岐阜新聞 朝刊 2016年12月17日

素描
「風に聞いてくれF」


 スマホで「表彰式には出ない」というニュースを知った。一時間もしないうちに古い友人が「ボブ・ディランのこと、夕刊に出てる」と電話をくれた。私が「せめて表彰式は欠席しろ」と書いたこの欄を読んでいたのだろう。

 「賞は頂きます。表彰式は先約があり出られません」なんて、私でも思いつくような陳腐で分かりやすい言い訳には笑う。ちょっとだけ抵抗のポーズをとってみて、あとは丸く収めていくなんて、なんて大人なんだろう。しかし、しかしである。大人の常識を逸脱し、そんなこと「その時その場でそこに吹く風にしかわからない」と、敵も味方も理解者も裏切ってしまえ。若かったビートルズは、女王陛下の勲章をにっこり笑って軽くもらったんだ。

 「ディラン、表彰式に出ろ」堂々と厚顔無恥に出てきて、にっこり笑って講演で言いたいこと言って、世間の批判なんてものともせずに名誉とお金がいっぱい詰まった世界の権威ノーベル文学賞を、町内運動会の見学席のお隣のおばちゃんにおにぎりでももらうように軽くもらってしまえばいいんだ。「常識なんて、普通なんて、変わらないことなんて、そんなことあるわけない。♪How many times must the cannon bolls fly Betore they’re forever banned? 人間の本性なんて端からわかっていたんだ」と言ってしまえ。それが真実に迫るという事だ。それが、75歳の貴方が今日のこの時を「生き切っていると」いう証だ。言いかえれば「死ぬまで生きる」ということだと思うのです。