北京からのノート:
2015年の今に表現する明日の陶芸家たち
金島 隆弘

戦後70年 北京から
2015年夏、約10年ぶりに再び仕事の機会を得て戻ることとなっ
た北京。抗日の軍事パレードが大規模に開催されたこの異国の
地にて、日本に想いを馳せながら迎えた戦後70年という節目の
年。日本では安全保障関連法案が成立、中米の関係にも緊張感
が更に高まるなど、世界の構造も大きく変わりつつある2015年
の今に表現する陶芸家たちの作品を起点としながら、改めて日
本の表現を辿りたいと思います。
70年前、戦後を迎えた日本は、それまでのアジアを向いていた
姿勢から大きく舵を切り、その後美術の世界においてもアメリカ
への大きな憧れを抱きながら、欧米の文化を必死に吸収し、追
いつく努力を続けてきました。その過程において、陶芸の表現
も、西洋近代主義の都合によって固定化された概念:「応用美
術」と「ファインアート/現代美術」の狭間に置かれた状況の中
で、元来の地で受け継がれ、地域に独自に根ざしてきた表現と
の乖離や、その中での文化的矛盾感に立ち向かいながらも、制
作が続けられてきました。
そして作り手に限らず、美術や表現に関わる者も、欧米の概念に
よって規定された見方を基盤としながら、それらを鑑賞するの
みならず、業界や市場の秩序を形成していきました。私自身もそ
の中の人間の一人として美術の仕事に携わる中、陶芸の長い歴
史を持つ多治見という地にて、今まであまり触れる機会のなか
った土ならではの力強い表現に出会います。それは、伝統工芸
的な権威や歴史的優位性などに囚われることなく、しかしなが
ら現代美術に媚びることもしない、土ならではの有機的な造形
力に満ち溢れた表現でした。
その独特な表現のルーツを探る中で、愛知教育大学の中島晴
美(1950年-、以降中島)研究室に辿り着きます。「上面の目に見
える陶芸らしさの追求や、市場にこびた口当たりの良い作品が、
魂をゆさぶることなどあり得ない」という信念の元、「制作を通じ
て自分の心の中を覗き、歴史の証明を通して不変に迫る。それ
が制作の原点」という姿勢で制作を続ける中島は、2003年に愛
知教育大学の教授に着任、10年以上教鞭をとる中で、既に研究
室を巣立ち活躍する作家も多く、独自の陶芸の世界を切り開いて
きました。そして、この展覧会の準備のために実際に足を運んだ
大学の研究室にて作り手の皆さんと意見を交わす中で、一つの
フレーズが頭を過ぎります。
燒けてかたまれ 火の願ひ
頭を過ぎった一つのフレーズ:今回の展覧会の主題でもある「燒
けてかたまれ 火の願ひ」は、日本の陶芸の歴史において鮮烈
な印象と、そして大きな功績を残した河井寛次郎(1890-1966
年、以降河井)が、戦後間もない1948年、京都の西村書店より出
版した「いのちの窓」の前編「火の願ひ」の最初の開扉に登場す
る言葉です。
「民芸運動」の中心人物の一人と知られる河井ですが、工芸の多
様な表現に挑み続けたその生涯を振り返ると、民芸運動に参加
する前は特に中国の陶磁器に傾倒し、その際に習得した高度な
陶芸の技術が以降の河井の表現の土台となります。そして高い
技術故に一躍注目を浴びることとなった一方、柳宗悦という人物
や、無名の陶工による簡素で美しい李朝の陶磁などとの出会い
を通じ、「自分の作品は衣装であり化粧であり、中身の体はどうし
たのか、心がけはどうしたのか」と、古陶磁を手本とする自身の創
作姿勢を改めます。
古い日用品を発掘し、その制作のための技術を復活させること
で、無名職人による日用の美を世に広め、新しい日用品の制作
と、その普及を目指した民芸運動ですが、その運動が盛り上がる
中でも、河井はあくまで作り手として、他者とは異なる立ち位置を
自覚しながら、日本社会は第二次世界大戦に突入していきます。
そして、材料の入手が困難であった戦時中に、河井は詩の創作を
開始、この「いのちの窓」が一つの集大成となります。
「あの火の玉 火の手なでる 焚いて居る人が 燃えて居る火」
−「火の願ひ」に登場するこのフレーズからは、まさに陶芸の作り
手としての緊張感と、その制作の情景が浮かんできます。そして、
この陶芸のもつ独特のオーラ、そこに潜む魂のような感覚は、ま
さに大学に足を運んだ際に出会った現場での空気感と重なりま
す。長い歳月が流れた今にも通じる、言葉だけで綴られた「いの
