〜10years Episode22〜
構想・打鍵 Zeke

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。 
 本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。

……同日、夕刻。
「ただいま」
 8割方席の埋まった『Mute』に愛衣が戻って来たとき、時計は6時を20分ほ
ど回っていた。
「あれ、帰ってきたの? そのまま上がっちゃっても良かったのに…」 
 カウンター内でコーヒーを入れていたマスターが意外そうに愛衣を見返した。 
「あっちにいても居場所なんかありませんよ。それに、この状態で私が帰ってこなかっ
 たら、ちょっとマズイんじゃないですか?」
 お客で埋まったフロアに目を向け答える。 
「なんとかなる……と、言いたいところだけど、助かったよ。正直辛いものがあった
 しね。じゃ、此処お願いしていいかな」
 実際、愛衣がいないときは一人でやっているのだから、何とかならないことは無かっ
たが、素直に助けを求める辺りが大人なのかも知れない。
「了解」
 短く答え、ロッカールームに消える愛衣。 
『Mute』はこれから2時間が最も忙しい時間帯だった。

            ☆            ☆

 そして午後8時55分。
 9時まであと5分となった所で、お客が残ったテーブルを一通り回り、オーダース
トップである旨を伝えて回る。幸い… と言うべきか、オーダーを出すお客はいなかっ
た。それを見たマスターがいそいそと帰り支度を始める。
 愛衣の目の前に、ドカドカと洗い物が積み上げていくが、当の本人は手伝う素振り
も見せず、ロッカールームのドアに手を掛けてしまう。
「今日は早いんですね。デートですか?」 
 愛衣が一言二言嫌味を投げつけるが、そんなのはお構いなしにロッカールームのド
アを開け、中へ。だが……、
 カララン
 後ろ手にドアを閉めようとした時、カウベルの音がマスターの耳を打った。 
「マスターぁ、お客さんですよ。ピザ6枚ですって」
 意地悪く愛衣がロッカールームに向かって声を投げつける。 
 だが、マスターはその言葉を無視するかのように、ロッカールームへ逃げ込んでし
まった。もっとも、誰が来たのか想像がついたからかも知れないが……

「1日にそう何度もピザが食えるか」 
「ピザハウスに来て、ピザを否定するなんて良い度胸ね」
 そう言って、愛衣が入ってきたお客……龍之介を睨み付ける。 
「細かいことを気にするなよ。それに……、ピザが目的で此処に通っている訳じゃ無
 いんだからな」
「……っ」
 真面目な顔で言い返す龍之介に、愛衣は言葉を詰まらせた。胸がひとつ大きく高鳴っ
たのが自分でもわかる。
 もっとも、言った本人にしても素早く席に着き、その表情を隠すようにメニューを
開くのだから、その心中は同じようなものなのだろう。
 そんなくすぐったいような雰囲気に、まだ店内にいるグループの“ワッ”という笑
い声がかぶさる。その笑い声を上げたグループに愛衣が目を向けた隙を突くように、
龍之介がメニューから顔を上げ、
「オーダー… いいか?」
「え…、あ、なに? コーヒー?」 
 まだ先の高鳴りの余韻があるのか、声がどもり気味になる。
「いや…、このラムコーク ……ってヤツを」 
 瞬間、愛衣が眉根を寄せた。嫌な予感がしたと言った方が良いだろう。
「……未成年にアルコールを出すような不道徳な店じゃないんだけど……」 
 そう言って伺うように龍之介の顔を覗き込む。合格祝いと称したパーティーでアル
コールでも入れてきたのかと思ったのだ。そう考えれば、先程のキザなセリフも説明
がつく。
 が、それは杞憂だった。
「うるさいな…… 素面だとちょっと言い難いんだよ」 
“ふいっ”と愛衣から逃げるように顔を背ける龍之介。どうやら今現在に於いて、ア
ルコールには侵されていないらしい。
 とは言っても、今からそれにすがろうとする気らしいのだが……。 
「(まあ、いいか)」
 要はアルコール濃度を薄くすれば良いだけの事である。龍之介にしても必要なのは
アルコールではなく、キッカケなのだから……。

