ishoken gallery  馬場康貴展 作家紹介

馬場康貴君はシャイで寡黙である。私は黙々と制作をする彼の姿に、土を素材とするやきものの造形の原点を見る。それは、たたらで作った小さな磁器土の一片を一つ一つ丁寧に貼りつけていく気の遠くなる地道な作業の果てに形が現れてくるところである。その長い時間の経過にこそ、遺伝子に摺込まれた彼の自覚のない本性がかたちに織り込まれていくのだろう。形態は成長し増殖し新たな未来を育み変容する。さながら本能に翻弄されまいと抗う自分自身を発見するための苦行の様である。生まれた作品は彼そのものであることに間違いはない。視覚で触覚を感じるような形態は彼の内なる本性を露わにし、みるものを彼の精神世界に引きずり込む。ストイックである。寡黙である。ただただ黙々と作るのである。それは間違いなく彼の心の形であるはずだ。

私は意匠研に出勤するときはいつも実習室を覗き、ほんの少しずつ成長する彼の作品を見るのが楽しみであった。卒業制作展を控えたある日、彼は「所長は僕の作品に興味がない。何も指導してくれない」と友人に漏らしたと聞いた。それは意匠研に赴任した私が、前任地の研究室で目の当たりにした大学院生たちの土での造形にのめり込む姿と、意匠研の研究生たちの土から少し引いたデザイン処理をする姿に、陶磁器での表現とデザインについて思いを巡らしていた時と重なる。確かに私は馬場君に陶芸の造形にやみくもにのめり込んだ若き日の自分を見ていた。そして、少しの感傷と共に感動していたのである。

さて、これからである。社会を意識し他者の言葉を聞くことは大切なことである。しかし、私は「勉強すればするほど旧来の価値観に染まっていくのではないか」と自問した当時の「少し社会に媚びたあの日」を思い出してもいる。正解は私には解らない。ただ、長い作家人生で経験を積み重ねても、やみくもに土に向かった意匠研の実習室を忘れないで欲しいと思うのである。

多治見市陶磁器意匠研究所 所長 中島晴美