「おれ、夏休みが終わったら引っ越しちゃうかもしれないんだ。」
友美にしてみれば晴天の霹靂だった。物心がつく前から一緒に遊び、一緒の幼稚園
に行き、一緒の小学校に通った自分の初恋の相手が引っ越してしまう。そんな2流の
ラブコメみたいな展開が自分に起こるとは思わなかった。
「ど、どうして!?」
当然のように友美が反駁する。
「まだはっきりとはしてないんだけどさ。ほら、俺の父さん年中出かけているの知っ
ているだろう。今までは母さんがいたからいいけど・・・死んじゃったからさ。」
「じゃあもう会えないの?」
既に友美の涙は臨戦態勢である。
「行き先にもよるけど爺ちゃん達は外国だし、母さんの妹が北海道の方にいるって話
だから多分そのどっちかだな。」
どちらにしても気軽に訪ねられる距離ではない。
「いいじゃない、このままあの家に住んでも。お掃除だってお洗濯だって私がやって
あげるから」
ポロポロ涙をこぼしながら龍之介に訴える。聞きようによってはものすごい大胆発
言である。
「絶対泣かないって言ったのは誰だよ。」
「だって・・・。」
しゃくり上げる友美。
「まだ半月あるからさ、明日は一緒にプールに行こうぜ。」
「・・・・・・。」
「返事をしろよ。」
「・・・うん。」
「よし。じゃ、帰ろうぜ。」
歩き出す龍之介。だが友美はその場から動かない。
「しょうがねーなー。」
そう言って龍之介は友美の手を取り歩き始めた。
※
「じゃあ詳しい事は明後日という事にして、今日はこれで・・・。」
「ありがとう、助かったよ。正直なところ君が引き受けてくれなかったら教授の話し
断ろうかと思っていたんだ。」
「龍之介くんにはその方が良かったかも知れないですけどね。」
「それはわからないよ。」
と、唯を見やり
「こんな可愛い妹が出来るんだから・・・な、唯ちゃん。」
「・・・・・・。」
「唯、いつまでもふてくされているんじゃありません。」
結局、龍之介に会えずに帰る事になり不機嫌なのである。
「ごめんな、でもここで暮らすようになれば嫌でも毎日顔を合わせる事になるんだか
らさ。」
綾瀬がそう言って慰めるがあまり効果は無いようだった。スツールから飛び降りて
さっさと出口の方へ歩いていく。
「もう、あの娘ったら・・・。」
「はは、ずいぶん気に入られたみたいだな龍之介の奴。」
「もっと落ち込むかと思ってたんですけど・・・。龍之介くんに感謝しなくちゃいけ
ないですね。」
「おかーさん、早く行こ。」
「はいはい。じゃ、あの娘の気が変わらないうちに帰ります。」
「ああ、気をつけて。」
唯がドアを開けて外へ出る。美佐子、そして見送るために綾瀬が続く。
いち早く気付いたのは唯だった。道路の向こうから歩いてくる2つの影に・・・。
「おにいちゃん!」
そう呼び掛けると唯は元気に走りだした。
龍之介はその声が聞こえた瞬間、反射的に友美の手を離した。声の主は50M程先
の自宅前にいたがすぐに駆け寄ってきた。
唯は二人の目の前まで来ると呼吸を整えつつ
「どこ行ってたの、唯ずっと待ってたんだよ。」
急にそんな事言われても困る。確かにいつでも遊びに来いとは言ったが・・・。
「今日来るなんて知らなかったんだから仕方ないじゃないか。それより何しに来たん
だ?」
「おにいちゃんに会いに来たの。おかーさんも一緒だよ。」
突然つないでいた手を離され、更に会話に入り込めない友美は当然面白くない。自
分の存在をアピールすべく龍之介のシャツの裾を引っ張る。
「なんだよ友美、あっこいつ隣に住んでる水野友美ってんだ。」
「水野 友美です。はじめまして、えーと・・・。」
「あの・・・鳴沢 唯です。」
急に声が小さくなる。人見知りの本領発揮といったところだろうか。
