2004年10月・11月・12月


2004年12月31日

コミケット67来場感謝。

今年の冬コミも無事終了。寒い中、来場して頂きこの場を借りて御礼申し上げる。

前日の雪が上がって快晴の冬晴れ。但し気温は低く、会場の扉は開けっ放しなのでかなりしんどい。

今回は西のサークル入場口から入った。りんかい線国際展示場駅から東会場方面の入り口ルートは途中、横断歩道渋滞が出来て思わぬ時間ロスを強いられる場合があり、多少遠回りでも西の方から入った方が安全だ。

さて、年末の冬コミはなかなか売り子さんの都合が付かない場合が多く、今冬も一人で接客。開催時間中一歩も自分のスペースから出る事なく過した。

最近の傾向として、結構遅い時間帯にもお客さんが多い。午後二時を過ぎても混んでいた。参加者の行動様式に変化でもあったのだろうか。

いずれにせよ、このイベントに参加するようになってからは年末は東京ビッグサイトで締めるのが身体に染み付いてきた。

来年も宜しく。


2004年12月29日

コミックマーケットあびゅうきょサークルの御案内。

すでに最新情報等でもお知らせしているように、明日30日コミックマーケット67(12/29〜30・東京ビッグサイト午前10時〜午後4時)にて、今回もあびゅうきょサークルが出店します。

販売スペースは東4ホール”ル”23b。

新刊は『ラジオ・アイドル妄想紀』他既刊オフセット、コピー本等頒布予定。

会場の東京ビッグサイトへはJR山手線大崎駅経由りんかい線国際展示場駅下車が便利です。

お誘い合わせの上、御来場いただければ幸いです。


2004年12月28日

『ハウルの動く城』

遅まきながら『ハウルの動く城』を観る。

新宿の映画館。午後3時頃からの回。相変わらずの人気で結構混んでいた。

雰囲気としては『風の谷のナウシカ』コミック版のエッセンスが多分に含まれている作品。登場人物やテーマもダブった印象を受ける。戦争という人類文明の普遍的テーマを扱っているのに、恋愛お伽話としてサラッと流せる構成はなかなか勉強になる。死や老いを描いているのに全然暗くないのだ。あと思ったよりハウル役のSMAP構成員のアフレコは上手かった。まるで別人だ。

思えば1978年『未来少年コナン』より26年間、ずっと宮崎駿の作品を観続けてきた訳だ。いまでも尚、新たな世界観と映像美に感嘆出来る作品を世に送り出せるパワーはやはり偉大だ。

尚更、宮崎駿に継ぐ世代のクリエーターの粒の小ささが気になる、特化された分野に散らばって燻っているのを見ると暗澹たる気分になる。

それにしても年末の新宿は人で一杯。

雑踏の中で「神の予言」を叫び続ける拡声器の響きが冷たいネオンの海に飲み込まれていく。


2004年12月26日

クリスマスケーキのないクリスマス。

ふと目を醒ますと、すでに午前0時を回って日付けは26日になっていた。

そういえばクリスマスケーキを買っていなかったな。

別に買わなかったからどうなるものではないが、毎年それを食べることが当たり前になっていたので少し気になった。

近くのコンビニに行ってみたが、すでにクリスマス企画の商品は片付けられて影も形もない。

売れ残りの哀愁溢れる商品を買うのが好きなので期待していたのだが残念。

家に帰ってテレビを灯すと元オフコースのボーカルが昔の曲を唄っていた。

学生時代散々聴いた「女々しい詩」が流れてくる。

この女々しい辛い楽曲を懐かしむ自分が更に哀れで惨じめである。

考えてみれば、自分の歳なら今頃美しい妻と娘、息子に囲まれていなければならぬのだ。

クリスマスプレゼントの最新ゲーム機を片手に職場から帰宅すると、喜ぶ子供達からこう言われるはずだ。

「パパ!ありがとう!パパはやっぱりサンタさんなんだね!」

そして傍らには優しい妻の微笑みが。

だが全ては虚しい幻想でしかない。

日本の絶望独身男性のクリスマスは孤独の中で過ぎていく。ゲームも自分のために買って、独り寂しい部屋でプレイしコタツの中でうたた寝だ。

なんと惨じめったらしい人生だろう。

重い冷たい鉛の海に沈んでいく気分だ。

明日、コージーコーナーでも行ってノーマルなケーキを購入し、自分でクリスマスケーキにカスタマイズするか?

それもまた惨めなり。


2004年12月22日

「13年ぶりだね。ネモ君」

NHK教育で再放映されている『ふしぎの海のナディア』がいよいよ佳境を迎える。

今日はラスト前の第38話。血沸き肉踊るメカと美女、そして大戦闘シーン。

いつからかこういった男のロマン(死語)をかき立てるアニメ作品がTVから姿を消したのだろう?

それはさておき、ネモ船長のやけっぱちな「かまわん!」という特攻自爆絶叫と敵役ガーゴイルの神様気取りのふんぞり返った太々しさには萌える。

こういう単純な勧善懲悪を如何に料理するかがクリエーターの腕の見せ所であろう。

さて、ラストの見せ場、神前裁判シーンでガーゴイルがネモにこう言う。

「13年ぶりだね。ネモ君」

奇しくも13年前は『ナディア』本放送の年。

世は湾岸戦争真只中。自分はモーニングパーティー増刊やアフタヌーンで『風の中央鉄道』というオールカラー漫画を描いていた。結構メジャーな場所で仕事をしていたのだな。

今と比べてどうなのだろう?

