ひとりじゃない

構想・打鍵:Zeke

 この作品はフィクションであり(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を使用しております。
 尚、ここに登場する、人物、名称、土地、出来事、名称等は実際に存在するものではありません。



「ととっ…」
 唯が海に引きずり込まれたちょうどその頃、前出の彼もボード上でバランスを崩して
海に落ちていた。ちょっとした風に煽られたのだが、
「変だな?」
 本人はちゃんと風を計算に入れてセイルを操っていたつもりだったらしい。とは言え、
所詮は初心者。何か未知の原因があるのだろう、とボードによじ登ろうとして…
 くんっ…
「ありゃ?」
 思ったよりボードが自分から離れていることに気づいた。もちろん足首に巻かれたハー
ネスがあるので、一定距離以上離れる事は無い。だが、ボードはまるで意思を持ってい
るかのような勢いで彼の身体ごと沖を目指していた。
「おいおい、まさか竜宮城へ向かってるのか?」
 などと軽口を叩いてはいるが、結構な速さで流されている現実に焦りが出始めていた。
ライフジャケットを身に着けているので、すぐに溺れる心配は無いが、沖に流されてい
るという恐怖での焦りだった。
「落ち着け〜 落ち着け〜」
 自分に言い聞かせながら、彼は先ず、自分とボードを繋ぐハーネスを外しに掛かった。
2度3度と失敗し、4度目になってようやく成功させると、重しを解かれたボードは見
る間に彼から離れていく。
「やれやれ…」
 取り敢えずホッとした後、あのボードは誰が弁償するんだ? という不安が頭を掠
(かす)めた。まあ、保険は入っているので何とかなるだろうと、浜に向かって泳ごう
という段になってまたもギョッとした。
 流されている。若干流される速さは落ちたが、沖に向かって流されていた。

 海水浴場に限らず、海岸にはリップカレントと言われる現象が起こる。『離岸流』と
書けば聞き覚えがあるかもしれない。海岸から沖に向かう流れの事だが、速いものにな
ると秒速2メートル程にもなるという。単純計算だが、“100メートルを50秒で進
む”と書けば如何に速い流れかわかるだろう。なにしろ水泳の男子自由形(100メー
トル)の世界記録は48秒弱だ。
 オリンピックの自由形金メダリストでも容易に進めない流れの中を、足掻き藻掻いた
彼は遂に力尽き、ボードの後を追うように、沖に流されて行った。


