Kenta's ... Nothing But Pop

Hourglass
James Taylor
(Columbia)


22nd May, 1997




Sweet Baby
James

(1970)
 あれは一昨年。忘れもしない95年3月。そのころ、会う人会う人、みんなに聞かれたことは――

 「ケンタさん、ストーンズ何回行きました?」

 これだ。ちょうどローリング・ストーンズが再来日したときだったから。あれはまいった。冗談じゃない。みんなそんなことばっか聞いて。行きませんでしたよ。一度も。別に嫌いなバンドじゃないけど。だからといって音楽ファンがみんなストーンズに行くもんだと思われてもねぇ。その前に……確か90年だったっけ? 彼らが来日したとき記念として一回見たから、もういい。だいいち、95年のときは特に、同時期に別の、もっともっとぼくにとっては大事な来日アーティストがいて。そっちのことで、もう頭がいっぱいだった。

 その人の名はJT。ジェームス・テイラー。


Mud Slide
Slim

(1971)
 アシッド・ジャズ系オルガン・プレイヤーじゃないよ。クール&ザ・ギャングの流し目さんでもない。元祖ジェームス・テイラー。自作の「ファイア・アンド・レイン」「カントリー・ロード」をはじめ、キャロル・キング作の「君のともだち」やオールディーズ・カヴァー「ハウ・スウィート・イット・イズ」「ハンディ・マン」などのヒットで知られるアメリカのシンガー・ソングライターだ。チマタがストーンズ熱にうかれていた95年3月半ば、ドームの狂乱を横目に、中野サンプラザで静かに、しかし確かな感動と手ごたえに満ちた東京公演が行なわれた。


One Man Dog
(1972)
 これがね、よかったんだ。ホントに。マジに。個人的に言えば、ぼくが高校生だったころに一回(当時、ギターを始めたばかりだったぼくは3公演通いつめ、ギターの弦を表わす6本の線をたくさん書き込んだスケッチブック片手にジェームス・テイラーのプレイを必死にメモしまくったっけ)、今のような商売を始めた時期に一回、そして95年……JTの来日は三回経験している。ひとりでステージに現われたJTは、まず兄アレックスの子供である、つまり甥のジェームス君に捧げられた牧歌的な「スウィート・ベイビー・ジェームス」を歌って幕を開ける。途中からバック・ミュージシャンを従えたライヴが展開され、そして何度かのアンコールを終えると、ラスト、またひとりきりになって「ユー・キャン・クローズ・ユア・アイズ」を歌って幕を下ろす。

Walking Man
(1974)
このステージ構成は三回の来日ともまったく同じだった。けれど、そのつど時代の流れなど超越した永遠の感動と、歌うJTも聞くぼくもともに年齢を重ねたぶんの新鮮な発見とに満ちた夜を過ごすことができた。聞くところによるとストーンズのステージ、でっかいスクリーンがあったりミックが何度もお召し換えしたり、相変わらずそうとうバブリーだったみたい。対してJTのほうはセットなんか何もなし。人間がいて、演奏があって、歌がある。それだけ。でも、それだけゆえの深い深い感動ってやつだ。


Gorilla
(1975)
 そういや、前にストーンズが来た90年。あのときもストーンズとポール・マッカートニーという大物二組の来日フィーバーに押されつつ、狭間でほとんど話題にならなかったキャロル・キング初来日公演ってのがあった。ああ、今思い出してもキャロル・キングのライヴはよかった。素晴らしかった。60年代、70年代、80年代、そして90年代。4つのディケイドにわたって音楽活動を続けている彼女が、1960年、ソングライターとしてはじめて放ったヒット「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」から、まだレコード化されていないという新曲まで。30年に及ぶ活動の中で生み出した曲を次々ランダムに披露し、そのどれもが今の時代にも全く色あせていないことを証明してみせた一夜だった。

 もっと古い記憶をたどれば、ボブ・ディランが日本武道館で何日間かぶっ通しで派手に来日公演ぶちかましているとき、傍らの九段会館でひっそり、しかしとびきりのライヴを見せてくれたレオン・レッドボーンとかね。そう。今さら何言ってんだって感じだけど、ライヴってのは小屋のでかさじゃないのさ。

