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allein in Deutchland

97年9月20日 3日目
黒い森・ドナウの源流

黒い森へ

日付が変わって朝6時半、秋分の日だというのに夜はまだ明けていない。こちらではサマータイムを実施しているため朝も夜も遅い。朝食前に駅に行って、ジャーマンレイルパスの使用手続きを済ませる。ホテルで朝食をたっぷり取っていよいよ出発。今日はフライブルグからドイツ南西に広がる「SchwaltsWald(黒い森)」と呼ばれる地方に入る。

駅のホームにはパリ行きユーロシティ(ヨーロッパ都市間特急)52列車「ハインリヒ・ハイネ」が止まっている。客車は白地で窓まわりがグレーのフランス国鉄の車両である。2等車のオープンコーチ(日本の特急列車のように2人がけの椅子が並んだ座席配置。在来の「コンパートメント」に代わり最近普及している) の空席に腰掛けると、背もたれの傾き具合、尻の収まり具合が絶妙で椅子の座り心地が大変よい。リクライニング・方向転換の機能はなく「人を座らせる」機能に徹した椅子である。

フランクフルト出発。10分もたたずに畑が広がってくる。こちらでは市街地と田園との違いがはっきりしているため、すぐに郊外に出てしまう。1時間ほどで乗換駅のマンハイム到着。向かいのホームには高速列車のICEが入線している。ここマンハイムはドイツ鉄道の中でも有数のジャンクションであり、各ホームに特急列車が並んでいる。ここで乗り換え通路を通って隣のホームに移動、ドイツ鉄道の代表的機関車103型が牽っ張るユーロシティ「マッターホルン」に乗り換える。この列車はケルンを出チューリッヒを経由してスイスを縦断する国際特急であり、スイス国鉄の白とグレーの客車で構成されている。空席のあった喫煙席のクロスシートに腰掛ける。列車はライン川沿いに南に走っており、ライン川とは反対側の車窓左手が次第に山がちになってくる。2時間ほどでフライブルグ到着。

環境首都フライブルグ

Freiburg im Brisgau(フライブルグ)は人口20万人の、SchwartsWald(黒い森)と呼ばれる森林地帯のふもとにある地方都市である。自ら「環境首都」を名乗って様々な施策を行っているため、環境問題に手をかけている人ならその名前を聞いたことがあるかもしれない。

10時14分、特急列車を降り、郵便局にて所用を済ませてから街に出る。駅から中心部に出る道路は石畳で舗装がなされており、その上を狭軌(幅が狭い線路。日本の在来線に近い1メートル軌間ではなかろうか)の市電が走って行く。坂を少し上がって市内の中心部に出る。土曜日ということもあるが、市内の目抜き通りには人がごった返しており、教会前の市場は人だかりである。そして、どこの街でも見かけるはずの自動車がほとんど見当たらない。

これには理由があり、フライブルグでは中心部一帯への自動車乗り入れを認めていない。中心部の目抜き通りは歩行者・自転車と時々来る公共交通機関(ここフライブルグでは路面電車)だけが通れる「トランジット・モール」になっている。路面電車は歩行者をかき分けながら走っており少しく危なっかしいが、極低速で走るため事故は起きない。その代わり、都市化が進んでいない郊外部に駐車場を設け、中心部とは路面電車で連絡する、いわゆる「パーク&ライド」が導入されている。自動車利用者は郊外に車を置いて、路面電車で中心部まで出ることになる。

日本で古くからある「商店街」が衰退している理由として、新興の郊外店に対して「自動車での利用」が不便なこと(駐車場不足、駐車場までのアクセスが困難、道路の混雑など)が挙げられる。しかしこの他に、歩行客の減少により独特の「にぎわい」が感じられず、「歩いて回遊する」魅力が出せないことが挙げられるだろう。しかし、このフライブルグの目抜き通りは自動車を排除することで「歩いて回遊する」魅力(歩行者が多いことによるにぎわい、歩行客目当ての商業の活性化)に溢れており、「自動車を商店に横付けできない」デメリットを補っている。もちろん市民・行政の環境意識も影響していると思うが、商業、特に商店街に携わる人こそ一度フライブルグを見ておくべきだと考える。
同時に、筆者が興味を持っている点として「日本で自動車を用いた買い物が増加した理由」として「共働きの普及などの要因による買い物頻度の減少とまとめ買いの普及」など生活習慣の変化にに起因する要因が挙げられるが、ドイツではこの点はどうなのだろうか。

