〜10years Episode12〜
構想・打鍵:Zeke
監修:同級生2小説化計画企画準備委員会
 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。 
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。 
 

【もっと自由に もっと素直に】

 ところかわって‥‥
 ピザハウス『Mute』は周辺の同業と同じ午前11時に開店する。 
 だからと言って、開店と同時にお客が来ることはまず無い。だが今日は珍しくお客 
が来ていた。

「あれ? わたし確か‥‥」
 その希なお客‥‥安田愛美は目の前に出されたコーヒーカップをカウンターの向こ 
うにいる人物に掲げてみせ、
「アイスティーだったよね。」
 嫌味のない笑顔をカウンター内の人物に向ける。 
 ピザハウスに来て注文するのがアイスティーなのはどうかと思うが、確かに愛美が 
オーダーしたのはアイスティーだった。
「え‥‥あ、そーだっけ? ごめん、今すぐ作り直すよ。」 
 慌てたようにカウンター内の人物――愛衣が新しいグラスを手に取る。
「別にいーよ、特別飲みたかった訳じゃないから。」 
 そう言ってカップの中に砂糖をひとさじ、そしてスプーンでくるくるかき回し、ミ 
ルクを落とす。
「でも珍しいね。愛衣ちゃんがオーダーを間違えるなんて‥‥」 
 愛美がカップの中でミルクが見事なマーブル模様を描くのを見つめながら続ける。 
 確かに今日の愛衣は何処か変だった。愛美から見てもわかるのだからそれは相当な 
モノだろう。もちろん原因は昨日のことなのだが‥‥

「なんかあったの?」 
 何気に聞いたのその言葉は確信を突いていた。
「な、何でもないわよ。」
 努めて平静を装って言う。だが‥‥ 
「何かあったんですか?」
 愛美から見ても、愛衣が平静を『装っている』のがわかったのか、今度は愛衣の隣 
でせっせと下ごしらえをしているマスターにその疑問をぶつけた。
「それがさぁ、龍之介君と唯ちゃんが血の繋がりの無い赤の他人とわかった途端全然 
 仕事が手に付かないみたいで‥‥」
「ちがいますっ!」
 ピシリと言ってのけるのだが、 
「え、あの二人って従兄妹なんですよね?」
 最早愛美の関心はそこには無かった。 
「いや、俺にも詳しいことはわからないんだけどね。」
「それじゃ‥‥」
 更に突っ込んで聞こうとする愛美を 
「はい愛美、アイスティー。」
 断ち切る様に置かれたアイスティーが止めた。怪訝そうな顔で愛衣を見上げる愛美。
 しかしすぐに納得したかのようにニマッと笑い、
「それで不機嫌なんだ。」 
 クスクス笑いながら続ける。
「大丈夫、龍之介君はそんな子じゃないよ。」 
「あのね、飛躍しないでくれる? その言い様じゃ、まるで私が龍之介に気があるみ 
 たいじゃない。」
「ちがうの?」
 尚もニコニコと愛衣を見つめる。対照的に呆れたように愛美の前にあったコーヒー 
カップを取り上げ、口に運ぶ愛衣。

「そう言えば昨日俺が帰る時、龍之介君とすれ違ったんだけど、来なかった? 彼」 
 マスターの言葉は愛衣の動揺を誘った。その結果、
 がっしゃん!
 派手な音を立てて、取り落としたカップが床の上で砕ける。 
「いっけない。」
 慌てて破片を拾おうとするのだが、
「痛っ!」
 破片で指を切ったらしい。その様をみて愛美とマスターが顔を見合わせ、溜息混じ 
りの苦笑を浮かべる。
「愛美ちゃん、悪いんだけどロッカールームから救急箱を持ってきてくれない?」 
「大丈夫です、このくらい。」
 実際、指先を少し切っただけなので大したことは無いのだが、それで 
『あら、そう?』
 と収まる愛美でない事は愛衣も良くわかっていた。

