話は3年前の元旦まで遡る。
元旦と言えば1月1日の事である。
何処の店もシャッターを下ろし、開いているのはコンビニと子供のお年玉目当ての
おもちゃ屋ぐらいのものであろう。
もちろん、閑静な住宅街にありながら基本的に休店しない『憩』もその例に漏れず、
『謹賀新年
新年の営業は三日から』
という札がドアに貼り付けられていた。
そして、去年の元旦を異国の地で過ごした彼も、今年は我が家にて新年を迎えてい
る。
「うん。この黒豆、良く出来ているねぇ」
重箱に盛られたおせち料理を肴に、杯を傾ける男こそ、この家の主にして菱洋大学
考古学助教授、更に言うなら日本考古学界のホープ、ついでに龍之介の父親である綾
瀬浩史だ。
「いやぁ、やっぱり日本人の正月はこうでなくちゃね」
杯にお屠蘇を注ぎながら、声に出してみる。但し、酒に強いという訳では無いので、
屠蘇の正体は白ワイン。
「去年は大変でしたものねぇ」
それに答えたのは、七輪抱えた美佐子だ。こういった小道具に凝るのは昔から変わっ
ていない。もちろん、餅を焼くためだ。
「いや、帰って来ようとは思っていたんだけどね……」
思ってはいたが、帰れない事情が出てきてしまったらしい。
「構いませんわ。今年は約束通り帰ってきてくれたんですから」
にっこりと微笑み返す。
しかし、それが表面上の事であると言う事を綾瀬は知っていた。去年、帰れない旨
を電話で伝えた際、海底ケーブルを伝って来た重苦しい雰囲気は今でも覚えている。
美佐子に家へ入って貰う際、
『妻の命日と、元旦は家に帰る』
という約束を取り交わしていたのだが、それから2年半。約束が守られたのは半分
に過ぎない。
もし、今年も帰れないなんて事になったら、
『実家に帰らせて頂きます』
などと言うセリフが出て来そうだった。そう思ったから今年は我が家で正月を迎え
る事にしたのだ。
ま、別に戸籍を共にしている訳でも無いので、本当に実家に帰れる状況にあるなら、
それが一番良いのだが……
綾瀬が美佐子の夫で且つ、自分の親友である鳴沢圭一郎に想いを馳せようとした時、
「あけましておめでとうございます」
ようやく起き出してきたその圭一郎の忘れ形見、唯がそれを遮った。
「やあ、あけましておめでとう。龍之介はまだ寝てるのかい?」
「一応、起こしに行ったけど、半分寝てる声が返って来たからダメかも」
炬燵に潜り込みながら答える。ダメと言っても命に関わるものでは無いので、のん
びりとしたものだ。
目の前に置かれた七輪に手をかざし、暫しの沈黙が続く。正直なところ、唯にとっ
て綾瀬は少し遠い存在だった。年に数十日しか家に居ない上、あまり話もしない。美
佐子がキッチンへ戻ってしまった今、部屋に2人きりという状況は、少々居心地が悪
かった。何か話題をと探すのだが、そうそう共通の話題があるわけがない。
手持ち無沙汰気味にパック入り餅の封を切り、七輪の網の上に乗せる唯。ふとその
頭にある事が浮かんだ。
「あ、そう言えば昨日、紅と白どっちが勝ったの?」
年末恒例の歌番組、紅白歌合戦の勝敗の事らしい。これは例年の事なのだが、夜行
性に近い龍之介に比べ、ごく一般の小学生である唯は、年が変わる前に寝こけてしま
う。それを龍之介にからかわれるのだが、その際の切り出しが、
「紅白どっちが勝った?」
なのだ。
「んーと、去年は白だったかな?」
記憶を頼りに答え、更に新聞を広げ確認する。
「うん、白だ」
「え!? 勝ち負けって新聞に出るの?」
カルチャーショックだった。知っていれば、去年までの屈辱を味わわずに済んだか
もしれないのに……
「ほら、ここだよ」
そんな唯の思いを知らず、新聞を裏返し、その部分を綾瀬が指差す。間違いなく白
が勝っていた。新聞を受け取り、呆然とその記事を見つめる唯。
そんな唯を見ながら、杯を傾ける綾瀬だが、何かに気付いたようにその動きが止まっ
