ishoken gallery 加藤智也 展 作家紹介

  私は加藤智也の制作を30年もの間、身近に見てきた。その制作姿勢は、意匠研の研究生だった頃から変わらない。それは土で形を立ち上げ乾燥し、施釉焼成する。その制作過程の中で自分を「織り込むこと」、言い換えればバイオモルフィックな自己の内なる姿を形態として可視化し、具現化するような制作姿勢である。
 粘土の可塑性が内なる自己を引きずりだすことを自覚したことが、制作せずにはいられない動機となったのか。そして、それは彼にとっての「ざわつく心をいやす麻薬」となったのか。
 私の中には、長い付き合いの中でこそ感じられる、特別なもう一人の加藤智也がいる。筋肉の塊のような大きな図体をしているのに繊細な神経を持つ彼が作る作品は、他者が覗いてしまっていいのかと思うほどの素直さを露わにして存在する。それは、時に目障りであり愛おしかったり、私の内に潜む羞恥心まで呼び起こすいやらしさで存在する。無礼者である。あまりある本音を表に出すものは礼儀知らずの無礼者である。しかし、芸術はその無礼を無くしては存在することなど決してあり得ない。だからこそ、私はその素直さにあきれはて軽蔑し、そのくせ羨望し嫉妬する。彼の最近作は、本音の中に理性を込めて、ますます魅力的な形態となった。
 彼への果たし状の末尾に「魂を揺さぶるのだ」と強がって付け加えておこう。



多治見市陶磁器意匠研究所 所長 中島晴美