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農薬、抗生物質、消毒 Insecticides, Antibiotics and Antiseptics

 ここに農作物を栽培しているAという人がいます。ある年作物にP害虫が大量発生しました。このままではその作物は死んでしまいます。どうすればよいのでしょうか。何かの薬品でP害虫を殺せば作物は助かるはずです。AはP害虫に効果のあるS農薬を散布しました。S農薬でP害虫は死に、作物は生きることができました。めでたしめでたしです。
 次の年、Aは前年ひどい目にあったため、P害虫が発生する前に予防的にS農薬をまいておこうと考えました。P害虫が少ない時にP害虫を殺せば、簡単に殺せるし作物も被害を受けずにすみます。AはS農薬を予防的に散布しました。ところがその年はQ害虫が大量発生し、作物は全滅寸前になりました。S農薬はQ害虫に効かなかったのです。AはQ害虫に効果のあるT農薬を散布しました。それでQ害虫は死に、作物は生きることができました。
 前々年のP害虫の大量発生、前年のQ害虫の大量発生に参ったAは、次の年前もってS農薬とT農薬を散布し害虫の発生を押さえようとしました。ところが今度はR害虫が大量発生し、作物はやはり全滅寸前となりました。S農薬、T農薬はR害虫に効かなかったのです。AはR害虫に効果のあるU農薬を散布しました。それでR害虫は死に、作物は助かりました。
 次の年AはS農薬、T農薬、U農薬を前もって散布し、P害虫、Q害虫、R害虫の発生を防ごうとしました。ところがP害虫がまた大量発生したのです。Aはさらに大量のS農薬を散布したのですが、P害虫は十分に死なず、作物は全滅してしまいました。今度のP害虫はS農薬の効かないP害虫だったのです。Aが長年S農薬を使っているうちに、P害虫に突然変異が起こり、S農薬に耐性を持つP害虫が発生したのです。
 これは私の創った寓話である。しかしこういうことは実生活で起こっている。畑にはいろんな生物がいる。それが互いに食ったり、食われたりして秩序が保たれている。こういう中ではひとつの生物が大量発生することは難しい。ひとつの生物が大量発生しようとすれば、それを食べる生物は餌が増えるから、数が増える。それでその大量発生しかけた生物はたくさん食べられることになり、大量発生が防がれる。ところが農薬などをまき、多くの生物を殺してしまうと、この秩序が乱される。ひとつの生物が大量発生しようとしても、それを食べる生物が農薬のために死滅しているから、その生物の大量発生をくいとめるものがいない。それでその生物が大量発生することになる。先の寓話でAは害虫発生を押さえるために、前もって予防的に農薬を散布した。それがために害虫ばかりか、その害虫を餌とする虫も殺してしまった。それで害虫の大量発生を押さえる虫がいなくなった。これが毎年害虫が大量発生した理由である。
 こういうことは虫の世界だけでない。細菌のような微生物の世界でも同じことである。人間の腸内には大量の細菌が住んでいる。その数は100兆個と言われている。さらに口腔内に100億個、皮膚に1兆個の細菌がいると言われている。こういう中に病原菌となる細菌が入って来ても増殖することができない。すでに多くの細菌がいるのだから餌が十分でないからである。病原菌となる細菌はそれが増殖してはじめて人間を病気にする。少し体に入って来ても、それが増殖することがなければ人間を病気にすることはない。感染は病原菌が体の中で増殖してはじめて成立するのである。
 予防的に抗生物質を投与するとか言って、抗生物質を投与すると腸内細菌が殺される。外から病原菌となる細菌が入った時に、腸内細菌が少ないのだから、競合する細菌が少なく、餌が豊富であり、増殖する可能性が高くなる。病原菌となる細菌が増殖すればその病気に感染することになる。農薬の予防的散布が、害虫ばかりかその害虫を食べる虫も殺すために、かえって害虫が大量発生するように、抗生物質の予防的投与は腸内細菌を殺し、競合する細菌がいなくなるためにかえって病原菌となる細菌の増殖をもたらし人を病気にするのである。
