ishoken gallery 桑田卓郎  展 作家紹介

 たとえ、やきものが経験の産物であったとしても、何十年も前に受けた授業や、自分が若かった時代に得た経験を背景にした価値観で、若者に指導など出来るはずはない。

 私は、陶磁器意匠研究所の27年間と、愛知教育大学での10年間、そして縁あって再び意匠研で若者たちの前に立った。やきものの持つ普遍的な魅力を信じ、激しく変化する現代社会の中で半世紀も制作し続けたにも関わらず、答えは遥か彼方の「内なる自己」の中にしか見えない。しかし、それも錯覚だとすれば、作り続ける姿勢を示すしかない。

 意匠研の所長に就任して、すぐに桑田卓郎氏に「作品を前にして授業をしてくれないか?」と話した。私には、課題作品の講評会で「良いものと、そうでないもの」を見分ける能力がある。それは普遍にかなり近いところであると思い上がっている。しかし時々、良いのか悪いのか判断できないものが出て来る。厄介なことに、それが私にはより魅力的に見える。つい「面白い」などと根拠のない感想が口をついて出る。ついには「内なる自己」の答えがあると、学問から遠く離れた私的感想を述べることとなる。

 やきものの見せる焼成の表情。土の可塑性が生む形態。やきものを製造する技術・技法を自由に捉える柔軟さと造形力。そして、現代を掴む鋭い感性が作品として成立させる。反面、そんなことは意に介さず気ままに素材へアプローチする桑田卓郎に、私の心は揺さぶられる。デザインをキーワードに理解できないかと考えを巡らすが、もっと深いところに動機があることは確かだ。「面白い」などと感情で片付けてはいられない。今の時代をまさに生き、そして明日を切り開く彼は、遥か彼方に見える一つの答えをいともたやすく見せてくれるかもしれない。そんな期待をして授業をお願いした。



多治見市陶磁器意匠研究所 所長 中島晴美