「おっ、来たな。合格したんだって? おめでとう」 
 龍之介の注文に応じるべく、愛衣が準備を進める愛衣を余所に、すっかり帰り支度
を整えたマスターが龍之介の隣に腰掛ける。
「あ、ども」
 軽く頭を下げ、謝意を表す。そんな龍之介をマスターはニコニコと笑顔で見つめて
いる。
「な、なんです?」
 ちょっと不気味になり、思わず身を退く龍之介。 
「いや、なんでも……。じゃ、俺帰るから。戸締まりと火のチェック頼むよ」 
 素早く席を立ち上がり、去り際に龍之介の肩に手を置き、耳元で
「がんばれよ」 
 と囁かれた。
 その意味が解らず、文字通り『鳩が豆鉄砲を喰らった』ような顔の龍之介を余所に、
「んじゃ、お疲れ」
 そう言い残し、夜の通りへと消えていった。
 それを目で追う龍之介の前に、 
「はい、ラムコーク」
 コースターの上にグラスが置かれる。なるほど、見た目は完全にコーラだ。ちびり
と申し訳程度に口に含んでみる。アルコールの存在も確認できるが、やはり酒と言う
よりはコーラに近い。もちろんそれは愛衣がアルコールを加減したからに他ならない
のだが……
「(うーむ、少しアルコールに慣れたのかもしれんな)」
 勝手に思い込む龍之介の背後を、わらわらと最後の団体客が通り過ぎていく。チラ
と見上げた時計は9時半を指していた。
 少しホッとする。やっと誰にも邪魔されない空間が出来たのだ。

「ありがとうございました」
 と言うお客を送り出す愛衣の声。それから数秒と経ずに、テーブル席側の電灯が落
とされる。それでも暗くなったという印象はない。カウンターの真上に設けられたブ
ラケットから十分な照度が提供されているからだ。
 愛衣が今のお客が残していった洗い物を片付ける間に、龍之介は目の前にあるグラ
スを緩く傾け続けた。
 時間にして約10分程の間……

「はぁ、終わった」 
 溜まった疲れを吐き出すように龍之介の隣に愛衣が腰を下ろす。
 前に掛かった髪を少しかき上げる姿に、何とは無しに見とれてしまう龍之介。 
「なに?」
 その視線に気付き、愛衣が龍之介の方へ瞳を向ける。
「あ、いや…、何でもない」 
 慌てて目をそらし、
「えっと…、ちょっと時間あるか? 30分くらい」
 正面を向き(つまり愛衣を見ようとせず)尋ねる龍之介に、 
「ん…。あっち行こうか?」
 愛衣が軽く頷き、目をテーブル席の方へ向ける。 
「あっち…… って……」
 龍之介が怪訝な表情を返すが、愛衣はそれに答えること無く、さっさと席を立ち上
がり、テーブル席に着くと、その正面の椅子を指差す。
 これでは従わない訳にはいかない。

「で?」
 龍之介が椅子に座るなり、愛衣が促すと、
「あの、さ…、いくらだった? さっきの」 
 バツが悪そうに龍之介は切り出した。
「さっきのって?」
「だから……、ピザ6枚」 
「なんで?」
「いや…、俺が全部払うから……」
「……『お願い』を有効にしてくれ ……と?」 
「まあ、そういう訳だ…」
「それは、『お願い』の内容によるわね」
「あ、きったねぇ」 
「何処が汚いのよ。普通、一度履行された事象は無効には出来ないんだからね」 
 履行どころか契約を交わした時点で既に撤回は難しい。もっとも契約などしていな
かったのだが……。
「ほら、さっさと言いなさいよ」
 急かすように、つま先で龍之介の脚を小突く。それでも、完全に無効にしない辺り
に愛衣の慈悲が感じられる。
「そんなに大した事じゃない。……ただ俺の言う事に、真面目に答えて欲しいんだよ」
「それで?」
「それでって… 今のが『お願い』だ」
「じゃなくて、その質問ってのは何よ」 
「だから、その前にちゃんと約束をするかしないかの確約をよこせと言ってるんだ」
 情けないと思うかも知れないが、いつも肝心な処ではぐらかされている龍之介にし
てみれば、これは保険のようなものだった。
 つまりはぐらかすような態度を取った愛衣にも責任の一端はある。 
 たが、愛衣にしても好きではぐらかして来た訳ではないのだ。
 今までこんな状況が無かったわけではない。その度にはぐらかすような形になるの
は……やはり恐かったのだろう。
 ……変わってしまうことが……
 自分が変わってしまうという事では無い。周りが……、自分以外の誰かが……だ。