た。
「ん? 今年はやけに早起きだな」
「え?」
最初、綾瀬の言った意味がわからなかった唯だが、すぐにその物音に気付いた。と
たとたと階段を降りてくる音に。程なくしてリビングのドアが開き、
「ふぅ。今年は逃げ出さなかったようだな」
自分の父親の姿を認め、安堵の溜息を吐く龍之介。別に滅多に家に帰ってこない父
親が家に居ることを喜んでいるわけではない。少なくとも表面上は。
「新年の挨拶も無しに、ご挨拶だな。もう少し寝ててくれりゃ静かで良かったのに」
「安心してくれ。食うもん食って、貰うもん貰ったらもう一回寝るつもりだ」
つまり、お目当てはお年玉というわけだ。去年は元旦からひと月遅れで貰うハメに
なり、予定が大幅に狂ったのだ。
「金目当てとは情けない奴め。俺はお前をそんな風に育てた覚えはない」
「育てて無いだろが」
軽いジャブの応酬を終え、龍之介も炬燵に潜り込む。
「どうだ? 一杯」
すぐさま綾瀬が杯を渡そうとするが、
「そんなもんより、寄越すものを寄越せ」
ニベもなく言い放つ龍之介。だが、綾瀬はそれにめげることなく、
「じゃ、唯ちゃんは?」
真正面に座る唯に杯を向ける。
「あ、いただきます」
実の息子に蔑ろにされ続けるのを哀れに思ったのか、その杯を受け取る唯。
「お、話がわかるねぇ」
さも嬉しそうに、その杯にお屠蘇(白ワイン)を満たす綾瀬。暫し杯とにらめっこ
する唯。ちょっと匂いを嗅いだりして、行けると判断したのか、一気にそれをあおっ
た。
「甘くて、おいしー」
どうやらアルコールの類に『にがい』というイメージを抱いていたらしいが、今飲
んだ白ワインの甘さは、唯のそのイメージを壊すのに十分な糖度をもっていたようだ。
「お、いい飲みっぷりだねぇ。もう一杯どう?」
「うん」
「おーおー、コドモが背伸びしちゃって」
調子に乗って杯を差し出す唯を龍之介が茶化すが、
「お酒が飲めないお兄ちゃんよりは子供じゃないよ」
負けじと唯もやり返す。
「ほほぉ、じゃあ聞くが、去年の紅白どっちが勝った?」
「白組」
即答。事前の情報収集が功を奏した。が、龍之介は納得行かない。
「……なんかズルしたろ。お前炬燵の中で完全に寝てたじゃないか」
なにしろ、勝敗が出る直前、抓っても叩いても起きなかったのを確認している。事
実唯はその時点で夢の中にいたのだが、
「お兄ちゃんを欺くために寝たふりしてただけだよ」
ワインで舌が滑らかになっているのか、嘘も平気で出てくる。
「嘘つけ」
「そう思うのはお兄ちゃんの勝手だよ。少なくともお酒が飲める分、唯の方が大人だ
ね」
そう言って注がれたワインをくぃーっと飲み干す。
「嫌だわ。この娘、誰に似たのかしら?」
キッチンから出てきた美佐子がその様を見て呆れ気味に溜息を吐くが、咎めない辺
りで誰に似たのかは明白だった。
しかしこれで収まりがつかないのは龍之介だ。唯如きに子供扱いされては末代まで
の恥、とばかりに自ら杯を取ると、
「俺にも!」
注げと言わんばかりに父親の前に差し出す。もちろんこんな面白い見せ物に「待っ
た」を掛けるほど綾瀬も無粋では無い。息子の持つ杯に、なみなみとワインを注いで
やる。
表面張力で若干盛り上がった杯を慎重に口元へ運ぶ龍之介。そこで一瞬の躊躇。そ
んな彼の背中を押したのは、
「無理しない方が良いよ」
という唯の激励(?)だった。
「誰が無理してるってんだ。みてろよ」
くっ、と一気に杯を空け、
ごっくん…
よく味わいもせずに一息に飲み込んだ模様。勝ち誇ったように空になった杯を振っ
てみせる龍之介だが、気のせいか頬が赤らんでいるように見える。
「どうだ。こんなもん軽い軽い」
「まだ一杯だけじゃない。唯は2杯だもんね」
べぇ、と舌を出して見せる唯。大人云々の話のだった筈なのに、最早子供のケンカ