※
 さて、運動能力を計る上で、体格の差というのは(例外も多々あるが)大柄の方が有
利になる。水泳ならば間違いなく是といえるだろう。もちろん技術でそれを補う事も可
能だが、長いリーチと大きなストロークを利した洋子の泳ぎの前では、多少の技術差な
ど無いも同然だった。
 最終的に、圧倒的と言って良いほどの差を付けて岩場に辿り着いた洋子は、後を追っ
て来ている筈であろう愛衣に向かって、左手を高々と突き上げ勝利を宣言した。それに
気付いたのか、或いは開き過ぎた差に自ら敗北を認めたのか、愛衣はクロールから平泳
ぎに切り替え、残り20メートル程の距離をゆるゆると泳ぎ、岩場に取り付いた。
「いやいや。流石の愛衣姉も年には勝てないか」
 呵々と笑いながら洋子が手を差し伸べてきたが、そこまで言われては手を借りる訳に
も行かない。愛衣は自ら岩場によじ登り、
「年は関係ないでしょ。明らかに体格の差よ」
 我ながら負け惜しみっぽいか、と思いつつその場に腰を降ろす。
「なるほどなるほど。私が今までずっと愛衣姉に勝てなかった訳がようやく分かったよ」
 こちらは勝者の余裕か、過去の敗北も今日の勝利の為だった、てな感じで余裕の表情
を浮かべている。実際、3年ほど前までは愛衣の方が背が高く、(あらゆるジャンルに
於いて)どんなに洋子が頑張っても愛衣を負かす事は出来なかったのだ。
「そうよ。年とか運動不足は関係ない」
「なんだ。自覚してるじゃん」
 年齢は兎も角、運動不足の方はかなり深刻だった。思ったよりも体力を消費したとい
うのが実感だ。タカが知れているとずっと思っていた体育の授業も、今にして思えば結
構な運動になっていたのだろう。
「そんな事じゃ、その内単車にも乗れなくなるぞ」
「否定する気は無いけど、体力云々の話でもないわよ、あれは」
 普通にツーリングを楽しむならばそれは正しいと言えた。だが、
「あれま。勝負を決めるのは体力と体力に裏付けられた闘争心だって事を叩き込まれた
愛衣姉とも思えないセリフ」
「ああ、そう言えば今は亡き爺様がそんな事を言ってたわね」
 二人の師である愛衣の実祖父。柔道と合気道合わせて15段という猛者だが、後継者
問題から来た心労で…
「死んでないだろ。ていうか、あれはロードローラーで挽き潰しても死にそうにない」
 …寝込んでいるのだが、それが狂言であるというのは関係者全てが知っている事実だっ
た。何故そんな事になっているのかというと、それは外伝を参照。
「ま、どっちにしても今更道場通いを再開する気にはなれないわね」
 運動不足の解消にはなるだろうが、迂闊に顔を出すと後継者問題に巻き込まれかねな
い。
「ま、最近はナマった身体に鞭打つほど殺伐としてないし…。ていうかさ、性格が丸く
なったよな愛衣姉」
 くっく…と洋子が喉を鳴らす。
「なにそれ。以前は刺々しかったって言いたいワケ?」
 本人はやや怒った様な声で言ったつもりなのだが、洋子的には苦笑まじりの声に聞こ
えた。つまり、これまた愛衣自身が(自分の性格が丸くなった事を)自覚しているとい
う事なのだろう。
「してたしてた。もう触れれば切れるジャックナイフみたいにさ。そう考えると、やっ
ぱり愛美さんは偉大だ」
「愛美?」
「だって愛美さんのお陰で愛衣姉は社会復帰出来たようなもんだろ? マスターが言っ
てた。愛美さんは将来良い保育師か猛獣使…じゃなくて調教師になれるって。癒し系っ
てヤツ?」
「なるほど… 私は幼稚園児か猛獣ってワケね」
 などと言っているものの、(幼稚園児と猛獣云々は兎も角として)愛衣自身もそれが
間違いだとは思わなかった。あまり認めたくは無いのだが…
「しかし、ここで男が出て来ないってのが実に愛衣姉らしいやね。マンガなんかだと人
畜無害そうな少年が、堕落しかけている少女を救うって展開になるんだけど」
「はいはい。人畜無害そうな少年が洋子の好みなワケね。樹くんなんか良いんじゃない?
多分断られるだろうけど」
「あいつは人畜無害なんじゃなくて気が弱いだけだ。私はやっぱ私より強いヤツじゃな
いとな」
「それはまた… 随分と高いハードルを設定したわね」
 どこぞの格闘家のようなセリフに愛衣が嘆息する。
「いやー、愛衣姉ほどじゃないよ。なにしろ年齢=彼氏イナイ歴。余程理想が高くなきゃ
こうはならないだろ?」
「年齢=イナイ歴なのは洋子も同じでしょうが」
 お互い様だと言わんばかりに反論するが、洋子にとってはそれが保険というか免罪符
なのだろう。
「あ、安心していいよ。愛衣姉を差し置いて男を作るような事はしないからさ」
 という結論になる。そして蛇足。
「でもハードルは下げた方が良いと思うぞ」
 普通ここまで言われたら反論の1つや2つあるはずなのだが、
「はいはい。優しい妹分にめぐまれて、私は嬉しいわ」
「む…、その態度。なんか微妙に馬鹿にされてるような気が…」
 絶対の自信を持って披露した手品のタネを見透かされているような、そんな気分。
「別に馬鹿になんてしてないわよぉ。私の事なんて気にせず、彼氏でも何でも作ったら?」
 言った本人の意図がドコにあるか不明だが、洋子の頭の中では『作れるもんならねー』
という言葉が付け加えられた挑発的な発言になった。
「じ、自分の事を棚に上げて、良くそんなセリフが…… って、まさか…」
 ここまでの経緯(というか、愛衣の余裕)から『とある仮定』を導き出した洋子が、
じぃっ…と、姉代わり兼幼馴染みの目を見据える。
「な、なによ」
 その目に怯む愛衣。この程度の会話でバレるとは思わなかったらしい。が、それは大
きな間違いだった。如何に洋子と言えど女子校生である。唯や綾子をはじめ、周りがお
年頃の少女だらけであれば、相応の感性が身に付くというものだ。
「まさかまさかまさか…」
 ずずずいっ… と間を詰めて行く洋子。反対に後退りしようとする愛衣だが、岩場に
阻まれた。
「ん――…、しかしここで『誰?』と聞いても愛衣姉が素直に吐くとも思えない……け
ど、一応… 誰?」
 追いつめた者の余裕からか、猶予を与える。果たして愛衣の回答は洋子の想像通りだっ
た。
「だから、なんの事よ」
 取り敢えず惚けてみた。
「ふーん… 私に教えないって事は、私が知らない人って事かぁ。若しくは教えたくな
い?」
 後者正解。尚も斜に構えて聞こえるようにひとりごちる。
「愛美さんに聞けば わっかっるっかなー♪」

