保存されており、誰でも見ようと思えば原本を見ることができるからである。しかし学会でなされた教育講演も、有名人が呼ばれてした講演会も、テレビでの有名人の発現も資料的価値はない。本や論文の参考文献として引用できない。その原本が残らないからである。紙媒体の本は現在でもなおその価値を持ち続けている。

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404 書店
 インターネット通販が有利な商品の店頭販売は非常に厳しい。
 インターネット通販で本を買うことの弱点は本の内容を読むことができないことであった。しかし最近は本の一部の内容をインターネット上で公開しているものも多い。またインターネット上の動画で著者の動画を見て興味深いことを言うと思えば本も買ってみようと思う。一度その著者の本を呼んでおり、おもしろくためになったことがあれば、別の本が出るとまた買おうと思う。実物を手に取って立ち読みをしてはじめて本を買うというのではなくなっている。
 本は価格面ではインターネット通販が有利である。インターネット通販で買った場合送料は無料である。店頭で買えば本屋まで行く交通費がかかる。インターネット通販で買えばポイントがつく。書店でもポイントはつけているが、書店のポイントはその書店で本を買う時にしか使うことができない。またいくらかのまとまったポイントにならなければ使うことができない。それで有効期限が来てしまい無効になってしまうことが多い。アマゾンのアマゾンポイントや楽天ブックスの楽天ポイントは、本以外の買物でも使うことができる。また少しのポイントでも使うことができる。ポイントの有利させでは書店はインターネット通販にかなわない。
 在庫数においてはアマゾンが一番だろう。アマゾンのマーケットプレイスではさらに古本も充実している。古本の在庫と価格でアマゾンのマーケットプレイスにかなうものはない。書店にわざわざ買いに行っても在庫がないことが少なくない。在庫数においてはインターネット通販が書店より圧倒的に有利である。
 

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405 日本の米の自給率は本当に100%か?
 日本の米の自給率は100%と言われます。本当に100%なのでしょうか。
 米をつくるには、トラクター、田植え機、コンバインのような機械がいります。これらの機械がなければ現代農業で米をつくることはできません。これらの機械を動かすには燃料がいります。燃料がなければトラクターは動きません。トラクターが動かなければ田を耕すことができません。昔のように田を耕すために牛を飼っている農家はほとんどありません。燃料がなくてトラクター、田植え機、コンバインが使えなくなれば日本でどれだけの米をつくることができるのでしょうか。米の生産量は激減します。
 日本の石油自給率は0.4%です。必要な石油の99.6%を海外に頼っています。石油が入って来なければ農業機械は動きません。よって米はほとんでつくれません。だから米の自給率も0.4%と考えるべきです。

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406 キャッシュレス化
 日本は外国に比べてキャシュレス化が遅れていると言って、政府はキャッシュレス化を進めようとしている。期間限定とはいえ、クレジットカードや電子マネーのようなキャッシュレスの支払いをすると、55のポイントをつけると言い出した。日本人が現金で払う人が多いというのは、堅実な消費をする人が多いということである。現金払いがなぜいけないのかと思う。
 カード払いを取り入れている小売店は、カード会社に1%~5%の手数料を払わなければならない。この手数料を消費者に請求すると、カード会社との契約違反になるから、消費者に請求できない。だから小売店は極限に安く売ることができない。カード会社に払わなければならない手数料があるからである。現金払いなら、利益率1%~5%の極限の安売りもできるが、カード払いでこれをすると、小売店はまったく利益がないことになる。
 高価な買物をする時は、クレジットカード払いをする人が多い。手元にお金がないからである。また、クレジットカード払いをすると、手元にお金がなくても買えるために、つい多くの物を買ってしまう。
 高価な物は月賦払いで買う人が多い。月賦払いにすれば、毎月小額払うことで、高価な物を買うことができるからである。それで高価な自動車や家を買うには、月賦払いを利用する人が多い。(住宅ローンというのは、実質上月賦払いである。)しかし、安く買いたければ一括払いにすることである。月賦払いは金利が加わっているから、総額で考えると一括払いよりずいぶん高いものになる。クレジットカード払いにも、リボ払いという月賦払いの一種がある。リボ払いでクレジットカード払いをすると、ずいぶん高い買物になる。
 キャシュレス化を進めれば物がよく売れるようになり、景気がよくなる、と政府は考えているのだろう。しかし、それはカード破産の人を増やすことである。
 カード払いをするとポイントがつくから得だと言う人がいる。しかしこのポイントは、結局買物に使うことになる。ポイントを現金にもどすと目減りする。楽天ポイントやポンタポイントを直接現金にもどす方法はない。ポイントで商品券を買い、金券ショップでそれを現金化する方法があるが、金券ショップで取られる手数料だけ目減りする。また手間がかかる。Tポイントは、ジャパンネト銀行を使えば直接現金化できるが、かなり目減りする。十万円の買物をカードでして、千円分のポイントをもらった時に、得をした気分になる。しかし、この千円のポイントは買物に使うしかなく、そのポイントで買った物を合わせると、十万円出費したのは同じことである。家計の節約になっていない。カードでも、ポイント分返金するとか、ポイント分だけ少なく預金から引き落とすカードがある。こういうカードは節約につながるカードだろう。
 価格.comを見ればわかるように、最安値の所がカード払いにしている所は少ない。極限の安値の所は、現金払いであると、認識すべきである。ただし同じ価格でカード払いができるなら、ポイント分を返金するカードなら節約につながるだろう。
 キャシュレス化が進めば物はよく売れるようになるかもしれない。しかし破産する人は増えるだろう。

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407 クレジットカードのポイントは実入りが大きくない
 日本クレジットカード協会が毎年行っている「クレジットに関する消費者向け実態調査」2016年度版によると、クレジットカードの月々の支払平均額は約5万4千円である。つまり一年で64万8千円である。約半数の人が月3万円以下の使用である。月3万円だと、一年で36万円になる。1%のポイントがつくとすると、64万8千円使えば、6480円、36万円使えば、3600円のポイントがつく。0.5%のポイントがつくとすると、64万8千円使えば、3240円、36万円使えば、1800円のポイントがつく。
 2014年のぐるなび生活調査によれば、「忘年会で払ってもよいと思う金額は?」という質問に対し、仕事、職務関係が平均4108円、プライベートが平均4517円という返答であった。仕事、職務関係とプライベートで一回ずつ忘年会に出ると、4108円+4517円=8625円 の出費となる。クレジットカードの一年の使用でためるポイントぐらいは、忘年会に出れば飛んでしまう。
 時給800円で働いても、一日8時間働けば6400円の収入になる。一年にクレジットカードを64万8千円使ってつくポイントぐらいは、一日の労働でかせぐことができる。
 クレジットカードのポイントは、カード会社がクレジットカードを使わせようとする戦略である。実入りはそう大きいものでない。1%のポイントを考えるよりも、さらに1%安い所はないか、さらに出費を減らすことはできないか、さらに収入を増やすことはないかと考えるほうが実入りは大きくなる。、

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更新日: 2019年4月23日