 愛美は…… 多分茶化しながらも祝福してくれるだろう。マスターも多分…… 
 だが、洋子は? 友美は? 唯は? そして…… 舞衣は?

「……わかった。ちゃんと答える」 
 ほんの少しの間を置いて、愛衣はだがはっきりと答えた。
「よし、約束だぞ」 
 龍之介が真面目な顔で居住まいを正す。自然と愛衣の方も身構える形になってしま
う。が……、
「えと……、その前に、もう一杯……これくれ」
 やっぱり踏ん切りの着かない龍之介は、愛衣の前に空になったグラスを掲げるのだっ
た。


「これっきりにしてよね」
 半ば疲れたような声で愛衣は龍之介の前にグラスを置き、自らもその正面に腰を下
ろした。せっかく覚悟(?)を決めたのに、思い切り外されてしまったのだから無理
もない。
「悪ぃ…、さっきからずっと頭ン中で言いたいこと整理してるんだけど、纏まんなく
 てさ……」
 龍之介が苦笑混じりに答える。
「整理する必要なんかないんじゃない? 私は龍之介の飾った言葉が聞きたい訳じゃ
 無いんだから。それに……、待たされるのって結構辛いんだから…… 余計な事考
 えたりしてね」
 じっと龍之介の瞳を見たまま答える。ここまで言われては覚悟を決めるしか無い。
「じゃあ……、あんまりかっこいい告白の言葉じゃないけど……」
 正面から愛衣の目を見据え、はっきりとした声で…… 
「うん……」

 またほんの少し間が空く。
 自惚れている訳では無いが、龍之介は愛衣の答えは分かっていた。“否”である訳
が無い……と。
 にもかかわらず、龍之介にもまた、その一線を超えることを躊躇させる存在があっ
た。自分の事を慕ってくれている女の子の存在。一時は想いを交わし合ったその娘を
裏切るような行為。
 けれども、今、自分の心の大半を占めているのは、目の前にいる人物なのだ。 
 龍之介は頭に浮かんだその娘の顔を振り払うように、目の前のグラスを手に取ると、
その中味を一気に流し込んだ。
 炭酸独特の刺激がノドを通り抜けていく。そして息を吐く間もなく、

「俺と…… 付き合ってくれ」

 確かにかっこいい言葉とは言い難いが、龍之介らしいセリフではある。 
「……」
「……」
 ……沈黙が流れる。
 だが、気まずい沈黙という訳ではない。 
 何となく、ずっと続いて欲しいような沈黙……

「ひとつ…… 聞いて良い?」 
 その沈黙を破るように口を開いたのは愛衣だった。
「なんだよ」
 本当なら『先に答えろ』と言いたい所だったが、愛衣の瞳をみてやめた。多分、愛
衣自身が解答を出すため為に、絶対に必要な事項なのだろう。そんな風に龍之介は感
じた。
 その愛衣がひとつ息を吐(つ)く。次いで囁くような声……、
「私の事…… 好き?」 
「……好きじゃない相手に、つき合ってくれなんて言わねぇよ」
 応える龍之介は、照れを隠す為に、ややぶっきらぼうな言い方になる。
「じゃぁ……」
 と、龍之介の前に小指を差し出す。10年前の再現という訳だ。 
「な、何の真似だよ」
 しかしこの期に至っても惚ける龍之介。もちろんそんなささやかな抵抗が通用する
わけもなく、
「まだ惚けるつもり?」
 愛衣が渋る彼に詰め寄る。どうやらバレているらしい。 
 仕方なく龍之介が小指だけを怖ず怖ず差し出すと、素早く愛衣が自分の小指を絡め、
一言
「今度忘れたら、承知しないからね」
 そう言う愛衣の瞳が少し潤んで見えたのは、光の加減か何かだろうか? 
 それを気取られたく無かったのだろうか、その瞳が、静かに閉じられる。
 その意味は考えるまでもなかった。もちろん龍之介が躊躇(ためら)う必要も……