 想像してみる。

洋 子:『愛美さーん、愛衣姉に男が居るって知ってる?』
愛 美:『え? 何それ初耳。詳しく教えて!』
 ……となれば良いのだが、かなり自分に都合良く愛美にバイアスを掛けてしまった。
補正してもう一度。

洋 子:『愛美さーん、愛衣姉に男が居るって知ってる?』
愛 美:『え? えー…っと、それって愛衣ちゃんから聞いたの?』
 バレバレ。と言うかその場に本人が居たら、
龍之介:『ふふふ。バレてしまったものは仕方がない。愛衣は俺に惚れてメロメロ…』
洋 子:『あーわかったわかった。わかったから少し黙っててくれ』
 龍之介本人が言っても信用されるとは思えないので、こっちはあんまり心配する必要
は無さそうだ。

「なるほど。愛美さんは知っている…と」
 表情から読まれたらしい。これは長年の付き合いと言うより、それほどわかりやすく
動揺していたという事だろう。
「くっ… 悲しすぎるぜ。愛美さんには教えて私には教えてくれないなんて」
 そう言って涙を拭う仕草。龍之介同様、これまた判りやすい嘘泣きだ。と思ったら、
洋子はいきなり身を翻して海へ飛び込み、わっさわっさと浜へ向かって泳いでいってし
まった。その様をポカンと見送った愛衣だが、次の瞬間その意図に気付き自らも海へ飛
び込んだ。先程の勝負を考えれば追いつけるワケはないのだが、不思議な事に洋子との
差が見る間に詰まってくる…というか、明らかに本気で泳いでいない。

「ふむ。そんなに必死になって追ってくるって事は、余程知られたく無い相手って事か」
 自分の手の平で踊っている愛衣を見て満悦したように泳ぎを止めた洋子が頷いた。何
かどんどんドツボに嵌っていくような気がする。なんとか体勢を立て直して、
「そう言うこと。知ってもロクな事にならないから諦めなさい」
 平常心を装って切り返す。が、もちろん洋子の好奇心にブレーキを掛けることは出来
ない。
「そっか。じゃあ私の胸の内だけに留めておいてあげるからさ」
「………」
「………」
 押し黙る愛衣に、目で“早く早く”と洋子が急かす。取り敢えず『人の話を聞け』と
言ってやりたかった。無言の十数秒が過ぎる… と、
「……愛美さーん」
 がしっ…
 愛美の名を呼んで再び泳ぎだそうとする洋子の腕を無言で掴んで止める。
「……」
「……」
 再び訪れた沈黙の後、愛衣はひとつ溜息を吐くと、
「で、それを知って洋子はどうするつもりよ。からかいたいだけならもう十分でしょ」
「む、そーゆー言い方は無いだろ。一応これでも心配してるんだから。ていうか、本気
で悲しいぞ。私だって愛衣姉が選んだ相手なら大丈夫だとは思ってるけど、そこまで必
死に隠そうとしていると逆に不安になる」
 愛衣にとってそれは痛い所を突いていた。
「あー… まあ、それは……ごめん」
 それについて素直に謝り、
「その…一概に“大丈夫な相手”とは言えないのよね… 年下だし…」
 ボソボソと喋り出す。
『あー、やっぱり年下だったか』
 と茶化したかった洋子だが、そこはぐっと堪えた。ようやく此処まで漕ぎ着けたのに、
わざわざ混ぜっ返す事はないだろう。代わりに、
「うんうん」
 と2度肯いて先を促す。逆に、それを機に混ぜっ返すつもりだった愛衣は「はあ」と
溜息を吐き、
「そんなに知りたきゃ教えて上げるけど‥‥」
「分かってるって。誰にも言わな‥‥」
 言われなくても分かっているよ、とばかりに答えるが、どこか思い詰めたような顔を
している愛衣を見て、言葉を飲み込んだ。
「多分、知っても言えない相手だからそれは心配してない。それより不安なのは、“名
前を聞いて洋子が私の味方じゃ無くなっちゃうんじゃないか”って事」
 知っても言えない相手って誰だろう? と一瞬思ったが、後に続くセリフは聞き捨て
ならなかった。
「私が愛衣姉の敵に回るってか? 100%あり得ないね。例え相手が‥‥」
「龍之介でも?」

