八十八町は住宅街である。昼間であっても『喧騒』という言葉とは懸け離れた街で 
あり、唯一の例外はその名を冠した駅前だけである。
 昼間でもそんな状況なのだから、深夜ともなればその静けさは一層深まり、零時近 
くになると、家の中で出さえ小声で話さなければ隣近所に迷惑が掛かってしまうよう 
な錯覚に捕らわれる。
 もっとも、話している相手が、隣の家にいる場合、この限りでは無いのかもしれな 
いが……

〜10years Episode19〜
構想・打鍵 Zeke

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。 
 本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。

「その訳(やく)は『〜not only〜but also』を使うのよ」
 窓越しに龍之介が読み上げたぎこちない英文を一度聞いただけで、友美はその問題 
の本質を見抜いて見せた。
 入試が近くなってくると、さすがの龍之介でも深夜の2時近くまで起きて試験勉強 
をしていることが多くなっている。
 零時近くだとまだもう一踏ん張りという時間だった。 
「『〜にである上に、〜だ』ってヤツか?」
 どうやら一応知識だけは詰め込んであるらしいが、使う時に上手に引き出せていな 
いようだ。
「そう、だから『She is not only beautiful but also intelligent』の訳は?」
「えっと、『彼女は美人でしかもインテリだ』か……」
「『intelligent』の訳もちゃんとして。減点されるかもしれないわよ?」 
 あまりにもお手軽な英訳に、友美がやんわりと釘を刺す。
「……『intelligent』って『知識』って意味だっけ? てーと、 
 『彼女は美人でしかも知識がある』……何か変じゃないか?」
「そう言う場合は『聡明』って訳した方が良いかもね。でもちゃんと自分で調べた方 
 がいいわよ」
「なるほど、『そうめい』ね」
 それを聞いて龍之介がノートにペンを滑らす。その手の動きが大きいと感じたのだ 
ろうか?
「……『聡明』って漢字で書けてる?」
 鋭いツッコミが飛ぶ。
「バ、バカにするなよ」 
 しかしノートにはしっかりと『そうめい』と平仮名で書いてあったりする。 
「そう? ならいいんだけど……」
 龍之介の性格からして、こう言っておけば後で絶対に辞書を開くという確信があっ 
たので、友美も深く追求しない。

「…と、悪ぃな、寒いのにわざわざ」
「ううん、ちょうど空気の入れ換えをしようと思ってたから。まだ少し頑張るんで 
 しょ?」
「ん? 気が向いたらな……明日は休みだし。んじゃおやすみ」
 と窓に手を掛けた龍之介に、 
「あ、ちょっと待って」
 慌てて友美が『待った』を掛けた。
「あん?」
 引きかけたサッシに手を掛けたまま友美を見返す龍之介。 
 しかし、引き留めたわりに、友美は困ったように龍之介から目線を外し、なんとか 
間を保たせようと、
「あの……ね」
 ゆっくりと言葉を継いだ。
「なんだよ。まさか俺に質問があるとか?」  
 だとしたらそれは勉強に関することでは無いだろう。
「ううん。そうじゃなくて……」 
 はにかみながら答えるが、どうも要領を得ない。龍之介がコツコツとサッシを指で 
弾く音が聞こえ始めた。イライラし始めたときの癖だ。
 
「(早く、早く)」 
 胸の中で自分ではどうしようもない時刻(とき)の流れを急かす。そんな友美の願 
いが通じたのか、彼女が待ちわびていたものが、部屋のラジオと、龍之介が掛けてい 
たラジオから同時に流れてきた。

