中部経済新聞2015年1月6日
中経論壇 

熊の右フック

 学生時代のことです。富山県五箇山の旅館の長男であった先輩が帰省する機会に便乗して、友人数人と年末年始を五箇山で過ごしました。若気の至りとは言え、今から思えばご家族は大迷惑だったことでしょう。

 大阪駅に集合してから国鉄で高岡駅まで、そこから支線を2回乗り換えてバスでダムを目指しました。ダム湖を船で進み上流で下船するのですが、次のダムまでかろうじて除雪してある道路を村営バスに乗り、また船に乗り、バスに乗り、豪雪の中を三度も船に乗り、村営バスに揺られ、先輩の旅館に着いたのは次の日でした。

 先月、実に45年ぶりに仲間と共に五箇山に現地集合。今では高速道路で3時間です。翌日、みぞれ混じりの雨の中を山の奥深くまで分け入って、茸狩りに案内されました。

 昨夜食べた「熊」の復讐があるのではと、根拠のない心配をする愚妻に「正面で出会ったら熊は立ち上がる。その時、右フックが来るから気をつけろ」と大真面目な対処法に「え!熊に左利きはいないの」この緊迫した状況下で間抜けな会話です。そんなこんなのうちに、突然枯れた大木に根本から見上げるように「なめこ」の群生です。また愚妻が「アンタの作品、負けてるやん」。

 私は常々、粘土での造形は不条理な作者の本音が土の可塑性によってひきずりだされる。そして、それは「有機的で増殖し変容する」と力説しているのですが、みぞれ混じりの雨の中、鎌を振り回して分け入った山中で、既に生命を失って何年も経ったであろう枯れた巨木にへばりついた「なめこ」の大群。

 生命力みなぎり、ぷりぷりした生まれたてのなめこが密集し巨木の頂上に向かって、じりじりざわざわ増殖しながら蠢(うごめ)き、生きているのです。すでに木々は葉を落とし雨には雪が混じり寒風吹く中、熊も鹿もそして「なめこ」も生きている。生かされている。生き抜いている。私の「陶による立体造形」なんて完全に吹っ飛んでいるのです。   

 旅館を経営しながら郷土の伝統と自然を愛し守るのだと熱く語り、自慢の深山料理のために熊の右フックも恐れず山に入り、胸の内を掻き乱すような存在感を持って次々と増殖し、変容する自然の摂理の中で日々を生きる先輩には、私の中途半端な作品なんて「笑わせる」のでしょう。

 そう言えば個展に来てくれたとき作品なんて目もくれず、女子学生を捕まえて話し込んでいたような気がする。

 みぞれ混じりの雨の中、小枝で作った即席の箸で生煮えの「なめこ汁」を震えながら食べたのでした。