高島屋美術部創設110年記念 
中島晴美展
不条理を開示する

 半世紀も確信犯のように一筋に作り続けてきたが、壁にぶつかった。それは、粘土の可塑性と焼成の変化を優先し「形への意識」は自然に働くとの従来の制作姿勢を変え、意識的に幾何学的な線や面を採用したからだ。別の言い方をすれば、他者を意識し承認を求めたことが自己矛盾となった。

 粘土の可塑性は有機的な形態を生む。制作中のトランス状態は、自覚のない本性をさらけ出すが反面それは自己嫌悪にも繋がる。つい、無機的で科学的な理想を込めたくなったのだ。

 しかし、幾何学的な図形や理論的な構造を取り入れてみても、どこにでもある風景と、そこに生きるどこにでもいる人間の日常に安住する姿と、毒にも薬にもならない表層だけをみつめた、血の通わない、怒りの無い、喜びの無い、苦しみの無い作品は、魂など揺さぶることなどありえない。

 学生が、寝る間も惜しんで積み上げた作品の覆いを恐る恐る外していく。勘弁してほしいような稚拙な、それでいて力強い制作途中の作品がまるでチュウブから絞り出される絵の具のように「ぬうっ」と現れたとき、迂闊にも若き日の私が嗚咽を伴って重なった。

 老成してどうする。うんちく垂れてどうする。理想なんてどうでもいい。善人なんてくそくらえ。それは、わがままに生きる。死ぬまで生きる。わがままに創る。死んでも創る。との決意となった。
中島晴美