ちの窓」が持つ強い表現は、安易に英語には置き換えられない、
短い言葉の表現の中に多様な意味や感覚を含むことのできる
日本語ならではの、美しい表現とその強度を兼ね備えています。
陶芸:土と炎と言葉と
今回の展覧会には、愛知教育大学の中島研究室の卒業生及び
院生8名:田中知美(1983年-、以降田中)、山岸大祐(1984年-、
以降山岸)、服部真紀子(1984年-、以降服部)、土井洋佑(1987
年-、以降土井)、森綾(1989年-、以降森)、今西桃香(1990年-、以
降今西)、岩田結菜(1991年-)、荻野由梨(1992年-)が参加してい
ます。作家の選定においては、作品画像とともに、制作とどう向き
合っているかの言葉が添えられた各作家のポートフォリオを参
照し、関係者との数度の議論を重ねました。そして土に対峙しな
がら制作に向き合う彼らの言葉からは、陶芸のもつより根源的
な感覚:「有機的な土のしなやかさと増殖する感覚」、「炎に委ね
た陶芸がもつオーラ」、そして「陶芸が言葉を代弁する感覚」が
伝わってきます。参加作家のポートフォリオ内の言葉を紡ぎなが
らこの3つの感覚について掘り下げてみます。
有機的な土のしなやかさと増殖する感覚
自身の制作において常に意識していることは、有機的な土の性
質と、それを直接手で触れて形にしていくことである。最初に大
きさやイメージを思い浮かべ、作り始めてからから土の誘導に
のっていくような感覚で大きくしていくことが多い。繰り返しの制
作の中から土の魅力や制約を感じ、それが次の作品のイメージ
に繋がっていく。(略)大きな作品になるほど土の制約を強く感
じ、最初のイメージとは違ったものが出来上がることが多い。成
型中の作品が予想外の展開に進んだ時はその先が楽しみでも
ある。直接土に触れて出来上がった作品は、自分が頭で考えら
れる形を超えることもある。そのような驚きや発見が制作意欲に
繋がっている。 (森)
制作に選んでいる土という素材は、自らの生理に合っている。そ
のため自らの要素を排出しやすく、また、土の可塑性に従った有
機的なやきものは人々に様々なイメージを喚起するのではない

かとも思っている。そういったやきもので他者の視覚認識作用に
関わり、他者との決定的な違いと共有の可能性を感じることで、
自己の存在の実感を得ているのかもしれない。(山岸)
土の柔らかさに惹かれてやきものをやっている(略)磁器土を選
択しているのは、焼き上がりの白さはもちろん、なにより厄介な性
質に惹かれているからだ。手びねりで大きなものをつくることに
は向いていないし、制約が多い。それを立ち上げていくとき、自分
の内面や表現がどうとか考える余地はない。頭も体もすり減った
ぎりぎりの精神でできていく形とその時間が好きだ。(略)ある色
に触発されて抽象画を描く画家がいるように、土の表情や感触に
触発されて自由に形をつくることがあっていいはずだ。私の中で
土は絵の具と変わらない。柔らかさに引きずり出される人の本性
と、つくり手のそれぞれのたたかい、そうしてできるやきものの世
界にとても惹かれている。(今西)
同じことを繰り返すだけの表現が認められた時、そのコンプレッ
クスが解消され、「こういう表現があっても良いのだな」と自信が
湧いてきた(略「) たとえ見えなくても、全面にびっしり貼る」という
一点においては唯一、こだわっている。(服部)
土を立ち上げたり、同じ動作を繰り返すような作業を通じ、素材と
しての魅力と共に大きな制限にもなりうる有機的な土と向き合う
ことで、自己の存在をも確認しながら、表現の機会を与えてくれ
る、温かくてしなやかな土の感覚が彼らの言葉から伝わってきま
す。
炎に委ねた陶芸がもつオーラ
成形し磨き終えた作品を窯につめ、支えを施してスイッチを入れ
る。数日後に窯を開けたとき、作品は今までとは別物に感じられ
る。唯一、直に手で触れる事のできない工程を経ることで、どこか
作品が自分と切り離された存在になる。(土井)
今は自分の作る作品が、ただの吐き出された感情の寄せ集めで
はなく、私の中から生まれた新しい別の生命体であるように意識
して作っている。(略)完成後の姿に生き物のなまめかしさや神秘
的な感じを求めるようになり、必要な部分には手跡を残さないよ
うにヤスリをかけ、施釉もしている。(田中)
窯に作品を委ねるという、自分の力だけでは全てを解決できな