In The Pocket
(1976)

 ジェームス・テイラーというと、ぼくのようなお古いファンはすぐに“ザ・セクション”というグループを思い出してしまう。70年代初頭にJTのバック・バンドをつとめていた連中だ。もちろん、73年の初来日のときは彼らを伴っての公演だった。72年暮れにリリースされた4枚目のアルバム『ワン・マン・ドッグ』のジャケット裏にも、JTとザ・セクションとのセッション風景の写真が載っている。周囲を白木で囲まれたログ・ハウスのような家の広い屋根裏部屋。大きなモニター・スピーカーが宙吊りになっていて、その下にジェームス・テイラーと、ザ・セクションの4人――ギターのダニー・コーチマー、ドラムのラス・カンケル、ベースのリーランド・スクラー、キーボードのクレイグ・ダーギという70年代アメリカン・ポップ・シーンを代表する名手たちが無造作に輪になり、楽しげにレコーディング・セッションを繰り広げている。リラックスしたミュージシャンどうしの雰囲気が、あのころ高校生だったぼくには心底、理想的な関係に思えたものだ。


JT
(1977)
 ジェームス・テイラーがシーンに華々しく登場したのは70年のことだ。オルタモントの悲劇やチャールズ・マンソンの忌まわしい虐殺事件が起こり、ジミ・ヘンやジャニスが相次いで逝き、ジョン・レノンが“ぼくはビートルズを信じない”というショッキングな叫びを音溝に刻み込み……。ロックを拠り所に革命を起こせるかもしれない、と熱く燃え上がった幻想も色あせ、諦めが時代を支配しはじめたころ。そんな迷いの時期、火と雨の混乱を潜り抜けたあとの空虚さを歌った「ファイア・アンド・レイン」を大ヒットさせ、JTは見事時代の空気をつかんでみせた。飛行機事故か自殺か、様々な説を耳にしているが、いずれにせよ不慮の死をとげた女友達を思いながら作ったと言われるこの曲は、その真意はともあれ、ラヴ&ピースの幻想が幻想でしかなかったことを人々が思い知りはじめた70年代の“気分”にぴたりとハマった。

Flag
(1979)
“個”の時代の到来を結果的に予言してみせた。ブラッド・スウェット&ティアーズやジョニー・リヴァースなどのカヴァー・ヴァージョンも生まれたが、どれも作者であるJT自身の内省的なつぶやき以上のものになるはずもなかった。翌71年には、友人であるキャロル・キング作の「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」を取り上げ、ストレートに“君”と“ぼく”だけの関係を歌って全米ナンバーワンの座に輝いた。彼が歌っていたのは常に“個”。鎮静しつつあった時代の気分をぴったりと言い当てていた。

 ジェームス・テイラー&ザ・セクションは、そんな時代ならではの理想的なコンビネーションだったと思う。通常ぼくたちがイメージするバンドのように密すぎる関係性を持つわけでもなく、かといってバラバラというわけでもなく、さりげない、クールなつながりの中で、しかし緻密かつ緊密な音作りを聞かせてくれていた。そのさまが、当時のぼくの目にはやけにかっこよく映った。

Dad Loves
His Work

(1981)

 結局、ジェームス・テイラーはそのときのたたずまいのまま、現在に至っている。彼は何ひとつ変わっていないように見える。バックにどんな大所帯のバンドを従えていようと、誰とデュエットしていようと、最良のパートナーである一本のギターを抱え、いつも“個”として、時代の流れを超越した地点にたたずんでいる。80年代に入ってから、“様々な場所へ旅しても、たくさんの観客が待っていて、ぼくに「ファイア・アンド・レイン」を歌えと言う……”というような歌詞の曲を歌ったり、彼なりの悩みもあったようだが。それでも彼は常に「ファイア・アンド・レイン」を歌い続けていたのだろうと思う。歌わなくてはいられなかったのだろうと思う。その歌を待っている観客のためにではなく、あくまでも自分ひとりのために。


