真・禁じられた生きがい
日本武道館(1996/2/10)
幕が開く。逆光を切り裂きつつ、コートを着込んで登場した岡村ちゃんは、ステージ中央、いきなりステップをぶちかました。
あちゃ、まだボーギングやってる……。
予測していたことではあったけれど。それでも、やはり複雑な気分になった。もちろん、武道館を埋め尽くした満員の観客の大方は熱狂的にそんな岡村を迎え入れた。当たり前だ。待ってたんだから。なんでもOK。けど、君はそれでいいのか、岡村ちゃん。同窓会じゃないんだ。すでに伝統芸能じゃんか、これじゃ。
いや、同窓会なんだ、伝統芸能なんだ、これが俺の確立された持ち味なんだ、という確固たる“覚悟”が岡村側にあってやってることなんだとしたら、問題なし。それはそれでOKだ。見る側もそういう気分に絞り込んで見れば、むちゃくちゃ楽しくて、かっこいいライヴだった。バンドの演奏がかなり荒かったうえ、岡村自身も気合が入りすぎていたのか、ステージ後半、「カルアミルク」の途中で突然声が死んでしまったものの、かつての当たり曲総登場といったノリの大ヒットパレード的選曲はうれしかったし。曲ごとにリアレンジもほどこされ、音圧的にもそれなりのパワーアップがなされていたし。ずいぶんと太ってしまったせいか、ジャンプがやけに低い以外は、まあ、ダンスのぶっとび具合も昔のままだったし。曲の中で披露するフェイクっぽいシャウトも相変わらず切れまくってるし。なりきりぶりも徹底しているし。エッチな一人芝居もあったし。“武道館ベイベー”も連発していたし。
楽しかった。まじ。ザッツ岡村。2回目のアンコールで、キーボードやギターの弾き語りで聞かせた即興ナンバーも、「木綿のハンカチーフ」「年下の男の子」「なごり雪」などの大胆アレンジ・カヴァーも、ソングライター/アレンジャーとしての岡村ちゃんの才能を存分に感じさせてくれるものだったし。
でも、ね。複雑な気分だったのだ。感触がほとんど5年前のままだったから。それじゃ“今の岡村”はどこにいるの? と。ふと思ってしまったのだ。そして、ぼくは言いようのないむなしさに襲われ、ちょっとだけだったけれど、がっかりした。ヤスユキちゃんがちっとも変わらずに帰ってきてくれた、それだけでうれしい……と解釈すれば何の問題もなく氷解するポイントだとは思う。でも、ぼくの視点はそのようには定まりきらなかった。彼と世代観を共有するリスナーにとってはそれでいいのかな。でも、それじゃ世代限定の懐メロ・ショーだ。そうなっちゃうとね、岡村より10歳くらい年上のぼくのような者も、あるいは5年前までに岡村初体験をすませていない若い世代とかも、もはや入り込むスキがないのさ。みんな門外漢だ。世代を超えて、たとえば“青春の想い”を共有するとか、同じ“時”を共有するためのライヴという場に出かけるとか、そういったすべての意味合いが変わってくる。
先日、加山雄三&ハイパー・ランチャーズのライヴハウス・ギグに行ってきた。観客はほとんど40〜50歳代。加山さんのいまだ衰えぬテケテケ・エレキのワザに心底楽しそうに拍手を送り、“幸せだなぁ”というセリフに大歓声をあげ、70年代のカントリー・バラード「フォー・ザ・グッド・タイムズ」のカヴァーに涙する。90年代の要素はどこにもない。間違いなく世代限定。加山雄三の全盛期を同時代的に体験していない若い世代には何が面白いのかさっぱりわからないだろう。だけど、ぼくも含めてあの空間を埋め尽くした“年寄りファン”にとっては、時代と隔絶した確固たる充実感があった。確実にあった。
それに近いんだよなぁ、感触が。今回の岡村イン武道館も。ぼくにとっては結局、先日出た久々のニュー・アルバム『禁じられた生きがい』に感じた不満を再確認するステージとなってしまった。あのアルバムがリリースされたとき、ぼくは岡村靖幸がふたたびシーンに戻ってきたという事実には限りない喜びを感じたのだけれど、それじゃアルバムに収められた楽曲そのものに対してぼくが心底魅力を感じたのかといえば、それはノーだ。この5年ぶりの新作は、よし、岡村靖幸がまた動き出したぞ、という事実を伝えてくれただけ。結局、ぼくが今聞いている彼のアルバムは、相変わらず『家庭教師』や『靖幸』のままだったりする。スローだったら「イケナイコトカイ」、ミディアムなら「カルアミルク」、アップテンポなら「どうなっちゃってんだよ」。この3曲を超える、とまではいかずとも、この3曲と拮抗するだけの力を持った楽曲を、5年のブランクを経た岡村靖幸はいまだ生み出せずにいる。
こんなもんじゃねーだろ。
