ウクライナの市民よ、武器を取るな
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  武器を取るというこは、私は相手を殺しますという意思表示である。殺されようとする相手は、正当防衛として自分を殺そうとする人を殺すことができる。これは正当防衛であり、理にかなったことである。武器を取らずに手を挙げている人を殺せば、これは犯罪である。武器を取るということは、自分は殺されても文句は言いませんという意思表示である。
  ウクライナの市民は初めて武器を手にした人が多い。初めて武器の扱い方を習ったのである。しかもその市民の軍隊は寄せ集めに過ぎない。隊長の命令で組織的に動くことができない。武器の扱いに慣れ、隊長の命令で組織的に動くロシアの正規軍と戦っても勝目はない。ウクライナの市民が武器を手に取れば、多くのウクライナの市民が殺されることになる。武器を取ってロシアの軍隊を殺そうとしたのだから、ウクライナの市民は殺されても文句は言えないのである。
  孫子の兵法は、勝てない戦いは絶対にしない。勝てないと思うなら、相手がどんなに無道でも、武器を取らずに相手に服従する。服従の恥辱を堪え忍び、相手を驕らせ、人知れず努力して力を蓄える。時がたち十分に力がつき、相手にスキが出き、今蜂起すれば100%勝てることができると確信した時に初めて立ち上がる。
  戦えば必敗が予想されるのに、市民に武器を取らすウクライナの大統領ゼレンスキー氏は何を考えているのか。市民に武器を取らせば多くの市民が死ぬだけである。多くの民を殺せば、民のことを思う指導者とはとても言えない。
  強盗に出くわした時、護身術を身につけた猛者なら、強盗に抵抗してよい。強盗をやっつけ自分の財産を守ることができるからである。しかし護身術を身につけていない人なら、強盗に抵抗すべきでない。おとなしく手を挙げ財産を渡すべきである。強盗に抵抗しようとすれば、殺される可能性が高いからである。強盗する者は単に財産がほしいだけである。人を殺す意思はない。しかし相手が抵抗すれば、自分の身を守るために相手を殺さざるを得なくなる。
  ウクライナの市民が武器を取っても、武器を持った烏合の衆に過ぎない。武器を持った烏合の衆が、法があり組織だった動きができる軍隊に勝った例は今までない。武器を持った烏合の衆は殺されるだけである。ロシアはロシアの要求が通らないから進行しただけである。ウクライナの市民を殺す意図はない。しかしウクライナの市民が武器を持って攻撃してくれば、自分達の身を守るためにウクライナの市民を殺さざるを得なくなる。
  ウクライナに武器を送る米国などは何を考えているのか。これは多くのウクライナ人を殺そうとする行為である。米国政府の裏にいる軍需産業が旧式の武器を送らせ、利益を得ているのだろう。
  ウクライナの市民よ、武器を取るな。


更新日:2022年3月1日