2019年8月17日 OutermostNagoya
工芸的造形への応答 
井上昇治 

 岐阜県多治見市のギャラリー・ヴォイスで開かれた中島晴美展(2008年7月12日〜8月17日)に合わせ、中島氏と金子賢治氏(東京国立近代美術館工芸課長)との対談「陶造形についてー工芸的な力の源泉と広がり」があった。金子氏の「工芸的造形」論を中心に盛り上がった当日の様子を報告する。

 中島氏がひととおり図版画像を使って自作の展開を説明した後、カルロ・ザウリ展(2008年4月19日?6月1日、岐阜県現代陶芸美術館など)に触れた金子氏は、「あいかわらず彫刻か陶芸かという議論を蒸し返している」と語り、鑑賞者的な眼で、「彫刻」か「陶芸」か、「美術」か「工芸」かと、常套句を弄してなされる印象批評を批判。「作り手側の造形思考に踏み込まないと、造形の本質をつかみきれない」と力説し、東京国立近代美術館であった「工芸の力ー21世紀の展望」展(2007年12月14日?08年2月17日)に出品した北川宏人の話題へと結びつけた。

 「一つだけ質問がある」。対談ががぜん面白くなったのは、この北川宏人に、中島氏が反応したからだ。中島氏は「北川宏人は、工芸的造形かもしれないが、陶芸ではないと思う」と発言。金子氏は「あれは工芸的な彫刻だと言っている」と答え、「北川宏人の場合、工芸的、陶芸的なプロセスのケアをやっておかないと、もたない造形」と続けた。中島氏は「工芸的なケアをすることって、意味あるんですかね」「工芸的造形は、素材との間合いの取り方、闘い方、かかわり方で出てくるものがあって、それに感動するものではないか」「北川さんは焼き物を知らないだけではないか」「陶芸は、釉薬が溶けたり、変形したりするところまで、自分を追い込んでいくもの。熊倉順吉が、土と炎によって生まれてくる焼き物の宿命的姿と言っている。北川は炎を固めるだけに使っている」と畳み掛けるように持論を展開する。ここには、陶芸家ならではの皮膚感覚が吐露されていて興味深い。

 金子氏も反論するが、中島氏はなおも、「北川宏人の作品は、コンセプトに当てはめたもので、固まったらいいというテラコッタの焼き物。上から絵の具を塗っているでしょ。絵の具を塗れる形になればいいんでしょ。だから工芸的造形でない」と食い下がる。金子氏は「程度問題じゃないの。北川さんだって、あの質感とぐにゃぐにゃした感じが、外せないわけでね」とかわす。会場からも、陶芸家の徳丸鏡子氏が加わり、中島氏とはニュアンスは異なるものの、やはり北川宏人への違和感を口にし、議論は白熱した。

 この「工芸的造形」を巡る話題が、工芸や美術を考える上で、重要な論点を提供してくれるのは確かだ。工芸の造形主義(フォーマリズム)と言って、あながち外れていない金子氏の工芸的造形論は、器とオブジェを横断して論じることを可能にし、陶芸の本質を現代から歴史へと逆照射する可能性を切りひらいた。だが、対談を聞くと、金子氏と中島氏の間に、かみ合わないズレが存在したことも否定できない。「工芸的造形」を字づら通り受け取れば、「工芸的」であるが、それは決して「工芸」そのものではない。一方、中島氏らの違和感はどちらかといえば、「工芸(陶芸)」から出てきたもの。「工芸的」と「工芸」との間のズレ。このズレを放置せずに考えてみようというのが、このリポートの趣旨である。

 金子氏の説明によると、陶芸(工芸)と彫刻(美術)の境界線は入り組んでいて微妙だという。素材の限定によって、造形の強みを生み出す工芸的プロセスが100%のものから、それより低いものまで、程度のレベルでいろいろな例があり、北川宏人の作品は、そうした(100%より低い)作品の一例である。思うに、中島氏と金子氏との間でズレが生じるのは、金子氏の工芸論の骨格が極めて厳格である一方、その論の援用が極めて曖昧だからではないだろうか。つまり、「工芸」としては厳しく、「工芸的」には緩いから、陶芸家から違和感が生じるのだ。  これまで、金子氏の「工芸(陶芸)」論の影響を受け、正統的な陶芸家を自任してきた存在からすると、「100%」こそが目指す目標で、そうでない陶芸家は「劣る」ことになる。しかし、曖昧とした援用で「工芸的造形」に広げてしまうと、そうした陶芸家の実感として、素材を厳格に土に限定して造形の可能性を追求してきた陶芸家より、北川宏人のように、相対的に素材との接点が部分的で弱いと思われる作家の方が、高く評価されているような逆転現象が起きてしまうのだ。

 陶芸家からすれば、金子氏が、「素材相対主義」「陶を無意味に分割、連結している」などとして評価しなかった作家の方が、まだしも北川氏よりは「陶芸的」であろうと、疑念が沸くこともあるのではないか。つまり、陶芸の身内には厳しく、外(現代美術)には甘いのが「工芸的造形」と言える。さらに工芸的造形論が独り歩きし、ロン・ミュエックまで包摂されてしまうことになると、訳が分からない向きも多いはずだ。