『よ〜こ〜は〜ま〜 そご〜  零時をお知らせします』

『ポーン』と零時を告げる音が前後から同時に聞こえる。ホッとした様に友美が、 
「今日、何日かわかる?」
 そう切り出した。
 いきなり振られた質問に、 
「今日は……13日だろ」
 よく考えもせずに答える龍之介。
 その答えを聞いた瞬間、友美が『引っかかった』というような笑みを龍之介に向け、
「ぶー、残念でした。今、零時を回ったから今日は14日よ」
 さも嬉しそうに言う。対する龍之介は疲れたような表情で、 
「まさか、それを言う為に引き留めたのか?」
 そう言って友美を睨み付けた。とは言っても、怒っている訳ではない。それが分かっ
ているから友美は臆した風もなく、
「昔、よく同じように引っかけられたから、そのお返しよ」 
「あのなぁ、あれは小学生の時の話だろ。中学を卒業しようって人間が言うなよ」 
「やっぱり悔しい?」
「んなわけあるか、呆れただけだ ……話は終わりだな。もう閉めるぞ」 
 サッシに掛けた龍之介の手に力が込められる直前、彼の目の前に、きれいにラッピ 
ングされた小箱が差し出された。

「あの… チョコレート…… バレンタイン ……だから」

 別に今年初めてチョコを上げるわけでも、また貰うわけでもなかったが、何となく 
去年までとは雰囲気が違う。深夜という時間帯だからだろうか?
 考えてみれば、こんな風にチョコレートを貰うのは初めてだった。去年までは誰か 
しら(主に唯)近くにいて、如何にも義理という感じだったのだ。
「あ、ああ…… さんきゅ。でも別に今渡す事も無いだろう? 明日 ……じゃなく 
 て昼間でも良かったのに……」
 そんな雰囲気が苦手なのだろう。チョコを受け取りながらもはぐらかすような答え 
を返す龍之介。
 それが分かっているのだろうか? 友美は小さく龍之介に笑みを返し、

「唯ちゃんより… 早く渡したかったの」

 そう言うや、龍之介が何かを言い返す前に、 
「じゃ、お休みなさい。もう試験が近いし、そろそろ朝型に切り替えた方が良いかも 
 しれないわよ」
 素早く言い、サッシに手を掛ける。そして、
「出来れば、唯ちゃんのより早く食べて欲しいな」 
 最後にそれだけ言うと、友美の姿はサッシとカーテンの向こうに消えた。

 チョコレート片手にそれを呆然と見つめていた龍之介だが、身を切るような寒風に 
吹かれ、ようやく我に返った。
「なんだ、あいつら…… 変な賭をやってるなぁ」 
 相も変わらず全然分かっていない龍之介。多分“どちらが先に自分にチョコを食べ 
させるかで賭をやっている”とでも思っているのだろう。

「しかし今年も2つか…… 『Mute』に行けば愛美さんからは貰えるかもしれな 
 いなぁ。愛衣のヤツは絶対くれんだろうけど……」 
 先月末に、『受験が終わるまで来ない』と宣言したので、どちらにしても貰えると 
は思えない。

「さみっ……」
 もう10分以上窓を開け放しているので、部屋の中もすっかり冷えてしまったよう 
だ。空気の入れ換えを通り過ぎて、空気の交換になってしまった。
「まあ、眠気覚ましになって良いか。それよりも……」 
 気を取り直して、机に向かう。漢和辞典に伸ばし掛けた手を止め、
「『そうめい』ってどんな意味だっけ?」 
 普通の国語辞典を手に取る。
「……言って置くが、漢字が分からない訳じゃ無いぞ。意味を調べるんだからな」 
 自分で自分に言い訳し、それをパラパラ捲り始めた。
 
 がんばれ龍之介! 八十八学園の受験日まであと3日だ。
 【こんな調子で大丈夫なのか?】

【後書き】(2000.03.21)
去年(99年)のバレンタイン当日に勢いだけで書き上げたSS(笑)
タイトルは谷村有美で『ときめきをBelive』から

作中某FM局にリンクされてますが、その局では時報前に必ず「そ○う」のCMが入るのです。別に「○ごう」や
「F○横浜」からCM料を貰っているわけではないのであしからず(笑)

ちょっと友美が卑怯と思われるかも知れませんが、例年だとどうしても唯の方が早くチョコを渡せる訳で…
まあ一緒に住んでいるから仕方ないんですが、今年は部屋が隣同士になったのを幸いに、攻勢に出たということです(笑)
ちなみに唯も友美も表向きは義理チョコなんですが、本当のところは……

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