                  ☆ 
 
「昨日、来たんだろ。彼」
 愛美がロッカールームに入るのを待っていたかのように、マスターが聞いてくる。 
「ええ、まあ‥‥」
 曖昧な返事。
「俺が口を出していいかどうかわかんないけどさ、丸々2日悩んだ末に誰かさんに会 
 いに来たんだろ? あの絶対他人を頼りそうにない龍之介君が‥‥。」
「‥‥。」 
「彼にとって、君は‥‥まあ、勝手な想像だけど、特別な存在じゃ無いのかな。 
 ‥‥ま、あの年頃の男の子だから、酔った勢いで暴走する事もあるかも知んないけ 
 どさ。」
 最後の言葉に、それまで黙々と破片を拾い続けていた愛衣が、ギョッとなって振り 
返った。
「覗いてたんですか!?」
「まさか。そんな野暮はしないよ。朝来たらこれの量が少し減っていたからね。」 
 ジンの瓶を掲げ、笑いを堪えるように言う。
「未成年の飲酒なんてカタイ事は言わないけど、どうせ飲ませたの君だろ? その辺 
 の事も考えてあげた方がいいよ。」
 責任の一端は、愛衣にあるのだと言いたいらしい。 
「ま、おじさんの戯れ言だと思って聞き流してくれてもいいよ。何たって、君らより 
 一昔前の人間だからね。」
 そんなマスターの言葉を聞いているのかいないのか、愛衣は黙り込んだまま、その 
表情からは何を考えているのかは読みとれない。

「お待たせ。愛衣ちゃん傷みせて。」 
 ロッカールームから救急箱を抱えて愛美が出てくる。彼女はそれをテーブルの上に 
置くと、包帯やら傷薬やらを取り出し、愛衣を手招きする。
 さすがに保母志望なだけあって、面倒見が良いというか、お節介というか‥‥。 
 しかし愛衣はそんな愛美に対し、
「愛美、悪いけど少しお願い。」
 そう言ってエプロンを外すとそれを愛美に押しつけ、そのままカウベルの音を響か 
せ、外へ出て行ってしまった。

「なるほど‥‥覗かれちゃまずいことをしてたわけだ‥‥」 
 閉まっていくドアを見ながらひとり呟くマスターを
「は?」
 と見上げる愛美。ランチタイム前の『Mute』は相も変わらず平和だった。


※
 オオゥ オオゥ オォォォ―――ン!

 いくらモーターショップとは言え、毎日の様に、こんな爆音をまき散らされたら近 
所の住民はエラく迷惑だろう。
 普通エンジンの回転計は乗用車で6〜7千回転、スポーツクーペ等になって8〜9 
千回転まで刻まれている。これが単車になると平気で1万5千回転くらいまで刻まれ 
ているのだからたまったものではない。
 高回転で馬力を得る特性なっている為、高デシベルの音を生む結果になっていのだ。
 ある程度の広さを持った自動車修理工場の建築に、厳しい条件が課せられるのもそ 
う言った事が原因なのかも知れない。もっとも、町の修理工場程度の広さには適用さ 
れないのだが‥‥
 それでも此処は住宅街からほんの少しばかり外れている為、いくらかマシだった。 
 
「おかわり。」
「あんた‥‥風邪引いてるんじゃなかったの?」
 母親がそう言うのも無理はなかった。洋子は既に2杯の茶碗をカラにしているのだ。
「か、風邪を引いているから栄養を付けなきゃいけないだろ。」

 洋子はそう言うと脇の間に挟んだ体温計を取り出し、 
「ほら。」
 と、それを母親に差し出す。
『39度7分』

 しばしの間娘と体温計を交互に見ていた母親だが、諦めたかのように茶碗にご飯を 
よそい洋子に渡す。と‥‥
「こんちわ。洋子、います?」
 声が聞こえた。それを聞くや否や、 
「ごっそさん。風邪だから寝てるわ。部屋には誰も入れるなよ。」
 そう言って、2階に上がって行ってしまう。

