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病気と病因

  1.  地球は一つの閉じた世界である。ここではその秩序を守るために自然は動く。シマウマが増えようとすればライオンの餌食となりその増加が妨げられる。ライオンがいなければシマウマは異常繁殖することになる。これでは地球の秩序が保てない。だから自然はライオンという天敵をつくりその秩序を保とうとするのである。地球という一つの閉じた世界において生物の命などどうでもよい存在なのである。地球の秩序を維持することがその至上命令なのである。生物は地球の秩序を乱すと思われれば殺されるし、地球の秩序に必要と思われれば生かされる。
     一人の人間も一つの閉じた世界である。ここでは自然はその個体をできるだけよい状態で生かそうとする。その脳幹、肝臓、腎臓、内分泌系、神経系などすべての器官を駆使してその個体をよい状態で生かそうとしているのである。ここでの自然の至上命令はその個体をよりよい状態で生かすことである。だから人間の一個体の内部から、その個体を害するような指令、その個体を病気にするような指令が出るはずがない。
     人間は食べ物や空気を通じて地球という閉じた世界と交流している。もし人間の一個体が完全に閉じた世界なら、人間は地球と独立に行動することになり地球の秩序が保てなくなる。だから自然は人間の個体を地球世界と交流する不完全の閉じた世界にしているのである。
     人間にとって外界からくるものは、人間の体を益するためだけに動くものでない。地球という閉じた世界を益するために動いているのである。地球の秩序のため必要とあれば、平気で人間を害するのである。だから人間の体の外から来るものは人間に病気をもたらすことがある。人間は病気になった時まず自分の体の外から来たものに間違いがなかったかと深く考えるべきである。食事は病気の大きな原因となる。間違ったものを食べていないか、きちんとしたものを食べているかと懸命に考えるべきである。自分の内臓や脳幹が間違ったことをしたと思うべきでない。この可能性は非常に低い。この外から来るものとは間違った医学理論も含まれる。歴史を見れば間違った医学理論が人を病気にした例を多く見る。例えば発熱するとする。人は体が発熱という間違った指令を出したからすぐに解熱剤で熱を下げなければならないと考える。熱は下げなければならないという医学理論で判断しているのである。これは外から入って来たこの医学理論が間違っているというべきである。自分の体は自分の体を守るために懸命に働いている。最も体を害せずして体を守る方法は発熱であるとの判断のもとに、視床下  部が発熱を命じているのである。この判断のほうが正しい。実際ウイルスが体に侵入した場合、ウイルスが熱に弱いこと、発熱すれば白血球の活動が活発になることを考えれば、ウイルスの侵入に対して発熱で応じた視床下部の判断は正しい。病因はまず内にない。たいてい外にある。ただし遺伝疾患のような少ない例外はある
     地球の閉じた世界はただ地球の秩序を維持するために動いている。人間一個体を生かすことは考えていない。人間一個体の閉じた世界はただその個体をできるだけよい状態で生かすために動いている。だから病気になった時人間一個体の閉じた世界と外との交流をできるだけ断ち切れば回復が早い。
     怪我をして皮膚を損傷したとする。その傷をそのまま放置しておけばこれは内の閉じた世界と外の世界との交流を許すことである。傷を何かでおおって外との交流をできるだけ断ち切れば、内の個体をできるだけよい状態に保とうとする力が働きやすくなる。それで傷は早くきれいに治る。これが外傷の閉鎖療法である。閉鎖療法に関する卓見は夏井先生のホームページに詳しい。
    夏井先生の閉鎖療法のホームページ