い陶芸の尊い存在と、その陶芸に漂うオーラのような独特な感
覚。レクチャーの準備として事前に設定した打ち合わせでは、縄
文土器やカクカク部族のミイラ、ニューギニアのお面といった、
より物質としての存在感やオーラのようなものに惹かれる、そう
いった感覚を自身の表現にも込めたいという話もあり、陶芸の
制作には、精神的な世界観を、陶芸のみが持ち得る存在感に重
ね合わせるような作業的な感覚があります。
陶芸が言葉を代弁する感覚
自分の気持ちや考えを外に出さない事が多い。(略)けれど作品
を作ることで整理して表現できるような気がする。土で作品を作
るための様々な過程は、私にとって自分に向き合い整理するた
めに必要なものだ。そうやって出来上がった作品が少しでも他
の人の心に響くものであれば嬉しいと思っている。(田中)
制作にのめりこみ没頭し、戦うように生きている人に憧れが無い
わけではないですが、自分の生き方が作品に現れ、見る人が温
かな気持ちになり、その言葉を伝えてくれるなら、それでいいの
かも知れない。(服部)
土と向き合いながら自分自身にも向き合い、言葉では伝えきれ
ない自分の感情を陶芸という手段を用いて表現し、それが鑑賞
者にも伝わっていくような感覚。陶芸が作り手の言葉を代弁し、
その感覚を他者に届ける、かけがえのない存在となっているこ
とが伝わってきます。
このように、参加作家の作品と言葉を通じ、陶芸が持つより直感
的な感覚と出会うことができましたが、陶芸に関しては門外漢の
私が、彼らの表現に向き合う中で感じたものは、土と炎と言葉と
作り手との密接な関係性と、その緊張感でした。既存にある理論
を意識したりそこに組み込まれようともしない、作り手としての
純粋な感覚的な美しさと表現の面白さがそこにはあります。まさ
にこの感覚は、河井の「火の願ひ」登場するこの文章にも繋がっ
ていくような、より精神的な陶芸の尊い存在感があります。

手に持てる火
土の中にかくれた火
姿をかへて居る火
つめたい火の玉
手の中の火の玉
−陶器
作業とオブジェクトから見える世界
昨年同会場にて開催した展覧会「オブジェクト・マターズ:概念と
素材をめぐる日本の現代表現」では、美術と陶芸の世界を行き来
しながら日本の現代表現を見つめ直し、それらの接続の可能性
を探る展覧会と、関係するシンポジウム「作業とオブジェクトから
見える世界」を開催しました。シンポジウムに登壇した、もの派を
代表する作家の一人である小清水漸(1944年-)と、より現代の視
点から日本画の素材に向き合う大舩真言(1977年-)、そして一貫
して土に向き合う中島の言葉からは、それぞれの立場からそれぞ
れの素材と対峙する姿勢、その中での生まれてくる表現の可能
性とその世界観が見えてきました。それは、美術や陶芸を取り巻
く様々な環境の中で、各々の表現の拠りどころををどこに置き制
作を続け、それをどう他者に伝え、作り手として存在し続けられる
かの三者三様のアプローチでした。
戦後から今までに至るまで、日本の現代表現の多くは、広く世界
に評価されるために、欧米が定義してきた美術の文脈の中でどう
評価されるかが最大のテーマの一つとなってきました。とくに現
代美術の世界においては、目の前に立ちはだかる欧米の文脈に
どう自分の表現を位置づけるか、そこに大きな注意が払われ、日
本人として本能的に表現したいものと、実際に表現するものとが
一致していないような感覚も多く見受けられます。また、ある種の
矛盾を抱えながら、西洋と東洋との狭間に生きる作り手の生き様
が現れている作品もたくさんあります。
しかし、「西洋の近代美術概念を拠りどころとするのではなく、日
本の伝統にある工芸的なモノの作り方と、素材を土に限定すると
決めた動機を、自己に問いかけることなくして、陶芸での表現な
ぞありえない」という意志を持ちながら表現を続ける中島の作品
など、背伸びをして欧米と肩を並べる努力ではなく、身近なとこ
ろを原点に素材と向き合った、より職人的な作業の美しさに裏
打ちされた作品が、現在、世界性を持った高い評価を受けてい
ます。そこには、今の社会が支持する世界の多様性の発展に伴
う、美術の評価構造自体の変化、つまり概念や理論に立脚した
欧米的な美術思想だけを拠り所としない、美術や表現に対する
多様な価値観の台頭が後押しをしていることも一因かもしれま
せん。
しかし、今日出版されている日本の多くの書籍を紐解くと、現代
