岐阜新聞 朝刊 2016年12月24日

素描
「風に聞いてくれG」


 久しぶりに、多治見市文化工房ギャラリーヴォイスのシンポジウムに出かけた。それは演題の「作品に関わる他者への意識」と言う一文に惹かれたからだ。

 私は二十歳の時に陶の立体造形の魅力に憑かれ「この道を行く」と決めたが、そこには他者の存在はなかった。やみくもに作り続けた理由は、ただ作ることが楽しく、作らなければならない自分がそこにあったからだ。しかし、経験を積み、それなりの作品が出来てくると、それだけでは済まなくなった。

 褒められたい。公募展に入選したい。評論家に認められて美術館に収蔵されたいとの思いに駆られた。だが、他者を意識したとたんに〈生き生きとした活力〉は失われていく。

 そんな時、陶による立体造形を始めたばかりの学生の姿勢が、マンネリ化し、倦怠した私に初心に帰ることを教えてくれたのだ。

 シンポジウムでは、焼き物で作られた道具と表現について少し混乱があった。それは、純粋美術と工芸に関わるデザインについての混乱といえるかもしれない。

 基本的にデザインは他者に対してある。表現も他者を意識しなければただの趣味になるだろう。私は他者への意識より、自分を突き動かした制作の動機を原点としたい。

 それは、道具であっても表現であっても同じだと思うからだ。そして、無意識の形に、理性を取り込むことだと理解したい。

 自分の心に吹く風を素直に受け入れて制作しながら、そこに理想を込めることも作家の使命だと思う。