岐阜新聞 朝刊 2016年11月5日

素描
「風に聞いてくれ@」


 学生でにぎやかな この店の 片隅で聴いていた ボブ・ディラン…♪。ガロの歌った「学生街の喫茶店」の一節が、舌を噛んで死んでしまいたいような恥ずかしい私の青春と共に蘇る。そして、「感傷は明日への出発にならない」と苦笑いしながらも ♪How many roads must a man walk down…♪と口ずさんでいる私がいる。

 村上春樹氏がまた、ノーベル文学賞を逃したニュースより、その若さで真っ直ぐにベトナム反戦運動や公民権運動と、当時の社会の問題を叫んだボブ・ディランが、その後の半世紀をどのように過ごし、どうしてノーベル文学賞なのか、その経緯の方が気にかかる。

 若さゆえに言えたこと。人はそんなに単純に正義を語れぬこと。正義は見る位置や時代と共に変わること。算数の答えのように一つでは無いこと。そんなことを思い知らされる半世紀をどのように生きたのだろう。

 若いからこそ許されたこともある。若さゆえの純粋さが眩しいこともある。しかし、75歳の彼がノーベル文学賞を笑顔で受け取ったら、あれから半世紀も人生やってきて結局「そこか」と、本当に若き日に舌を噛んで死んでおけばよかったと思ってしまうのです。

 「ボブ・ディランに言っておく。せめて授賞式だけは欠席しろ。」

 ところで「もしも」があるなら、私は彼ではない。ありがたく頂いて、神棚に供え、ご先祖様に報告しよう。できることならテレビ、新聞、雑誌のインタビューも受けたいものだ。

 その夜は仲間とオールドパーで乾杯です。