 ほぼ間を置かず、居間兼食堂に入って来た愛衣はテーブルに散乱している茶碗を見、
そのまま洋子の母親の前に腰を下ろした。
「風邪引いてるって話を聞いたんですけど‥‥随分と食欲旺盛な風邪ですね。」 
 洋子の母が注いでくれたお茶を一口飲み聞いてみる。
「そうみたいね。一丁前に熱はあるのよ。」 
 そう言って母親は先の体温計を愛衣の前に置いた。彼女はそれを手に取り、 
「9度7分? ‥‥仮病ですね。」
 眉を顰めつつ断定してしまう。大体9度7分もあって普通の食事が出来ること自体 
が間違っている。
「わかる? でもどーやったらそんな体温になるのかしら。」 
 不思議そうな洋子の母親に、愛衣は無言で体温計のリセットボタンを押すと、次い 
で検温部を人差し指で押さえ、二度三度トレーナーの袖で擦る。そしてそれを脇に挟 
み、待つこと暫し‥‥
 ピピッ!
 計測終了の合図。取り出した体温計は‥‥『38度4分』 
 摩擦熱を利用した結果らしい。
「なるほど、いい方法ねー。今度ご飯作りたく無くなったらその手で行こう。」 
 この母親にして、あの娘あり と言った処だろうか?

「で、本人は?」
 訊ねる愛衣に、母親は天井を見上げ、 
「あんまりウダウダ言うようだったら、ぶん殴っても構わないから。」
  物騒な事を言う母親に、 
「そんなこと言って‥‥知りませんよ、どーなっても。」
 廊下に通ずるドアを開けつつ、苦笑混じりに答える愛衣。

 廊下の突き当たりに階段があり、そこをわざと大きな足音を立て上がって行く。階 
段を上がりきった処の右手が洋子の部屋だった。通い慣れているので、勝手知るとい 
う奴だ。
 入口の前に立ち、ノックを‥‥しようにも入口が襖なので、
「洋子、入るよ。」 
 一応声を掛けるが、返事は待たずに襖を開け中に入る。

 和室6帖。壁にはバイクのポスター、レプリカのヘルメット、バイクのプラモデル 
と、一見しただけではとても女の子の部屋には見えない。
 唯一女の子の部屋だと証明するものは、壁に掛けられた制服のみだった。 
 まあ、それは愛衣自身にも言えるのだから、どうと言うこともない。
 机は無く、ガラステーブルがその任を負っていた。その他には本棚、タンス‥‥そ 
してこんもりと盛り上がったベッド。
 愛衣は後ろ手に襖を閉めると、その和室には不釣り合いなパイプベッドに歩み寄っ 
た。

「なんで‥‥」
 意外な事に先に言葉を発したのは、洋子の方だった。 
「知ってたんなら、なんで教えてくれなかったんだよ!」
 布団を頭から被っている為、くぐもって聞こえる。しかし愛衣は洋子の質問には答 
えず、
「唯と龍之介に血の繋がりが無いってのは知ってたけど、どーしてそれを洋子に教え 
 てあげなくちゃいけないの?」
 逆に問いかける。
「どうしてって‥‥」 
 洋子は答えに詰まってしまった。言われてみれば確かにそうだからだ。
「私は龍之介から聞いたんだけど、その時『絶対に誰にも言うな』って言われたから、
 その約束を守っていただけだよ。」
「‥‥。」
「それとも‥‥洋子は私が他人の秘密を平気で喋っちゃう様な奴だと思ってたわけ?」

 何も言い返せなかった。確かに他人の秘密を誰彼構わず喋ってしまうような奴は付 
き合うに値しないし、愛衣はそう云った人間とは対極の位置にいると思っていた。 
 それでも‥‥
「唯は‥‥あいつは私達を信じてくれなかったんだぞ。一言くらいあっても良いじゃ 
 ないか。水野の奴だって‥‥。」
 分が悪いと感じたのか、洋子は責めの対象を愛衣から唯に変えた。しかし、それは 
愛衣にとって好都合だった。
 
