【変わらない事 変わってゆく事】
翌週、月曜‥‥
20帖余りあるその部屋に天窓から光が射し込み、フローリングの床に反射する。
部屋にはその天窓の他に、西側にもう一つの窓があるのだが、東から登る太陽の陽
は西側にあるその窓から差し込むことはない。
ようやく片付けの終わった室内は、たったひとりの男の子が使うにしてはいささか
広すぎるきらいはあるが、色々な出来事が解決した事で彼も心機一転‥‥
「お兄ちゃん。そろそろ起きないと遅刻だよ。」
それでもやっぱりと云うか龍之介の朝寝坊が直るという訳も無く、今日も今日とて
彼の朝は唯のモーニングコールから始まる。
「う〜ん‥‥あと5分‥‥。」
「さっきも同じ事言ってたよ。」
本日も既に2度目のモーニングコールのようだ。
「ほら、早くぅ!」
毎日の様に繰り返していることだが、今日も強引に唯が布団をひっぺがそうとする。
「最後の5分だ〜」
これまたいつもの様に龍之介が抵抗する。で‥‥
だだっ!
どっすん!
「ぐえっ!」
そして龍之介が頭から被っていた布団を捲り、
「起きた? お兄ちゃん。」
と聞く。いつもと変わらぬ‥‥いや、
「‥‥唯。」
捲った布団の向こうから、龍之介がいつになく真剣な目で唯を見ていた。
「な、なに?」
思わず顔を赤らめる唯。それもその筈で、2人の間にある空間は1秒以下で縮まる
距離だった。
「あのな‥‥」
無理な体勢にも関わらず、龍之介が上体を起こそうとする。
「‥‥うん。」
それに倣って、唯の瞳が徐々に細くなる。
「‥‥‥‥。」
・
・
・
ずんっ!
「◆□■△▽▲◇〜〜〜〜っ!」
声にならない声を上げ、龍之介が白目を剥く。今日も何か余計な一言を言ったらし
い。
☆ ☆
カシャン
友美が門の通用口を出ると、ちょうど隣の家から唯が出てくるところだった。
「おはよう。」
と声を掛けると、唯も気付いたのか友美の方へ足早に駆け寄って来る。
「おはよ、友美ちゃん。」
互いに朝の挨拶を交わすと、2人は並んで歩き出した。
暫く2人は無言で歩いていたのだが、
「龍くん、今日は来るのよね?」
友美が切り出した。
「うん。そうみたいね。」
「ちゃんと起きられた? 久しぶりだからなかなか起きなかっ‥‥やだ、また喧嘩し
てるの?」
友美が唯の微妙な表情を読みとる。
「え? あ‥‥大したことじゃないよ、うん。」
どこかはぐらかすように言う唯に、
「そう? なら良いんだけど‥‥」
友美は納得したようなしないような顔で目線を外し、再び歩き出した。
5月中頃‥‥平年並みの暖かさ。
あちこちに雲がぽかぽかと浮いていたが、間違い無く晴天と呼べる天気。もう半月
もすれば衣替えと云うこともあって、冬服では少し汗ばむくらいの陽気だった。
「‥‥本当に、大したことじゃ無いんだ。」
暫く無言で歩いていた2人だが、5分ほど歩いた処で唯が、ぽつりと切り出す。
「ただ‥‥お兄ちゃんが『学校ではもうお兄ちゃんって呼ぶな』って言うから‥‥」
どこか寂しそうな表情の唯。
「‥‥そう‥‥なんだ。」
友美には、それが唯にとってどれだけ大きな事か理解しているつもりだった。何か
慰めの言葉を掛けようするが、上手く言葉が浮かばない。
そんな友美の心の内に気付いたのか、
「あ、でも『学校では』って事は、学校以外では呼んでも良いって事だよね。」
自分自身に言い聞かせるように、明るい表情を見せる。そんな唯に応えるかの様に、
「そうね。多分龍くんもそこまでは言わないと思うわ。だって7年間もそう呼ばれて
いたんですもの。」
友美も笑顔を返す。
「うん。唯だって家の中でまで『龍之介君』なんて呼びたくないもん。」
そう言う唯に、友美がちょっと複雑そうな笑みを返すが、そんな彼女の表情を唯は
読みとる事は出来なかった。
☆ ☆
キーンコーンカーン‥‥
8時20分。このチャイムが鳴り終わるまでに校内に入らなければ遅刻というチャ
イムが鳴り終わって数分後‥‥
「ひゃー、あぶねーあぶねー。危うく遅刻するところだった。」
騒々しかった教室に、そう言いながら5日ぶりの登校となる龍之介が駆け込んで来
た。途端に今まで騒がしかった教室が、一気に”しん”と静まり返る。
だが、龍之介はその静けさを別段気にした風もなく、自分の席に向かう。
と、教室の端っこの席に座っていた男子生徒が立ち上がり、龍之介に向かって
「お、おはよう‥‥。」
さして大きな声では無かったが、樹の声は教室内にいる生徒の耳に行き渡った。も
ちろん龍之介にも‥‥。彼は樹の方を一瞬だけチラッと見、
「おう。」
軽く手を上げ声を返す。それで室内の空気が和んだのか、さわさわと教室内がさざ
めきだした。
友美はそれを見てホッと胸をなで下ろした。誰かが例の噂で挑発し、また龍之介が
暴れ出すのでは無いかと心配していたのだ。
そんな友美の方へ龍之介が歩いてくる。彼の席は友美の3つ斜め後ろの席だった。
すれ違う直前、友美が顔を上げ龍之介を見上げる。
目が合った。
(なんだ?)
という顔をする龍之介に、友美はいつもと変わらぬ笑顔のまま‥‥いつもとちょっ
と違う言葉で応じた。
「おはよう、龍之介くん」
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