当時と比べれば無職ダメ人間でも「ニート」とか呼ばれて底底生きていける時代となった。とても緩い。人生の意味がどんどん希薄になる。ダメな人間は限り無くダメを深めていく。

この閉塞感を打ち破るためにN-ノーチラス号搭載オーバーブースターのような一点突破を図らねばグズグズと堕ちるだけ。

だが、自分に縮退炉たる対消滅エンジンが出せるエネルギーはもはやない。

にしても、あのガーゴイルは小気味よいな。

自分を神と名乗る自信は何処から来ているのだ?それとも追い込まれて気がふれ掛かっているのか?

いずれにせよ、「私は神である」「私は善だ」と主張しつづける人は楽しい。

そんな電波な人生を歩んでみたいものだ。

はたして13年後はどうなっているのだろう?


2004年12月20日

蟹パーティー。

例によって阿佐ヶ谷某バーにて常連客主宰による蟹パーティーがあったので参加。

茹でたてのズワイ蟹をポン酢で食す。これはなかなかいける。

常連客の中にはギターや沖縄三線に達者な人が多い。宴が盛り上がってくると演奏が始まる。

小学校の図工の先生は三線で沖縄民謡を巧みに唄う。そこに例の謎のバイオリニストが絡んで不思議なコラボレーションが生まれる。

公務員は芸達者な人が多い。その道のプロに勝るとも劣らない方をよく見かける。

どうして「芸」の道に進まないかというと、たぶん「芸」では安定が得られない事を承知済なのだろう。だから「芸」は趣味に留めるのだ。

「芸」の道に進む者は達観した圧倒的な才能があるか、でなければそれしか選択する道がなかったかだ。

自分は後者なので今だ底辺で燻る生き方しか出来ない。

趣味で「芸」を披露する多才な生き方をする人を観ていると自分が惨めになってくる。

得てして、そういう方はちゃんと結婚しているし人間としてステージが上だ。自分にはそんなステージは一生獲得出来そうにない。

それはさておき、「コミックバーズ」1月号に載った例の作品は宴の良いつまみになった。

モデルにした謎のバイオリニストは、作品を観てゲラゲラ笑っていた。ギャグにとってくれて幸いである。

さすが大人でありプロの余裕がある。他のお客さんにも受けてほっとする。

店のマスターから「ネタ使用料」として来年3月の宴のスポンサーを申し渡されてしまったが(笑)・・。


2004年12月18日

歯石清掃。

以前から歯石が溜ってしまいそろそろ限界と感じ久しぶりに歯医者に行く。

一年に一回位は通わねばならぬのだが5年程さぼったのでかなりまずい。

場所はいつも通っている阿佐ヶ谷のK歯科。

ここの先生は腕が抜群で抜歯等の時もいつ抜いたのか気が付かぬ程、鮮やかに処理する。

今回も早速ゴリゴリと歯石を削られた。

歯茎血だらけ。

だが清掃後はさっぱりする。歯石以外にもいろいろと処理してもらう。次回の通院予定は24日夕方。

クリスマスイブはロマンティックとは無縁の歯科通いで終わりそう。


2004年12月15日

印象深き台詞。

今日、NHK教育で放映された『ふしぎの海のナディア』再放送第37話を観ていたらネモ船長の台詞にこんなのがあった。

「そうか。そうだったな」

この呟きは『新世紀エヴァンゲリオン』で碇ゲンドウが妻のユイとの会話で吐露した時にも出てきた台詞である。

自分はこの台詞が一番印象に残っている。

監督の庵野氏もこだわりがあるのだろう。

自分に言い聞かせるような、自分を再発見するような呟き。

人生半ばを過ぎた中年男の悲哀を感じさせて心が痛む。

自分も時々この台詞を呟くことがある。但し「独り言」でだが。

虚しい。


2004年12月14日

連作障害。

同じ場所で同じ作物を栽培し続けると、収穫量が落ちたり病気になったりするので、一定時期休耕したり別の作物を植えると良いらしい。

これは農業の話だが、漫画の絵に関しても言えるかもしれない。

ずっと同じ絵柄でやっていると、段々絵が細かくなり過ぎて全体的にメリハリがなくなる。

時間ばかり食うインパクトのない絵が続くようになるとこの「障害」の始まりだ。

自分の中では5年周期ごとにやってくる。

こういう時は思い切って絵をラフにして勢いだけで描く。細かい失敗や形の崩れは無視する。あえてフリーハンドを多用する。

「連作障害」に陥った絵柄を一旦壊すことで行き詰まった作画をリセットするのだ。

これはかなりのエネルギーが必要なのだが、この作業によって自分の絵柄をステージアップする事が可能になる。

12月も半ばというのに、今だ庭の紅葉は散っていない。

天気予報では関東甲信越で積雪地帯は今だゼロとか?