「‥‥柊 健史‥‥君だったけ? ‥‥洋子の初恋の子って。」 
 びくっ!
 布団の上からでも洋子の身体が、それと解るほど硬直するのがわかった。 
「なな‥‥何のことだよ。」
 あからさまに動揺している。洋子にとってこの話はトップシークレットで、知って 
いる人間はただのひとりしかいない筈だった。
「ほら、洋子だって私に隠し事してるじゃない。」 
 笑いを堪えつつ、意地悪く言ってやる。
「くそ、舞衣の奴だな。」
 洋子は布団の中で臍(ほぞ)を噛んだ。だが、今更どうしようもない。そもそもお 
姉ちゃんっ子の舞衣に『秘密だぞ』と口封じするのが間違っていた。

「あの時はさすがにショックだったわ。洋子が私に隠し事をするなんて‥‥って。」 
 実際に愛衣はその事で一抹の寂しさを感じたのを覚えている。
「じょ、状況が全然違うだろ! 私は意地が悪い誰かさんにからかわれるのが嫌で黙っ
 ていたんだよ。」
 遂に布団をはね除け、嫌味たっぷりにその『誰かさん』(=愛衣)をねめつけてやる。
 しかし、愛衣にとってはそれこそ好都合なセリフだった。
「じゃあ、唯と同じだ。」 
「どこがだよ。」
「意地の悪い誰かさんにからかわれるのが嫌だったんじゃない?」 
 洋子を指差し言ってやる。更に続けて、
「で、片や唯に裏切られたと思い込んでいる誰かさんは、仮病を使って家で不貞寝を 
 していると言うわけだ。‥‥唯がどんな目に会っているかも知らないで。」

 愛衣の言い様は明らかに洋子を挑発していた。洋子にもそれが良くわかってしまっ 
た。それが気にくわなかった。
「あいつがどんな目に会っていようと私には関係ないよ。」 
 その手は喰わんよとばかりに、布団を被り背を向けてしまう。

 愛衣はその背を暫く見つめていたが、 
「そう‥‥。」
 呟くように言うと、再び襖を開け廊下へ出る。そして襖を閉め際、

「あの娘は‥‥本当に舞衣に似てるよ。姿形だけじゃなくね。」
 それだけ言うと、音がしないように襖を閉め、階下へと降りる。

                  ☆

 残された洋子は布団の中で思いを巡らせた。最後に愛衣が言った、 
『唯は舞衣ではない』
 がやけに耳に残った。

 舞衣‥‥物心ついた時‥‥いや、付く前からもう側にいた。いつも一緒だった。自 
分の後ろを「よーちゃん」とくっついて‥‥2人の間には隠し事など無かった。 
 鳴沢 唯‥‥確かによく似ている。初めて会った時、思わず取り乱してしまった程 
に‥‥姿形だけではなく、舞衣が元気ならそのまま唯になるのではないかと思うくら 
いに‥‥。
 ひどい錯覚だった。
 自分は唯に舞衣を重ね合わせて接していた。だから自分を裏切った唯や友美が許せ 
なかったのだ。
 唯、友美、綾子。本来ならば自分がこの3人の間に立って、その溝を埋めなければ 
ならない立場だったのに‥‥

 バサッ
 再び布団をはね除け立ち上がる。
「くそっ、結局愛衣姉の思うツボかよ。」 
 忌々しげに言いながら、パジャマ代わりのトレーナーを脱ぎ捨て、掛けてあった制 
服に手を伸した。

                  ☆

 一方階下では‥‥ 
「来ないわね。」
 テーブルに頬杖を付き、廊下の方を見る洋子の母親に対し、 
「来ますよ。賭けます? 単車のタイヤ代。」
 余裕有り気な愛衣。
「冗談。あんたがそんな自信ありそうな時は、ハズれた試しがないもの。」 
 その言葉を裏付けるかのように、