 何かの理由で畑に大量の害虫が発生した時には、農薬を散布する意義がある。このままでは作物が全滅する可能性が高いし、一度大量発生した害虫を殺してしまうと、他の生物も自分の食べる餌を確保できるから住みやすくなる。それでいろんな生物が住むもとの状態にもどりやすくなる。同様に病原菌となる細菌が大量増殖し、何かの病気に感染している時には抗生物質を投与する意義がある。そのままではその人間が死ぬ可能性が高いし、一度その細菌を殺したほうがいろんな細菌が住むもとの環境にもどしやすいからである。
 現代の医療では、発熱、白血球増多、CRP高値の3つがそろうと抗生物質が投与される。しかも広い細菌に効果のある第3世代セフェム系や第4世代セフェム系が投与される。発熱とCRP高値だけで抗生物質が投与されることも多い。発熱だけで抗生物質が投与されることも少なくない。こういうふうに細菌感染の成立を確認せずに抗生物質を投与する、つまり病原菌となる細菌が大量発生していることを確認せずに抗生物質を投与することは、腸内細菌を減少させることで、かえって人間の体を細菌感染しやすい状態にする。抗生物質の投与がかえって細菌感染を起こしているのである。
 皮膚には表皮ブドウ球菌が棲息している、表皮ブドウ球菌は皮膚を弱酸性にする。それがためにしったりしたつやつやの肌になる。また病原菌の多くはアルカリ性を好むから弱酸性の皮膚に付着しても増殖しにくい。それで病原菌が皮膚内部にも侵入することも少なくなる。もし頻回に消毒して表皮ブドウ球菌を殺すと、皮膚はアルカリ性に傾く、それで病原菌が皮膚で増殖しやすくなり、皮膚内部にも侵入しやすくなる。皮膚が表皮ブドウ球菌で覆いつくされておれば、病原菌が皮膚についても餌が十分でないから増殖できないとも言える。
 CDC(Center For Disease Control And Presentation)は、医療関係者の手が病院内で細菌で汚染され、医療関係者の手を通じて細菌が院内に広まるのを防ぐために、頻回なアルコール消毒を強く勧めている。けれどその根拠としている実験は、細菌がどれだけ手についているかを基準に考えており、病原菌がどれだけ手についているかを基準にして考えていないようである。手についている細菌が少なくなるから頻回にアルコールで消毒しましょうと言っているのであって、手に病原菌が繁殖することが少なくなるから頻回にアルコールで消毒しましょうと言っているのではないのである。常在菌である表皮ブドウ球菌が皮膚を覆いつくしているほうが、病原菌の増殖は少なくなるのである。一歩譲り、CDCの言うように医療関係者が頻回に手のアルコール消毒をしたほうが病原菌の院内感染は少なくなるとしよう。医療関係者は病院内では頻回にアルコール消毒をするだろう。しかし医療関係者は病院外で頻回にアルコール消毒をするだろうか。家で我が子を抱く前に手のアルコール消毒をするだろうか。通勤途中の電車の中で、つり革を握る前に手のアルコール消毒をするだろうか。スーパーで展示されている商品を手にとって見比べる前に手のアルコール消毒をするだろうか。病院内では頻回に手のアルコール消毒をしても、病院外ではほとんどアルコール消毒をしないだろう。アルコールで常在菌である表皮ブドウ球菌を殺せば、競合する細菌がいないため、手についた病原菌は手で増殖しやすくなる。病院外でアルコール消毒をしないと、増殖した病原菌を病院外にばらまくことになる。CDCはこういうことを考えているのだろうか。病院内での頻回な手の消毒がかえって病原菌の手での増殖を招き、病原菌を他にばらまき、病気を増やしている可能性が高いのである。

参考文献
  1. 青木皐(2004)『人体常在菌のはなし−美人は菌でつくられる』集英社(集英社新書)
  2. 夏井睦(2006)『創傷治療の常識非常識2 熱傷と創感染』三輪書店
  3. Centers For Disease Control And Prevention. Guideline for Hand Hygiene in Health-Care Settings. Morbidity and Mortality Weekly Report(2002); Vol.51

 2007年5月12日作成

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