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アートギャラリー 331 SANSANICHI |
アリスティド・マイヨール(Aristide Maillol, 1861年 - 1944年) 19世紀末から20世紀前半に活動したフランスの彫刻家、画家。今日では彫刻家として知られるが、本格的に彫刻を手掛けるようになるのは40歳を過ぎてからである。 オーギュスト・ロダン、アントワーヌ・ブールデルとともに近代ヨーロッパを代表する彫刻家の一人である。彫刻家としての40年にわたるキャリアを通じて、女性の裸体像をほとんど唯一のモティーフとして制作を続けた。マイヨールの女性像においては物語性や寓意性は抑制され、モデリングは単純化されて古典主義的な調和と空間構成が強調されている。 1861年 フランスの南端、バニュルス=シュル=メールに織物商の子として生まれた。 1882年 マイヨールははじめ画家を志し、にパリに出るが、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)には入学を拒否され続け、1885年にようやく入学を許可される。ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニら、いわゆるナビ派の画家たちと親交を深める。このころ、同い年の彫刻家アントワーヌ・ブールデルと知り合い、またポール・ゴーギャンの影響を強く受けた。 1893年 生地のバニュルス=シュル=メールに戻り、絨毯(じゅうたん)やタピスリー(綴織)の工房を始めた。 1895年頃から木彫やテラコッタなどの彫刻の小品を手掛けるようになり、1900年以降はタピスリーの仕事で視力を弱めたこともあって、絵画を断念し彫刻へ向かうようになった。 1902年 当時の有力な美術商であったアンブロワーズ・ヴォラールの店で初の彫刻の個展を開いている。ロダンは、この展覧会の出品作であった「レダ」を絶賛した。こうして彫刻家に転身した時、マイヨールはすでに40歳を超えていた。 1903年にはパリ郊外のマルリー=シュル=オワーズに移転して制作を続けた。 1905年 サロン・ドートンヌに出品した初の大作裸婦像「地中海」が認められ、以後、彫刻家としての地位を確立していく。1905年は絵画の分野でフォーヴィスムが台頭した年でもあり、マイヨールは同年にはフォーヴィスムの中心的な画家であるアンリ・マティスとも知り合っている。 1908年 イタリアおよびギリシャへ旅行し、古典彫刻への理解をさらに深めた。 1934年 ディナ・ヴィエルニーという女性と知り合い、以後この女性は晩年のマイヨールのモデルを約10年にわたって務めた。 1939年 戦火を避けて故郷のバニュルス=シュル=メールに戻り、制作を続ける。 1944年 故郷で自動車事故に遭い、死去した。82歳であった。 |
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