この生暖かい気候の中で壊れたレコードのごとくクリスマスソングが流れる。

なんだか気味が悪い。


2004年12月11日

『雲のむこう、約束の場所』

自費出版の原稿をいつものK印刷に入稿。受け付けフロアの場所が変わって戸惑う。印刷製本の質が良ければ受付フロアの優劣など問題ではないのだが、以前の方が綺麗な場所だったのでちょっと残念。

入稿後、渋谷のライズXにて新海誠氏の新作『雲のむこう、約束の場所』を観る。

渋谷スペイン坂の階段を降りた所。40人入れ替え制の阿片窟みたいなミニシアター。悪夢に出て来そうな雰囲気。

それはさておき、映画の方は素晴らしいの一言。

映画と言うより「絵画観賞」に近いか?

雲、空、雷雨、飛行機雲、車窓、廃虚、ラジオ、そして塔。

自分が10代後半よりずっと表現してきたテーマが、数段バージョンアップされて濃縮したカルピス原液のごとく、これでもかこれでもかと描かれている。

更には風景を観る視角や情景、影と光の間の朧げなオレンジ色の表現等あらいるエッセンスがシンクロ率400%。言葉で云々評する必要もない。

無条件で拍手を贈りたい。

にしてもここまで完成度の高い作品がなぜこんな阿片窟みたいなミニシアターでしか上映されないのか不思議でならない。なんか間違っている。

帰り道、渋谷の雑踏をよろよろ歩いていると、約25年程前、宮崎駿の『カリオストロの城』を観て感嘆しながら家路に就いたのを思い出す。

あの頃はまだ自分の未来に可能性があった。

しかし、今となっては残された時間はなく、感性も衰える一方だ。視界には忌々しい女子高生の短いスカートが行ったり来たりする。先程観た映画に描かれた「雲のむこう」にあるはずの”愛する心”はもはや微塵の欠片すらない。

あるとすれば禍々しい失望と絶望。今や創作の原動力はこれのみだ。

「暗澹たる真っ暗な闇の中に黒黒とした墨汁で絶望を描くべし!

ガーゴイルかグルンワルドのごとく闇を進め」

込み合う山手線の中で独りぶつぶつ呟く。

車窓からは尖塔のような代々木NTTドコモビルがギロっとこちらを睨む。

「あれはきっと俺の墓標だ。ねえお嬢ちゃん?」

近くに立っていたランドセルの女の子にこう問い質すと不気味がって逃げていった。

映画のようにはいかないね。


2004年12月5日

真冬の夏日。

台風27号崩れの低気圧が台湾沖からワープするように日本列島を縦断。

東京は40m/sの瞬間最大風速。紅葉が「夏」の南風によって飛ばされる。そして低気圧が過ぎ去った日中は25度前後の夏日。

冬至近くの低い太陽が差し込んでいるのに大気は夏。

実に奇妙で、まるで地球ではない何処かの未知の惑星に居るかのよう。

これは尋常ではない。

部屋の中は更に暑いので扇風機を回そうかとさえ考えた。

地球温暖化とかそういう気候に限った事ではない何かとてつもない事象の前触れではなかろうか?

ガイアが覚醒しつつある。


2004年12月3日

仕事諸々。

気が付くと12月だ。やっと紅葉が旬を迎えている。でも天気図にはまた台風。

忌わしい雨など一日たりとも必要無い。あれだけ散々降ったのにまだ足りぬか。

それはさておき、コミックバーズ次回作24ページに加え、他誌の原稿依頼も受けてしまったので何かと多忙。その上コミケの新刊も執筆中。同時に3つを進行させて頭の中がパニック。

部屋はその複数の作品資料が散乱し足の踏み場もない。取りあえず一つずつ片付けるしかなさそう。

『ハウルの動く城』や新海誠の新作もまだ観ておらず。あまり伸ばすと余計な情報が入ってきて純粋に観賞出来なくなるので急がねば。

歳のせいか、あるいは諸々の雑念が影響しているのか、時間の流れが粘るがごとく重い。

まるで『人狼』に出てきた強化服を羽織るがごとし。

それはさておき、NHK総合テレビ『今夜は恋人気分』だったか?男性蔑視の夫婦紹介番組をまた観た。

今回は、またもや妻が人気漫画家の夫婦。

夫は雑誌の編集者だったろうか?しかし妻のほうが高収入だと夫の存在が限り無く希薄に思えるのは辛い。別に悪い人間ではないのにも拘わらず、このようなケースの夫は皆「ヒモ」に見えてしまう。

個々のの事情は問わぬと仮定して考えると、家事とかは別に夫である必要は無い。知り合いや友達で事足りる。「一家の大黒柱」が女性になったらそもそも夫なんていらぬのではないか?子供が欲しかったら種だけ貰って後は育児家事担当の家政婦を雇えばよい。本能的に育児に適さない男性(授乳不可)たる夫は邪魔なだけであろう。この時代に腕力や力仕事等男性を必要とする事例など皆無に等しい。

そんな夫婦の妻にとっては正に『今夜は恋人気分』であろうが、夫にとっては『今夜は下僕気分』だ。

番組名を変えたほうがよい気がする。


2004年11月26日

『ドラエもん』の声優一新。

藤子フジオのアニメ『ドラエもん』の声優が一新されるらしい。

あまり観ていないのでどうでもよいのだが、ドラエモンの声はずっと納得いかなかった。

幼少の頃観たドラエモンはもっとハスキーで早口だった。

だからあのドラエモンはドラエモンではない。

自分のイメージとしては『グーグーガンモ』みたいな声がドラエモンなのだ。

そこで声優がチェンジされるという事で最適な候補を考えてみた。

そのままプロの声優が引き継ぐというのでは面白みに欠ける。

よってこういうのはどうだろう?