に成り下がっていた。しかし売られたケンカは買うのが龍之介の主義(?)だ。
「そこまで言うなら、決定的な差を見せつけてやろう」
そう言うや、傍らにあったワインボトルを手に取ると、自分の杯に手酌で注ぐと一
気に飲み干し、返す刀(?)で更にもう一杯……。
計3杯を飲み干した龍之介。勝ち誇ったように、
「ろうら!」
と叫ぶ。断っておくが西城秀樹のモノマネではない。本人は「どうだ!」と言って
いるつもりらしいが、既に舌が回っていないのだ。それ以前に、顔は真っ赤っかで目
も座っている。さすがに唯も「これはマズイ」と思ったが、後の祭りだった。
「これれ(で)終わりにするか、それろ(と)も続けるかぁ〜」
どこかで聞いたような台詞を吐く龍之介だが、既に勝負はついていた。もう一杯く
らい飲ませれば、撃沈確実だろう。しかし唯にしてみればここで撃沈させてしまうと、
この後自分が困る。遊び相手がいなくなってしまうのだ。
「わ、わかったよ。唯の負けでいいから…」
いつの間にか勝ち負けの勝負になっているが、当の龍之介はご満悦で、
「はっはっは。これからは俺様に楯突こうなろろ(どと)考えるんじゃないぞ〜」
唯の手を引っ張り、無理矢理自分の横に座らせる。
「そーゆぅ訳で、今日から唯はおれのもんら〜」
なにがどうなって『そーゆぅ訳』なのかさっぱり判らないが、とにかく龍之介の頭
の中ではそう言う事になったらしい。唯の腰にしっかと手を回し、高らかに『俺のモ
ノ』宣言。
「うーむ、我が息子ながら、末恐ろしい奴」
その様を見て唸る綾瀬。
「そっくりだわ…」
隣で美佐子が呟くのだが、もちろん聞こえないフリ。
……と、
ピンポーン!
「あら、誰かしら」
炬燵から出ていそいそと玄関へ向かう美佐子。大体話の展開からしておわかりだろ
うが、
「あら、友美ちゃん。明けましておめでとう」
「おめでとうございます。あの…、2人とも起きてます?」
「ええ、起きてるわよ。どうぞ」
という会話がドア越しに聞こえてくる。慌てたのは唯だ。このままでは壮大な誤解
を招きかねない。
「お、お兄ちゃん、離して。友美ちゃんが来たよ」
しかし龍之介にはそれがどういう意味を持つのか判らなかったらしく、
「んぁ? ろもみがろうかしらのか?」
(んぁ? 友美がどうかしたのか?)
とゆーか、殆ど泥酔状態。そのくせ、唯の腰にまわした手はいささかも弱まってい
なかった。
結局、
「唯ちゃん、龍くん、羽子板しな……」
かん からーん
衝撃の現場を目撃した友美の手から、羽子板と羽が滑り落ち、盛大にフローリング
の床を打った。
リビングの入り口からだと、2人の背中しか見えないから尚更だ。
こういう時女の子が取る行動には二通りある。ひとつは目に一杯の涙を溜めその場
を走り去る事。ふたつ目は嫉妬に狂って、2人の間に割ってはいる事。
この時の友美の行動は後者に近かった。づかづかとフローリングを踏みしめ、2人
の背後へ。それに気付いた唯が、
「あ、友美ちゃん。助けて。お兄ちゃんが……」
なんとか龍之介から逃れようと身体をくねらせながら友美に助けを求めた。だが、
龍之介は捕らえた獲物は逃さない蜘蛛の如く、唯の動きを先読みしてその動きを封じ
る。酔っているとは思えない行動だが、或いは天性なのかもしれない。
むかむかむか
エネルギー充填120%(漏電20%)
「何やってるのよ、新年早々っ!」
実のところ、新年早々だからこういう事になっているのだが、そこはそれ。
「んぁ?」
その怒声にようやく龍之介も友美に気付いたようで、ゆるゆると振り返り、仁王立
ちの友美を見上げる。
「おぉ、友美(ろもみ)じゃないか」
その呂律の回らない喋りに友美は顔をしかめ、炬燵に陣取る面々を見回した。
「いや、どーしても飲みたいって言うからさ…」
怖ず怖ずと綾瀬が切り出す。ふた回りも歳の離れている小学生に睨まれて縮こまる