 こうした「逆転」は例えば、「工芸の力―21世紀の展望」所載の金子氏の論文にも見られる。金子氏はここで「紐で一気に縁を切り取り三角、四角などの鉢形を作り出す」加藤委より、「北川のほうがよっぽど陶芸的な土の構築の丁寧さ、細やかな神経の使い方を看取することが出来る。つまり極めて陶芸的な特徴を持った彫刻ということができる」と書いている。今回の対談の中で、中島氏はこの金子氏の考えに疑問を呈し、加藤委は長年の経験で土を知り尽くした上で、そういう造形方法を採用しているのだとして反論している。
 
 部分的に言えば、金子氏の言うのはもっともだろうが、「工芸的造形」論を言うために、部分を強調し全体を弱める、言い換えると、身内(陶芸界)に厳しく、外(現代美術)に甘い論法は混乱を招くし、価値基準の統一感を欠くとも言える。もちろん、現代陶芸と現代美術が峻別されえないのは、金子氏の言うとおり。ただ、こうした論の展開に、陶芸の世界でやっている作家から違和感が湧き出るのには納得もできる。ちなみに、この論文で、金子氏は、清水九兵衛や須田悦弘に言及し、さらには塩谷良太、黒川徹の研究成果を引用しながら、ペノーネ、ディーコン、フォンタナまでも紹介している。
 
 この工芸的造形を、西洋近代の美術概念とは異なる造形論理として文脈化し、コンセプト(現代美術)と素材プロセス(工芸)の二項対立のジャンルに引き裂かれた構造を脱構築すべきだという動きが最近、起きている。確かに、現代陶芸と現代美術を腑分けすることの弊害は認めるものの、そうした文脈化もよほど注意してかからないと、ただの大風呂敷で終わり現代美術の側からの論理、あるいは展覧会としての見せ方の一つとしては良くても、現に今、制作している陶芸家の側からは腑に落ちない点もあるのではないか。

 中島氏らの違和感に共感するのは、北川宏人の作品は、金子氏が工芸的造形の一例として挙げたにすぎないとしても、金子氏が批判していた「形にはめ込んでいくもの」、西洋近代美術概念でいう純粋美術化なのであって、こうした振幅の大きい工芸的造形であれば、現代美術の中に吸収されたものにすぎないというものだろう。

 もともと工芸は境界的・混合的な性質を持っているが、それを言うと、モダニズムの純粋性を通過した現代表現は、多かれ少なかれハイブリッドなものである。そうした時代だから、工芸がそのハイブリッドの徴として召喚されているのであって、それゆえにこそ、「陶芸とは何か」「工芸的造形とは何か」を、実践とのせめぎ合いの中で問い続けねばならないのだと思われる。

 現に、コンセプトやレディメイド、発注芸術で行き詰まった現代美術の側には、須田悦弘やミュエック以外にも、既に、手業や素材を重視する作家は多くいるし、そうした立場自体は今後、重要性を増すと思われる(※)。ただ部分的に素材を限定した造形技術の可能性を緩やかに程度問題で片付けるだけなら、特段、「工芸的造形」などと言うほどのこともなくなってしまう。それは、工芸的プロセスが部分的で「100%」未満の作品を、美術の側から借りてきたにすぎない。このやり方だと、「日本画」が既に、現代美術(絵画)の論理に解消されつつあるように、現代陶芸も現代美術にからめ捕られて劣化し、ひいては、工芸的造形論自体がさらに曖昧化してしまうのではないか。

 そう考えていたところ、「現代の眼」(571号)で、座談「現代工芸を語る 『工芸的造形』の意義と展望」が組まれていた。この中で、冨田康子氏(横須賀美術館学芸員)は、「…工芸的造形という言葉が、スーパーコンセプトになってしまう、つまり、すべてが『工芸的造形』で済んでしまうという還元主義的な発想に結びついていく恐れはないですか。そのことがかえって、作品の個別性とか歴史性を奪ってしまう恐れもあるのでは…」と危惧している。

 つまり、工芸論がいつのまにか、それを包含する美術論、表現論にすり替わっているのである。工芸的造形論を突き詰めることは、表現を縛るものではない。むしろ、工芸的造形の議論を深めてこそ、現代陶芸の深さも追求される。鍛金造形家の橋本真之氏が「現代の眼」の座談の中で繰り返し、「(工芸的造形が)広がった方が面白い」と言っているが、これは、表現の広がりと分析概念の緩さを取り違えた発言だろう。誰も表現を狭めろなどとは言っていないのだ。「工芸的造形」も、今のままでは「何でもあり」ではないだろうか。

※例えば、稲賀繁美「日本の美学:その陥穽と可能性とー触覚的造形の思想(史)的反省に向けてー」(『思想2008年5月号』)。稲賀氏は、思想史的な視野から手業を振り返り、「自然素材との対話を通じて、素材の個性を生かし、素材との接触から得る教訓を通して魂を練る工夫。そうした工藝的発想の再評価にこそ、『美術の終焉』が喧伝された今日の混迷を乗り越えるための『人類史的な課題』が潜んでいる」と書いている。

この記事は、「REAR」(20号、2009年1月)に掲載されたものです。




ライター
井上 昇治

新聞記者。以前、美術、演劇、映画などを担当。2002年10月、名古屋で芸術批評誌REARを有志で立ち上げ、2011年頃、離脱。作品に触れる機会が減っていましたが、作品を見始めた1980年代の原点にかえろうと、2019年5月、WEBサイトを始めました。outermost(最も外側)から静かに東海地方のアート記事を綴ります。