ドラエもん/田嶋陽子

のびた/江川昭子

ジャイアン/土井たか子

しずか/「蹴りたい背中」の作者

すねお/倉田真由美

テレビ朝日らしくてよいと思うのだがどうであろう?台詞もすべてフェミニンな主張にすれば子供も見事に歪んだ性格になってくれる。

「結婚はするな!」だとか「子は作るな!」とか「専業主婦と男は敵!」という台詞がバンバン出てくる。

ドラエモンのポケットからは『アエラ』と『週刊金曜日』しか出てこない。

未来はこれしかないのだ。

「とってもフェミニン♪ドラエーもんー」


2004年11月21日

コミティア70来場感謝。

東京ビッグサイトで行われた同人誌即売会コミティア70に参加。

好天の下、いつものように行商に勤しむ。

今回は売り子さんに来て頂いたので、少し会場内を見て回ったりした。

さて、今回はサークル『信吉茶屋』さんの新刊「メガネ虫」にゲスト参加させていただいた。

主宰の信吉さんは素晴らしい才能の持ち主で人間的にも凛々しく、類稀なクリエーターの1人。

私のダメダメなゲスト原稿を快く載せて頂き、感謝の極みである。実はこの作品は修正しなければいけない部分があって信吉さんにはお手数をお掛けしてしまった。

ところでコミティアも20周年とか。自分が参加し始めたのは約10年前。この貴重な創作発表の場を発見できたのは有意義であった。いろいろなクリエーターさんとの出会いも、コミティアがなかったらなし得なかったであろう。今後とも末永く続いてほしいイベントだ。

更にこの場を有意義に活用すべく、近いうちに原画展示等にもチャレンジしてみようかとも思っている。

本日も本を買って頂き、また差し入れ等感謝の極みである。この場を借りて御礼申し上げる。


2004年11月15日

紀宮殿下御婚約。

天皇家の長女であられる紀宮殿下が婚約されたというニュースがあった。相手は39歳の元学習院の御学友とか。紀宮殿下は35歳なので一般世間の標準よりやや遅い「お嫁入り」。

というか今や婚期などあって無いようなものなので比較しても意味はなかろう。

ただ、こういう立場の方がこの歳に結婚して得るものはあるのだろうか?

皇室女子は結婚すると、皇室の資格を失い「ただの人」になってしまう。

紀宮殿下は皇室という立場におられていろいろと御活躍されている訳で、結婚して「ただの人」になってはその神通力を失ってしまう。

であればこのまま皇室に留まって聖職に就いていた方がよい。

純粋な結婚の喜びというものは、20代の若い者のみが得られる特権であり、特に女子の30代半ばを過ぎた結婚は、世間を知った分むしろ失望の方が大きい。

この国には社会的地位にしがみついた挙げ句、婚期を逃し葛藤に苦しむ30代半ば以上の女子がたくさん蠢いている。だが、この歳になったら、もうどちらにこだわろうとも惨めな未来しか待っていない。

女子にとって結婚は少なくとも20代半ばに決断する絶対的通過儀礼だ。

メディアに唆され、社会的地位なんていう一夜にして砕け散るような「砂の城」に幻想を抱いた女子はやがて惨めで残酷な現実に立ち竦むのだ。

醜悪な老いは誰の下にも必ずやってくる。

それにしても、結婚が「幸せ」と感じられなくなってどれ位経つだろうか。

今回の紀宮殿下のお相手である御学友の39歳男子も、心の底から幸せを感じているとは思えぬ。有形無形の責任が生ずるだけでなく、従来の自由は失われよう。

紀宮殿下のような特殊な方を妻にしたところで、幸せで慎ましい家庭を築けるなど露程にも思っていまい。

愛で結ばれるというより、共同事業のパートナーとして、更には天皇家の令嬢が持つバックボーンが得られただけでも良しと割り切っているのかもしれぬ。いずれにしろそれほど心ときめくような出来事ではない。

とはいえ39歳にして嫁を迎えられただけでも幸いである。

この日本には、最低レベルの嫁さえ獲得出来ない30〜40代絶望独身男性で溢れかえっている。

ありもしない幻想を追っかけるだけで歳を取っていく女子と、そのおぞましき狂気に幻滅して現実逃避する男子。

そんな者たちにとって今回の慶事も所詮「お伽話」に過ぎないのだ。


2004年11月13日

落ち葉。

やっと「寒さ」を実感出来るようになったこの頃。

阿佐ヶ谷中杉通りのケヤキ並木からもハラハラと落ち葉が散り始めた。でも紅葉した様子がない。やはり高温が原因で季節のバランスが狂ったせいか?

先日、「モスバーガー」に入ると、メニューに日本茶系のドリンクが加わっていた。

ファーストフード店でお茶といえば紅茶かウーロン茶。

日本茶がないのが不思議だった。

ファミレスには「新米入りました」のポスターが。

外食産業に日本食回帰の潮流でもあるのだろうか?


