アート331 ピカソ版画販売
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アートギャラリー
331
SANSANICHI

パブロ・ピカソ(西)(1881〜1973)



「サーカス」 サルタンバンク No.9 より

現在修復中 ご相談ください。








1905年原版制作 1913年摺り  

Bloch.9 E.D.250  ドライポイント  額装してお渡し

販売価格 御相談下さいませ。

ピカソは、1898年より版画に意欲的に取り組んでおり、中でも

サルタンバンクに取り組んだこのシリーズは、初期の傑作とされている。

本作品「サーカス」は、サルタンバンクシリーズの中の9番目の作品にあたる。

サルタンバンクとは旅芸人のことで、通常のサーカス団とは違って、
おもに路上で大道芸を披露していた人たちである。

つまり芸人のなかでも、サルタンバンクはそのなかでも最下層に属していた集団といえる。

この作品は、青の時代から赤の時代に掛けて、1905年、ピカソが25歳頃の作品である。

技法としては、ピカソ自身が銅板に細いニードルという道具で直接彫りを

入れて作った銅版画で、ドライポイント技法と呼ばれる。

薬品を使うエッチングとも違い、あやういような細い線が主題とマッチして魅力的である。

発売時は殆ど売れなかったが、版権を買い取った画商のヴォラールが

1913年に再度売り出し、版画家としてのピカソの名声が高まるきっかけとなったそうだ。




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「テレエとフェロメールの争い」
メタモルフォーシスより







1930-31年 エッチング Bloch No.110
シートサイズ 31.3×22.4
手漉きアルシュ紙

 145部限定 署名なし

¥129.600(額・税・送料とも) 

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「ピカソ、半世紀のデッサン」( Picasso. Dessins d'un demi-siecle)の表紙と裏

オリジナルリトグラフ


本の表紙と裏が、オリジナルリトグラフ作品です。額装しました。



下の画像はピカソ挿画本レゾネ(全作品集)と、掲載ページ







  Berggruen & Cie 1956年 画サイズ 21.5×23センチ 

¥105.000(額・税・送料とも) 

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リトポスター(1965年摺り)





1965ムルロー工房制作
エディション(30/125)別紙記載
枚数限定リトグラフ刷りポスター


¥84.000(額・税・送料とも)



 申し込み方法 

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1965ムルロー工房制作
エディション(30/125)別紙記載
枚数限定リトグラフ刷りポスター


¥84.000(額・税・送料とも)

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1965ムルロー工房制作
エディション(30/125)別紙記載
枚数限定リトグラフ刷りポスター


¥84.000(額・税・送料とも)


 申し込み方法 






現在、ネット販売に力を入れており、全国からご注文を戴いております。


お問い合せをお待ちしております。


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アート・サンサンイチ 

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担当 内沢



ピカソとは
(Pablo Picasso 1881年 - 1973年)

/////////出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』////////

略歴

スペインの画家。20世紀を代表する画家である。創作活動の中で次々と作品のスタイルを変え、そのたびに絵画の新境地を切り開いた。絵画以外にも彫刻や版画、陶芸にも才能を発揮するなど、生涯エネルギッシュな活動を続けた。
略歴

1881年、スペインのマラガに生まれる。美術教師をしていた父のもと、幼少時代から絵画に非凡な才能を示した。

1900年、パリに出てロートレックらの影響を受ける。1901年、友人の死をきっかけに、「青の時代」にはいる。背景に青色を多用したことから、この時期に制作した作品群は「青の時代」と呼ばれる。青は貧困や悲しみを象徴しており、貧民を題材に哀感あふれる作品を制作した。

1904年、モンマルトルの「洗濯船」 (Bateau-Lavoir)という安アトリエに入居。ここで詩人のアポリネール、後の恋人フェルナンド・オリヴィエらと出会う。この頃から「バラ色の時代」に移行し、「青の時代」より温かみのある色調で旅芸人やサーカスを主題とした作品を作り出した。

1907年、『アヴィニヨンの娘たち』を世に送り出す。この作品は今でこそ「現代美術の出発点」と呼ばれるが、当時は轟々たる非難を浴びた。

対象を分解し、複数の視点から再構築するというこの作品はセザンヌの手法をさらに追求したものであり、これをもとにジョルジュ・ブラックらと共にキュビズムを発展させていく。ピカソのキュビズムは分析的キュビズムを経て、総合的キュビズムへと至る。

1918年ごろから、キュビズムでは消し去られていたモチーフを復活させ、 新古典主義的な絵画を制作する。画面から抽象性は無くなり、おおらかでボリューム感のある人物像を描くようになる。

1937年、スペイン市民戦争でナチスがゲルニカに対し行った空爆に抗議するため、『ゲルニカ』を発表する。これは縦3.5m、横7.8mという巨大な作品である。ピカソの作品は色彩豊かなものが多いが、『ゲルニカ』はモノトーンで描かれている。死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬、などが戦争の悲惨さを訴えている。

スペイン市民戦争後にフランコ独裁政権が成立すると、以降ピカソは二度と故郷スペインの地を踏むことはなかった。『ゲルニカ』自体も長らくアメリカのニューヨーク近代美術館に所蔵されていたが、フランコ将軍の死後、1981年スペインに返還された。現在『ゲルニカ』はスペインのプラド美術館に展示されている。

その後も、様式にとらわれない作品を制作しつづけた。第二次大戦後は、「画家とモデル」をテーマにした連作のほか、彫刻、版画、陶芸なども数多く制作した。80歳代になってもその制作意欲は全く衰えず、作風はますます自由奔放になっていった。

生涯に制作した作品は約8万点にものぼる。ピカソの作品を多く収蔵する美術館として、バルセロナとパリの両方にピカソ美術館がある。また、日本では箱根の彫刻の森美術館に「ピカソ館」がある。


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