That's Why
I'm Here

(1985)
 時代の変化とともにスピーディに移り変わっていくポップ・ミュージックの表情。このスピード感こそがポップ・カルチャーの命だ。作り捨ての勢い。聞き捨てのパワー。瞬間瞬間の空気に触発されて、瞬間瞬間の思いを吐き散らす。時代を超えることなんか二の次。ポップスってやつは、今この時代を、この瞬間をどれだけパワフルに、太く表現できるかという課題を背負った音楽なのだから。そういう意味でJTの音楽は、たぶん“ポップ”じゃない。70年ごろのように、たまたま時代の流れのほうが彼に勝手に寄り添っていくことがあったりはするのだろうけれど、そんなときでさえ、JTは泰然と、ひとりでたたずみ続けている。

 ぼくにとって彼の音楽は、だから最良のポップ・ミュージックではありえない。でも、とてつもなく大事な音楽だ。かけがえのない宝物だ。


Never Die
Young

(1988)
 そんな宝物が、またひとつ。ジェームス・テイラーから、本当に久しぶりのニュー・アルバムが届いた。93年に2枚組のライヴ盤を、そして94年にはそのライヴ盤からの抜粋によるCDエクストラをリリースしているし、マンハッタン・トランスファーやランディ・ニューマンの新作アルバムへのゲスト参加もあったものの、スタジオ録音によるフル・アルバムとなると、91年に出た『ニュー・ムーン・シャイン』以来、実に6年ぶり。そして、もちろんJTはちっとも変わっちゃいないのだった。

 バックを固めるのは、ドラムにカルロス・ヴェガ、コーラスにデヴィッド・ラズリーやヴァレリー・カーターなどが参加している95年の来日時とほぼ同じバンド。先日、ナッシュヴィル随一のフィドル・プレイヤー、マーク・オコナーとのコラボレーション・アルバムをナッシュヴィルで録音したりしていたチェロ・プレイヤー、ヨーヨー・マがクラシック界からゲスト参加。

New Moon
Shine

(1991)
ここでもマーク・オコナーを交え、穏やかさと心地よい緊張感に満ちたセッションを展開している。さらに、スティーヴィー・ワンダーが絶品のハーモニカで彩りを加えていたり。ジャズ界からは旧知のマイケル・ブレッカー、ブランフォード・マルサリスらが参加していたり。ショーン・コルヴィンや、森林保護のコンサートでも共演していたスティングなどもゲスト・ヴォーカリストとして迎えられていたり。

 それでも、ここに記録されたのは、もう“ジェームス・テイラー”としか形容しようがない、豊かで、あたたかくて、切ない音楽だ。歌だ。

 静かに現実の断面を切り取ってみせる歌詞は、変わらず。淡々と深い愛情を表現してみせるラヴ・ソングでは、より表現がシンプルになり、感動も増す。音のほうも変わらず、ジャズ、ラテン、ソウル、フォークなど、様々な要素を絶妙にブレンドし、消化したジェームス・テイラーならではの持ち味たっぷり。

(Live)
(1993)
弟のリヴィングストン・テイラーの作品が1曲、1930年代のおなじみのスタンダード「ウォーキング・マイ・ベイビー・バック・ホーム」のカヴァーが1曲。残りがJTの書き下ろし曲だ。シークレット・トラックも含む全13曲。今回もCDエクストラ仕様で、JT本人がゲスト・ミュージシャンについてとか、曲についてとかを語るインタビューあり、なんとアコースティック・ギター一本で何曲か歌っているクリップあり、バンド付きでの演奏クリップがひとつあり。むちゃくちゃうれしい。

 今回のアルバム・タイトル『アワーグラス』。砂時計。そうなんだよね。砂時計の中ではいつも同じ砂が流れ続けていて。すべてが下に落ちきったら、今度はまたひっくり返って、さっきまで上だったはずのところへと流れ込んでいって。そんなことを変わらずに繰り返しながらも、確実に時を刻んでいって……。

 なんだかジェームス・テイラーにぴったりくるタイトルだな。

 本盤は、先日、癌のために他界してしまったキーボード・プレイヤー、ドン・グロルニックに捧げられている。近年のJTサウンドの要ともなっていたグロルニックの冥福を祈ります。


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