2004年11月10日

エダ毛毟り。

この前、電車に乗っていた時の事。正面に座っていたロングへヤーの若い女性が自分の髪の先端を千切っては捨て千切っては捨てていた。

何をしているのだろうと眺めていると、どうやらエダ毛むしりのようだ。

なかなか楽しそうだ。

座席の下は、そのエダ毛で一杯。

エダ毛毟りに限らず、最近は若い女性が電車内でメイク直しや着替えをするのをよく見かける。

以前、井の頭線車内で女子高生がルーズソックスを脱いでこっちに放り投げてきた事があった。どうやら手からすっぽ抜けたらしい。その子は「ギャハハ」と笑って、転がる自分のソックスを裸足で追い駆けていた。無論謝りなんかしない。

更には肉マン、ラーメン、牛丼を電車内で食べる女子も多い。

そういった若い婦女子を見ていると、何とも逃げ出したくなる。

女性に対する視点が美貌や可愛らしさ、セクシーさより、こういったおぞましき部分の方が勝るように感じられてくると、女というものが何か汚い分泌物を垂れ流すガの幼虫に見えてくる。

こうなると、どんなミニスカートやスリムGパンやバストアップブラなどで肢体を強調している女性を見ても単にギトギトした巨大なスズメガの幼虫の腹の一部にしか感じられない。

いつから日本の若い婦女子はカフカの「変身」のごとく、一夜にして虫になったのか?

エダ毛毟りの女性が駅で降りた後、その床に溜ったエダ毛が空調によってこちらに飛んできた。

逃げる間もなく纏わりつく。


2004年11月8日

他愛のない光景。

先日、スーパーに行ったらレジ係に若い男性が立っていた。風貌からしてフリーターっぽい。

男性がレジ打ちしたところで別に問題ないのだが、やはり避けてしまう。こういう仕事はパートのおばさんでなければならぬという既成概念で固まっているのだ。生理的な問題かもしれぬ。釣り銭を同性の男から受け取りたくないのだ。コンビニでは普通の事なのだが、何故かスーパーのレジでは抵抗がある。

実に変な感覚だ。

そのスーパーの中で3〜4才位の女の子の姉妹が鬼ごっこをしていた。

勢い余って近くに居た自分に徐にぶつかってくる。

女の子は言った。

「ごめん」

父子以上の歳の差があるのに「タメぐち」である。

おもわず自分はこう返した。

「す・・すみません」

別にこちらが悪いのではないが、出てきた言葉はこれしかなかった。女の子は気にもかけずにきゃーきゃーと鬼ごっこをつづける。

ちっちゃい女の子が謝ってくれただけでも嬉しいと思う情けなさかな。


2004年11月7日

へんな釣り漫画。

以前にも記したが、自分は殆ど漫画を読まない。

例外として散髪屋の待ち合い室とか電車の中で他の人が読んでいる漫画本が視界に入った時などに目にするぐらい。読み手としての感受性が遠に無くなっているのだろう。自分から読もうという気力が湧かない。

先日、知人に「こんなのがある」と見せられた漫画があった。

いましろたかしという人の漫画。

つげ義春の絵を100倍薄めたような感じ。妙な味があって思わず読んでしまう。自伝的作品なのか中年漫画家の悲哀が伝わってくる。

でも一応、主人公は結婚出来てるし、それなりに幸せ。

白っぽい原稿なので、きっと早く描けるのだろうな。でも漫画としての面白みはこの絵柄あってこそ。

商業漫画の絵は、実際のところ描いていてそんなに面白いものではない。

キャラクターは「記号」であるから最初から最後まで統一感がなくてはならぬ。そういった一定のルールに束縛されるからアートとしての高揚感はまったくない。即興的な面白さが優先出来る自費出版の作画とは根本的に違う。

キャラクターの記号化が苦手な自分にとっては、全編登場人物を統一化させるのは至難の技だ。ギブスを装着して作業している感じ。

元々漫画には向いていない絵柄なのだから仕方ない。

だが漫画はイラストや絵画よりも表現媒体としては普遍的で広がりがある。たとえ面倒な作業行程があったとしても補って余りある媒体だ。

それにしても相変わらず1ページ2〜3日のペースは何とかならないものか。

いましろたかし氏のような表現方法が羨ましい。


2004年11月3日

入間航空祭。

電車一本で行けるので、毎年参加している恒例の航空祭だ。

悪天に祟られた今年の航空祭だが、やっと好天に恵まれる。傘や雨具持参の屋外イベントなどもううんざりだったので晴れただけでオールOKである。ただ例年に比べちょっと暑い。

青空の下、見上げる空にスモークを残しつつ飛ぶ航空機を眺めるのは気持ちがよい。

老若男女問わず、家族連れ、カップル等がレジャーシートを広げ、弁当を食いながらの見物というのは何とも日本的光景。花見と同じ。

最近は血眼になって望遠レンズで被写体を追うより、のんびり過す方がよい。

それにしてもカメラ付き携帯を所持している人が多い事か。携帯を飛行機に向け掲げる姿は端から見るとなんとも滑稽である。その内一眼レフの方が珍しくなるのか?

あとやたら奇声を上げる輩が増えた。感情を押さえ切れないのかアメリカ人みたいに叫んでいる。こういうのには近づかないのが身のため。

昼時には、現地業者が出している出店でフランクフルトや磯辺焼きを買って食べる。

今年は例年になくのんびり過した入間航空祭であった。


2004年11月2日

断線断線、また断線。

最近のAVパソコン機器アクセサリーは脆弱なものが多い。特にケーブル類はあっさりと断線する。

インナーイヤホーン、CDプレーヤーからアンプまでの接続コード等、たいして使っていないのにちょっとしたことで断線する。更には満5年しか使っていないマックのマウスもケーブルが断線寸前だ。カーソルの動きが時々止まってしまう。

仕方なく新しいのを買いに秋葉原へ。だがマック専門店にも同じものは売っていない。最近のマウスは光学式ばかり。それに大抵はウインドウズ用のクリックボタンが2つあるモノだ。更にマウスの真ん中にダイヤルみたいのが付いている。なんなのだ?これは?