     病気をした時に一番すべきことは食事を断つ、あるいは食事を減らすことである。食べ物は人間一個体の外に属するものである。地球の秩序を維持するために動いているのであって、人間一個体をただ益するために動いているのではない。食べ物は体で消化吸収し、新しいものにつくり変えてこそ人間一個体を益するように働く。この消化吸収という作業はかなりのエネルギーを要する。もし食べなければこのエネルギーがすべて病気の治癒に働く。それで病気は早く治る。病気になった時たいてい食欲が落ちる。これはその体が正常に機能している証拠である。今体は病気であり、その修復に忙しい時である、食物の消化吸収に使うエネルギーの余裕はないと体はサインを発しているのである。だから病気で食欲のない時は食べないというのが正しい。多くの人は食べなければ病気を治す体力がつかないように思い、食欲がないのに無理して食べる。これも間違った医学理論で動いていると言うべきである。
       現代は精神疾患が増えている。現代人はストレスが多いのが原因だと言う人が多い。私はそうは思わない。戦国時代や太平洋戦争中などは人々が殺し合いをしていた。いつ殺されるかわからないのだから、これは大きなストレスである。今の平和な日本よりはるかに大きなストレスと言うべきである。しかしこういう時代でも精神疾患は現在ほど多くなかった。ストレスが精神疾患の原因だと言うならこれが説明できない。私は現在精神疾患が増えている原因は情報過多にあると思う。現在はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍、インターネットを通じ莫大な情報が流れて来る。こんなことは未だ嘗てなかった。この莫大な情報は他の個人が発したものであり、他の個人を益することはあっても、自分一個人を益するとは限らない。この外から来る多くの情報でかき乱され、自分の閉鎖した世界から来る声が十分に聞かれなくなった時精神に変調を来す可能性が高い。精神疾患に対する対処はまず外から来る情報をできるだけ断ち、自分本来の声で動くようにすることである。具体的には、座禅などはきわめて有効だろう。
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  3.    病気とは体が、脳幹、間脳できちんと統制がとれない状態を言います。正常であれば不要の細胞がどんどん増殖して正常な細胞の活動を妨げることはありません。脳幹、間脳の命令で不要な細胞は殺されます。ある種の細胞が脳幹、間脳の支配を脱してどんどん増殖するのを癌とか肉腫と言います。正常であれば、体を害することのない外物が体に入った時、自分自身の体を害するほど過剰に反応することはありません。脳幹、間脳は体を害するような過剰な反応を許すはずがないからです。 脳幹、間脳の調節作用がきかず、体が過剰に反応するのがアレルギー疾患です。これも脳幹、間脳のきちんとした統制がとれていないのです。人間には有害なウイルスが侵入した時、これをたたくために脳幹、間脳の命令で抗体をつくります。ところがこの抗体が勝手に自分の体を攻撃するのがSLE、リウマチのような自己免疫疾患です。正常なら脳幹、間脳は抗体が自分自身の体を攻撃することなど許すはずがありません。脳幹、間脳の支配を脱した自己抗体がこういうことをするのです。 正常であれば、血管は脳幹、間脳の命令によりきれいに保たれています。ところが脳幹、間脳の支配を脱した物質が血管壁にたまり血管を狭小化することがあります。これがために起こるのが、脳梗塞、脳出血、心筋梗塞、狭心症です。このように病気はすべて脳幹、間脳によるきちんとした統制がとれない状態なのです。
     人間の体にとって脳幹、間脳の支配下に一番おきにくいものは何でしょうか。それは外から体の中に入ってくるものです。自分の体の外にあるものは当然自分の脳幹、間脳の支配下にありません。それで自分の支配下とするにはこれをつくり変える必要があるのです。具体的には食物は外物であり、脳幹、間脳の支配下にありません。これを食べた時、消化吸収してこれを脳幹、間脳の支配下におかなければなりません。もし脳幹、間脳の支配下に完全におけない物質ができて、これを外に排出できないなら、これにより体の秩序が乱れます。脳幹、間脳で支配できない物質が体にできた時、この状態はすでに病気と言っていいのです。 食物をたくさん食べれば絶対量が多いのですから、脳幹、間脳の支配下におけない物質が生じる可能性が高くなります。食事量を少なくしたほうが病気になりにくいのです。「腹八部目、医者いらず」は正しいことなのです。病気になるとよく薬を飲みます、薬は外物ですから、やはりこれも脳幹、間脳の支配下におけるように変えなければなりません。しかし薬は特に偏った物質ですから、脳幹、間脳の支配下におけない可能性が高いのです。脳幹、間脳の支配下ににおけない物質が体の中にできるとこれはすでに病気の状態です。病気を治すために飲んだ薬がかえって病気を引き起こす可能性は少なくないのです。