 バタバタバタ‥‥
 階段を駆け下りてくる音。その音を背中に感じつつ、 
「送ろうか?」
 振り返らずに愛衣が声を掛ける。
「結構、カモシカのようなスラリと伸びた脚があるからね。」 
 それに対し、なにか茶化した言葉を掛けようと思ったが、巧い言葉が出てこない。 
「5時から2時間、『Mute』は空けて置いてあげるよ。」
 取り敢えず伝えるべき事は伝えておく。ところが、洋子の方はその意味が分からな 
かった様で、
「?」
 と、振り返る。愛衣の方は相変わらず洋子の方へは顔を向けず、その背中からは、 
(そのくらい自分で考えな。)
 という言葉が読みとれたに過ぎない。しかし洋子も負けじと一言、 
「愛衣姉、その性格何とかしないと、いつまで経っても彼氏なんか出来無いぞ。」 
 言うや否や、学校に向かって全速力で駆け出した。もちろん愛衣の反撃から逃れる 
為である。が、愛衣は洋子が思ったような反応は示さなかった。

「ほぉ〜」 
 その様を見、洋子の母親が目を細め愛衣を見る。
「なんです?」
「彼氏、出来たの?」 
「なんですか、いきなり。」
 普段と変わりない態度を装いつつ答える。
「だっていつもなら洋子の『彼氏』発言に何らかのリアクションを起こすからさ。」 
 確かにそんな事をやった時期もあった。数年前までだが‥‥。
「いつの話ですか。いつまでもそんな事で目くじら立てたりしませんよ。」 
「‥‥と、言う割には、顔に涙の後が‥‥」
「えっ!」
 と、思わず顔に手を‥‥そこで手が止まる。そんな訳は無いのだ。 
 しかし、僅かに動いた手と愛衣の動揺を正面に座る人物が気付かぬ筈が無かった。 
「んふふ〜、安心なさい。お父さんにもお母さんにも内緒にしといてあげる。あ、も 
 ちろん洋子にもね。‥‥で、どんな子なの?」
 ニヤリと笑う洋子の母親。これが年の功と云う奴だった。


 北中北棟
 はっきり言って唯に対する嫌がらせは3日経っても沈静化の兆しは無かった。
 黒板に書かれた自分に対する下卑た言葉。黒板同様、机に細々と刻まれた文字。授
業中に回ってくる下品な手紙。それらは3日前から増えこそすれ、減ることは無かっ
た。
 それでも今の唯はそれに耐える気力があった。朝の龍之介との事もそうだが、なに
より今朝、2人のクラスメート(女の子)が「おはよう」と声を掛けてきてくれたの
が彼女に力を与えてくれていた。綾子ほどの長い付き合いではないが、イベント等で
班分けをすると必ず一緒になる程仲良しな女の子だ。
 その2人は授業合間の休み時間の度に綾子の席に出向き、チラチラと唯の方を見な
がら綾子に語りかけていた。

 そして、いつもの様に教師も生徒も淡々と授業を消化して行き、午前最後の授業が
終わりに近づいた頃‥‥
 既に唯の机の上には3通の手紙が届いていた。毎時限後に中味も見ずにゴミ箱に捨
てているのだが、それすらも面白いのか定期便の如く届く。

 ガラッ

 何の前触れもなく教室の扉が開いたのは、前の席から4通目の手紙が回ってきた時
だった。
 ドアを開けた人物は、そのまま一直線に唯の席を目指し歩を進める。そして前の席
の男子生徒が持っていた手紙をひったくり、
「惰性で回すような事するんじゃねーよ。」
 冷たい目でその生徒に一瞥をくれる。次いで襟首を掴むと椅子から引き剥がし、代
わりに自分がその席に腰掛ける。但し、後ろを向いて。

「なんだよ、シケた面だな。」
 洋子は"じっ"と唯を見つめて話し掛けた。
「‥‥そんなに私らって信用無いか?」
 その言葉に唯はその目線を外し俯いてしまう。
 そんな唯を見て、洋子は"ふっ"と鼻を鳴し、今度はややくだけた口調で、
「まあ、しょうが無いか。実際にこんな騒ぎになっちまうんだもんな。」
 そう言って先程ひったくった手紙をカサカサと開くと、声を出してその内容を読み
上げる。
「‥‥なになに、『昨夜龍之介にしたサービスを下から選び答えよ』?」
 その下に書かれた思わず赤面しそうな選択肢をも躊躇せず読み上げる。、
「‥‥なんだこりゃ、貧相な知識だな。」
 たった一言の感想を述べ、ついでといわんばかりに残りの3通も全て声に出し読み
上げてしまう。書いた本人達にとってはそれこそ赤面ものだった。