辺りは情けないが、それだけ友美に面倒を掛けているという事を自覚しているのだろ
う。
「ろうら? 友美も一杯?」
それとは別に、相変わらず呂律の回らない口調で、友美に向かってワインボトルを
掲げて見せる龍之介。
「何言ってるのよ。未成年のお酒なんか飲んで…。おまけにこんな酔っぱらっちゃっ
て」
呆れたように窘めるが、
「なにぃ、俺の酒が飲めないってか!?」
何処で覚えたのか、そんな台詞を吐く龍之介。しかし友美は臆した風もなく、
「当たり前でしょ、未成年の飲酒は法律で禁止されているんだからっ」
死角無しの優等生ぶりを発揮。だが、惜しむらくは相手が龍之介だったという事だ
ろう。さらに「酔っぱらい」の追加属性付き。
「つまりは俺の不戦勝って事だな。んじゃ友美も俺のもんだ」
言うが早いか、友美の手を引っ張り寄せる。咄嗟のことに友美も受け身が取れず、
崩れるようにその場にへたり込んだ。すかさずその腰に手を回して、抱き寄せる龍之
介。両手に花状態だ。
「ち、ちょっと、龍くん」
龍之介の腕の中で抗う友美だが、
「わっはっは。愉快愉快」
龍之介は意に介さない。
「う〜む、益々末恐ろしい」
「怖いぐらいそっくり」
またも唸る綾瀬に、雑煮を盆に載せた美佐子がツッコミを入れるが、もちろん聞こ
えないフリだ。一瞬冷ややかな視線を綾瀬に向けたものの、
「さあさあ、お雑煮が出来たわよ」
こんな非常識事態にあってもマイペースを崩さない美佐子。ある意味恐ろしい人で
ある。しかし、この一言で事態は急速に収拾へ向かう事になった。
「あ、俺、餅3つのやつね」
パッと2人の腰に回した手を離し、雑煮の椀に手を伸ばす龍之介。
花より団子。
色気より食い気。
唯&友美より雑煮。
非常識事態は収束したが、今度は非常事態だ。沸々とたぎる乙女の怒りは、今や頂
点に達しようとしていた。だが、
「お兄ちゃん?」
「龍くん?」
般若の形相を笑顔の仮面で覆い隠し、雑煮の餅と格闘する龍之介にゆったりと語り
かける2人の少女。
「はぐはぐ… なんら?」
「私たち、いつも龍くんにお世話になっているから…」
「新年だし、そのお礼がしたいなぁって思ってるの」
「んぐんぐ… それは良い心がけらな」
当然のお約束として、龍之介の方はそんな事を微塵も感じていない。
「そう? じゃあ受け取ってね」
「私たち2人からの……」
「「お年玉っ!」」
ガッ…
ゴッ…
※
なるほど。あの後頭が痛かったのはその所為か。おかしいとは思ったんだ。二日酔
いにしてはタンコブ2つあるし。
しかしそんな事を知ったところで、今直面している事態が打破出来るとは思えない。
「くー…」
俺の恥を曝すだけ曝して、当の唯は爆沈しやがった。残ったのはこれまた酔っぱら
いの2人。友美じゃないけど、未成年者の飲酒は法律で禁止されているんだぞ。
「ふぅん。龍之介君って見かけによらず、女の子にだらしが無いのね」
みろ。愛美さんにも盛大な誤解を与えてしまったではないか。
「んな事言ったって、俺そん時の事覚えてないし……」
「まあ、小学生くらいなら笑い話で済むからいいんじゃない?」
グラスに残った赤ワインを、きゅーっと流し込み、愉快そうに笑ってくれる。笑い
話は良いが、笑われる方の身にもなって欲しい。それでも笑い話で聞いてくれた愛美
さんはまだ良い。
問題は、
「それにしたって、限度ってものがあるでしょうが」
そう言って、空になった愛美さんのグラスに半分ほどワインを注ぐ愛衣。更に自分
のグラスにも注ぎ足したところで2本目のワインボトルは空になった。結局、女3人
でワイン2本空けた計算になる。
「大体、その前にも唯と友美の2人に、『お嫁さんにしてやる』とかって言ってたの
よ、こいつ」
ええい、どうして女ってのはこう、つまらん事ばかり覚えてるんだ!
