このイラストシリーズはフィクションです。また作者の思想信条に基づいて描かれたものでもありません。あくまで架空世界の創作物として御鑑賞下さい。

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1933年、絶望の淵にあったドイツを輝ける栄光の国に再生した聖なる指導者、アドロフ・ヒトラーが政権の座に就いた。

彼が率いる国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の確固たる意志は、聖なるアーリア民族千年帝国の永遠なる繁栄を絶対なものとし、同時にそれを脅かす人類の敵、邪教徒をこの地上から殲滅することにあった。

そのためには文明の唯一の継承者たるアーリア民族の国家、大ドイツ帝国を強大なる意志と軍事力で鉄のごとく固めなければならなかった。

この絶対的意志を実践せんがため、ヒトラーは思想的、宗教的な側面からドイツ第三帝国のナンバー2の地位にあったSS長官ハインリヒ・ヒムラーにその任を託した。

さっそく彼は、秘密裏にSS部内に聖なる騎士団結成を命じた。

そのひとつがSS国家保安長官ラインハルト・ハイドリヒを中心とする血の十三騎士団であることは有名である。

ヒムラーは同時に、アーリア民族純血の象徴として、処女だけで結成された聖処女騎士団の創設も急いだ。

アーリア民族のあるべき女性の義務は、子を産み、育てることが唯一である。

第1次大戦後、ワイマール体制下のドイツでは、邪教徒により、この正しき義務が汚され、唯一の優越民族であるアーリア人の血統に不純で野蛮な劣等民族の血が介入する事態となった。婦女子は堕落し、邪教徒の男達によって心身共に犯されてしまった。

このままでは人類の崇高な文明が脅かされる。

この危機的状況をヒトラーは許さなかった。徹底的に邪教徒の不純工作を殲滅し、ドイツ女性を本来のあるべき姿に戻さねばならなかった。その宗教的象徴として、SS長官ヒムラーは全ドイツ少女、処女団(BDM)から聖なる少女13人を選抜し、聖処女騎士団を結成した。(正式には聖処女十三騎士団とも称される。)

彼女たちは、前ゲルマン時代の文字である、ルーン文字を与えられ、その文字の意味する神聖なる力(フォース)を授かった。聖処女騎士団に選ばれた少女達は、ヒムラーから特別の権限を与えられ、階級、所属にかかわらず、絶大なる指揮権をも有した。また、制服も自由にコーディネートすることが許され、BDMの腕章にSSのブラックユニホームというスタイルも珍しくなかった。

聖処女騎士団の戦士達は、ナチ発足からドイツ第三帝国崩壊最後の日に至るまで、アーリア民族純血のために邪教徒と闘い、そして散っていった。

本ページは聖処女騎士団13人の中から選抜した何人かの肖像と淑女録を収録した。なお、原典は’99年12月に発刊の「聖処女十三騎士団」からである。


[ソフィア・ブレンナー][ジュズワ・フィレッツエ][クララ・フォン・ヴィッテンブルグ][ゲウリ・フリッチェ][エリカ・ウンデベルク][リーダ・プシュケ][ソフィー・マイヤー]


Leben-Rune(生命)

ソフィア・ブレンナーSS少尉

(1919〜1945)

バイエルン生まれ。ヒムラーのお膝元で育つ。

「ドイツ人の優秀な北方民族の純血を保つためには他民族との混血は許されない」というアルフレート・ローゼンベルクの正しき教義に傾倒。8才にしてヒトラー処女団(BDM)幹部候補生。国家政治教育学院(NAPOLA)入学後は、「ドイツ女性は最低4人、アーリア血統の子を産むべし」というスローガンのもと、「ドイツの母としての選択を否定する女は邪教徒の手先」なる論文を発表。これがSS長官ヒムラーの評価を受け、聖処女騎士団へ。ドイツ純血を守るための組織「生命の泉」創設にも積極的に参加する。

1936年、SS人種植民局本部に入り、人種純粋性を高める研究に従事。「14才で6人のアーリア民族の子を産ませる受胎法案」を策定。これにより1級鉄十字章授与。”ドイツの正しき女性”の称号を得る。

1945年5月、赤軍迫る中、ベルリンのSS産婦人病院にて新生児635人と共に自決。

享年31才。


Eif-Rune(熱意と情熱)

ジュズワ・フィレッツエSS少尉

(1924〜1945)

オーストリア・ウィーン生まれ。

1934年、ニュールンベルクにおける党大会にて弱冠10才でヒトラー総統と会談。ヒューラーに邪教徒殲滅の詩をプレゼント。ヒトラー自ら聖処女騎士団へ推挙。1938年、アドロフ・ヒトラー学校(AHS)に入学。1940年、SS保安諜報部(SD)入部。反ナチ的婦女子に対する戦闘をオーストリア内にて展開。その功績により1級、2級鉄十字章授与。1945年、赤軍侵攻のウィーンに最後まで留まり自決。

享年21才。


Odel-Rune(血縁と家族)

クララ・フォン・ヴィッテンブルグSS中尉

(1914〜1942)

シュテットガルト生まれ。

南部貴族の血を受け継ぐ。父は陸軍将官。1920年、ナチ党創設と同時に弱冠7才で入党。ヒトラーに花束を渡す。1922年、9才でナチ党青年部へ赴き、聖処女騎士団の洗礼を受ける。BDM創設時より幹部候補生。1933年、BDM南部大管区上級連隊指揮官。

「トゥーレ教会」会員でもあり、黒魔術によって邪教徒を殲滅する案をヒムラーと話し合う。1940年、SDに入り、SD長官ハイドリヒの下で活動。ロンギヌスの聖槍の秘儀にも参加。1942年6月、ハイドリヒ暗殺事件の巻き添えにあい、死亡。

享年28才。


Hagall-Rune(揺るぎなき信念)

ゲウリ・フリッチェSS大佐

(1921〜1945)

ニュールンベルク生まれ。

1931年BDM入団。1935年、NAPOLA特別推薦入学。1938年に弱冠17才でSS保安本部秘密警察Gestapo士官に。新設された堕落婦女子殲滅部長として活動を開始。邪教徒の男と通ずる犯罪家系の婦女子や、劣等民族の子を宿した裏切り婦女子を徹底的に取り締まった。その功績により、1939年、聖処女騎士団の一員として迎えられる。1級鉄十字章授与。1945年5月、バイエルン郊外で自決するまで5万人以上の堕落婦女子をゲットーに送り込んだ。

享年24才。


Sig-Rune(勝利)

エリカ・ウンデベルクSS大佐

(1924〜1945)

ベルリン生まれ。

軍人の家系に生まれる。1939年、アドロフ・ヒトラー学校(AHS)に士官候補生として入学。1940年、SS髑髏連隊”純血”1個大隊を率いてフランスでレジスタン狩りに活躍。2級鉄十字章授与。聖処女騎士団へ。以後、主に東部戦線でパルチザン狩りに展開。”純血”の実力を世に示した。1945年3月、「春のめざめ」作戦時、ブタペストで戦死。

享年21才。


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