「嫌だねぇ、ウチのクラスにこんな貧困な発想しか出来ない輩がいるなんてのは。」
 手紙を元通りにきっちりと折り畳み、『もと来た処へ送り返せ』という意味で背後
(つまり前に)回す。2通づつがそれぞれ同じ処へ辿り着いた。
 それだけで手紙を書いた人間には警告になっただろう。

 洋子は再び目を唯の方に向けると、
「今の手紙に書いてある様な事をしてるのか?」
 ともすれば、先の手紙と同じ事をしている誤解を受けそうな言葉だが、洋子の口調
はそんな事を微塵も感じさせない聞き方、例えて言うなら、母親が子供に優しく語り
掛ける様な‥‥今までのような茶化した聞き方では無い、否定しても肯定に採られて
しまうような聞き方では無く、信じられる口調だった。
 それ故、唯ははっきりと意志表示を‥‥顔を左右に振る事が出来た。

 それを見て、洋子の表情がそれと解るほど緩んだ。
「じゃあ、そんな沈んだ表情(かお)をするな。」
 そう言って唯の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「そんな顔してるから、変な噂が流れるんだ。言いたい奴には言わせとけ。‥‥尤も、
 このクラスでそんな事をするバカは、もういないと思うけどな。」
 そう言って不適な笑いを浮かべる。

                  ☆

 綾子は窓際の席で、教室の廊下側で交わされている会話を呆然とした思いで聞いて
いた。自分が唯に対して頑(かたく)なな態度を採っていることが、ひどく卑怯に感
じられた。
(唯がついた嘘は、そんなにも酷いモノだったろうか? 傷つき打ち拉がれている友
 人に手を差し延べられないほど酷いモノだったろうか?)

 洋子の話は続いていた。
「私には、血の繋がりがない位で、なんでこんな騒ぎになるのか分かんないけど‥‥。」
 皆が洋子の話に聞き入っていた。授業の主導権を握る担当教師ですら、腕組みをし、
黒板にその背を預けて、会話がなされている場所を黙って見続けている。
「家族だろ。‥‥7年もひとつ屋根の下で一緒に暮らしてりゃ誰も文句の付けられな
 い家族じゃないか。血の繋がりなんてモノが無くてもさ。‥‥それに‥‥」
 唯の頭に乗せていた手をそのまま肩に落とし、窓側の席で俯いている綾子の方に目
を向け、

 「‥‥それに、血より濃いモノだってある筈だろ?」



 キーンコーンカーンコーン‥‥
 授業終了のチャイムが響きわたった。それまでじっとそのやり取りを聞いていた担
当教師が、その場の空気を変えるような明朗な声で、

「よーし、今日の授業は此処まで。今日の授業は一部試験には関係の無い事だったが、
 大事な事を学んだと思う。良く覚えておいて欲しい。そして‥‥忘れるな。以上!」

 熱血教師と言われて久しい彼でも、些かクサい言い回しだと思ったが、「受験戦争」
「まわりを蹴落としてでも這い上がれ」「自分以外は皆敵だ」‥‥などと塾や予備校
で叩き込まれている生徒達に、週にたった1時間しかない道徳の授業で
『皆さんは仲間です、手と手を取り合って生きていきましょう。』
 などと教えるより、遙かに効果があるように感じた。少なくとも授業時間を10分
削った分の価値はあると信じたかった。

「あー、それから南川。」
 壇上から降りかけた教師が洋子の方を見、
「今日から一週間、応接室の掃除な。」
 そう言ってニヤリと笑う。
「なっ‥‥」
「遅刻は遅刻だ。」
 ぱくぱくと口を動かす洋子に向かって、教師は自分の腕時計を指差す。
 世の中がそんなにあまいモノではないと教えるのも教師の仕事らしかった。

