新撰組ツアーin京都3

実行年月日:2003年3月21日(祝)
コース案内:西本願寺→天満屋事件跡→北小路の変跡→油小路の変跡→伊藤甲子太郎暗殺の地→近藤勇妾宅跡→不動堂

西本願寺・太鼓楼 西本願寺HP

永倉新八の記述によると「壬生手セ間ニ付西六条境内学林寺ヲ借リ本堂ヘノ境江矢来ヲコシラエ十二月引移ル」とあるように、壬生の屯所が手狭となり、西六条境内学林寺(西本願寺北集会所)を借り、竹や丸太で組んだ仮住まいをこしらえて引越しをしました。

 
太鼓楼

この建物は、直接新撰組と関係がないかもありませんが、仮屯所があったあたりにあったここを毎日、新撰組の隊士が通ったことでしょう。この太鼓楼は、時を告げたり、法要を知らせる太鼓を備える重層の楼閣建築です。この太鼓の音を隊士も聞いていたに違いありませんね。

西本願寺については、日々剣術砲術の稽古をしていたようですが、「門主ガ御髪剃ニ出タ時大炮砲強薬ニテ打ト門主驚キ後ロエヒツクリ返ル」とか「イジワルク門主ガ本堂江参ルトキヲ聞キ調練致イタス」とあるように、西本願寺側とはあまり上手くいってなかったようで、新撰組が西本願寺側にいやがらせをしていたような書き物が残っています。後に会津藩や京都守護職を使って追い出そうと策略しましたが、それが裏目に出て壬生に砲術稽古場を西本願寺の費用負担をもって建てたり、不動堂村に屯所を新築して移り住ませたりすることになったようです。西本願寺移転問題で藩内批判を行っていた副長の山南啓助は脱走、隊に連れ戻されて切腹させられることになった。慶応元年2月23日。穏やかな性格が伝えられている山南さん。。。変わっていく新撰組を見て、あなたはどんな気持ちだったのでしょうか。

天満屋事件跡 下京区油小路正面上ル西側

紀州和歌山藩の三浦休太郎は、油小路の天満屋を常宿としていました。三浦は、紀州藩で国事に尽力し、万事に用いられていた人物である、その三浦を薩・土は邪魔だったので、暗殺しようと付回していたようです。そこで、紀州家より新撰組に警護の依頼があって斉藤一ら7人で警護しましたが、多勢の相手に苦戦を強いられた戦いだったようです。

  

西本願寺前の前の堀川通りを渡ると門が見えます。その門をくぐる形で、路地のほうへ入ってすぐの道を右へ折れ50mほどあるくとお地蔵さんが祭られています。そのとなりに、ひっそりと立つ石碑が天満屋事件の跡地です。まわりはマンションになっていて分かりづらいです。

北小路の変跡

天満屋事件の応援部隊が同士討ちをした場所だと言われています。
天満屋襲撃を聞いて不動堂屯所から(たぶん正面)から駆けつけた新撰組と西本願寺側(たぶん右筋)から駆けつけた紀州藩が鉢合わせして、お互い敵だと勘違いして同士討ちをしかけましたが、間違いに気が付き死亡者はでませんでしたが、本来の敵を逃してしまったようです。


方向に関しては、ZOOの推測です。方向からして正面の先が不動堂屯序方面であり、西本願寺は右手にあるので、鉢合わせするとしたらこの方向が一番理解しやすいと考えました。

油小路の変跡

油小路と七条通りが交差する場所が油小路七条の辻。新撰組に入った勤王派伊藤甲子太郎は、めきめきと頭角をあらわし、政局を読む手腕は近藤より一枚上手といわれ伊藤派が近藤派と反目するようになった。後に御陵衛士の高台寺党を結成し新撰組から離脱していたが、近藤が差し向けたスパイである斉藤一から近藤暗殺の計画がもれ、近藤らによって伊藤甲子太郎は暗殺されることになった。その遺体を囮として、息絶えた伊藤甲子太郎の遺体を100mほどひきずってここにおかれたらしい。その遺体を引き取りにきた高台時派と待ち伏せしていた新撰組との激しい戦いが行われていたようです。ここでは、試衛館以来の同士である藤堂平助が高台寺派にいましたが、近藤は「藤堂がくるかもしれないが、もし見えたら命を助けるように」と永倉新八、原田左之助に言い渡していてもとよりそのつもりだった両人だったが、事情を知らない三浦常三郎に切られ討ち死にした。