マック純正のマウスは高いので、サードパーティー製のを物色する。しかしマックOS8.6でも使えるのは数える程。とりあえず3000円程のものを見つけ購入。帰宅して早速キーボードに接続してみると一応使えるようだ。ドライバーも付属しているが、どうも上手く働かない。こういうものはトラブルの元になるのですぐアンインストールして放っておく。真ん中のダイヤルも両側のクリックボタンもどれを押しても同じようだからこれでいい。でもごつごつした敷物の上で使うとカーソルがあっちこっちに飛ぶ。これではボール式の方がまだよい。またケーブルも脆弱そうなので1年ぐらいで断線しそうだ。

いい加減、ケーブルの頑丈なモノを造って頂きたい。

昔の銅線コードならハンダ付けでなんとか凌げるが、最近の極細のイヤホーンコードや複雑なUSBコードは手に負えぬ。

細かなスペック云々を謳い文句にしても断線したらただの「燃えないゴミ」である。


2004年11月1日

ニンジン。

ニンジンと言っても雲の形である。

気象衛星写真を見ると東海上にニンジンの形に似た雲塊が幾つも出来ては消えている。湿った気団が収束して積乱雲が発達するのだ。この下では猛烈な集中豪雨が降っている。

ここ数日、真夜中に物凄い雷鳴が響くのだが、おそらくこれはこのニンジン型の雲塊がひき起こしている現象と思われる。

11月になったというのに今だ東海上の南洋から湿った気団が北上して来るのは尋常ではない。

お陰で東京の10月降水量は記録的だった。

そろそろ勘弁願いたい。この忌々しい悪天続きで梅雨時以上に傘の厄介にならねばならぬ。

最新情報に次号予告を掲載。


2004年10月28日

ネットの中の「真実」。

先日、NHKBSで押井守の「攻殻機動隊」を放映していた。実はこれが初見。

これを観てふと思ったのだが、いくら高度に張り巡らされたネットであっても、その情報がリアルな世界の真実を反映している訳ではないことだ。ネット上での「真実」はあくまでネット上にインプットされた「情報」であって、現実世界の真実ではない。

この日記だって、実際のところネットにおける「読み物」に過ぎない。プライベートな日常の記録とは違う。もしかするとすべてフィクションかもしれないのだ。リアル世界では妻子を抱えた平凡なサラリーマンでネットの世界で漫画家を演じている可能性だってある。

それをネット上のみで確認する事は不可能。

ネットの中にはもうひとりの「自分」が存在する。

たまにこの「読み物」を曲解してリアル世界の人格と混同してしまう人がいる。

ネットとリアルの境界はどこにあるのか?それを明確にしておかないとネットの闇に自分を見失う。

リアル世界の「真実」をネットにリンクさせてはならないのだ。

それはさておき、批評雑誌『ユリイカ』2004年4月号「特集/押井守」のP227に、なぜが自分の作品が参照図版として小さく載っているのをみつける。

なんか不思議な感じ。


2004年10月26日

新潟の地震。

先週末の地震は東京地方でも結構揺れた。その時は外出中だったが、いつも持ち歩いている携帯ラジオで震源地が新潟中越地方であることがすぐに解った。

それにしてもあんな直下型地震が東京で起こったら比較にならない程の阿鼻叫喚になってしまうだろう。

まず、警察や消防などの行政に頼る事は諦めた方がよい。自分の身は自分で守るしかない。

更には震災時の衝撃や火災を乗り切ったとしても、流通やライフラインが断絶されたらこの桁違いの人口密度の中で生きていく事は不可能に近い。

田舎のように田畑や緩衝地があればとりあえずなんとかなるが、身動き取れない程の狭い地域に鮨詰め状態で住んで居る中、それも隣に誰が居るかも解らない情況で、水も食料も電気ガス電話もトイレもない場で生きていけるか想像するまでもない。更には昨今の治安悪化、不道徳が蔓延する環境では眠る事すらままならぬ。

この地震で慌てて防災グッズなるものを買い求める輩が多いが、東京では何の役にも立つまい。生き残るには、逐一東京から逃げ出すか、要塞のような家を作って外敵から身を守るしかない。

気が狂ったようなバブル期に滅茶苦茶な都市計画の下で緑地を潰した結果、災害時に緊急非難する場さえないのだ。直下地震時には恐ろしい地獄絵図が展開されることは確か。これも因果応報として諦めるしかなかろう。

防災グッズよりも自決用の薬を求めた方が賢い選択といえよう。

それはさておき、皮肉にもこの地震災害報道でメディアは正常な感覚を取り戻したように思える。昨今の報道内容がいかに「いらないもの」であったかがよく解る。

まるで配水管に詰まった滓が一気に流れ出た感覚。

大地の怒りは民に正常な感覚を取り戻すのだ。


2004年10月25日

高尾山。

週末、東京都下八王子市にある高尾山をハイクする。雨に祟られた週末ばかりだったので貴重な晴天を有効に活かさねばと思い立った。

この高尾山は都心からも近く、最もオーソドックスなハイキングの場所。都内の公立小中学校ならば必ず一度は遠足で行ったものだ。まだ紅葉には早く、カエデは緑のままだったが鬱蒼とした森林の間を歩くと気分が落ち着いてくる。山頂まで歩いたのは学生時代以来だろうか?