「ふわぁ…、それはもう言い逃れ出来ないね」
そろそろ愛美さんの方も危なそうだ。ちょっと話しかけないと、舟漕ぎ始めてるし。
「だから、そんな幼稚園や小学校低学年時の話を持ち出すなよ。あんな約束、誰にだっ
てひとつやふたつあるだろが」
くそ、なんだって酔っぱらいの女子高生相手に、こんな言い訳じみた事を言わにゃ
ならんのだ。とか思ったのだが、
「あんな……約束?」
気のせいか、愛衣の眼光が鋭くなった気がする。俺、なんか悪いこと言ったかな?
「ふぅん。あ、そう。その程度の約束だったんだ」
ぷいっ、と俺から目線を外し、グラスに残ったワインを一気に流し込む。
何を言ってるのかさっぱり判らない。酔っているようには見えないが、顔に出ない
だけなのか?
「信じらんない。綺麗さっぱり忘れてるわ」
そんな俺の「?」な顔を見て、またも悪態を吐いてくれる。そしてワインボトルに
手を伸ばしたところで、それが先の一杯で終わっている事に気付いたのだろう。キッ
と俺の方を睨み付け、
「何でも良いからお酒買って来て」
まだ飲む気か!? ……これはやっぱり酔ってるな。
「う〜〜〜ん…… 私梅酒ぅ」
愛美さんまでっ!? でも梅酒という辺りが如何にも愛美さんらしい。アルコール
には違いないんだけど…
※
「くそ。なんでオレがこんな目に…」
コンビニのカゴに梅酒と酎ハイの缶をガラガラと放り込みつつ悪態を吐いてみる。
このまま家に帰ってしまおうかとも考えたが後が怖い。
それはともかくとして、この酒の金は出して貰えるんだろうな。いたいけな少年に
タカるとは思えないが、酔っぱらいには常識が通用しないかもしれない。
レジで会計を済ませ、保険の意味でいつもは貰わない、貰ってもゴミ箱に直行する
レシ−トを財布の中に仕舞いコンビニを後にする。しかし未成年にこんな簡単に酒類
を売って良いんだろうか? ……まあ、俺が飲む訳じゃないから良いんだけど……
あ、でも結局飲むのは未成年か。
……考えてみれば、同じ未成年なのになんで俺がこんな使いっ走りをさせられなきゃ
いけないんだ? なんか腹立ってきた。ここはひとつ、男としてビシッと
「うらぁ、今帰ったぞ!」
どかーん! とばかりに足蹴でドアを開けてやろうかと思ったが、玄関ドアは外開
きなのでイマイチ迫力不足。ならば閉まるときに…… くそ、ドアチェッカーが付い
てるじゃないか。
俺の怒りを表現してくれる筈だった金属製の玄関ドアは、俺の意に反して静かに
「カタン」と閉じてくれた。
どいつもこいつも……
んで、部屋に戻れば、
くー…
すー…
Zzzz…
全員轟沈かよ、おい。人に使い走りさせて置いてこれか?
