微笑みの国の島 (1995年1月)

 結婚20周年の記念に、ビジネスクラスの航空券を手に入れてプーケットへ。
憧れて憧れたホテル「アマンプリ」。
3年前に旅行雑誌でその記事を読んでからずっと夢見てきた。
そこはまるでシャングリラ(桃源郷)のように思えたのだ。

 成田からバンコク経由でプーケットへ。
バンコクまではビジネスマンが多く、ネルのシャツにジーパン姿の私たち二人だけが浮いていた。
さすがビジネスクラスってだけのことはある。
ところが乗り継いだ途端、周囲はリゾートに出かける欧米人に入れ替わっていたのだ。
軽装でサンダル履きの彼らの中で、冬服の私たちはさっきまでとはまた違う意味で、
二人だけ浮く羽目となってしまった。これで本当に良いのか?
初めてのリゾート旅行は不安でいっぱい。

 私の体調は最悪だった。
前日まで仕事に追われ、バンコクに着いた頃から頭痛を感じていた。
どうにかプーケット空港に降り立ったときには、疲労はピークに達していた。
それでも3年も夢見てきた旅行。
リムジンの運転手の控えめで、なおかつ丁寧な出迎えを受け、夢の実現を実感。
車の中は花の香りに満たされており、冷たいタオルをサービスされた。
タオルはジャスミンの香りがした。
それなのに、結局体の方が悲鳴を上げ20分の移動に耐えられなかった。
絵に描いたような乗り物酔い。
二つものゲートを潜り抜けてたどり着いたアマンプリ。

コンシェルジェに香り高い花の首飾りを掛けて貰い、静かにパブリックスペースを案内される。
暗いはずの海が海中からライトアップされ、大階段の下にもう一つプールがあるのかと思われた。
幻想的で、美しい眺め。綺麗だった。
ただ、あまりにも私の顔色が悪いので、コンシェルジェが早々にパビリオンに連れて行ってくれた。
そして冷たいミネラルウォーターを私に与え、合掌して去っていった。
その心遣いがありがたく、思い切り手足を伸ばして横になった途端、爆睡。
おかげで、ウェルカムシャンパンはすべて相方の胃の中に消えてしまった。
何度思い出しても悔しい。カムバーック!マイ シャンパン!!

40室しかないパビリオンの為でもあるのかも知れないが、
部屋番号と名前を伝えたのは最初のただ一度だけであった。
後からは、スタッフに名前で呼びかけられ、食事もバーも全てノーチェックだった。
スタッフが、宿泊客の部屋番号と顔を覚えて対処してくれるのだ。



 パブリックスペースのプールはブラックタイルでできており、
まるで鏡のように空や建物を映し出していた。
プールサイドのガゼボでは、日が沈むと静かなガムランの音楽を奏でていた。
見る物聴く物全て初めてで珍しく、体力回復した私はその雰囲気を余すことなく堪能した。



夕暮れの海岸ではかがり火をたき、予約者のみのバーベキューディナーが行われている。
ゲストが自分で並べてある素材から選び、スタッフが調理して波打ち際のテーブルまで運んでくれる。
こんなに上品なバーベキューは、今まで知らないと思うほどの美味しさだった。
ただ、私が頼んだイカが、良い香りだけを漂わせて焼かれ、
私が食することなく何処へか消えてしまったことが、何度思い出しても残念。
私のイカを食べた人!!返せ!!!



ワインもワインクーラーで十分に冷やされ、
気づくといつの間にかスタッフがグラスに注ぎ込んでくれた。
それがあまりにも自然な動きで、思わずシャブリを2本飲み干してしまった。
勿論、食事前にバーで食前酒を飲み、食後バーでカクテルを飲んだ。
思うに…よく飲んだなぁ。
到着日だって乗り物酔いさえなければ、元気いっぱいだったのだ。
乗り物酔いか酒酔いなら、酒の方が良いに決まっている。

アマンプリのプライベートビーチは、こぢんまりとしている。
たかだか40室しかないホテルだから、あんまり広いと淋しくなってしまうのかも知れない。
大階段を下りるとビーチがある。
なぜか皆一番始めに選んだデッキを、毎日選ぶようだ。
私たちが選んだのは、岩の近くの日陰が多いデッキ。ともかく暑い。



大人のリゾートなので静かで落ち着いているのだが、
アメリカ人と思われる若い夫婦が一歳半くらいの女の子を同伴していた。
おとなしくてかわいい赤ちゃんで、スタッフはもちろん宿泊客からも大人気で皆のアイドルだった。
パブリックスペースに現れるのは、もっぱらビーチとプール。
レストランやバーでは一度としてお目にかからなかった。
あぁ、子供は騒ぐもの。
静かに過ごしたい人達のためにルームサービスにしていたのだろう。
これが西洋のマナーなのかと、改めて実感した思いがした。

   