 洋子的には“例え私が惚れた相手でも”と続けるつもりだったのだが、龍之介に惚れ
ているわけでは無いので、益々あり得ない話だと思った。というか、
“龍之介って誰だっけ?”
 というのが瞬間的に彼女が抱いた印象だった。確かに何処かで聞いた事がある名前だ
が‥‥
“ああ、確か綾瀬の名前が龍之介だったっけ”
 この間、大体0.7秒ぐらい。それから、
“なんで愛衣姉の口から綾瀬の名前が出てくるんだ?”
 という疑問で+0.3秒。
 そこで思考が停止した。何かが、あり得ない速さで近付いて来るのが見えたからだ。
 突きつけられた現実に、口が動くよりも先に身体が動いていた。

 愛衣にしてみれば、全く予想外の展開だった。なじられる程度の事は覚悟していたが、
まさか掴みかかってくるとは思わなかった。その反面、
“まあ、仕方ないか”
 と思わないでも無かった。親友が想いを寄せている相手を、姉と慕う人間が横取って
しまったのだから。
 それだけでは洋子の怒りは収まらなかったのか、海中に引きずり込まれると同時に、
左腕にもの凄い衝撃を与えられた。殴られたのだろう。‘殴る’という行為で洋子が如
何に逆上しているかが感じ取れた。基本的に彼女たちの‘戦術’は受け身なのだ。余程
のことが無ければ打撃系は使わない。
 そんな事を考えられる程冷静な自分にちょっと驚いた。
“でもこれって酷いくない?”
 ついさっき、「敵に回るなんて100%あり得ない」と言って置いて、舌の根も乾か
ない内にこれだ。
 当の洋子は一撃加えた事で落ち着いたのか、組み付いたまま動かない。そのまま浮力
だけで海面に浮かび上がる。浮かび上がった後も洋子は愛衣から離れようとしなかった。

「あんたねー いくら頭に来たからって殴る事は無いでしょ、殴る事は」
 暫く経っても何も喋らないので、仕方なくこちらから口を開く。重苦しい雰囲気を払
拭したかったので、出来るだけ砕けた口調で。そんな愛衣の思惑は相手に伝わらなかっ
たのか、相変わらず返事は無かった。
「ちょっと、いい加減…」
 離れなさいよ、と言いかけた時、異変に気付いた。と同時に視界の片隅を何かが掠め
る。何気にそちらへ視線を巡らす。驚くほど近くに、手を伸ばす必要がないほど近くに
サーフボードが漂っていた。
 なんでこんな所に… と考えようとした瞬間ゾッとした。
「洋子っ!」
 先程から離れようとしなかった洋子の耳元で怒鳴り声に近い声で呼び掛ける。無反応
だった。ただ、海水に浸かっていた時間がごく短かったおかげか、呼吸だけは確認でき
た。しかし呼吸が無いから意識が無いという可能性が無くなっただけであり、決して楽
観は出来な状況だ。取り敢えず洋子の身体を安定させる事が最優先だと判断した愛衣は、
手近な浮遊物(皮肉な事にそれは彼女等を襲ったボードだった)に手を伸ばそう……と
した瞬間、腕に激痛が疾った。殴られたと思っていた腕は、ボードが腕にが当たったか
ららしい。折れては無さそうだが、気軽に動かせる状態でも無かった。
「ごめん」
 ほんの一瞬でも洋子を疑った事に対しての謝罪。だからこの程度の痛みには耐えなけ
ればならなかった。
「せーのっ‥!」
 痛めていない方の右手でボードを安定させ、痛みを無視して掛け声と共に一気に洋子
の身体をボードに上げる。洋子に与える衝撃を和らげた所為で余計な負荷が掛かり、左
腕が悲鳴を上げた。だ、愛衣自身はあまりの痛みに悲鳴すら上げられなかった。
 幸いだったのは、ボードが思っていた以上に安定していた事。そこで初めて件のボー
ドがサーフボードではなくウィンドサーフィンのボードである事に気が付いた。ボード
がひっくり返って、帆がスタビライザーの役割を果たしていたのだ。
 なんとか最悪の状況からは脱することが出来た、という感じだった。

 …つづく



 

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