中部経済新聞2014年12月2日
中経論壇 

大英博物館のニコルさんのこと

 先日開かれた国際陶磁器展美濃の審査会のことです。セインズベリ日本芸術研究所所長で、大英博物館のキューレーターでもあるニコル・クーリッジ・ルマニエールさんとご一緒しました。陶芸部門二千点を超す応募作品の中から百数十点を選ぶ審査はなかなか大変でしたが、海外の作家や研究者を交えての審査はとても刺激的で、また考えられさせられることも多くありました。

 そこには、今後この国際展を継続していくための乗り越えなければならない大きな壁があると感じました。それは、やきものを見る目というより、芸術に対する、西洋美術概念と日本美術概念の違いでもあると思います。

 作品を前にしてニコルさんと話すと、陶による立体造形の特徴である、感覚的であったり触覚的であったり、身体に理屈なく語りかたりかけてきて、見ているうちにザワザワしてくるような作品に関しては驚くほど意見が一致し、美意識は日本人より日本的だと感じるほどです。しかし一方で作品の背景に物語性のあるような、その意味を問うような作品に対しては全く意見が合わずに気まずくなるほどでした。

 やきものに「理屈はいらない。感じてほしい」と話すと「私は日本の美意識を理解しているし大好きである。でも国際展というなら西洋の美意識でのジャッジも入れないと、入賞者はすべて日本人になり国際展とは名ばかりになる」。そして「いずれ海外からは応募者がいなくなる」と、この展覧会を愛し応援する意味でも頑に主張します。

 日本人の美意識はどこにへつらうこともなく日本の美意識として、そのことで国際的にも通用するはずである。国際的な展覧会だからと言って西洋の基準で審査する必要は無い。1万3千年前の縄文時代よりやきものと深く結び付いた歴史を持っている「日本の物差し」で審査すると、筋を通す必要があります。それでこそ、日本発の陶芸の造形の論理を世界に発信できるのではないか。

 などと「やきものは世界に堂々と通用する日本文化である」と確信している私ですが、それを主張するあまりに日本人だけの受賞作品が並べば、国際展とは名ばかりで、日本国内の展覧会と何も変わらなくなってしまうのは火を見るより明らかです。ニコルさんの期待に私たちはどう答えたらよいのだろう。

 国技である柔道が歩いた道や、今の大相撲のあり方と照らし合わせながら、ついつい大きなため息をついてしまうのです。