  私はといえば、片言でも日本語を話してくれるスタッフのいないホテルに初めて泊まり、
それでも単語を並べる離れ業でスパに単身乗り込むなど、言葉で往生していた。
しかし彼女とだけは、無言のバイバイで意思疎通が図れ、どんなに救われたか・・・
彼女の母親とも目礼を交わせるようになり、会話はなくとも嬉しかったな。

当時はまだパソコンを持って歩くようなことは考えられない時であり、
小学生だった子供との連絡は毎日かける国際電話のみだった。

忘れもしない1月17日。

連休あけのせいなのか、何度電話しても回線がいっぱいで日本に繋がらない。
はじめの頃は「勤勉な日本人」と、連休あけの混雑と思い込んでいた。
ところが何時間たっても一向に回線が繋がらない。
変だ。何か起こった。
10数回ダイヤルを回しつづけた。
疲れて伴侶とバトンタッチしたとたん、かろうじて
我が家の電話機の呼出音が聞こえてきた。
「阪神淡路大震災」東京の片隅にある我が家は無事だった。
ただあまりにも被害が大きく、不安がっているのではないかと旅行途中の帰国も考えたのだが、
「東京は問題ないから、予定通りで大丈夫。」との言葉に促され、
18日にシンガポールへ移動することにした。
テレビもなく、(浮世を忘れる為、わざと設置していない)遠い国の地震のニュースは
プーケットを出るまで目にすることはできなかった。
ただ、スタッフの年配の女性が不安な表情の私に、英語で声をかけてきてくれた。
「どうしたのですか?」

「私の国で地震が起こった。子供が国にいる。胸が痛い。心配だ。」
片言の英語で、単語を並べるだけの英語なのに
、彼女は胸を抑え私の手を取って一緒に心配してくれた。
そして「子供と話せた、子供は無事」とも伝えると、
「良かった。神様が守ってくれる。」と、本当に暖かい微笑をくれた。

暖かな微笑の国。

憧れの「アマンプリ」。今、密かに企んでいる。
30周年記念に、もう一度行こう。子供だった連中も若者になり、独立していく。
あの頃はシュノーケリングも出来なかった。今なら何でもトライすることが出来る。
あれもこれも出来るけれど、何もしないでもいられる。
「アマンプリ」を楽しむ余裕も生まれてきた。



願わくは、アクシデントがありませんように。
平和でありますように・・・すべて無事でありますように
・・・そして、あのやさしい微笑みに再び巡り合えますように。

旅程
  1995年1月14日 成田発 TG641便 バンコック経由 プーケット着
        〜 17日 プーケット アマンプリ 泊 http://www.amanresorts.com/
        1月18日 プーケット発 ペナン経由 シンガポール着
        〜 19日 シンガポール ラッフルズ泊 http://www.raffles.com/
        1月20日 シンガポール発 SQ012便 成田着





再びAmanpuriへ (2005年9月)

2005年1月に予定していた結婚30周年のハワイ旅行を
仕事の都合で休暇がとれずキャンセルし、
仕事が落ち着くと思われる9月にプーケット島のAmanpuriへいくことにしたのは、
2月の末であった。

このとき、プーケット島は2004年12月に発生したスマトラ沖地震による大津波のため
大きな被害を受けて観光客が激減し、
復興への対応策の一つとして観光客を呼び戻すため、
Amanpuriも10月いっぱいまでは宿泊料金を半額にするキャンペーンをおこなっていた。
このキャンペーンにのって、
普段では高額すぎて泊まることはできそうにない
デラックッス・オーシャンビュー・パビリオンを予約した。


9月17日夕方プーケット空港に到着したときから
「9月のプーケットは雨期でアンダマン海からの季節風による高波が打ち寄せ、
マリンスポーツや観光には適さない時期」と観光案内書に書いてあるとおりの天候が続いた。
いつもリゾート内でのんびり過ごし
ホテルから外に出ることが少ない我々にとってはたいして苦にはならなかったが、
このまま滞在中ずっと天気が悪いのでは、
日焼けしない南の島旅行となるのではと思われた。

18日夜は中秋の名月が全く見えなかったが、
19日の明け方は時々雲の切れ目から名月をみることができた。
しかし、海は相変わらず大荒れで海岸に出る状況ではない。





20日は多少天気が回復し夕日を眺めることができたが、海はまだ荒れていた。

21・22日は晴天に恵まれて波も治まり、海へ出ることができた。
雨期とはいえ1週間も悪天候が続くことはないようである。

しかし、出発日の23日は天気が崩れだし、やはりこの時期は雨期であった。


昨年の大津波の被害はAmanpuriでは、すでに復旧しているのか、
10年前と同一の作りではないこともあり、あまり感じられなかった。
AmanpuriのあるパンシービーチにはChediというホテルがあり、
このホテルの海岸に面したコテージは数棟が壊れた状態であった。
やはり、かなりの津波が押し寄せたようである。












旅程        
2005年9月17日 成田発 JL717便 バンコック経由 TG217便 プーケット着 
       〜22日 アマンプリ泊                       
        23日 プーケット発 TG218便 バンコック経由 JL718便      
        24日 成田着