ギャラリーvoice 個展案内
中島晴美

 焼き物を始めて40年になります。頑なに陶による立体造形だけを制作し、いずれは現代美術の一翼を担う美術家を夢見て、東京を中心に発表を続けてきました。オランダのヨーロピアン・セラミック・ワークセンターに招聘されたのを契機に、海外での発表も増えてきました。しかし、ここ数年、そんな外にばかり目を向けた制作発表の姿勢に違和感があります。それは、大学3年生の時、京都市美術館で観た走泥社展の衝撃的な体験まで遡ります。
 八木一夫を中心にして、工芸的な造形思考で制作を続けた走泥社の作品に感動し、陶による立体造形に嵌って行った私の原点がそこにはありました。日本の工芸的な造形の形態や制作姿勢に共鳴し感動したのです。しかし、当時の私は、その造形の背景にある日本人特有の素材に対するアプローチの特殊性を理解出来ませんでした。戦後に生まれ、西洋美術概念一辺倒の美術教育を受け、教科書にはゴッホやマチス、ピカソは載っていても、日本の工芸の事は何も載っていなかったのです。
 自分の中に生まれた得体の知れない感情の高揚の背景には、縄文の時代よりかたちづくられ、受け継がれてきた日本人の美意識があったのですが、それを自覚できず、ただ闇雲に作り続けました。無自覚は惰性へと流れ、初心の感動までも見失い、現代美術シーンを追いかけることだけに繋がる危険を孕んでいました。
 そんな紆余曲折の中で、工芸の造形のあり方を自問し、現代美術に拮抗できる作品の制作を目標に、1990年から「苦闘する形態」シリーズを発表しました。このシリーズの制作で、陶は陶として最も陶らしく輝くところを凝視し、それを自己と陶との理路として造形に取り込むしかない。日本人は日本人としてあり、そのことで国際人となるしかないと気づいたのです。
 素材を一つに限定して制作する工芸の造形には、背景に伝統に培われた技術、技法を受け継いでいる地場の知恵があります。特に陶芸では、その地で培われてきたその地だけの技術があります。そこに人の繋がりが生まれ、知恵が受け継がれて地場産業の伝統となるのです。私はそれを制作の拠りどころとしたいと思います。
走泥社の作家は京都を中心に活動し、京都の伝統を造形思考にも作品にも色濃く反映しているように見えます。私も私を育ててくれた美濃の地で、自分の原点を自覚し、美濃の伝統を制作や造形思考に反映させたいと思います。
そんな心境の折に、多治見市文化工房ギャラリーボイスから個展のお話しがありました。
更なる苦闘の日々の為に、故郷に恥じをさらす覚悟でお引き受けしまた。若き日の感受性を呼び覚まして、美濃で初めての個展を開きます。                             
中島晴美