一応抗議の意味を込めて、買ってきたばかりの酎ハイや梅酒を注意を引くためにわ
ざと派手な音を立てて炬燵の上に出してやるが効果ナシ。まあ、見方を変えれば静か
になって良かったとも取れるのだが。
しょうがないので、炬燵に潜り込み冷えた身体を癒しつつ、テレビのチャンネルを
手当たり次第に変えて行く。クリスマスイブの所為か、バラエティーから映画、ドラ
マまで、どのチャンネルもクリスマスネタのオンパレード。取り敢えず一番やかまし
いバラエティー番組にチャンネルを合わせ、余ったピザやチキンをジュース片手に後
片づけ。冷めてもそこそこ美味いのにはちょっと驚いた。やはりマスターは謎の人だ。
などと考えつつ、テレビ画面をボケッと見つめていると、
「っくしゅん…」
断って置くが俺じゃない。唯だ。いつの間にか座布団を二つに折って枕代わりにし
て寝こけていた。コタツ寝の典型的なパターンだ。当然身体全部が炬燵の中に入るわ
けが無いので、上半身が寒いのかもしれない。
「ったく、しょうが無ぇなぁ」
風邪でもひかれてそれを感染(うつ)されでもしたら適わないので、コートだけは
掛けてやろう。もちろん唯自身の物だ。で、愛美さんには俺の上着を掛けて……、と。
「問題はコイツだな」
炬燵に突っ伏して寝ている愛衣。風邪は治り端が肝心というのを知らないらしい。
ガウンだけは羽織っているが、これでは風邪が再発しても文句は言え無いだろう。
「…ったくよー、一番偉そうな事言ってて、一番手間掛けさせてるじゃないか」
とか文句を言いつつも、ちゃんとベッドに運んでやろうって言うんだから、俺も奇
特だよなぁ。
「んーしょっと」
ズルズルと愛衣を炬燵から引っ張り出し、
「よっこらせ」
足と肩を支えて抱き上げる。思ったより軽かった。大体唯と同じくらいだろうか?
身長は愛衣の方が明らかに高いので、軽く感じるのかもしれない。しかし断っておく
が、あくまで『思ったより』だ。重い事には変わりない。
「とにかく、早いとこベッドに移そう」
どういう経緯でそこに転がっているか判らないワインの瓶を避つつ、慎重に足を運
ぶ。ベッドがすぐそこにあるのが幸いだった。
「ふぅ」
起こさないようにベッドへ横たえ、布団を掛けてやる。やれやれだ。
一応出来ることはしてやったので、風邪がぶり返しても俺に火の粉が降り掛かるこ
とは無いだろう。
「どれ、熱の方は……」
あるようならそれなりの処置を講じて恩を売るのも良いかも知れない。
「……熱いな」
て言うか、俺の額も熱い…… ってか良くわからん。俺の手が冷たすぎるんだ。ひょ
っとして、俺って冷え症?
「……ま、あんだけ騒いでたんだからまず大丈夫だろう」
無理に計る必要も無い。手がダメならおでことおでこって手もあるが…… そうい
や麻疹(はしか)とかにかかった時、お袋がやってたな。それ見た友美が真似して、
見事に感染(うつ)ってたっけ。……あれってどうなんだ? あんまり正確に計れる
とは思えないんだが。
「……試してみるか」
身体を支えるために両手をベッドに付き……って何か襲いかかっているみたいだ。
ちがう! 俺は熱を計ろうとだな……
確かに無防備な寝顔は、ドキッとするほど可愛いが…
だからといって寝込みを襲うような真似をするほど落ちぶれちゃいない
だが、ちょっとバランスが崩れて抱きついたりしまったりする程度は、事故という
か不可抗力になるんじゃないか?
バランスが崩れる要因なんて何処にも無いけどな。
そこはそれ。どうせ誰も見ちゃいないんだし、据え膳食わぬは男の恥だぞ。
据えてあるのか? これ。
男を部屋に残したまま寝こけているんだから据えてあるのも同然だろ?
いや、しかし“武士は食わねど高楊枝”という諺が……
“腹が減っては戦が出来ん”という諺もあるぞ。
……誰と話してんだ?俺。冷え症の上に分裂症とか? まあ、いいや。とっとと熱
の有無を確かめて……
と、顔…じゃなくて額を愛衣に寄せようとした時、俺の目がそれを捕らえた。
目の端を掠めたリボン。
ぎょっとして顔を上げると、やっぱりというか唯が起きあがってこちらを見ていた。
「ご、誤解するなよ。これは熱を計ろうとしてだな……」
別に疚しい事をしていた訳じゃないのだが、唯がこの状況を湾曲して捉え、
「お兄ちゃんの浮気者!」
…じゃなくって! 俺が愛衣に襲いかかっていたなんて事が本人に伝わったら困る。
そんな俺の動揺が伝わったのか、唯のヤツは眉をひそめ、
「ケーキ……」
は?
「……ケーキ」
呆ける俺を余所に、唯は傍らに置いてあったケーキの箱をこたつの上に乗せると、
おもむろに箱のリボンを解きはじめた。ひょっとして俺の存在に気付いてないのか?
