とうめい新聞

チャワン屋

中島晴美


 かつて八木一夫は「茶碗もオブジェでっせ」と言った。また自らを「チャワン屋」とも称した。1954年に「ザムザ氏の散歩」を発表し、走泥社の同人らと実用性から完全に離れた作品を作ったオブジェ焼きの創始者と言われる八木の言葉である。それゆえにいろんな解釈がなされてきた。
 今、現代陶芸は混沌の中にある。八木一夫らの走泥社の同人達の仕事以来40年の間に陶芸は現代美術になり得たのか、工芸より一段上にあると言われる現代美術の仲間に入れたのか、入れなくとも近づくことぐらいはできたのか、否である。
 「いまだに素材にあぐらをかいているじゃないか」 「用途を外しさえすれば現代美術の仲間に入れると勘違いしてるんじゃないか」と批判もかまびすしい。
 しかし、土を専らとして制作する側から一言申し上げればどうもモノサシが違う様な気がするのです。やきものにはやきものを測るモノサシがある様な気がするのです。どこかでボタンを掛けまちがえたと思えてしかたがないのです。
 現代美術は表現のために素材を限定しないだろうし、必要ならばどんな素材でも使うだろう。陶芸家はたとえ巨大な彫刻的作品であっても土を使い、焼成する。陶芸家とはいったいなんなのか。

 東京国立近代美術館の金子賢治氏は、八木一夫が制作の軌跡の中で発見した造形の論理を「素材に対するアプローチを境界として現代美術と工芸を包括する日本の造形論となり得る」と混沌とした現代美術の世界に新しい造形の論理を展開した。
 つい最近までの私は、陶芸を抱えたままで現代美術に近づこう、仲間に入れてもらおうとして来た様な気がします。
 まず、イメージを持ってスケッチを描き、エスキースを作りそれに嵌めこむ様に制作してきました。エスキースが出来上がった時点からは素材との対話もなくただ作業をするだけです。そういう方法で作ってきた様に思えるのです。しかも、どんなイメージであっても素材は土であったのです。
 土は生きていて、制作の過程でいろんな表情を見せるし、乾燥の段階では形が変化します。焼成すれば縮むしへたりもします。
 私にとって土という素材と陶へのプロセスは、時に私を裏切り、私に媚び、私を誘い、断ち切ろうにも断ち切れぬ因果を生み、のめり込んで身動き取れぬほどの怪しさを放ちます。そのくせ、時にクールに鏡のように私自身の醜さ、私の気つかぬ私自身の美しさを映します。
 そういったものすべてを受け入れ、又は反発し一体となって創って行くこと、これがこれからの私の土とのとりくみだと思えるのです。
 コンセプトからイメージへ、そして造形へという方法とは別に、コンセプトから素材へ、素材からコンセプトへ、そしてそのプロセスから造形へ。
 今、八木一夫の「茶碗もオブジェでっせ」の言葉が新鮮に聞こえます。


 編集部注=八木一夫の作品「本のハニワ」など4点は、県陶磁資料館が1994年9月から11月にかけて開いた「国際現代陶芸展」で展示された。オブジェ陶芸の先駆者。
 京都市立美術工芸学校彫刻科を卒業、商工省陶磁器試験所の伝習生となり、沼田一雅に師事した。戦後の前衛陶芸集団として大きな役割を果たした走泥社を山田光、鈴木治らと結成。
 ニューヨーク近代美術館に1950年、作品が陳列されるなど国際的にも高い評価を得た。1918年生〜1979年没。