の陶芸や工芸に関する研究やそれに基づく理論の多くは「近
代」が起点となっており、つまりはヨーロッパ、万国博覧会やバ
ーナード・リーチなどから理論が展開されているものが大半で
す。しかし、近代化以前の日本の表現の歴史まで遡れば、それは
河井が辿ったように、中国や朝鮮に自ずとたどり着きます。
また、「僕らの仕事というのは、形からということよりも、粘土の生
理だとか粘土を構築していくプロセスからの導きみたいなもの
で発展しているわけで、つまり純粋な美術とはちょっと違うとこ
ろがある」と自身の活動を回顧している八木一夫(1918-1979
年)も、中国・清代の陶芸の書「飲流斎説瓷」の中の「蚯蚓走泥(ミ
ミズが泥の上を歩む)」という記述から「走泥」という言葉を引用
して走泥社を結成し、現代美術を強く意識した表現を開始する
前は、中国・朝鮮陶磁技法を範としていました。
このように陶芸には、逆に欧米を基軸とせざるを得ない美術に
は越えることのできない、アジアの長い歴史に裏打ちされた文
脈作り:それぞれの地に息づく文化や習慣、風土、そしてイデオ
ロギーなどを、それぞれの表現に結びつける作業ができます。
またこのような歴史感に基づいた理論を頼りにするだけでなく、
陶芸そのものの持つ独特の存在感と、そこから見えてくる作り手
の姿勢を汲み取る鑑賞側の創造力が養われれば、日本の陶芸
を取り巻く状況はより豊かになるかもしれません。このように欧
米志向の理論だけに立脚しない、より広い視野を持ったアジア
独自の陶芸に対する解釈の作業は、美術や陶芸といった領域を
も越えて、日本の多様な表現を支える基礎となる可能性もある
かもしれません。改めて我々日本人の表現を広くアジアならで
はの視点で見つめ直し、その見方をも養う:今後日本人にとって
必要な作業となるでしょう。


1977年、東京都生まれ。FEC代表(2008-)兼アート北京アートデ
ィレクター(2015-)。FEC(ファーイースト・コンテンポラリーズ)
では、アーティストの制作支援や交流事業、東アジアの現代ア
ートの調査研究等を手掛ける。
2002年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了、ノキ
ア社、株式会社東芝、東京画廊+BTAPを経て、2007年よりFEC
の設立準備、2008年4月より横浜のZAIMにて活動を開始。日
本や中国、台湾、欧州等で、現代美術から工芸、ファッション、
メディアアートなどの展覧会やアートプログラムを企画。
主な展覧会として、「Discharge ModeTo Order」(横浜, 2008)、
「日常事変/Live by Play」(台北, 2009)、「次なる現実 /Next
Reality」(横浜, 2009)、「手感的妙/Contem- porary airy crafts
from Japan to Taiwan」(台北, 2010)、「平行的極東世界
/Parallel Far East Worlds」(成都, 2012)、「Asia Cruise:物体事件
/Object Matters」(台北, 2013)、「Find ASIA-横浜で出逢う、ア
ジアの創造の担い手」(横浜, 2014)、「Object Matters:概念と素
材をめぐる日本の現代表現」(多治見, 2014)など。
また、2008年より横浜にて中国とのアーティスト・イン・レジデ
ンス交流事業を担当し、滞在アーティストによる展覧会「主義
之外/孫遜」(2010)、「漠然の索/陳維」(2011)、「What did you
see?/ 何千里・SHIMURAbros」(2013)、「失眠鎮/吉磊」(2014)な
どを企画。

金島 隆弘 Kaneshima Takahiro
(FEC代表・アート北京アートディレクター)
最後に、今回の出展作家のうち2人が卒業論文のテーマにもし
ていた河井の言葉を借りるのであれば、今回の出展作品は「美
を追はない仕事 仕事の後から追ってくる美」を兼ね備えた、強
度をもった作品たちであり、そして作り手は、「道を歩かない人 
歩いたあとが道になる人」とも言えるのではないかと確信してい
ます。70年という時の流れに想いを馳せ、日本の歴史を辿りな
がら現代の陶芸の表現に対峙する機会を頂けましたこと、心より
感謝申し上げます。__