登山道を歩いて気が付いたのは、昔と比べ学校の団体のようなグループを殆ど見受けなくなった代わりに、中高年や家族連れ、カップル、そして外国人が目立つ。白人系の登山客が何故こんなに居るのかと思う程。たぶん観光スポットとして紹介されているのだろう。

それはさておき、登山道脇に聳える巨大な樹齢700年程の杉の大木は圧巻である。先人が守り続けてきた高尾の聖域を象徴する神々しさがある。

だが、何百年にも渡って保護されてきたこの聖域も近年、危機に瀕しているそうだ。

ケーブルカーの山頂駅から中央高速道が臨めるのだが、その近くで巨大なトンネルとジャンクションの建設が進められているのが見える。

圏央道の建設現場だ。

ここから更に高尾山をくり抜いて神奈川方面にルートを伸ばすらしいのだが、それによって高尾山の地下水脈が分断され、自然環境に甚大な影響を与えると懸念されている。

これからの日本がこのようなアクセス道路を必要とするほど繁栄するとは思えぬし、人口の減少と経済力の衰退を考えれば、圏央道は結局本来の目的を果たせず、巨大なモニュメントとして朽ちていくだろう。高尾山をくり抜くのは、自らの墓穴を掘っているかのごとく滑稽な事業だ。

いっそ、事業名を変えて、高尾地下巨大墓地プロジェクトとすればよかろう。百万人位の遺骨は収められる。

16時過ぎ、夕刻迫る登山道を降りる。麓からは轟々と中央高速道を走行する車の音が這い上がってくる。

700年生き続けた巨大杉はその音を聞いて何を想うのであろう?

やがて訪れる沈黙の日々を予知するかのように、その巨大杉は黙して語らない。


2004年10月22日

映画『日本無責任時代』

先日、テレビで1960年代クレージーキャッツの映画が放映されていた。この時間帯では時々高度成長期華やかなりし映画をやっているのだが、なぜか観てしまう。

以前の日記にも「ドリフターズ」の同様な映画の感想を記したが、当時の大雑把な重厚長大さは観ていて爽快だ。どんないい加減なストーリーでも当時の巨大な経済成長と若者中心のエネルギーが全てを許してしまう。陳腐のスケールも大きい。

とにかく何も考えずにただひたすら前のめりに行動する役者を見ていると、とても滑稽ではあるが失敗を恐れないポジティブさが凄い。選択肢が限られているから皆必死なのだ。

当時の世相も画面に反映されていて面白い。ワンマン経営者に対して社員がすぐさま「組合の結成だ!」と立ち上がるのは凄い。そして皆それに賛同する。フィクションとしての誇張はあるが、当時はこんな情況が普通だったのだ。コメディー映画でこれが出来たのである。

また宴会シーンも興味深い。

テーブルにはビールとウイスキーとバヤリスオレンジの瓶。そう、当時宴会でのドリンクといえばこの程度のアイテムしかなかったのだ。そしてOLがアルコールを飲むという習慣も稀で、劇中にはビールを飲んだ若い女性が非難されるシーンもあった。

男は出世、女は良縁という絶対的な価値観の時代だから、劇中の人々もすべてベクトルはその一点に集中する。若い未婚女性はひたすら良い結婚を目指し、既婚女性は夫に上手く取り入り家庭を操縦する。

そんな女性達は決して不幸には見えず、むしろイキイキしている。

当時の雑然とした街の風景やまだ乏しい身なりをした雑踏シーンを見ても、そこには「老い」の影はどこにもない。

みんな前と未来を向いていたのだ。

劇中で植木等は唄う。

「大学出てから14年、ずっとサラリーマン家業で大変だ。女房や子供を抱えて苦労する・・。」

しかし、今やニート、引き蘢り100万人時代。

もし、今『日本無責任時代』という映画を作るとしたら劇中歌でこんなのがピッタリだ。

「大学出てから14年、いつまでたっても実家で引き蘢り・・。何のために生きているやらわかんない。練炭抱えて死にましょう」

「無責任」を洒落で語れた時代はもう二度とやってこないのだ。


2004年10月19日

SUNTORY マーメイド号

昨日、ヨット冒険家堀江謙一氏の新たなる単独航海の番組がテレビで放映されていた。

氏の著書を読んだばかりなので興味深く観た。

1962年に大平洋を単独ヨット横断した時、情報ツールといえば中波短波ラジオのみ。自らの消息を発信出来るツールは何もなかったという。

それに比べ、今回の航海では情報ツールのてんこもり。

短波のアマチュア無線などおまけみたいなもので、衛星を使った携帯電話によりリアルタイムの映像をネットで配信。無論メールで逐一情報をやり取り出来るという。現在位置などGPSで瞬時に解る。

もはや大平洋上にいても「孤独」は味わえない。

冒険としては、いささか面白みに欠けよう。確かに安全を考えればこれら情報ツールは心強い。

しかし40年前の「自然との対峙」を求める事はもはや難しい。

個人のプライベートまでネットワークに組み込まれた地球上において、真の冒険は失われてしまったのかも。

大平洋上でネットに繋ぎ、某巨大掲示板に自分のスレッドをみつけたら、おそらく興醒めしてしまうだろう。これでは自室に籠っているのと同じではないか?