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  5.  人間の臓器の中で間違いをするのは大脳だけである。肝臓、腎臓、肺、心臓などは間違いをしない。実際には肝、腎、肺、心にはたくさんの病気があるではないか、こういう臓器も間違いをしているではないかと言うかもしれない。肝、腎、肺、心が病気になったとしても、これは肝、腎、肺、心が間違ったのではない。間違ったのはやはり大脳なのである。大脳が間違いをし、健康に悪い生活を長く続けた。肝、腎、肺、心はそんな厳しい環境のもとでも体を正常に保とうと懸命に働いた。 しかしその厳しい環境についに適応できなくなり破綻したのが、肝、腎、肺、心の病気である。具体的に言うと、大脳が毎日一升の酒を飲むという行為を体にした。肝臓はこの厳しい環境でも懸命に働いて、体を正常に機能させようとした。しかし毎日摂取する大量のアルコールをついに処理できずに破綻したのが肝臓病である。病気は確かに各臓器がなっている。しかし各臓器に罪はない。間違いをしたのは大脳である。
     酒を毎日一升飲むことが体によくないのは誰にもわかる。自分はそんな不健康なことはしていない。それなのに病気になった。これは肝、腎、肺、心という臓器が間違いをしたのであって、大脳は間違いをしていないと言う人も大勢いるだろう。しかしそれも多くの人が大脳で正しいと考えていたことが間違っていた可能性が高い。 例えば現在の栄養学では炭水化物、蛋白質、脂肪の三大栄養素をバランスよくとり、動物性食品、植物性食品をバランスよくとるのが健康にいいことになっている。これはかなり疑問がある。これほど肉や乳製品を食べる必要があるのか甚だ疑問である。こういうものが病気を起こしている可能性がある。今一般的に正しいと考えられていることをしているから、自分の大脳は間違ったことをしていないのだとはならないのである。
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  7.  ここにA、Bという二つの国があります。Aの国の主君は甲と言い、Bの国の主君は乙と言います。AとBは対立している国でいつも紛争が絶えません。今度も国境問題で激しく対立し、両国とも十万の大軍を国境に集結させました。甲はaをその大将軍に任命し、乙はbをその大将軍に任命しました。甲は政治のことには自身があるのですが、軍のことではとてもaの能力にかなわないと思っていました。それでその十万の軍の戦略、規律、賞罰すべてaに一任しました。甲はaに「軍のことには口出ししないから、正しいと思うことを遠慮なくやってくれ。」と言ったのです。B国の主君乙は軍のことにも少なからず自身がありました。また十万の大軍をすべてbに任せてしまうのは不安でした。bがそむいて乙を攻めた時、乙は君主から追い落とされる可能性があります。それで軍を監視する監軍というポストをつくり、自分の腹心のcを派遣しました。十万の軍をbの意のままに動かすのでなく、監軍のcを通して乙の意でも動かすことができるようにしたのです。
     さてA軍、B軍は長く対峙した後、ついに合戦が始まりました。激しい戦いの後、A軍の大軍が大きく崩れ、敗走し始めました。B軍のcは「しめた。これを追い落として全滅させれば我が軍の大勝利だ。」と思いました。B軍の兵士も大半がそう思い、追いかけようとしました。ところがB軍の大将軍bの命令は「追わずに、引き上げろ。」でした。これにはBの兵士は不満でした。「もう一追いすれば全滅させることができるのに、どうして引き上げるのだ。大将軍bは腰抜けか。」と思ったのです。これはcも同じ思いでした。それですぐに君主乙に連絡しました。乙からは「追い落として全滅させろ。」という命令が出ました。B軍の命令は二つに割れたのです。君主が大将軍より上ですし、B軍の兵士は大将軍bの命令に納得していなかったのですから、大半がcを通じた君主乙の命令に従いました。A軍は左右に山のある狭い谷に逃げ込みました。B軍が追っていくと、突如左右の山から敵が攻め落として来ました。伏兵がいたのです。B軍は長追いして疲れていた所に、狭い谷で左右から不意打ちをされたのですから、散々に負け、追って行った軍は全滅になりました。この大敗でB軍は浮き足立ち総崩れとなり、A軍はB国の首都近くまで攻め込んで来たのです。B国は存亡の危機にさらされることになりました。