「そっか、龍くんは唯ちゃんの所に行くんだ。」
頭の回転が早いというか早とちりというか、友美が寂しそうに呟く。しかし話の流
れからすれば当然だろう。
喫茶店の扉の所にいる女性は北海道に住むという龍之介の叔母で、その娘が唯であ
る事を友美は想像したのである。
ところが目の前にいる唯はそれをあっさりと否定した。
「ちがうよ、唯がおにいちゃんの家へ来るの。」
「えっ!」
「へっ!」
二人が同時に声をあげる。
「じ、じゃあ龍くん引っ越さなくていいの?」
問いつめる友美の迫力に唯が後ずさりつつ
「ゆ、唯はよくわからないけど、おかーさんとおじさんが話してたのはそういう事み
たい。」
今度は友美が綾瀬の元に駆け出した。
「おじ様!」
「やあ、友美ちゃん。こんにちは。」
「あの、龍くん、いえ龍之介くん引っ越さないで済むんですか。」
普段の友美ならまずあいさつを返すのだが、よほど慌てていたのか用件が先に出て
きてしまった。
「なんだ、もう龍之介からきいちゃったの。大丈夫だよその話無くなったから。」
「ほ、本当ですか。」
友美の目にまた涙が溢れてくる。しかし今度は先ほどまでの涙とは違う、紛れもな
く嬉し涙だ。
だが、次の綾瀬の言葉は友美にとって聞き捨てならなかった。
「ああ、おじさんの友達が龍之介の面倒を見てくれる事になったんだ。」
綾瀬の隣にいた美佐子がにっこり微笑んでちょっと頭を下げる。
「(と、友達って・・・)あ、あの・・・おば様の妹さんじゃないんですか?」
「えっ、おばさんの妹はまだ結婚してないんだ。それなのに子供がいたら益々お嫁の
もらい手が無くなっちゃうでしょ。」
「じゃあ唯ちゃんは・・・(なんで龍くんの事お兄ちゃんなんて呼んでるの?)」
友美にとって「お兄ちゃん」と呼べるのは、文字通り本当の兄か年上の従兄弟くら
いだと思っていたのである。
「唯はおばさんの娘よ。」
おばさんという言葉が似つかわしくない美佐子が答える。
「そうそう、唯ちゃんも友美ちゃんと同じ8歳だから仲良くしてあげてね。」
綾瀬が思いだしたように言うが友美は上の空で「はい」と答えただけだった。そし
て背を向け再び龍之介と唯の方へ歩いて行く。
その後ろ姿を見た綾瀬は
「やれやれ、我が息子ながらもてるなぁ。」
「あら、先輩の息子さんだからじゃないんですか?」
美佐子が茶々をいれる。
「恵さんや圭ちゃんから色々と武勇伝を聞いてますよ。」
「なんだい、武勇伝って。」
「なんでしょう。」
美佐子がちょっと意地悪っぽく言う。
「そ、そうだ、写真撮ろう、写真。記念になるからね。」
都合が悪くなると話題を変えるのが綾瀬の・・・いや、男の悪いところだ。
綾瀬がカメラを取りに喫茶店の中へ入って行くのを横目で見ながら美佐子は子供達
の会話に耳を傾けた。
※
「龍くん、明日プールに連れてってくれる約束覚えてる?」
「ん、ああ覚えてるよ。なんだよ急に。」
「プール! 唯も行く。」
「え、そりゃかまわないけど、お前水着なんか持ってきてるのか?」
「あ、持って・・・ない・・・や。」
「裸で泳ぐか?」
「うっ、ひっく、ひっく・・・ふぇ〜ん。」
「わっ、泣くなよ。じゃあ唯がこっちに来てから行くようにするからさ。」
「龍くん……」
「な、なんだよ友美。」
「さっき約束したわよね、明日行くって。」
「じゃ、友美とは明日行って、唯が来てから・・・。」
「わ〜〜〜〜〜〜ん! 唯も一緒に行く〜〜〜。」
「はぁ、どうすりゃいいんだよ。」
この年でこの様な修羅場を何度も経験すれば数年後に「ナンパの達人」称号を与え
られるのもうなづける。だが今は二人の女の子に右往左往するだけである。
見かねた美佐子が助け船を出す。
「唯、そんなわがままを言ってると龍之介くんに嫌われるわよ。」
「うっ、ひっく。」