伊藤甲子太郎暗殺の地(本光寺)

 

七条通りを渡ってその先へ行くと本光寺があります。
慶応3(1867)年11月18日伊藤甲子太郎は、近藤勇妾宅の帰り道ここで新撰組の刺客に襲われれ、本光寺門前の石碑の前で息絶えたと言われています。なぜ自分が暗殺しようと思っている近藤のところへ伊藤は出向いたのでしょうか?以前より伊藤が近藤に借金を申し込んでいたので、そのことを口実として呼び出されたようです。護衛を4人ほど連れて夜の8時ころ席をたった伊藤は、この近くで待っていた刺客の槍が突然付近の板囲いからつきだされ、深手を負いながらも応戦したようです。その石碑がる場所は、山門の前にありましたが、現在は道路よりに山門が移動したので山門の奥になっています。「伊藤甲子太郎説明書き1部50円」の張り紙があったので、ブザーを押して待っていましたが、誰も出てきません。門が半分開いていたので、声をかけると尼僧さんが「中に入ってきてください」と言われたので、入って説明書をいただきました。そこで、伊藤甲子太郎の説明を少ししてくださって、石碑は門を入ったすぐのところにあります。と教えてくださいました。写真をとりたいのですがと言うと「どうぞ」と言われたので、お礼を言って写真をとりました。

 
南無阿弥陀仏と掘られた石碑とその前の道路(ここで壮絶な戦いがくりひろげられたのかしら?)

近藤勇妾宅跡?

近藤勇はこのあたりに休憩所と称して、妾と一緒に住み屯所に通勤してらしいのですが、(新撰組は伍長以上は許されていた)だいたいこのあたりだったと言われているが、定かではないらしい。この近くに原田左之助の家もあり(左之助は正式に結婚していたらしい)そこも休憩所として使われていたそうです。

休憩所沖田総司が休養していると聞きつけて、御陵衛士の残党が襲撃するといった事件もあったようです。


不動堂 明王院

 

新撰組屯所があった不動村の名前の由来になったお堂。新撰組の隊士もこの前を通ったのかもしれないと思うと心が躍ります。この不動堂に、縁結びのご利益がるというので、さっそくあやちゃんに、お参りするように進めました。(必死にお願いするあやちゃんと題して写真を撮ろうとしましたが、強く断られましたので残念ながら、載せられません。。。チッ!)


今回のおまけ

本光寺さんの近くで油屋さんを見つけました。京都の昔ながらのお店って言う感じの素敵なところです。中に入ってみたいと思ったのですが、気後れしたZOOはパスしちゃいました。入っておけばよかった。。。(後悔)


一升瓶に、さらだ油とか商品名が書かれていました。レトロな感じがおしゃれなお店です。

京都駅に戻ったZOO達はちょっと甘いものでもと思って、駅ビルに入りました。京都駅の名物大階段まで上がってみると。。。

コナン君だぁ〜〜。映画名探偵コナンの絵が大きく書かれていました。逆光で見にくいのですが、すごい迫力です。そういえば、今回は京都が舞台だったんだ・・・・。とすると名探偵コナン君ツアーするか?って、、うそです。(たぶん・・しないと思う。。。。でも)

また、京都駅ビルB2Fには、駅ビル5周年を記念して作られた。手塚治虫さんの「火の鳥 水 時計」があります。

過去から未来への象徴して火の鳥を中央に置き、小宇宙の営みが途切れず続く永遠性を表現しているそうです。火の鳥のしたにあるガラスの地球の中には、本物の水琴窟が埋め込まれていて、そこから清らかな音がしています。心が癒されるその音をぜひ聞いてみてください。


新撰組ツアー4

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