     戦いを知っている大将軍bの目にはA軍の崩れは真の崩れでなく、伏兵の所におびき寄せる崩れであることがわかったのです。だから「引き上げろ。」という命令を出したのです。戦いをよく知らない乙やcが口出しをしたからこの戦いは敗れたのです。孫子に「将能にして、君御せざる者勝つ。」(将軍に能力があり、君主が口出しをしなければ勝つ)とあります。君主が将軍を任命する時は新たに壇を築いて、君主みずから鉞柄を将軍に授け、「門より外は将軍の心のままにしたまえ。門より内は私が治める。」というのが古法であったとのことです。君主は「政治のことは私がするが、軍のことは将軍がすべてしたまえ、私は口出ししない。」と宣言したのです。
     さて人間の脳は大脳とそれ以外の間脳、脳幹、小脳に分かれます。君主が大脳で、将軍が間脳、脳幹、小脳にあたります。君主は内を治め、将軍は外を治めるのでしたが、脳の場合は大脳が外を治め、間脳、脳幹、小脳が内を治めます。人間の体の内を治めるとは、具体的に言うと、血圧はいくらにしろ、体温はいくらにしろ、インスリンはいくら分泌しろというような指令を出すことです。こういう種々の指令を出すことで体の恒常性が保たれます。体の外を治めるとは、食べ物を確保するために、体を動かす、寒さをしのぐために衣服や家をつくる、動物から身を守るために、ナイフや銃のような道具をつくることなどです。四肢を動かすのは大脳ですから、大脳は体の中も治めているように見えますが、四肢は外界を変えたり、外界に適応するために動かすのですから、これは体の外を治めることと考えます。
     人間の大脳の本来の機能は人間の体の外を司ることです。人間の体の中を治めるのは大脳よりも間脳、脳幹、小脳のほうがはるかに有能なのです。だから大脳が間脳、脳幹、小脳のすることに口出しをすべきでありません。大脳が体の中のことに口出しした時、体の恒常性が失われ、病気になる確率が高くなります。君主が将軍のすることに口出しすれば、負ける可能性が高くなるのと同じことです。
  8.  ここに甲という一つの動物がいます。その動物はA、B、C、Dという臓器からできています。A、B、C、Dの臓器の機能を調べる検査があり、その基準値はすべて20〜30であることが知られています。ところが、これはまだ知られていないことであったのですが、A、B、C、Dの検査値をすべてたした値は95〜105の間でなければならなかったのです。これを外れると甲の健康は失われます。このA、B、C、Dの値をたした値を臓器の総和値といいましょう。さてAの臓器の専門医をaと言い、Bの臓器の専門医をbと言い、Cの臓器の専門医をcと言い、Dの臓器の専門医をdと言います。
     ある年甲は健康診断を受けました。A、B、C、Dの値はそれぞれ29、28,29,19でした。甲はa、b、c、dの専門医に診てもらいました。a、b、cの専門医は健康状態に問題なしと診断しました。しかしd専門医は好ましくないと判断しました。臓器Dの値は19で基準値より低下しているからです。「今は症状が出ていないが、早めに投薬しておいたほうがよい。」とdは判断し、Dの検査値を上げる薬を処方しました。甲の検査値は29+28+29+19=105で、臓器の総和値は105になります。これは甲が健康でいることができる上限です。Dの値を基準値内の20にすれば、臓器総和値が106になり、甲の健康は失われます。甲の生体はこれを考え、やむを得ずDの値を19にしたのです。ところがd専門医は臓器Dのことばかり研究していますから、Dのこと以外はあまり知りません。また臓器の総和値が95〜105でなければならないということは、あまり知られていないことだったのです。