「こんなわがままな妹いらないって言われるかもよ。」
「・・・・・・。」
「そしたらお兄ちゃんって呼べなくなるわね。ねぇ、龍之介くん?」
美佐子がウィンクをして龍之介に同意を求める。
「うんうん、泣いているばかりいる唯は嫌いだな。」
「ほら、龍之介くんもああ言ってる。今度来た時に一緒に連れてって貰いなさい。」
「・・・うん。」
それを聞いて美佐子と龍之介は同時にホッとため息をついた。
「お〜〜〜い、写真撮るぞ。」
そんな騒ぎは知らない綾瀬が喫茶店の中からカメラを持って出てきた。
「なんで写真なんか・・・。」
文句を言いつつ龍之介は真ん中に立つ。
「しらんのか、アメリカじゃ一家で写真を撮るのが当たり前なんだぞ。」
「あ、じゃあたし外れてます。」
友美がフレームの外に出ようとする。
「いーのいーの。友美ちゃんは家族みたいなもんだからね。はい、写すよー。」
シャッターの切れる音。
「先輩、それじゃ先輩が写らないじゃないですか。」
「そうだな。じゃ今度誰か撮って。」
「それじゃあ、今度こそ私がシャッター押せばいいんだ。」
友美が綾瀬からカメラを受け取る。
「悪いね、友美ちゃん。」
4人が笑顔をつくる。
「はい、それじゃ写しまーす。・・・はい、チーズ。」
今日のこの日を歩いていこう 私たちは今を生きているのだから
出会いは悲しみから始まったけれど
それはかけがえのない素敵な出会い
様々な出来事が絡み合ってできた
「最大の悲劇」の中の「最高の出会い」
そして
それぞれの思いを胸に抱いた これからの十年の最初の一歩
※
喫茶店の前には龍之介と唯だけが取り残された格好になった。
綾瀬と美佐子は友美と一緒に水野家へあいさつと今後についてを説明しに行ってし
まった。
「おにいちゃん、それなに?」
喫茶店のポーチにある階段に座り込んだ唯の目に龍之介のポケットからはみ出した
リボンが写った。
「ああこれか、リボンだよ。」
そう言って取り出してみせる。
「そんなのわかってるよ。どうしてそんな物を持っているのか聞いてるの。」
どうして持っているのかと言われても理由はない。単に捨てるに捨てられなかった
だけである。
ふと、座り込んだ唯を見おろすと髪が2箇所アクセサリー付のゴムで留められてい
る。龍之介は得意になって、
「これはな、こうするために持ってたのさ。」
そう言って留められたゴムの上から真白なリボンを結わえ付ける。
「な、なにしてるの。」
「うごくなよ、うまく結べないだろ。・・・よし、出来た。唯はまだこの街に慣れて
ないからな。こうしておけば目立つから俺がすぐに見つけてやるよ。それに、この
方が断然可愛いよ。」
「そんな事言ったって唯にはどうなっているかわからないよ。」
喫茶店の窓に写してみせるが外は暗くなっており店内が明るいので自分の姿は写ら
ない。
「こっちこっち。店の中に入ればわかるよ。」
龍之介が唯を手招きする。
なるほど店内のガラスは鏡のように店の中の物を写している。唯はガラスの前に立
ち、しばらく首を傾げたり、横を向いたりしていたが
「ねぇ、変じゃない?」
「変じゃないよ、良く似合ってる。・・・あ、取っちゃダメだよ」
頭に手をやろうとする唯をあわててを止める。
「そうかなぁ。」
といいつつ、まんざらでもなさそうである。
「うん、おれは好きだなこの方が。」
「ほんと! じゃ、唯はずっとこのままでいるね。」
「ずっと? 10年も20年もそのままなのか?」
「そう。10年経っても、そのまた10年経っても、『似合わないから取れ』ってお
にいちゃんが言うまで、ずっと・・・。」
ずっと・・・・。
【了】
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