と、それが今のぼくの偽らざる心境だ。彼の才能をもってすれば、こんなもんじゃおさまらないはず。20〜30歳代リスナーにとっての加山雄三になるのはまだ早すぎるよ、岡村ちゃん。
というわけで、今回の武道館。5年前までの岡村靖幸の音楽がとても素晴らしくて、それらが今もなお輝きを失っていないという事実を再確認するには絶好のステージではあったけれど。それなら、昔の岡村のCDで事足りる。ぼくはこれを“復活”とは呼びたくない。本当の復活は、今、この90年代半ばという時代ならではの岡村靖幸の名曲が生まれたときにこそやってくるはずだ。
日本ではともかく、海外ではポップ・ミュージックのメインストリームにヒップホップが本格的に台頭し、オルタナティヴ・ロックがうなりをあげたこの5年。音楽の世界だけじゃなく、バブルがはじけ、様々な事件が起こり、社会そのものも大きな価値観の変革にみまわれた。この国でも夜道で拳銃をぶっぱなされることが十分にありうる、と、そんな状況にまで時代は変わってしまっている。その間、ひたすら自分の内なる世界にこもっていたかに見える岡村靖幸には、外界でどれだけ大きな変化が起こっていたか、実感しきれていないんだろうか。いや、彼ほどの“野性のカン”を持ったクリエイターならば、きっとぼくなんか以上に実感しているはずだとは思うのだけれど。でも、まだその実感を楽曲という形へ昇華しきれてはいないような気がする。そうそう。新作を5年も出せなかったことに関して、彼は“詞が書けなかった”と説明していたっけ。彼の中でまだこの5年の価値観の激烈な移ろい具合に折り合いがつけられずにいるということだろう。
ぼくの中での岡村靖幸という存在は、その時代のビート感の中で、青春期に特有のやり場のない気分をぶちまける……という部分においてこそ意味を持っていた。どの世代にとっても永遠のテーマである“青春”を、その時代その時代の真っ只中へともっとも切実かつスピーディなやり口で持ち込んでくるダイナミズム。その担い手としての岡村靖幸の感覚と才能にノックアウト食らっていたのだ。だからこそ、当時の彼の音楽は世代の壁を粉砕して突き抜けるエネルギーを放つことができたのだと思う。あくまでも現在進行形。ここがポイントだ。が、残念なことに今、20代前半のころに作られた名曲を歌う30歳の岡村靖幸に、その感触はなかった。そんなの、ないものねだりだよ、と言われればそれまで。岡村はもともとそういう存在じゃなかったんだってことになる。ぼくの勘違い、ね。80年代後半という時代の中で、たまたまぼくの欲求と岡村の気分がクロスしていただけってこと。
新作も含めて、彼の音楽、特に歌詞は徹底的な“判断留保”に貫かれている。20歳代前半の男の子ならば、ありのまま表現しうるテーマだったかもしれない。が、確実に年齢を重ねた岡村靖幸がその世界をかつてのままのやり口で表現するというのは、かなり歪んだ在り方だ。それもまた成熟しきれない日本の現在を象徴してるじゃないか……と俯瞰で論ずることもできないわけじゃないけれど、ぼくは岡村ちゃんの音楽を、そんな達観した視点で楽しみたくなんかない。ぼくはまだまだ岡村靖幸に“過去の名曲の演者”としてだけ今を生きるような存在になってほしくない。もしそうやって生きる決心を彼がしたとしても、そりゃ、そこらのフヌけた日本のポップ・ミュージックもどきどもなんかすべて蹴散らしてしまうだけのパワーを持っていることは確かだけれど。でも、まだまだ。それじゃもったいなさすぎる。
岡村靖幸は5年前ですべてを凍結したのだろうか。5年前に作り上げた世界観を、これから時代が変わっていこうが何しようが、そのままの形で真空パックしたような音楽活動を続けるのだろうか。いや。そんなことないよね。絶対。これからだよね。ステージ途中、岡村靖幸は“俺がいなくて淋しかっただろう? でも、もうだいじょうぶ。世の中変わるぜ。俺が帰ってきたんだから。だって、俺は靖幸ちゃんなんだぜっ”とシャウトしていた。この言葉を信じるよ、ぼくは。
今回のステージも、それに先駆けて出たアルバムも、“戻ってきたぜ”というとりあえずのごあいさつ。90年代半ばを過ぎて、彼が次に何を作り出すのか。その答えはまだ先送りってことだ。ぼくはそう思っている。そう願っている。その答えが出るまで、ぼくは『家庭教師』を聞き続けるだろう。
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(c)1996 Kenta Hagiwara
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