 テーブルの上で、ゆっくりと二つの影が近づき、そして重なる。

 最初のキスは欲望が先行したものだった。 
 2度目は戯れる様に、触れ合わせるだけのもの…
 そして3度目にして、ようやく気持ちを通わせる……そんな感じのキスだった。

 どのくらいそうしていただろうか…。いや、恐らく1分にも満たない時間だろう。
 龍之介が名残を惜しむように、一度舌先で愛衣の唇を軽くなぞって、ゆっくりと唇
を離す。
「……はぁ」
 離した唇に、互いの息が微かに掛かる。
 それに合わせる様に、龍之介は小指を解こうとする。 
 が、まだ愛衣の方にはそのつもりが無かったらしい。
“くっ”と指に力が加わり、それを拒否する。訝し気な顔をむける龍之介。 
「ね…、さっきの…… もう一回言って」
 はにかむような笑顔で言う。なんだか結婚の誓いの儀式のようだ。多分そのつもり
なのだろうが……。
「に、二度も三度も言う事じゃ無いだろ」
「三度も言わせようなんて思ってないから…… ね?」 
 わかったもんじゃない。
 しかし龍之介もここで『愛衣の真意』をしっかりと確かめて置いた方が良いと判断
したのかもしれない。

「俺と…、その…恋人として付き合って欲しい……」
 今度はちゃんと『恋人』という言葉を入れてみる。それでも愛衣の返事は変わらな
かった。いや、それこそが待ち望んでいた言葉かも知れない。
 
 半瞬の間… 愛衣が応えを探る間が空く。   
 いや、YESかNOかの答えは出ている。それをどうやって相手に伝えるかを探る
間だ。
 龍之介にとっては長い…、愛衣にとってはそれこそ一瞬に感じられる間…… 
 そして……、動き出す。

「うん…… 嬉しい…」
 龍之介から視線を外し、やや俯き加減に…、だがはっきりとした声で愛衣は応えた。
 そして今一度顔を上げ、今度はしっかりと龍之介を見つめ返し……
「……ありがとう」 
 そう付け加えた。
 それが今の、愛衣の素直な気持ちだった。


【後書き】
この『願い事ひとつだけ』を以て、1章の幕が降ります。
うーむ… 誤算も誤算、大誤算ですね〜(笑) 当初予定していた『10years』シリーズの2倍近いエピソードを1章だけで書いてしまった(^^;
Episode15で蒔いた種をここで回収。色んな方から、
「ここで身体を要求させるんだな! そうだろう!?」
という脅迫めいた意見(笑)がありましたが、こちらの意図としてはそんな気は更々無く、当初から龍之介の願いは
“愛衣の真意を聞き出す”
の一点だったりします。
一方の愛衣はと言うと、これはEpisode20で前フリがあったので、それらしい事(「つき合って欲しい」とか「恋人になって欲しい」)をお願いされると思っていたらしいですが、嬉しい方向へ裏切られたようです。
#龍之介は「つき合って欲しい」という問いに対してのYESかNOのデジタル式回答を求めただけ。

そんな訳で以後つき合い出す2人ですが、その関係は当分の間は公表しません。気恥ずかしさと言うよりも、やはり後ろめたさみたいのあるようで……
その事実を明確に掴んでいるのは本人を除けば愛美ひとり。『Mute』のマスターは感づいてはいるものの、特に追求せずといった具合でしょうか。
まあ、その内に綻んでくる訳ですが、最終的には唯にも友美にも愛衣の口から伝えられます。
洋子にはかなり衝撃的なバレ方を考えていますが(笑)

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