『炎芸術』112号

日本陶芸を代表する50人 コメント
中島晴美

 生きていることを自覚して生きるのが人間ならば、その精神活動は他者に表現することで実現する。しかしそれは、道理での表現だけでは成し得ないと私たちが味わった苦い経験が物語っている。通事的にも共時的にも自覚できること、言い換えるならば、不条理の自覚が必要となるのではないか。    
 芸術が不条理を背景にしてあるとするならば、作品で表現することになるのだが、では不条理の表現の本質とはいったい何だろう。 そんな自問の末、結局生きることの自覚、精神活動は、「自分のためだけに自己を開示すること」でしかないとの思いに行き当たる。
 先日の個展の折、「貴方が代わりに作ってくれるから」と言われた。思い返してみれば、私はこの世に存在する証明としてのみ制作してきた気がする。もしも今、作品に共振してくれる他者が現れたとするならば、「独りよがりな奥底の開示は、私の知らないところで意味を持つ」。すなわち私の知らないところで「芸術となる」と誠に都合よく解釈して、また独りよがりな制作を続けていくことになる。