     さて甲は臓器Dの薬を飲み始めました。この薬はよく効き、Dの値はじきに25になりました。これを見て専門医dも甲は健康に問題なしと診断しました。今甲のA、B、C、Dの値はそれぞれ29、28、29、25ですから、臓器総和値は111になります。これは健康でいることができる95〜105から大きくずれています。甲はやがてだるさ、疲れやすさを感じるようになりました。しかも日々悪化していくようです。それでもう一度検査を受けました。A、B、C、Dの値はそれぞれ、28、29、29、26でした。a、b、c、dの専門医はいずれも問題ない状態だと言いました。甲がだるさ、疲れやすさを強く訴えると、「単なる気のせいだ。」とか「精神科を受診してみたらどうだ。」とか言われました。さてしばらくすると甲は疲労感が強く仕事ができないようになりました。家でほとんど横になっている生活です。精神科も受診し、安定剤も飲みましたが、一向に改善しません。それでもう一度検査しました。A、B、C、Dの値はそれぞれ、32、29、29、26でした。これを見てa専門医は「A臓器がよくないからこれが原因だろう。A臓器の薬を出すから。」と言いました。この薬  はよく効き、Aの値はじきに21まで下がりました。それで臓器総和値は105に下がりました。これがため甲はやがて疲れ、だるさがとれ仕事にも復帰できました。
     専門家とは他の分野を犠牲にして特定の狭い分野のみをよく知っている人のことです。ところが人体のような各臓器が複雑な相互作用を持っている有機体に対して、一つの臓器の知識のみで薬を投与すると、風が吹けば桶屋が儲かるのような複雑な相互作用が起こり、人体はかえって不調となることがあります。
  9.  どういう状態にあれば所有していると言うことができるのだろうか。「私は自動車を所有している」とは、私がその自動車を自分の意のままに使うことができ、他人は自分の許可なしにはその自動車を使うことができないことを言う。私が右にハンドルをきれば自動車は右に曲がり、私がアクセルを踏みこめば、自動車は加速する。私の意のままに自動車は動いているのである。もし自動車が私の命令をきかずに勝手に左に曲がったり、減速したりするなら、私はその自動車を所有しているとは言えない。私はその自動車を制御できず、自動車が勝手に動いているからである。
     私達は自分の手足は自分の所有だと思っている。手足は自分の意のままに動くからである。しかし手足には汗腺があるが、私達は自分の意のままに汗を出すことができない。寒いところにいると、汗よ出よと命令しても汗はほとんど出ない。自分の手足は自分の意のままに動かないところがあるのである。私達は自分の心臓や腎臓も自分の所有だと思っている。しかし心臓に止まれと命令しても止まることはない。腎臓に尿をつくるのをやめろと命じても尿をつくるのをやめることはない。私達の内臓は自分の意のままにはまったく動かない。自分の所有だと思っている内臓は自分の意のままにはまったく動かないのである。自分の意のままに動かない自分の内臓を自分の所有だと言うことができるのだろうか。
     自分の内臓を動かしているのは自然である。太陽を動かしたり、雨を降らしたりしているのと同じ自然というものが、私達の内臓を動かしているのである。私達が自分の内臓にできることがひとつある。それは外界から食物をさがしてきて、それを食べて自分の内臓を養うことである。もしこの食物の摂取をしなければ、内臓は栄養不足となり、やがて死滅することになる。
     自分の内臓が不調になれば、私達は何が原因と考えるべきだろうか。自分の内臓を動かしているのは自然である。太陽を動かしたり、雨を降らしたりしている自然である。その自然が間違いをするとは考えにくい。私達が内臓にしていることは、食物をさがしてきて、内臓に栄養を与えることである。粗悪な食物を摂取したとか、食物を摂取しすぎて十分に消化吸収できなかったとかのミスがあったがために、自分の内臓が十分に栄養を与えられずに不調になったというのが、一番考えられる原因である。内臓が不調になった時は、摂取した食物とその摂取の仕方に誤りがなかったかをまず考えるべきである。
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 最終更新 2010年11月8日 
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