多くのドイツの都市同様に、ここフライブルグにも教会の聖堂(「キリスト教世界でもっとも美しい塔」を持つと言われる)があり、そのまわりの広場に青空市場が出ていて、野菜や果物を売っている。その中に1軒ある屋台でソーセージパンを買う。ソーセージは30cmはあろうかと言うほど長いのを2つ折りにしてパンに挟んでくれる。ソーセージの脂と温かさがこの上なくおいしく、「ソーセージの国」にいることを実感する味がした。出入り自由になっている聖堂の奥の方で結婚式をやっていた。

市電で郊外部まで出る。太陽の日差しは暖かく、広々とした果樹園と住宅と緑が広がっている。その中を走る路面電車の軌道には芝生が敷いてあるが、これが景観上・騒音防止上大変よい効果を産み出している。市の中心部からわずか5分でこのような風景に接することが出来る都市に移住したくなる。

地獄谷を這いあがる

12時40分、フライブルグから黒い森を分け入る「Hoellentalbahn(地獄谷線)」の普通列車に乗る。客車は新型の2階建て客車の3両編成であるが結構混んでいる。一番後ろは本格的な運転台(推進運転用)があり、その1階部分は自転車スペースになっている(出入口も他と比べて低い)。これを引っ張るのは旧DR(東ドイツ国鉄)の新型万能機、143型機関車である。

列車はフライブルグを出ると、ジリジリと坂を登りトンネルを低速で通過して行く。森林の黒い断面や台地集落を縫って厳しいスロープを列車は昇る。「そろそろ休もうよ」とこちらが問いかけたくなるほど粘り強い登坂だ。電化は途中のNeustadtという駅までであり、ここでディーゼルカーに乗り換る。勾配区間もここまでであり、平坦な牧草地の中を2両編成のディーゼルカーが走って行く。14時15分、宿泊地のDonauessingen(ドナウエシンゲン)到着。

ドナウのふるさと

ここドナウエシンゲンは、標高700mの山間の街である。市内を東西に小川が流れているが、この川はウイーン・ベオグラード経由で黒海に注ぐ「ドナウ川」の源流である。ここから50km遡ると、黒海と北海(ライン川水系)の分水界があり、地獄谷線はこの分水界を越えてきたはずである。市内には「ドナウの泉」という泉がある。泉は市教会の麓にあり、石造りの母子像と壁に囲まれている。「Bis zum meere 2840 kilometer(海まで2840km)」ドナウ川の流域は、チャウシェスク大統領夫妻の処刑が行われたルーマニア、第1次世界大戦の震源地となったバルカン、多民族国家の瓦解と混乱の舞台となったユーゴスラビア等、近現代史の舞台の数々を直接縫って流れる。その起点はあまりに平和な南ドイツの集落だったことに複雑な気持ちにさせられる。

駅前に戻る。駅前は建物は密集しておらず、少し離れたところにお店やら住宅やらが並んでいる。通行人はあまりいない。うららかに陽が射し、客待ちのバスも暇そうだ。

この日は「Ochsen」というホテルのバス・トイレなしの安い部屋を取る。朝食抜きで35DMは安い。夕食はこのホテルの1階のレストランでとる。中はさながら「社交場」のにぎやかである。値段の安いものを適当に注文。最初しばらくはビール(この街で作っている地ビール)とサラダだけしか来ない。それでチビチビやっていると豚レバーのソテーが出された。

続き(9.21:シュツットガルトからニュルンベルグまで)


更新日 2005.1.26
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