って言うより、寝ぼけてるだけか。
そうこうしている内にリボンを解き、包装を剥ぎ終えた唯は、何かの儀式でも始め
るかのように、厳かにケーキの蓋に両手を添え、ゆっくりと持ち上げた。灯の光に照
らされるショートケーキ。きっと唯には後光が差して見えるに違いない。
至福という名の表情をその顔に浮かべた唯は、しかしそのケーキの蓋を再び閉じて
しまった。
「なんだ、食わんのか?」
と尋ねてみるが、もちろん返事は返ってこない。まあここでばくばくとケーキを食
い始めたら、さすがの俺もビビッただろうが。
唯はと言うと、ケーキの存在を確認した事で安心したのか、再びこたつの向こう側
に消えた。もそもそと自分のコートを布団代わりに掛けているのが垣間見える。
室内に再び静寂が訪れた。…いや、テレビは点いているが。
なんだか1人で狼狽してたのがバカみたいだ。でもまあ、確かに女の子のベッドに、
(しかも相手が寝ている状態で)いつまでも居座るのはまずい気がしてきた。第一、
あの至近距離で愛衣が気付いたら言い訳も何も無かっただろう。恐らく俺は「寝込み
を襲った卑劣な男」というレッテルを貼られ、これからの人生を歩んで行かねばなら
なかったに違いない。くわばらくわばら……
と胸をなで下ろした次の瞬間、
「意気地なし」
ぎっくぅ
背後から聞こえてきたその声に、俺の寿命は掛け値なしに3年は縮んだ。だって眠っ
ていた筈なのだ。仮に起きていたとしたら、なんであの状況を甘受してたんだ?
それこそ恐る恐ると言った具合に首を巡らせてみると、俺を睨み付けている愛衣が…
…いなかった。
いや、居るには居たが、別に睨み付けてはいなかった。と言うか、それ以前に起き
ていなかった。先程と寸分違わぬ位置で静かに寝息を立てている。
「おーい…」
取り敢えず呼び掛けてみる。返事がない。ただの爆睡者のようだ。
「寝言……かな」
無言
「寝言……だよな」
静寂
「……寝言か」
そこで俺はようやく溜め込んでいた肺の中の空気を吐き出した。心臓に悪いことこ
の上ない。俺は早々に引き上げる事にした。
「愛美さん、愛美さん」
一番起こして害の無さそうな愛美さんの肩を2、3度揺らしてみる。帰ろうにも俺
が出てった後、鍵を閉めて貰わなくちゃならないし、愛美さんに掛けてあるコートは
俺のだ。まさか寝ている愛美さんからはぎ取っていくわけにもいくまい。
「んにゃ?」
何度か呼び掛けると、猫のような返事が返ってきた。
「俺、帰るけど、あとの戸締まり頼める?」
「んぅ〜、大丈夫。まだ飲めるから」
ちっとも大丈夫じゃ無さそうな声が帰ってきたが、俺の心配というか不安を余所に、
愛美さんはゆっくりと上半身を起こすと、目の前に転がっている缶入り梅酒を開け、
そのままグビグビと飲(や)りだした。ある意味、さっきの唯以上だ。違っている所
と言えば、
「ふぅ…」
と溜息を吐いたあと、愛美さんは意外にもしっかりした声で
「そうね、美佐子さんも心配してるだろうし。唯ちゃんは責任持って預かって置くか
ら」
と言ってくれた事だろう。
……こーゆーのを迎え酒と言うんだろうか? しかし唯の面倒を見てくれるのはあ
りがたい。下手すりゃ担いで帰らねばならない所だった。とゆーか、それ以前にケー
キから唯を引き離すのが恐い。
「じゃ、悪いけど戸締まりの方頼むね」
やっかい事を愛美さんに押しつけるのは気が引けたが、俺はこれ幸いとばかりにマ
ンションを抜け出した。
しかし後日、俺はこれが大きな過ちだった事を知るのである。
翌日、やけにげっそりした顔で帰宅した唯から聞いた話だと、俺が帰ったあと愛美
さんが凄かったらしいのだ。何処がどんな風に凄かったかというと…… それは愛美
さんの名誉に関する事なので、口が裂けても言えない。
「まさか上から下まで全部脱ぐとは思わなかったよ」
だから言うなよ、唯。口が裂けるぞ。
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