ishoken gallery 柳井友一 展 作家紹介

 「論理は、所詮、論理への愛である。生きている人間への愛ではない。」などとベタな小説の一節を思い出す。

 意匠研で講師を依頼された時の事である。柳井さんが卒業制作で「シャンデリアを作る」と言う。私は、焼き物で作る意味を問いかけた。「土と陶へのプロセス」が先にあればシャンデリアは発想しない。シャンデリアが先にあれば陶を選ばないだろうと、素材へのアプローチの仕方について問いかけたのである。それでも彼は陶でシャンデリアを作り、そして卒業制作賞を取った。それは圧倒的な迫力と存在感を持ち、間違いなく最高賞にふさわしい堂々としたものであった。

 私は若き日に、走泥社の同人たちの陶による立体造形作品に心を揺さぶられ陶芸の道を選んだ。そして走泥社の重鎮であった熊倉順吉に勧められ、意匠研の職員となった。熊倉先生の「土と火によって生まれ出る陶器の宿命的姿に、可能性と不可知性を求める態度」との言葉に自分を見出し、支えられ、保守的な美濃の地でラディカルに突っ張って制作してきた。大学に転職してさらに過激にやきものの宿命的姿だけを見つめて授業をした。

 数年が過ぎ、私は縁あって意匠研に戻り資料室であのシャンデリアをたびたび見ることとなった。そして、熊倉先生の「ああいうものを作るなら土でなくともよい」と言う批判に「もしあなたがそういう思考を起こした瞬間、あなたは一歩後退したのだ」とのもう一つの言葉を思い出し苦笑している。

 熊倉先生の制作の論理と姿勢は、私にとっては矛盾であったが、人間熊倉順吉にとっては正当だったかもしれないとの思いに駆られ、知識を得、経験を積み重ねるうちにいつの間にか私自身が保守的な硬直した物の見方になったのではないのかとこころが騒ぐ。しかし、それでもまだ私は納得しきれない。

 柳井さん。保守的になり下がり、過去の価値観を振りかざす私を、柳井さんの新しい造形論で打ち砕いてくれませんか。デザインと素材、そして表現の現在性を柳井さんのその抜群のデザインセンスと造形力で切り開き、新しい陶磁器のデザインのあり方を指し示してほしいのです。

 若い後輩への指針となる講義を期待しています。

多治見市陶磁器意匠研究所 所長 中島晴美