もっとも、航海中のクルーザー上では呑気にネットなどする暇などあるまい。圧倒的な大自然の前にはネットなんて何の意味があろう。

ネットに現を抜かせられるのは閑人の専売特許だ。

それはさておき、堀江氏は今年で66歳とか。

人間というものは若い時に何を体験したかで決定付けられる生き物である。もし、何の経験もない66歳の男性がいきなりヨットに乗り込んだら数時間でダウンしてしまうだろう。だが若い時に体で憶えた技術、経験は幾つになっても衰えはしない。

年齢によって体力は落ちるだろうが、精神力と技術は一度身に付けばそれを補って余りある。

若い時の経験こそ人生の糧だ。

思うのだが、せっかくこのような冒険航海が実践されているのだからネットだけではなく、地上波テレビ等でリアルタイムで特集すればよいのにと思う。

まあ、ゴミ溜めを掻き回すことに終始する昨今のメディアに、生死を賭けた冒険を中継する品位や度量を求めても無駄だろうが。


2004年10月15日

快晴。

東京は久しぶりに雲一つない快晴に恵まれた。

10月に入ってからの悪天続きに辟易していたので、陽射しが猛烈に嬉しい。

そんな中、『影男シリーズ』新作を入稿。

掲載はおそらく11月売りの「コミックバーズ」になろうか?

あわせて次回作の絵コンテ作成中。長雨で脳味噌が鬱ぎみなのか思い通りに進まぬ。

とにかく晴天が続いて欲しいものだ。


2004年10月13日

バイオリンライブコンサート。

阿佐ヶ谷某BARお馴染み「謎のバイオリニスト」が市ヶ谷のキリスト教会でコンサートを開くというので出席する。

演目はチャイコフスキーとメンデルスゾーンのピアノ協奏曲。

いつも某BARでの普段着姿とは別人のようなピンクのドレス姿が美しい。また凛々しい彼女の姿は頼もしくもある。

まるでバイオリンをチェーンソーのように弾き、圧倒的存在感を醸し出す。

ちゃんとしたステージで彼女の演奏を鑑賞するのは初めてだったが、考えてみれば演者の本領を発揮出来るのはこういった舞台なのだ。

200席近くある会場はほぼ満員。知的そうな年配者が多く、おそらく著名な学者である彼女の父親の知り合いであろうか。ステイタスも高い。

そんな客席にあって、阿佐ヶ谷某BAR常連独身男性客関係者は何だか哀れっぽい。

彼女からすればパトロンにも及ばぬ寄生虫みたいなものか?

打上げは四ッ谷の居酒屋。

凛々しき演奏を披露した彼女が主賓であるのに拘わらず、何故か飲み会の会計までやっている。

相変わらず「謎な」人である。


2004年10月11日

雨の憂鬱。

台風22号が去って台風一過と思いきや3連休は悪天続き。

散ったキンモクセイの花が至る所でオレンジ色の絨毯を路面に敷いていた。

8月中旬頃から決まって週末は雨というケースが多い。

イベントの大半は土日なのでいつも雨に降られている気分だ。これほど外出時に雨が降られると本当に憂鬱になってくる。

スカッとした快晴の下で外出するのと雨とでは、その外出の意味すら変わってくる。

雨だど単に不快感やイライラを募らすために外に居るようなもの。それが毎週のごとく連続するのだから精神が鬱になるのも当然か。皮肉にも平日は晴れたりするものだからますます納得いかない。

すでに東京では10月の降水量が平年値を超えているらしい。

天候の巡り合わせの歯車が狂うと人間の精神にも影響を与える。歴史上の出来事なんかは天気に左右される事も多いからこの悪天続きの週末も人の歴史に作用しているのかもしれない。


2004年10月7日

今年もキンモクセイ。

商業原稿に集中していたので久しぶりの日記更新となった。

気がつくとキンモクセイの香りに満ちたシーズンを迎えている。

雨ばかりで憂鬱だった今週だが、やっと晴れの日が続き一息つけた。

しかし、大平洋上には次の台風22号が。

コースを見るとかなり危ない。関東直撃コース。それも伊勢湾台風に似たコースだ。

勢力も強いままで土曜日辺りは大変な事になるかも。


2004年10月4日

『火山高』

先日、テレビで放映していた韓国映画。

これが妙に面白かった。韓国映画自体あまり関心がなかったのだが、これは国籍云々以前によく出来た映画だった。日本アニメのエッセンスたっぷりにハリウッド映画の特撮技術を駆使して上手く出来上がっていた。ワンカットワンカット画面に奥行きがあり、カット割りのタイミングも心地よい。

大抵、アニメや漫画の原作を実写化すると違和感や不自然さが気になるものだが、この『火山高』は逆にアニメ、漫画の持つデフォルメ感やオーバーアクションを尽く上手く表現している。

この映画の監督やスタッフがどんな人達なのか知らないが、日本のアニメ、漫画&ゲームを日本人以上に研究実践している事は間違いない。

因にテレビ放映時のアフレコは人気アニメ声優が担当していた。

実に正しい選択であろう。


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