                  ☆

「ごめん、洋子ちゃん。」
 怨めしそうな顔で教師の背中を睨み付けていた洋子に、申し訳なさそうに唯が頭を
下げるが、彼女は気にした風もなく、
「ん? ああ、気にするな。大体謝るんなら私より、あいつに‥‥だろ?」
 唯が洋子の目線を追っていくと、先のふたりに促されて綾子がこちらに向かって来
る。
「ほれ。」
 洋子が唯の背中を軽く叩く。
「でも‥‥」
 まだ不安そうな唯に、
「大丈夫だって。‥‥それとも綾の奴を信用してないのか?」
 洋子の言葉に押されるようにして唯が洋子の前に出ると、
「ほら、綾。」
 連れて来た2人が綾子を押し出す様にして、唯の前に立たせる。
  
 互いに俯いたまま、僅かな時間が流れる。
「あの‥‥」
 先に切り出したのは唯だったが、すぐに綾子の言葉‥‥いや、嗚咽が重なった。
「ごめん‥‥唯、あたし‥‥あたし‥‥」
 その先が言葉にならない。
「あ、謝るのは唯の方だよ。‥‥ごめんねずっと話せなくて‥‥嘘ついてて‥‥」
 そう言う唯の目からも光が溢れていた。

 2人は抱き合うようにして、互いに涙を流した。綾子を促してきた2人も目に光る
ものを携え、洋子は
「ちぇ、私の時は泣かなかったくせに‥‥」
 苦笑混じりで天井を見上げていた。もちろん、涙がこぼれないように‥‥

            ☆            ☆
 
 その日の放課後‥‥応接室

「お前ら、少しは手伝おうと思わないのか?」
 洋子がモップで床を拭く手を止め、応接室の豪奢なソファに身体を埋めている唯と
綾子に向かって、怨めしそうな声を掛ける。
「全然。」
「罰は当事者が受けなければ意味がないよ。」
 先ほどの感動とは裏腹に、2人はニベもなかった。

「ちぇ、友達甲斐の無い奴等だ。」
 そう言って再びモップを持つ手に力を込める。
「それは違うわよ洋子。倒れた友人を助け起こすのは真の友情とは言わないわ。」
「そうそう。倒れた友達が自力で立ち上がったとき、支えてあげるのが本当の友達な
 んだよ。」
 したり顔で頷く2人。
「あーあ、真の友情も、本当の友達もいらないから、掃除を手伝ってくれる友達が欲
 しい‥‥」
 ボソッと呟くが、慌てて『しまった』と口を押さえる。案の定冷ややかな視線を浴
びる羽目になってしまった。
「あ、あはははは。そ、そう言えば愛衣姉が『Mute』を5時から空けておくって
 言ってたけど‥‥」
 冷たい視線を躱(かわ)すつもりで、話をそらすのだが、

「わっ、さっすが叶さん。覚えてたんだぁ。」
 唯がパッと顔をほころばせる。
「え、‥‥あ、そか。今日だっけ。」
 綾子も、ほんの一瞬考えただけで今日が何の日か思い出した。わからなかったのは、
「なんだよ、今日なんかあったっけか?」
 洋子だけだったりする。
 結局の処、洋子が冷たい視線に曝(さら)されるのは変わらなかった。
 
             ☆            ☆

 同じく放課後‥‥生徒会室 
 
 別に友美の責任という訳では無いのだが、生徒会は揉めに揉めた。今年の生徒会の
任期が残り僅かなこともあって、『何か思い出になるような企画を‥‥』というのが
主な議題だった。
 普段なら副生徒会長である友美があれこれと議事進行を努め、出てきた議案に補正
を加えて採用と相成るのだが、今の友美にそれが出来るわけもなく、結局3時から始
まった1時間半余りの論議は、大した企画が出る訳でもなく
「じゃあ、次の会合までに各々意見が出せるように。」
 という生徒会長のあっけない一言で終了した。もちろんそれは友美のせいでない。

