岐阜新聞 朝刊 2016年11月26日

素描
「風に聞いてくれC」


 久ぶりに出会った先輩の高級車で旅行した。

 大手デパートのデザイナーで鳴らしただけあって、車内は趣味の良い装いである。なかなか快適な旅行となったが、一つだけ気になることがあった。昨日から小さな音量で流れている歌が「長渕剛」なのだ。あの日、下宿で聴いた先輩のギターは「ボブ・ディラン」だった。突然の疑問が頭を駆け巡る。どの様な人生を送ると「ボブ・ディランから長渕剛」に行きつくのだろう?そういえば先日、同世代のギャラリーオーナーの中古のベンツで流れていたのは吉田拓郎だった。「いまだに?」と聞いたところ「40年拓郎だ!」と威張っていた。

 人生ってなんだろう?
 経験ってなんだろう?
 成長するってどういう事だろう?半世紀の時間は、人をどのように変えるのだろうか?私の作品に「水玉ばっかじゃなくて、次が見たい!」と学芸員が言った。次っていったい何を指しているのだろう?長い付き合いの中で「人は変わる」と思わされる出来事があった。でも、時は過ぎるのに「変わらない」ってなんだろうと自問する私がいる。

 明日がくるのに、昨日の私ってなんだろう?時と共に聞く歌が変わることと、若き日に感動した歌を聞き続けること、どちらにも「今の私は昔の私ではなく、今の時代を生きる今の私がいる」と言う事実だけは間違いなくある。

 今、私は「西野カナのトリセツ」を聴きながら制作中です。と、少し無理してみました。

♪The answer is blowin’ in the wind