 後片付けを終え、自分の教室に戻る。教室には誰の姿もなく、皆部活に出たり、そ
うでない者はもう下校した後のようだ。
 友美は鞄を手に取り、教室出ようとした。だがその進路は二つの影に遮られ、立ち
止まることを余儀なくされた。
 ゆっくりと顔を上げる‥‥そこには厳しい顔をした2人が立っていた。

「ちょっと付き合ってもらうぞ。」
 そう言って、ひとり‥‥洋子が友美の右腕を取る。
「何の用かはわかってるでしょう?」
 もうひとり‥‥綾子が友美の肩に手を置いて促す。2人の口調は反論の余地を与え
ないモノだった。

                  ☆

 通い慣れた帰り道。1年生の半ば頃から、週に3度はこっちの道を通って帰る様に
なっていた。回り道、『Mute』へと続く道を‥‥

 先を歩いていた2人がおもむろに立ち止まる。案の定『Mute』のドアの前だっ
た。洋子と綾子が友美の方を振り向き、ドアの前を空ける。「先に入れ」という事ら
しい。
 友美は2人に促されるまま、ゆっくりとドアを押した。と‥‥

 パン パン パパン!! パパパパン!!!
 突然前方で何かが炸裂した様な音が三つ響いた。
 パン パパン!
 そして背後からも二つ、似たような音が‥‥。次いで、何かが髪に、肩に降りかか
ってきた。
 恐る恐る目を開ける。
 髪や肩に掛かっていたものの正体は、細かい色とりどりの細い紙テープだった。
少々だが火薬の匂いも鼻につく。
(クラッカー?)
 そう思った矢先‥‥

「友美ちゃん、お誕生日おめでとう!!」
 女の子の声。この15年で最も聞き慣れた女の子の声。
「‥‥唯ちゃん。」
 その後に何を言おうかと思いを巡らす友美。そんな友美に向かって、唯は大きな包
みを友美に差し出し、
「はい、プレゼント。綾ちゃんと洋子ちゃんと唯からのだよ。」
 一抱えはありそうな包みを手渡され、友美の顔は狐につままれたような表情になっ
ている。
 その様子を笑いを堪えるようにして見ていた綾子だが、唯の手渡したプレゼントに
奇妙な不安を覚え、唯に詰め寄る。
「ちょっと唯、なによその巨大なプレゼントは? あんたまさか‥‥」
 そんな綾子に、唯はあっけらかんと、
「うん、ヌイグルミ。お店にある一番おっきなのは無理だったけど、2番目の奴だよ」
「あのね‥‥15歳よ? もうちょっと考えたら?」
 一応3分の1の金額を出しているので、その主張ももっともだ。
「でも綾ちゃんだって二ヶ月前の誕生日の時、ヌイグルミ貰って喜んでたじゃない。」
 ちなみに綾子の誕生日は3月で、このメンバーの中では一番若い。実際、唯からプ
レゼントされたヌイグルミにエラく感動していたのだから、
「だからって、15よ、15!?」
 という意見もあまり説得力がない。

 そんな2人の言い合いを友美は「ぽかん」と見つめていたのだが、
「驚いたか?」
 その友美の肩に腕を置くようにして、洋子が話し掛けた。
「え?」
 というような顔をする友美に向かって、洋子はもう一度、
「驚いただろう?」
 今度は笑いを堪えるようにして聞くと、友美がこっくりと首を縦に振る。

「よーし! んじゃ、今までの事はみんなチャラ。なかった事だ。」
 宣言するように言うと、友美は更に困惑したような顔で辺りを見回す。

 唯が‥‥ 綾子が‥‥ そして洋子が笑顔で自分の方を見ていた。
 その笑顔が全てを語っていた。言葉など無くとも気持ちが伝わる。だから、友美も
笑顔を返した。最上級の笑顔を‥‥一言の言葉を添えて、

「ありがとう。」
 と‥‥。


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